3-1 ほおずき
ゴーン、ゴーン。不意に、フィルターを介したかのように鈍く不明瞭な鐘の音が聞こえてきた。ヴァイスは一瞬だけ思考を巡らせて、その音が六時の到来を告げるものだと気付いた。
それを合図としたように、するりとディアンの小指が離れていく。
その刺激に伴って、ヴァイスは先のやり取りを忘れたかのような無の色を映したディアンの顔を見た。
「六時か、飯時だな。お前も一緒に行くか?」
一緒に行く、とは寮に付属している食堂に、である。
ヴァイスたちが住む寮は、つまり人工亜人たちが住む寮ということになるが、ヴァイスがそのような呼び方をしているのに反し、寮という機能だけの建物ではない。他にも、任務の管理や提出された報告書の整理など、異形と人工亜人に関する機能を備えた複合施設となっている。正式名称「国立対異形人工亜人特別総合施設」。とんでもない文字数だ。
故にこの施設を利用している者の大半は、各々適当な呼び名で呼んでいる。ヴァイスのように、己が住んでいる場所ということを優先して寮と呼んだり、施設とは別の場所に家がある者は、ただ単に職場と呼んだりしている。
因みに、遥か昔には実際に寮としての機能しかなかったらしい。その時は「人工亜人専用寮」と呼ばれていたようで、名残か伝統か、用途に関係なく寮と呼ぶ者もそれなりにいる。
そんな寮は異界のためとは言え、国が人工亜人専用に建てた施設。もちろん、生活するために必要な機能は一通り揃っている。食堂もその一つだ。ヴァイスたちは基本的に、その食堂で日々の活動エネルギー源である食事を摂っていた。
「……僕は、まだいいや。先に行ってて」
ヴァイスは、そう言ってディアンに微笑みかける。ディアンは若干首を傾げた後に、分かったとだけ言って部屋を出ていった。
途端に、生命の減った部屋は温度が下がる。
元より体温の高いディアンが残した、あの契りの痕を焼き写すような熱。それを孕んだ自身の小指を、ヴァイスはもう片方の手で包んだ。
あんな約束をさせてしまった。
約束という言葉で取り繕われた、中身はただの禁忌にも近い身勝手。それをディアンにも背負わせてしまったことに対して、ヴァイスはまだ後ろめたさを拭えないでいた。
だからと言って、いつまでも悔やんでいられるほどの余裕も持ち合わせていない。
「決めたなら、ちゃんと覚悟しなきゃ……」
ディアンの——兄の優しさと覚悟を、無碍にしないように。
カチコチと意識の外から鳴り響いてくる秒針の音。それと共に、ヴァイスは両手を額に当てた。
ぐぅ。
シリアスな雰囲気を崩すように間抜けな音が鳴り響く。自分自身で驚いたヴァイスは、口をぽかんと開けてフリーズした。それから、その小さな両手を腹のあたりへと移動させる。
「お腹、減った……」
腹が鳴った音が引き金になって思い出したみたく、ヴァイスはそうつぶやいた。
ふと、時計を見る。ディアンが去ってからさほど時間も経っていない。まだいいや、と言った手前こんな早くに食堂へ向かうのもどうなんだ、とヴァイスは思った。
お腹をさすりながら考え込む。秒針が一周して、ヴァイスは右手で握り拳を作った。
「ご飯にしよう!」
ヴァイス一人しかいない空間に、憂鬱を晴らすような大声が響いた。




