3 男爵令嬢は幼馴染にプロポーズ(?)される
そんな感じで、コレットは正式に王太子の婚約者となった。
コレットととしては、王太子とは、それなりに友好的な関係を築けていたと思っていた。相変わらず底の知れない笑みを頻繁に浮かべてはいたけれど、会えば会話は弾むし、次に会う約束は毎回向こうから切り出されていた。
まあ、会話に関しては向こうのリップサービスだった可能性も高いが、それでも陰で馬鹿にされていたり、嫌われているようなことはないだろうと無邪気に信じていた。
問題は周囲の態度だが、田舎領地の男爵令嬢が王太子の婚約者になろうというのだ。てっきり其処彼処から反対の声が聞こえてくるものだとコレットは思い込んでいたが、その辺りは公爵家の叔父辺りが根回しを済ませていたのだろう。コレットの耳に、正式な抗議があったという話は聞こえてこなかった。
つまり、正式な抗議にはならない程度の言い分は、特に学内ではうんざりするくらい聞かされてはいた。もっとも、自分を婚約者に据えたのはフォアローゼス公爵家である。文句はそっちに言ってくれと、心の底からコレットは思うのであった。
つまるところ、周囲の思惑やら当初の反感はさておくとして。今となってはコレットは、レオニスとの婚約がまったく嫌ではなかった。
そもそも、だ。
あんなに顔が良く、頭も良く、話は上手で、田舎娘のコレットを見下すことなく、対等に接してくれる相手だ。
好きにならない筈が、ないではないか。
しかしながら、婚約はすでに自らの手で破棄してしまった。
まったく心当たりのない濡れ衣によって、レオニスはコレットに疑惑の目を向けている。
棚ぼた的に転がってきたコレットの恋は、またもやコロコロ転がっていき、手が届かないところにまでいってしまったのである。
「これから、私はどうなっちゃうんだろうなあ……」
婚約破棄どころか自身の失恋まで自覚して、宰相閣下の執務補佐室の、来客用のテーブルにべっちゃりとへばりつきながら、コレットはひとりごちる。
それに、一見まったく聞いてないように見えた幼馴染のルカが、律儀に合いの手を入れた。
「まともな結婚は、諦めた方がいいね」
「うぐ……」
仕事の手を休めないまま、あっさりと告げられた言葉に、コレットは低く呻く。
だが確かに、自国の王太子と婚約破棄した女なんて、心理的にも政治的にもかなりの地雷だ。ちょっとでも見る目のある男性なら、近寄ろうとは思わない。
ただでさえ婿の成り手に苦労していた父には申し訳ないと、コレットは肩を落とす。それとも父は王太子の婚約者と言う肩書をコレットが得た時点で、うちうちに跡継ぎ候補の養子でも見つけたりしてるのだろうか。
(そうすると、この先は自分の身の置き所を心配しなくてはいけないわね……)
あのままトントン拍子に身に覚えのない罪を被せられ、処刑やら国外追放にならなかっただけマシかと思っていたけれど、いっそ大人しく断罪を待って辺境の修道院に幽閉とかになっていたほうが将来的には安泰だったかも知れない。
そんな事を思うコレットに、仕事にひとつ区切りがついたのか、揃えた書類の束を机の上で揃えながら、ルカが口を開く。
「とは言っても、コレットはそんなに心配することはないんじゃないかな」
コレットが首を傾げると同時に、扉の外から荒々しい足音が聞こえ、忙しいノックと共に入室の許しを請う声がする。
「失礼する!」
そして、返事を待たずに堂々と部屋に入って来たのは、フォアローゼス家の三男ダリオ・ティボー・フォアローゼスだった。
彼はコレットより一つ年下で、同じ学園に通っている。背は高く、体つきもしっかりしているが、凛々しくも整った顔立ちにはまだ若さゆえの甘さを感じさせた。
彼は王太子の取り巻きの一人で、以前はコレットとはまったく接点がなかったが、婚約後は何かと声を掛けられたり接触をはかられるようになった。おもに、叱責のために。
「レオニス殿下との婚約を破棄したと聞いた! どういうことだ! 説明をしろコレット!」
「なんでもう、知ってるのよぅ……」
コレットは驚きと呆れが半々に、一抹の恐怖を感じながらも天を仰ぐ。
もっとも、想像がつかない訳ではない。王太子たるレオニスと会う時に流石に二人きりということはない。扉の外には護衛がいるし、室内にはメイドさんが御用聞に控えている。
フォアローゼス公爵家ともなれば、王城内に目や耳となる存在をあちこちに忍ばせており、いざという時には御注進に走ると言うことがあっても何もおかしくないだろう。というかそうしていないとは到底思えない。他の高位貴族も含めて。
まったくここは王城とは名ばかりの伏魔殿だ。
(となると、アナスターシャ様の耳にも、入ってる頃かしらね)
コレットが嫌がらせをしていたと主張しているらしいアナスターシャ令嬢は、今頃は勝利の快哉をあげているかもしれない。それは少し腹が立つなと思いつつも、コレットは従兄弟であるダリオに答える。
「どうしたもこうしたも、私が王太子の婚約者には相応しくなかったというだけの話で……これでも傷心中だから手加減してちょうだいよ」
「何を馬鹿なことを言っている!!」
まあ多分無理だろうと思いながら付け加えた一言は、案の定耳を塞ぎたくなる大音量で覆される。
「お前がそんな気弱だから、アナスターシャ如きにいいようにされるのだ!」
「うわ……、ほんとどこまでバレてるの?」
コレットはひくりと顔を引き攣らせるが、さすがにダリオも詳細を知っている訳ではなく単に想像がつくだけだと首を振る。
