第三章 それぞれの学び舎[中編]
ミツヤとアオキの師弟関係と、最強コンビの生い立ち話――。
(くっそ……!)
見習い軍人用に増築された新校舎。食堂やアカデミー周辺の飲食店へ向かう生徒たちで賑わう廊下を早歩きで抜け、ミツヤは上の階へと向かっていた。七年生のテリトリーである最上階、教室や休憩所がある一角から外れた人気のない物置き部屋。埃まみれの棚や、古くなった椅子や机が置き捨てられたその部屋はあの先輩のお気に入りで、昼寝をする時は必ずいる。
なぜ知っているか――それはリンラとミツヤが不定期にこの場所で会っているからだ。間違っても示し合わせているわけではない。最初は本当に偶然、要らなくなった教材の片付けを担任から押し付けられたミツヤと、昼寝をしていたリンラが鉢合わせただけだった。その頃はまだ今ほどリンラに対して鬱憤を抱えていなかったので、ミツヤは嫌々ながらも他の先輩と話す時と同じように話しかけたのだが、
――下手な猫かぶりだな
そう鼻で笑われたため、今では本心を隠さなくなった。それから言いたいことが積もり積もって限度を超えると、ミツヤはこの物置き部屋を訪れることにしている。今日もまた、リンラは横一列に並べた椅子に腰掛けていたが、その面持ちは普段と違って真剣なものだった。胡座をかくように組んだ膝の上で、ノートに何か書き込んでいる。この脳筋が勉強なんて、明日は雹でも降るんじゃないかとミツヤは割と本気で思ってしまった。
「んだよ、フツーにお出ましか」
「は?」
「演習の時殺気エグかったから、てっきり大砲でも担いで突撃してくるかと思った」
ノートから視線を外さないままリンラが淡々と言うと、ミツヤは掌に爪を食い込ませた。自分を怒らせても痛くも痒くもない、暗にそう語る態度がどうしても受け流せない。
「……あんたはいつになったら、周りに目を向けんだよ」
「またそれか」
輪をかけて興醒めしたと嘆息し、リンラはペンを挟んでノートを閉じる。ここで会うようになった当初は「薬の服用法ぐらい守れ!」、「保健室の薬勝手に持ってくんじゃねーよ!」、「演習中に欠伸すんな!」と口煩いオカンよろしく怒鳴っていたミツヤが、ここ最近は大人しい教師のように「周りを見ろ」と同じことを繰り返し言ってくる。教師も、教師のような態度をとる奴も好まないリンラとしては、今のミツヤと話していても面白くない。
「目なら向けたろ? お前にヒルの足止めしてもらったし、銃だって借りたじゃねぇか」
「じゃあ銃を貸してくれた生徒の名前、言ってみろよ」
「六年の名前なんざいちいち覚えてねーよ」
「六年じゃねぇ七年だ。あんたと同じ歩兵クラスの女生徒だよ」
「…………」
リンラはノートを椅子の上に放り投げ、ミツヤを見上げた。ほら見ろと馬鹿にした目とかち合うかと思いきや、彼は悔しそうに顔を歪めていた。
「あんたは自分が使えると思ったタイミングで、使えるもんしか見ねぇ。それも人じゃなくて道具を見る目だ」
「…………」
「俺らは道具じゃねぇし、使える使えねぇの二択しか存在意義がないわけじゃない」
「アホ臭」
無情に言い捨てたリンラは椅子から跳び上がり、瞬きも許さない速度でミツヤの眼前に迫った。直前で我に返ったミツヤは咄嗟に上半身を仰け反らせ、そのまま宙返りしてリンラと距離をとるが、ミツヤが体勢を整える前にリンラは大きく踏み出し、腹部を狙って拳を突き出した。
ミツヤは後方へ体重を移動させながら掌で拳を受け止め、払い除けながら足を振り上げるが、その動きに合わせてリンラは彼の懐へ飛び込み、胸を押して床へ倒した。息が詰まっている隙に今度こそミツヤの首を捕らえて腹に乗り上げ、磔にする。
「てめぇ今まで何学んできたんだ。エリートだろうが雑魚だろうが、軍人なんざ戦争を優位に進めるための道具に決まってんだろうが」
「っ……」
「あそこじゃ人の命なんざワンコインの価値にも満たねぇ――将来戦場に出るつもりならその脳ミソに叩き込んどけ」
