第四章 蠢く影[前編]
君は俺の友であり、俺の国の敵である。
「スリーブ全無人機っ、および有人機一機が撃墜されました!」
「ツイストとファースト、陣形が大きく崩れています!」
(なんだ?)
様々な通信機器の並ぶ簡易テントのなか、次々と耳に入ってくる凶報にヒバルはぐっと眉根を寄せる。なんの嫌がらせか、四人は祭りの約束を果たす前に再び戦場に引っ張り出された。それについてはこの際置いておくとして……ヒバルは正面に設置されている大型モニターを見据え、口元を片掌で覆った。
耳の通信機より発せられる電波がレーダーに反応し、自軍は赤色―前線に近い部隊ほど濃度が低くなっている―の丸光で表示されており、登録されていない敵軍の電波は青色の光となって液晶内に散らばっていた。グズグズに乱れているアラウンドと、相反して統率のとれた動きでこちらの陣地に侵攻してくる鬼士。リンラのようなじゃじゃ馬がいない分、鬼士のほうが統率は取りやすいだろうが……。
(これは統率云々の問題じゃねぇな)
今までの授業のような進軍とは訳が違う。向こうは明らかに何らかの目的をもってアラウンドの陣に踏み入っている。けれども何だ? なぜいきなり……いや。
「戦争に何故もクソもねぇよな」
「中尉?」
「何でもねぇ――陣形を立て直すぞ」
ヒバルはヘッドセットを装着すると、狼狽えている部下たちに持ち場につくよう指示を出す。イレギュラー慣れしていなくともヒバルが率いているだけはあり、部下たちは「了解っ」と声を揃えて動き出した。
まずは散り散りになりつつあるツイストとファーストだ。モニター内の前線付近をうろちょろしている淡い赤信号の位置を確認しながら、ヒバルは砂嵐の音を辛抱強く聞き流す。
『ザッ、ザザザ……――っんだよピピピピうっせぇな!』
「陣地の中央で火柱を作れ」
応答したリンラの傍には、彼女に纏わりつくように動く青い信号が一つ。アズハと交戦中だったのは明らかだが、そちらの都合を優先している暇はない。
『……了解』
有無を言わさないヒバルの声音に、リンラも反発せず行動に移る。炎でアズハを遠ざけたのか、青い信号が大きく距離を開けた隙に自陣の中央へ移動していった。その間にヒバルはモニター内の映像を信号図から、フォードが所有しているドローンが撮影中の生映像に切り替えた。
ついでアラウンドの全指揮官および小・中隊長がこちらの通信を強制受信できるよう回路を繋げと、無線担当の部下に命じた。直接的な指示はツイストとファーストのみに出すつもりだが、後から他の部隊に戦況を伝える手間は省いたほうがいい。
『ブラッドタイプ、アクティベート!』
「――ツイスト・ファーストの各指揮官、およびツイスト第三中隊長とファースト第二小隊長に告ぐ。ただちに火柱を目印に集結し、部隊の陣形を整えよ」
常に前線で動いているリンラが中央へ後退すれば、その分だけ前線で留めていた鬼士も侵攻してくるが、とにかく陣形の再結成を最優先に動くようヒバルは命じる。陣形が崩れた状態で指示を出しても、おそらく軍人たちの八割はついてこれない。ならば先に形を整えてしまったほうが、その後の指示も出しやすくなる……それに、デメリットばかりがあるわけでもない。
「火柱を中心に横一列に整列次第、ツイスト第一・第三中隊は前進してくる鬼士を銃で食い止めろ。ファースト第二小隊はこれの援護を。巻き込まれないよう注意しろよ。そしてファースト第一小隊、陣地中央に屯っている鬼士を更に後ろへ追い詰めろ。そっちにはツイスト第二・第四中隊、ファースト第三小隊がいる」
背中は味方に任せ、贄の挟み撃ちといこうじゃないか――敢えて蔑称を用いて好戦的にヒバルが告げればアラウンドの士気はぐんと高まり、威勢のいい雄叫びが聞こえてくる。
「エヴァフォード中尉、スリーブの戦闘機も前衛の援護に回すべきです。無人機は全滅しましたが、部隊そのものはまだ戦闘不能に陥っていません」
