第二章 秘密の逢瀬[中編]
出会い、そしてヒバルとユキハの触れ合い。
きっかけは、姉の目だった。ユキハと接する時以外は人だろうが景色だろうが、いつだってただ単に網膜に映すだけだった紅い目が、期待を秘めて光るようになったのだ。その頃はアズハもユキハも訓練漬けの日々と、腫れ物に触るようでその実容赦ない大人たちの態度に精神を圧迫され、軽度の鬱病にかかっていた。フラッと夜中に一人で家を出て夜明け前に帰ってくる、といった行動がもはや日常のルーティンと化しており、互いに心配する余裕もなかった……しかしあの満月の夜は違った。
極力足音も気配も殺して帰ってくるアズハが、興奮した幼子のようにトタトタと駆け足で廊下を通っていったのだ。眠れないまま布団に横になっていたユキハは首を傾げて起き上がると、アズハの部屋まで行き、薄く開いた障子の隙間から中を覗いた。
アズハは膝立ちで窓枠に寄り掛かりながら外を眺めていた。顔が見えなくても、背中だけで十分に伝わってくる――アズ姉、なにか良いことあった。その場はとりあえず引き返し、翌朝いの一番に聞いてみたのだが、
「ちょっと、変な生き物と会っただけ」
それ以上は教えてくれなかった。アズハはユキハに嘘を吐かないため、昨晩感じた`良いこと`が`不思議な生き物`に繋がっていることは間違いない。けれどもユキハは、その先のことも知りたいと思った。初めての感覚だった。
次にアズハが出かけたのは五日後の晩だった。これ幸いにとユキハは後をつけ……ようとして玄関で見つかったため、そのまま二人で出掛けた。目的地がフォグだと知った時は驚きこそしたが、恐怖も不安も感じなかった。
「あ……」
「よ、おぉ!?」
「っ!」
姉曰くの変な生き物はまさかのまさか、敵国の子供だった。死乃宮の民の頭髪はその多くが黒か茶色、珍しい色を挙げても鼠色か白色だ。間違っても金色というド派手な色素はもっていないし、着物以外の衣服を着用することもない。反対に、リヴドシティに黒髪・着物という質素な出で立ちの者はまずいない。さすがのユキハも絶句したし、金髪の子も忙しなく目を瞬いていた。
「ごめんなさい。こっそり付いて来られるよりはいいかなって……やっぱり私一人のほうがよかった?」
「背ぇ高っけぇなおい……あ、いや別に謝ることねーよ」
おい。この子今なんて言った? 背? 背のこと言った?
「てか、ウチも人のこと言えねぇし」
「……そこの茂みの人?」
「そ。おいヒル」
金髪の子が声をかければ、ガサガサと音を立てて茂みからもう一つ金髪頭が覗き、傍にやってくる。薄暗くとも、二人の顔立ちがよく似ていることは分かった。ただ、最初の子が短くて外ハネの目立つ金髪なのに対し、後の子は長めで落ち着きのある髪質っぽかった。自分たちの髪とはまた異なる手触りの良さを内包しているであろう、項で束ねられた黄金の髪。闇を払い除けるように輝く蒼の瞳は警戒心に満ちているが、ギリギリ敵意は乗せられていなかった。
「こいつ、隣に住んでるウチの従兄。一応撒こうとしたんだけど、途中でめんどくなって止めた。悪ぃな」
「ううん、べつに……顔、似てるんだね」
「まーな。てかそっちのほうが瓜二つじゃん。双子?」
「うん、弟」
「え、兄貴じゃねーの!? そのデカさで!?」
また、背のこと言った。ユキハは無表情のまま「デカいって、言わないでほしい」と低く零す。彼は年齢のわりに高身長で、ノッポだのナナフシだのと陰口を言われることが多く、軽いコンプレックスとなっているのだ。
「え、ぁ、気にしてた?」
「してた」
「悪ぃ、羨ましくてつい」
「……羨ましいのか?」
「あー、まぁ……」
「お前、態度でけぇわりにチビだもんな」
ずっと口を噤んでいた、ヒルと呼ばれた子が素っ気なく呟いた。ハネっ毛の子が「だっからギリ平均だっつってんだろ!」と噛み付いてもツーンとそっぽを向いて「ギリチビだろ、そのスニーカーも厚底だし」と言い返す。
「っ、あ――」
その一瞬目が合って、ユキハは今のやり取りが彼なりのお詫びと仕返しだったのだと気づいたが、
「あの、私アズハ」
礼を言う前に、アズハがハネっ毛の子に話しかけた。まだ怒りが冷めていなかったハネっ毛の子は「あぁ!?」と凶暴な形相のままアズハに顔を向けたが、すぐにハッとなって表情を改める。
「危ね、また忘れるとこだった……アズハね。ウチはリンラ。リラでいいぜ」
「リラ、くん。私もアズでいい。それから、この前はありがとう」
「くん? てか、それこそべつに……半ば無理やりだったし」
「お前口こじ開けて薬飲ませたっつってたな。アズハさんだっけ? ほんとに大丈夫?」
「うん、平気。あ、あなたもアズでいいから」
「そっか、ありがと」
「おい、別にこじ開けちゃいねーよ。ちょっと首殴って力抜けた隙に薬突っ込んだだけだ」
殴った? 突っ込んだ? 薬?