ノンブレスで告げ、リンラはミツヤの上から退いた。圧迫されていた身体に一気に大量の酸素が回り、ミツヤはしばらく咳き込んだまま起き上がることができなかった。同情の欠片すら見せずにリンラはその場を立ち去ろうとしたが、
「まだ何か言いたそうだな?」
碧色のしつこい視線を背に受け、仕方なく足を止める。どうにか上体を起こしたミツヤは、相変わらずこちらを振り返ろうともしないリンラの姿に最後の理性がブチ切れ、
「だったらなんで、その小太刀で戦ってんだよ」
ついに本音のなかの本音を零した。
「それ、贄のエースのだろ」
アカデミーの後輩ではない、ミツヤという一人の少年の本音を。
「人権もねぇ戦争の道具が、なんで敵の武器を大事に持ってんだって聞いてんだよ」
「…………」
「ヒバル先輩だってそうだ。揃いも揃って、天下のギフテッドがイカれたもんだぜ――っ、かはっ!?」
自棄を起こしたように吐き捨てた刹那、呼吸ができなくなった。ガスバーナーの火を丸飲みにでもしたような灼熱の痛みが喉と肺を焼き、ミツヤは両手で喉を押さえながら再び床に倒れる。
何が起きたのか分からないまま、助けを求めるように必死に瞼をこじ開けて見上げれば……ゆらりと見えない炎を背負ったリンラがこちらを見下ろしていた。怒りすら削ぎ落とした蒼い瞳。素直に恐ろしいと感じた。と同時に、普段のやる気に欠けた彼女なら決して浮かべないであろうそのまっすぐな眼差しに、満足感に似た何かが込み上げる。
(なんつー皮肉だ……)
心底怒らせて初めて、彼女の目にちゃんと自分を映すことができるなんて。
◇◇◇◇
「モウ最悪ダ死ノウ……」
「こらこら、自殺は御法度だよ」
特に保健室ではね、とアオキは己の唇に人差し指を添え、簡易ベッドの上で真っ白になっている愛弟子を諫めた。ファイヴの軍医として戦場を駆ける一方で、アオキはリヴドシティで最も規模の大きいセラミード大病院で研究医として働いていた。
ただ、今のところ自分以上の実力を持つ軍医が現れていないこともあり、時折こうして古巣で教師の真似事をしている。ミツヤはアオキが初めて「才がある」と認めた生徒で、彼もまたアオキを慕っていたため、二人は安定した師弟関係を築けていた。
「……ハァ…」
白い壁に沿って並ぶ薬棚に、消毒液の匂い。カサカサと書類を重ねる音が子守唄のように揺蕩うなか、ミツヤは深く息を吐いた。もう喉も肺も痛くない。リンラに楯突いて惨敗したミツヤは、他でもない彼女に担がれてここ保健室へ運ばれた。その後は授業の準備をしていたアオキに、火傷に効く錠剤と喉を冷やす効果のある飴玉を与えられ手当てされた。
どうやらリンラのブラッドタイプによって極端に熱された空気を、そうとは知らずに吸い込んでしまったため、喉と肺が軽度の火傷を負ったらしい。あの一瞬で口元の空気だけを……本当にムカつくが、その実力はさすがの一言に尽きるとも思う。自分はいつだって、あの先輩に矛盾した感情ばかり抱いている。
「それにしても、あの子が身内にここまでするとは……いったいどんな悪口を言ったんだい?」
備え付けの小さなキッチンでホットココアを淹れ、マグをミツヤに手渡すと、アオキはパイプ椅子に腰掛けながら自分のマグを傾けた。ミツヤはバツが悪そうに俯き、マグを握る手にギュッと力を込める。アオキの声音は優しいが、瞳には少々非難の色が透けて見えた。余程の観察眼を持つか、アオキと親しくなければ判別不可能な些細な変化、それゆえに感じる居た堪れなさ……。
「……小太刀」
「あぁ、なるほど」
消え入りそうな懺悔を正確に聞き取り読み解いたアオキは、肩を竦めながら長い足をゆったりと組む。そして椅子の背凭れに寄りかかりながら、「そういえば、君には話していなかったね」と続けた。
「あの小太刀は彼女の至宝であると同時に、最大の地雷なんだよ」
「…………」
「加えて、リヴドシティと死乃宮を繋ぐ命綱でもある」
「……は?」
敵の武器が国の命綱?