額が見えるほどに前髪を短く切り揃えたフォード第二分隊長の青年、S・ディラン・イルバーレ軍曹が「奴らに逃げ道を与えてはいけません」と意見する。ヒバルは少し考え込むと、ヘッドセットを外して小型通信機に付け替えた。それを了承と受け取ったディランは、早速スリーブに指示を出そうと通信機に手を伸ばすが、ヒバルはその手首を掴んで止めた。
「ぇ、中尉?」
「戦闘機は飛ばす。ただし援護するのは前衛じゃねぇ――後衛、アラウンドの最深部だ」
つまりはファイヴとフォード、そして司令部の上空だとヒバルは言い、なるべく高高度で待機するよう指示しろと続けてテントを出ていく。戦闘機をこちらに待機させる理由、その意味が分からないほどフォードの軍人たちも馬鹿ではない。滅多に抜刀しないレイピアを始め、各々の得意武器を確認して装備し直した。
◇◇◇◇
「アポなしは失礼じゃねぇか?」
言いながらヒバルはブラッドタイプを発動させ、離れた岩陰から司令部のテントを襲撃しようとしていた十人の鬼士の足元を氷漬けにした。避けきれずに焦る彼らに素早く峰打ちを食らわせ、意識を奪う。斬り捨てなかったのは、偏に鬼士たちの服装ゆえだ。
「こいつら……確か祈祷っつう超能力を使う奴らだったか」
ヒバルが鬼士の部隊の中でも厄介だと認識している祈祷部隊の連中は、侍よりも陰陽師に近い白黒の袴を身につけているため見分けが付きやすい。彼らの十八番である祈祷についてはアラウンドも解明しきれていないため、このようなイレギュラーな戦況で扱われると面倒なことになる。
「だから眠ってもらったわけだが……場違いに優秀な人材も混じってるとはな」
わざと声に出しながら、一番手前に倒れている祈祷兵の背中に刀を突き立てようとする。だが刃先が触れる寸前にチリッと小さな稲妻を視認すると、ヒバルは大きく後ろに跳躍した。直後、祈祷兵を軸にして地面に音もなく電流が走り景色が白く点滅する。ヒバルの位置まではギリ届かなかったが、他の兵たちは百パー巻き添えになっただろう……間違ってもすぐには目を覚まさないように保険をかけたか。
「そんなに聞かれたくねぇ話があんなら、暗号でも送ればいいだろ――ユキ」
いやに高身長な祈祷兵は起き上がりながら袴を脱ぎ捨て、井桁模様が描かれた本来の軍服姿に戻ってヒバルと対峙した。合図を交わすことなく二人は地を蹴り、火花を散らして刀と剣を交差させる。
すかさずユキハは袖口から小刀を取り出し、顔面めがけて斜めに振り上げた。ヒバルは顔を仰け反らせて刃を避けるとユキハの手首を掴み、背負投げの要領でユキハのバランスを崩し、そこへ蹴りまで入れようとする。
しかしユキハはその不安定な体勢をものともせず、ヒバルを逆さに見据えながらレイピアを突き出したばかりか、指先を巧みに使って小刀を投擲してきた。ヒバルは咄嗟に足裏を分厚い氷で覆いレイピアの切っ先を受け止めたが、前髪数本が小刀の餌食となる。いつになく本気に近い動きに違和感を覚えながら、ヒバルは足裏の氷を切り離して宙返りし、ユキハと距離を置いて着地した。
「……よく、俺たちの動きが読めたな」
ユキハもひとまずは深追いせず、静かすぎる眼差しでヒバルを見つめる。
「ああ、ここ最近で一番頭使ったわ」
ヒバルは、敢えて己の表情を軍人のそれから幼馴染としてのものに切り替え、これ見よがしに肩を竦めた。ユキハのブラッドタイプなら今し方のように放電で邪魔者の意識を奪うほか、回線に電気を流して機械類をショートさせることも可能なのだ。つまり彼が本気を出せば、アラウンドの通信機器すべてを破壊することだって出来る。
これまでの戦争とは比にならない勢いで侵攻しておいて、一番のウィークポイントである敵軍の通信網を壊さなかった理由は、アラウンドの警戒の目を前衛で暴れる鬼士に向けさせるためと考えていいだろう。
事実、ディランはスリーブの戦闘機を最深部ではなく前衛の援護に回そうとしており、ヒバルが止めなければ司令部周辺は丸腰だった。逆に通信網を潰してしまえば、アラウンドは拠点である司令部の護りを固くしようと動いていただろう。
「司令部を狙った囮作戦、途中まではそう考えてたよ」
「途中まで?」
「ああ。けど、もしこれを考えた相手が`先読みの雷神`だったら――んな一辺倒な策で終わるわけねぇだろ?」
