6 男爵令嬢が婚約破棄を宣言した裏側で
こうして、レオニスとコレットの婚約はあいなった。
元々、フォアローゼス家が推してきた縁談だ。他の派閥の反対などいくらでも圧殺出来るだろう。もっとも大きな障害はピオーニア公爵家の横槍だろうが、それも対策くらいはしているはずだ。
なので、当人同士ーーレオニスとコレットの関係は順調である、はずだった。
勿論、レオニスの次の誘いを断られたことはないし、会えば話も弾む。夜会等への同席に関してはあまり気乗りがしないようだけれど、それはレオニスが嫌なわけではなく、社交そのものがあまり好きではないのだろう。
なんだかレオニスばかりが彼女との逢瀬を楽しみにしているようで、それは少し悔しかったが、コレットが好きだと言っていた焼き菓子を作って持っていけば、毎回目を輝かせてくれる。
多少餌付けしているような気もしなくはなかったけれど、趣味の菓子作りにも張り合いが出るようになった。
ただ学園内においては、レオニスとコレットは相変わらず関わり合いがないに等しかった。
出来れば片時もコレットを離したくないレオニスなので、学園で取る昼食に何度か彼女を誘ったことはある。残念ながら、普段レオニスと共にいる学友たちが強く同席を希望するものだから、二人きりという訳にはなかなかいかなかった。それでも少しでも共に居られる時間が増えて、レオニスは満足だった。
もっともコレットにとってはそうではなかったようで、何度か共に昼食をとった以後はどれだけ誘っても丁寧に固辞されるようになってしまった。
再び、レオニスとコレットは、学園内ではほとんど接点がなくなってしまったのだ。
そのいっぽうで、レオニスの取り巻きのひとりであるダリオ・ティボー・フォアローゼスなどは、親戚という立場から彼女との接触回数を随分増やしているらしいし、彼女の幼馴染であるルカ・ハロルド・フローレンは事あるたびに彼女に頼られている。それ以外にも仲の良い特待生や貴族子弟など、彼女の周りにはいつだって男の影がチラつく。
レオニスは、これまで自分を狭量な男だと思ったことはなかったが、どうやらそれは勘違いだったらしい。
彼女の周りにいる男に対し、嫉妬の感情を向けずにはおられない。
何らかの濡れ衣でも被せて謀殺し、二度と彼女の前に姿を見せられなくしてやりたい。
本来の自分の立場からは到底許されない思考だが、考えるだけなら許されるだろう。
それが無理なら、せめて自分も彼女に頼られたい。
そんな思いを燻らせていた頃、レオニスの元に奇妙な訴えが寄せられた。
それはコレットが学園で横暴を振るっているというものだ。
何を馬鹿なことをと呆れ返る思いがした。
優秀なコレットには試験で不正する必要など、まったくない。装飾品が欲しければ、自分がいくらでも買い与えよう。
原因は簡単に想像が付いた。
アナスターシャ・ジャニス・ピオーニア。公爵家の令嬢で、学園では積極的にレオニスの側に侍りたがる女生徒。
彼女がコレットに対して口出ししているのは知っていたが、当のコレットが気にしていないようなので捨て置いていた。
それがここに来て、杜撰な手口ながらも直接コレットを陥れようと動き出した。
好機だと、レオニスは思う。
ピオーニア公爵家が動き出したということは、フォアローゼス公爵家の力を借りなければすぐに場が静まることはないだろう。だがそれは、これまで上手く矛を納めてきた両公爵家が鍔迫り合いをするということ。
直接ぶつかり合うことはないにしても、一時的に国が乱れる要因となる。
それを彼女は良しとしないだろう。
賢い彼女であれば、きっと自分を頼ってくれる。そう思った筈なのにーー。
「今日、この場を持ちましてわたし、コレット・マーガレティア・オデスはレオニス・シオドア・マティアス殿下との婚約を解消させて頂きます」
こちらを振り返る事もなく部屋を出ていった彼女を、レオニスは呆然と見送る。
咄嗟に彼女を追い掛けようと浮かせた腰は、しかし次の予定が思い浮かんだ事で二の足を踏んでしまう。
長年、自分の気持ちよりも公務を優先して来た癖が、こんな時でも彼の行動を縛る。
「どうして……」
いったい何が悪かったのか、レオニスは分からなかった。
自分はただ彼女に頼られたかっただけだった。それなのに、どう言うわけか婚約破棄を告げられてしまう。
ーー彼女を追い掛けなければ。
ーー絶対に逃がさない。
ーー謝れば許して貰えるだろうか。
ーーいっそ何処かに閉じ込めてしまえば。
一気に複数の思考が脳内を巡り、彼女を手放さないで済むためのいく通りもの手段を模索する。
「次の予定は、モントール伯との面会になります」
不意に告げられた言葉に、レオニスは振り返る。
「コレット様との婚約を破棄する手続きは、こちらで進めてしまっても宜しいでしょうか?」
「駄目だ」
思わず視線が険しくなったことを、レオニスは自覚する。
その申し出は、明らかにメイドという職務の分を超えている。
だが、レオニスは知っていた。
王城でコレットと会う時には、いつも彼女が同室に控えていた。間違いなく、フォアローゼス公爵家から差し向けられた人間だ。
初めは、いざと言う時コレットの手助けする為に居たのだろう。だが気付けば、逆にレオニスがコレットに相応しい男かどうかを見定められるようになっていた。
まったく、うかうかしているとあっさり取り上げられてしまうくらい、彼女は周囲に愛され過ぎている。
「公爵に伝えておけ。私はコレットを絶対に手放さないと」
「では、早く追い掛けなさいな」
すると、彼女の声に呆れたような色が宿る。
それはまるで出来の悪い弟を前にした姉のようだし、もしかすると噛み合っていない二人に対して、ずっとヤキモキさせられていたのかもしれない。
「はっきり言いますけどね。殿下のお気持ちは、コレット様にはほぼほぼ通じておりませんよ」
これまでの鬱憤を晴らすようにきっぱり告げられた言葉に、レオニスは思わず目を瞬かせる。
「ご自身で思っているよりも、貴方様の感情は表に出てきておりません。丁寧な言葉遣いや態度も、王太子としては完璧ですがーー」
途中から、レオニスは彼女の言葉は耳に入っていなかった。
なるほど。言葉や態度に感情を乗せないようにするのは、王太子としての習い性だ。本心を悟られないように、必要以上に感情が伝わらないようにする。それは為政者としては正しい姿だが、愛しい女性に向けるものとしては失格に違いない。
もっとも、レオニスがコレットに向ける感情はあまりに重たすぎるので、意図的に隠していたというのもあるが。
レオニスは立ち上がると、扉に向かう。そして、ちらりと不遜なメイドを振り返った。
「……今日の一連の予定を調整してくる」
「いってらっしゃいませ。恐らくコレット様は、宰相閣下の執務補佐室に行かれているものと思われます」
メイドは慇懃無礼に深々と頭を下げる。
婚約者を第一に動くことを決めても、物には順序と言うものがある。どれだけ気が急いていようとも、王太子としての職務を完全におろそかにすることはレオニスにはできない。もっとも、
「……ちっ」
宰相の執務補佐室と言うことは、間違いなくコレットは幼馴染であるルカ・ハロルド・フローレンの元に駆け込んだと言うことだ。
その事実にレオニスはあからさまに舌打ちをし、それでも扉から出た後は王太子としての清廉な態度を崩さぬまま、彼は最愛の人を迎えにいく為の手順をこなしにいくのだった。