(5)座禅
雑念を払おう…と思えば、その方法を探ることになる。最も手っ取り早い方法が座禅だが、辺りがまだ暗い早朝から、とある禅寺の前では一人のサラリーマンが山門を潜っていた。
「お願い致します…」
男は本堂近くの庫裏前で箒を手に落ち葉を掃いている老僧に声をかけた。老僧は男を窺うでなく見据え、朴訥に返した。
「…はい、何ですかな?」
「あの…座禅をさせて戴きたくお参りさせていただいた者ですが…」
「ほう、左様でしたかな…。受付は九時からとなっております。しばらくは庫裏にてお待ち下され。白湯などをお出し致しますれば…」
男は老僧の言葉を聞き、劇場の開演待ちのようなものだな…と、思うでなく思った。
男が庫裏へ入ると受付があり、若い禅僧がウトウトしながら机を前に惰眠を貪っていた。男は、早朝から眠かろうに…と、しなくてもいい同情をした。
「あの…」
「はいっ!!」
男が小声をかけた途端、ギクッ! とした若い禅僧は何を思ったか、その場でスクッ! と直立した。何も直立することはなかろうが…と男は、またつまらない雑念を湧かせた。
「あの…座禅をさせて戴きたく、お参りをさせていただいた者ですが…」
男は老僧に話した内容と同じ内容を若い禅僧にも鸚鵡返しで話した。
「はあ、そうでしたか。それはそれはご奇特なことで…。そこの番号札をお取りになり、お上がり下さい」
男は、奇特と言われるほどのことでも…と思いながら、言われたように一番と書かれた番号札を手に取ると、靴を脱いで框へ上がった。
「前の靴箱に靴を入れられたあと、キーをお持ちになられ、奥の間へお通り下さい」
男は、キー!? ここは銭湯か? …と、またいらぬ雑念を湧かせた。この分だと、とても雑念は晴れそうにない…と、男は、またまた雑念を湧かせた。
しばらくして、別の若い禅僧が白湯の入った器を盆に乗せて現れた。
「畏れ入ります…」
作法をするかのように堅苦しく置かれた白湯入りの器を前にして、男は若い禅僧に軽く頭を下げざるを得なかった。そして、器を手にすると、白湯をグビッ! と喉に流し込んだ。ただの熱いお湯だった。その後はこともなく、九時近くまで時は流れていった。
「では、こちらへ…」
九時きっかりにまた別の若い禅僧が現れ、その禅僧に導かれて男は座禅場へと進んでいった。
「初めて、ですかな?」
座禅場にいたのは、庫裏の前で落ち葉を掃いていた老僧だった。
「私、ここの管主をしております朴然と申します…」
「はあ、よろしくお願いを致します…」
名前までは聞いてないぞ…と思いながら、男は挨拶をした。老僧に指導されるまま、男は座禅をすると、あら不思議、先ほどまで沸々(ふつふつ)と湧いていた雑念はピタリ! と止まり、心地よい無念無想の境地が男の心に訪れたのである。
この世は雑念に満ちる世界で、別に座禅を組む必要はないようです。雑念に塗れて生きるのもまた一興で、乙な暮らしなのではないでしょうか。^^
完