いまいち内容が呑み込めず首を傾げるミツヤに、アオキは「私個人の推測も混じった話だけどね」と前置きをして語り出す。
「リラとヒルが愛用している武器は、国が軍に支給したレイピアではない。それは戦場に赴く軍人に限らず、軍事部に通う生徒や教員全員が気づいていることだ」
そもそも`洋`の文化を重視するこのリヴドシティにおいて、剣ではなく刀を手にしていること自体おかしな話なのだ。ましてやそれを戦争に用いるなど……だからこそミツヤも指摘したのだが。
「しかし私が知る限りでは、君を除けば誰も彼らの武器について指摘してこなかった。おかしいとは思わないかい?」
「……報復が怖ぇからとか?」
「生徒や教員はそうだろうね。だが上層部はどうかな?」
リンラとヒバルの戦闘力は絶大だが、上層部には権力という種類の異なる力がある。どれだけ強くともまだ二人は後ろ盾のいない未成年者、権力で十分に抑え付けることができる子供だ。使えるものは何でも使う、それも都合よく合理的に。大人は容赦のない生き物なんだよと、他ならぬ大人のアオキが笑みを浮かべる姿は痛々しかった。
「っ、それじゃあどうして……」
ミツヤは手を伸ばしたい気持ちを堪え、先を促す。アオキはそれに苦笑で応えながらココアを飲むと、
「リヴドシティと死乃宮で起きている戦争の間に、規定ならざる規定が横たわっていることは知っているね」
声音から柔和な響きだけを消した。
「あの二人、いや四人の入れ替えられた武器はね――その見えない規定が唯一具現化したものなんだよ」
今から五年前。初めて戦場で対峙した夏の日に、あの四人は各々の武器を人知れず交換した。少なくとも当時はそう思っていたとリンラとヒバルは話してくれた。絶対周囲にバレるだろうが、口を出す輩は力で黙らせる。だから刀は隠さず帯刀すると。
最悪の奇跡とも呼べる弱々しい縁を、幼いながらに二人は全力で護ろうとしていた。だが予想に反して、周囲は二人に何も言わなかった。軍も上層部も、何も。まるで見えていないかのように四人の縁をスルーしたのだ。拍子抜けも安堵も通り越して、軽く絶望したとリンラは言っていた。
「仕組まれてた、ってことですか?」
「いや、それはないだろう。あくまでも両国の関係は`敵対`だからね、あまり分かりやすく歩み寄っては他国への牽制にならないよ」
だが人という生き物はたいへん臆病で、どれだけ強い確信を持っていたとしても、証というものを目に見える形で手元に置いておかなければ不安になる。しかし立場上口にすることはできない。さてどうしたものかと考えていたところへ、自国のエースが敵国のエースの武器を我が物顔で携えてきたのだ。コレだ、と思わない者がいただろうか。
「仕組まれたんじゃなくて、利用されたんだよ」
「んだよ、それ……」
戦争とは、軍人の在り方とはとアカデミーで偉そうに説いておいて、両国のトップは自軍のエースたちが敵以外の繋がりを持っていることを知ったうえで放任し、おまけにそれを都合のいい鎖と見なしているというのか。
「じゃあ、もしあの刀のこと上に指摘したりしたら――」
「確実に消されるだろうね」
アオキは敢えて容赦のない言葉を選ぶ。両国の暗黙の了解について知っているのは、今のところ上層部と軍に携わる人間のみで、一般人は普通に戦争をしていると思い込んでいる。幾人かの鋭い者は勘づいているかもしれないが、メディアで騒ぎ立てようとする愚か者はここ二・三年では全くのゼロだ。四・五年前にはチラホラといたようだが、その顛末は言わずもがなである。
「よく、大人しくしてますね……」
ミツヤの重い呟きが、手付かずのココアのなかに落ちていく。フォードの指揮官として周囲と己を律することに長けたヒバルはまだ分かるのだが、あの激情突撃型のリンラが噛み付くことなく軍人を続けていることが、話を聞いた今では不思議で仕方ない。
「ミツヤ」
「……なんですか」
「リラに対抗心を抱いているからなのか分からないけど、視野が極端に狭くなっているよ」
ミツヤへ注がれるアオキの眼差しは鋭く、心の奥どころか魂の向こう側まで見透かすような気配を放っていた。ミツヤは唇を固く結んで俯く。
アオキの言う通り、語られる事実に関係なくリンラに対して攻撃的な発言をしている自覚はある。だがわざとではなく、気がつくと勝手に口が動いているのだ。それが分かっているからアオキも怒鳴りつけたりせず、こうして注意に留めてくれたのだろう。