案の定様子見も兼ねて司令部に駆けつけてみれば、潜んでいたのはアズハが所属している歩兵部隊の壱ではなく、祈祷部隊の参だった。そして情報・偵察部隊肆の指揮官であるユキハが紛れ込んでいたと分かった瞬間、司令部が標的ではないという推測は確信に変わった。
「……買いかぶり過ぎだ」
「だったらとっとと司令部潰したらどうだ? お前のブラッドタイプならこの距離でも楽勝だろ?」
「…………」
「……で? 俺に話したいことは何だ?」
俺が単独で来ることも想定内だったんだろと岩に凭れながら促せば、ユキハは初めてヒバルから目を逸らした。あまり急かしたくはないが……ヒバルはチラッと視線を上空へ向けた。己の勘が外れた場合に備えて戦闘機を呼び寄せたが、この状況をスリーブに視認されるとそれはそれで面倒になる。
「……ヒルは」
「……?」
「俺を、殺せるか?」
……これはまた極端且つ唐突すぎる問いかけなことで。
ヒバルは一瞬本気でリアクションに困ったが、ユキハが冗談や誤魔化しでこんな質問をするはずがないことは、よくよく考えなくても分かる。
「…………」
ユキハを、殺せるか――正直、考えるどころか想像すらしたことがなかった。そもそも目の前にいるこの幼馴染は死んだりするのだろうか?
(いや、死ぬよな……普通に考えて)
あの相棒のように鬱陶しいほどの自信に満ちていれば「殺して死ぬような質じゃないから」と暈かすこともできるが、ユキハからそこまでの自信は伝わってこない。むしろ今の彼は、死に溶け込んでしまいそうな儚さを漂わせている。
「どうなんだ」
「……そうだな」
仮に、何をどうしたってそうせざるを得ない事態に陥ったとしたら、
「俺は、殺せるよ」
それがユキハが負うかもしれない傷を最も浅く済ませる手段であるのなら、という意味を込めてヒバルは肯定する。しかしその言葉を受け取ったユキハは、凪いだ表情のままゆっくりと瞼を伏せ、再び紅い瞳を露にすると一言だけ呟いた。
「そうか」
小さく頼りない、諦念の滲む声で。
「っ、ユキ――」
『スリーブ第一小隊、司令部上空に到着。エヴァフォード中尉、ご指示を』
タイミングの悪いことに、スリーブの指揮官であるラヴェミアの声が通信機から流れる。その隙をついてユキハは煙幕を地面に散蒔き、煙の向こうへ姿を隠した。
「くっそ、なんか嫌な途切れ方だったな」
煙が薄くなる頃にはユキハの姿も祈祷兵の姿もなく、ヒバルは首の後ろを軽く掻く。さすがにあの一瞬でユキハが十人の軍人を抱えて逃げられるわけがないので、念力系の祈祷をもつ兵が他にも潜んでいたか、気絶させた十人の中に目覚めていた者がいたのだろう。
『エヴァフォード中尉、ご指示を――』
「作戦変更だ。ツイストとファーストの援護に回れ」
早口で告げると、ヒバルは通信機を毟り取るように外した。そのまま司令部のテントへ向かい、ノックも声かけもなしに中へ入る。入り口を固めているはずの歩兵は、なぜか今日に限って持ち場を離れていた。
「大佐、即刻報告したいことがあります」
「エヴァフォード中尉っ、いきなりの入室に加えて失礼な――」
「宜しい、報告とやらを聞こう」
バルブレインは顔色一つ変えないまま、ヒバルに噛み付きかけたお付きの軍人を手で制したばかりか、「君たちは一時退室するように」と言って他の軍人もろとも追い出した。まるで己がここへやって来ることを読んでいたかのような対応……ヒバルは警戒心を滲ませた固い声音で、今し方の出来事を掻い摘んで話した。勿論ユキハとの会話の内容は省いた。
「報告は以上です」
「……なるほど」
「あまり驚かれないのですね」
これは暗黙の了解に関係する新しいシナリオですか、という皮肉を込めて、それでも悟られないよう意味の遠い言葉を選んで伝えたつもりだったが、大佐には見透かされていたようで鼻で嗤われた。氷の司令塔の頬がピクリと引き攣る。
「君はアラウンドの参謀として非常に優秀だ」
「……?」
「ゆえに、これから私が口にする言葉のどこまでを正しい情報として受け取り、どこまでを誤った独り言として聞き流すか――間違わないことを期待するよ」