「どういうこと?」
聞き捨てならない単語の羅列にユキハが口を挟むと、アズハは森を散歩中に足を怪我したことや偶然通りかかったリンラに助けられたことを話した。確かに手段は強引だったが、普通に勧めても飲もうとしなかったのはアズハのほうだったのだ。
「そう、だったんだ」
事情を知ったユキハが弟の自分も礼を言わねばと軽く頭を下げると、リンラは「いや礼はもういいって」とパタパタと手を振る。姿勢を元に戻して見れば、気の強そうな蒼い目が泳いでいた。
「……さっき」
「え?」
照れているというより困っている感じだなとユキハが分析していると、ヒルと呼ばれていた子が話しかけてくる。そちらに視線を向ければ彼は本能的に半歩後退ったが、それ以上逃げはしなかった。
「さっき、なに」
「いや、何か言いかけてたみたいだったから……」
ああ背丈の話の時か。
「ユキハ」
「へ?」
「俺の名前。ユキでいい。君はヒルっていうの?」
あの時はただ礼を言いたかっただけだが、今は彼の名前が知りたいと思った。
「それは、愛称だ……ヒバルだよ、本当の名前」
こうして四人はたった一日―うち二名は二日―で顔見知りとなり、その日は名前と愛称を再確認したところでそれぞれ帰路についた。それ以降、時々すれ違いながらも森の川原で会うようになり、リンラが男ではなく女だと分かった時は二人して絶句した。
そして七年の時が経ち、四人は初めて川原以外の場所――刀と剣を手に自軍の声援を背負った、戦場で顔を合わせた。忘れもしない、十二歳の夏のこと。
◇◇◇◇
「可笑しいよな」
「……なにが?」
回想の海から浮上したユキハが呟くと、ヒバルが振り返らないまま反応した。あまり明るい話題ではないと直感したのかいつもより溜めがあり、心なしか声も低い。
「俺の目」
ユキハは包帯で覆った左目に指を添える。彼は左目の視力がない代償として、目を合わせた者の未来の光景を一部視ることができる【未来視】という祈祷を持っていた。
「目が、どうしたんだ?」
「ん……今は殆ど使わないけど、昔は初対面の相手には大抵この力使ってた」
「……そっか」
たとえ一部でも、視えた未来はその相手が自分にとって害か無害か判断する材料になる。親も頼れる親戚もおらず国も信用できない。そんな環境で幼い双子が生きていくには、使える力はすべて使う他なかったはずだ。ヒバルだって同じようなことをしてきた。おそらくはリンラも。
二人の母親も二人を産んですぐに亡くなり、父親も事故で命を落としたと聞かされている。物心つく頃には国が経営するアカデミーの寮で一日の始まりと終わりを迎え、困ったことがあれば寮の管理人を頼り、教師陣から知恵を与えられる日々を送っていた。天涯孤独の幼子には勿体無いほどの好待遇だと、誰もが思っていた……本人たちを除く、誰もが。
「それで? それの何が可笑しいんだ?」
「俺は初めて会った時、お前もリラも視なかった」
「それは……衝撃的すぎて忘れたとか?」
「いや、そもそも視る気が起きなかった」
敵国の子供だって一目で分かったのに、可笑しいだろ?
ユキハは小さく唇を歪めると、力を抜いて思いっきりヒバルに寄りかかった。せめて一声かけろとヒバルは文句を言おうとしたが、結局声には出さず背凭れに徹することにした。喜んでいい、のだと思う。思うのだけれど。
(なんでんな辛そうに言うんだよ……)