「これから君のコンプレックスを突くようなことを言うけれど」
「ぇ、マジ?」
「リラを極度に敵視しているのは、彼女が圧倒的なEであり――君がN寄りのSだから、で合っているかい?」
「っ……!」
本当にド直球で切り込んできた。真っ赤に沸騰した視界に映っているのがアオキでなければ、ミツヤは持てる力と知識のすべてを駆使して相手を排除していただろう。
「それは気にしなくていいと、前にも言ったはずだよ」
「……無理っすよ」
ポツリと言い返した声は、情けないことに震えていた。アオキの言う通り、ミツヤのランクはSの中でもNに近く、持ち前の勤勉さで補っている部分が大きい。それを恥じたことはないが……間近に目が潰れるほどの眩さを放つ背中があると、腹の内がドス黒い靄で埋め尽くされてしまうのもまた事実だった。
(俺は、アオさんの右腕になりたい……)
ミツヤはアオキのような軍医になって、アオキの隣に立つのが夢だった。初めて彼の授業を受け、ドローンの映像越しに戦場で負傷した隊員を助けている姿を見て。その腕前に惚れてから、ずっとその夢を掲げて取り組んできた。
それでも努力だけでは`天賦の才`には追いつけず、結局は秀才止まりで……一部のSの生徒からは「形だけのS」と罵倒され、Nの生徒からは「皮を剥げば同じNのくせに」と嫉妬混じりの陰口を叩かれることがあった。アオキという目標と支えがなければ、ミツヤは悪意の板挟みに耐え切れず潰れていただろう。
そんなミツヤの視界に二年前、リンラという暴力的な光が容赦なく射し込んできた。強力な炎属性のブラッドタイプに加えて並外れた身体能力をもつ背中は、どこまでも飛んでいけそうなほどに真っ直ぐで。眩しすぎる存在は尊敬を通り越し、諦念を突き破り、酷い嫉妬心だけをミツヤに残した。
「なら、君はヒルにも同じ感情を抱いているのかい?」
「……いや」
まったく言いたいことがないといえば嘘になるが、ヒバルにはリンラほどの対抗意識は抱いていない――彼はまだ、周りを見てくれていると思うから。ただし根本が実力主義なため、戦闘力や思考力が及第点に達している者、あるいは真剣に目標に向かって取り組んでいる者でなければ個人としては認識しない。その考え方はミツヤも同じなので、負の感情よりも親近感のほうが強かった。
「……そうかい」
「……アオさん?」
肯定の意味を持つはずの言葉がどうにも空虚に聞こたが、聞き返す前にアオキは「今度はリラ個人について、少し話しておこうか」と話題を移してしまった。
「彼女が圧倒的なEなのは、生まれつきの才能だけが理由ではないよ」
「っ、それは分かってる!」
リンラが何の努力もしていないとは思っていない。早朝、または深夜の空き時間に人の目が届きにくいところで鍛錬を積んでいることは知っている。傷一つないように見える掌の皮が、度重なるブラッドタイプの修行により負った火傷のせいで分厚くなっていることも、剣術の修行で肉刺だらけなのも知っている。知っているからこそ、同じように努力している者を顧みない背中がどうしようもなく悔しく見えるのだ。
「分かってますよ……」
「いいや、きっと分かってない」
「……アオさん?」
「リラがいつからこのアカデミーで鍛錬を積んでいるか、知らないだろう?」
アオキの落とした重い呟きと仄暗い視線に、ミツヤはおもむろに目を剥く。スパイラルアカデミーは十一か十二歳で一年生として入学し、十七か十八歳で七年生として卒業する。その際、子供たちは大抵十歳までの間に家庭教師を雇うか塾に通うかして基礎学力を身に付け、自主的にアカデミーの入学試験を受けるシステムになっていた。
しかし十五年前の開戦と同時に規模が大きくなった軍事部に限っては、国の上層部自らが生徒に迎える子供を厳選し、余程の理由がない限りは半ば強制的に入学させていた。その代わり一般の生徒と違って、入学金や寮の家賃は半額免除されることになっていた。ちなみにリンラとヒバルのような実力派の特待軍人の場合は、全額免除だ。
「あの子は、三歳の頃にはもう剣術の訓練を受けていたそうだよ」
「さ、んさい……?」
物心つくか否かの、赤ん坊に近い子供の頃から人を殺める術を学んでいた?