「あの女狐のことだ。周囲を巻き込んで、有る事無い事言いふらしたのだろう」
まったく品性の欠片もないとご立腹の様子のダリオに、コレットは意外性を覚える。
「ダリオは私のこと認めていないし、王太子との婚約も反対なのかと思ってたわ」
「ふん、俺の考えはどうであれ、お爺様がお認めになった以上、お前がフォアローゼス家の一員であることには覆らない。であれば、お前にフォアローゼス家の名を貶めないような振る舞いを求めるのは、当然のことだろうが!」
つまりこれまでやたら当たりが強かったのは、身内と認めているがゆえの愛の鞭だったらしいとコレットは理解する。
「だいたい、レオニス様もレオニス様だ。婚約者の一人や二人、ちゃんと信じてやらんでどうする。仮にもフォアローゼス家の娘を貰い受けようというのだぞ」
どうやら彼の身内贔屓は王家に対しても容赦がないようだ。さすがは国でも二家しかない公爵家である。
「そんな態度なら、むしろこちらから願い下げだと、お爺様なら言うだろうな」
しかも、身内至上主義は一族の特性らしい。
「まあ、そうだろうね」
相変わらず、聞いているのかいないのか分からない態度で侵入者を受け入れていたルカが、口を挟む。
「フォアローゼス家の前公爵も現当主も、コレットのことをいたく気に入っているからね。王太子がうかうかと手放したと聞いたら、いっそ好都合と身内で囲い込むんじゃない? ちょうどいいことにそこの彼はまだ決まった婚約者はいないらしいし?」
「はっ? そんなの聞いたことないし、そもそもダリオと結婚なんて無理だし!」
グホッと喉を詰まらせたような咳が聞こえた気がしたが、コレットはそれどころではない。
一年ほど前に初めて存在を知った親戚は、コレットのことを都合の良い駒として認めてはいても、それ以上の価値も感情も抱いていないと思っていた。
年下のダリオのことは何かと面倒くさく構ってくるものの、一人っ子のコレットにとってはむしろ甘えたがりの弟のように感じていた。あと、結婚となると彼の方から願い下げだろうと思う。王太子ほどではないにしても、しがない田舎男爵の娘と公爵家の息子ではやはり身分違いなのだ。
「まあ、コレットがそう思うならそれでいいけど」
ルカは首を傾げながらも頷く。
「さっきの話の続きだけど、コレットが嫁ぎ先に困ると言うなら、僕と結婚すると言う手もあるよ」
お互いオムツを履いていた頃からの幼馴染の言葉に、コレットは目を皿のように見開く。
「ルカ、その冗談はさすがに洒落にならないわよ……!?」
「別に冗談でも洒落でもないんだけど……」
流石に気分を害したのか、幼馴染のコレットだから分かる角度で眉尻を下げ、ルカは首を振る。
「だってルカは王城で働くんでしょ? 出世できなくなっちゃうわよ!」
「僕は出世には興味がない」
宰相という国の文官の最高峰に立つ父を持ちながらも、ルカ自身は淡白な性格の持ち主で、あまり表舞台に出ることを好まなかった。もちろん、親の七光ではなく今から宰相補佐室に内定を貰うほどの優秀さは持っているし、怠惰な訳でもないので、単純に金や権力闘争などというものに関心がないだけなのだろう。
「コレットがどうしても気になるというのなら、手はない訳でもない」
コレットのお母さんだって、今まで素性がバレたことはなかったし。
そう言われて、コレットは確かにと納得する。
「表舞台には出られない以上、コレットには窮屈な思いをさせてしまうけど、君も社交はさほど好きではなかっただろう?」
コレットも年頃の女の子だ。綺麗なドレスや装飾品に興味がないこともない。けれど、実際に身に纏うとなると億劫だし、貴族として欠かせない各方面へのご挨拶やら根回し、牽制という名の嫌味や噂話にかこつけた情報収集などは正直面倒くさい。
夜会や茶会などの貴族のお付き合いに関しては、義務として出席をするものの、確かに好んで参加したいものではなかった。
むしろ、それらにあてがっていた時間を読書や勉強に使えるなら、そちらの方が余程良い。
つまり、ルカとコレットはそれなりに似た物同士なのだ。
そうやって利点を一つずつ検討していけば、ルカと結婚するのは、実は条件として悪くないのかも知れないとコレットは考える。
性格も欠点もよく分かっているし、親同士の仲は良好。長男ではないから婿養子も問題ない。頭はいいし、顔は可もなく不可もなく。
しかし。どうしてもコレットの脳裏には、空色の瞳がチラつく。
思えばあれが初恋だった。
自分から諦めたというのに。
もう手遅れだというのに。
あの涼やかな眼差しを、品があるけど有無を言わさぬ声を、隙が無くとも気遣いも忘れぬ所作を、気に入ったとコレットが言ったから、会う時にはいつもクッキーを用意してくれた優しさを。
コレットは忘れることが出来ないのだ。
だから幼馴染の提案に口をムグムグとさせて答えることが出来ないコレットに、ルカはあっさりと言う。
「まあ、冗談はこれくらいにしようか」
「やっぱり冗談なんじゃないの!」
容赦なく前言を翻すルカはしれっと答える。
「だってコレットは僕と結婚しないだろう?」
ほとんど感情を表に出さないルカの目が、ここにきて初めて優しく細まる。
「馬鹿だね、コレットは。いくら腹が立ったからって、婚約破棄だなんて心にもないことを言って」
夫婦喧嘩は犬も食わないと言うけど、僕を巻き込まないで欲しいな。
ルカが言ったちょうどその時、執務補佐室の扉を三人目の訪問者が叩く。そしてこれまた主人の返事も待たずに開かれた。