ミツヤが母の腕に抱かれ父に頭を撫でてもらっている時に、リンラは剣を振るい血飛沫を浴びていたというのか。
「年齢が年齢だったから、正式な生徒の扱いではなかった。通常授業の裏側で、それこそ今の倍以上にも及ぶ特訓を受けていたそうだよ。勿論ヒルもね」
さながらいつでも血肉を裂けるようにと丹念に刃を研ぐ研ぎ師と、錆一つ歪み一つ許されずに磨かれ続ける刃の如く――アオキは愛弟子の頬に軽く掌を添え、問う。果たしてその刃は研がれたいと心の底から願っていたのか。軽く接触したもの、触れたもの全てを赤く染める凶器になりたかったのかと。
「進むべき道を自らの意思で定めた者と、刷り込まれた者の間にはどうしたって壁が出来てしまう。分かるね?」
「……はい」
ミツヤは羞恥のあまり消えてしまいたいと強く思った。アオキの言う通りなら、あの二人にとってミツヤの鍛錬や努力など向き合う価値のない軽いものだ。プラスチック製のママゴトセットがモノホンの調理器具に向かって「自分たちは本気の料理ができる!」と声高に喚いているようなものじゃないか。素材は違えどスタートラインは同じだと信じて疑わなかった自分が気持ち悪い……気持ち悪い…。
「ただ、越えられない壁はないと私は思っているよ」
「……ぇ…」
心細く持ち上げられる眼差しを受け止め、見つめ返しながらアオキはミツヤの髪を撫でた。言い方はキツかったかもしれないが嘘は語っていないし、語ったことを後悔もしていない。むしろ、不器用ながらもあの二人に近づこうとしているミツヤだからこそ、知っていなければいけないことだと思った。
「君はリラに個人として認識されていないと思っているようだけど、彼女は君が思っているよりずっと好き嫌いがハッキリしている」
「……?」
「本当に何とも思っていないなら貴重な休憩時間を会話に割いたり、上層部に消されないように止めたりしないよ」
彼女が身内にここまでするなんて、と最初に言っただろう?
「っ!」
ハッと光の戻った瞳に微笑むと、アオキはミツヤのマグをそっと取り上げて簡易キッチンに向かった。空になった自分のマグは流しに置き、中身が残ったままのミツヤのは電子レンジに入れて温め直す。本当は淹れ直してやりたいところだが、そろそろ教室に向かわなければ授業に遅れてしまう。
「飲み終わって気持ちが落ち着いたら、君も授業に出なさい。いいね?」
「ん、ありがとございます……」
少し恥ずかしそうに礼を言いながら、ミツヤは再び湯気の立ったココアにゆっくりと口をつける。が、冷ますのを失念していたため「あちっ」とすぐに口を離し、涙目でべーっと舌を出した。その様子を見てもう大丈夫だろうと安心したアオキは、授業に必要な書籍やファイルを抱えて保健室を後にした。
(……それにしても)
廊下を歩きながら、一つミツヤに言っていなかったことを思い出す――ヒバルのことだ。ミツヤは彼に対しては然程強い対抗心を抱いていないと言っていた。暴れん坊で自由奔放なリンラに比べれば、冷静なヒバルは周囲に気を配っているように見えるのだろう。だが彼の本質は、或いはリンラ以上に厄介で冷淡と言えるかもしれない。
(ま、私が言えた義理じゃないが)
ミツヤに医師としての素質があることは間違いないが、まだ学生の彼を弟子にしてまで己の一番近くに置いていることには理由があった。決して純粋とは言えない、歪んだ理由が。
(十五年前の戦争で死んだ弟に重ねてる、なんて言えないよね)