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今回も無題です。話が進むごとにサブタイの付けにくさが増していってます。
久しぶりに帰ってきたマイホーム。本来ならば安心できるはずなのに、建物に近づくたびに足がすくむ。まるで磁石の同じ極同士が反発し合うように。距離が縮まるごとに、青鈴との思い出が脳裏に浮かんでいった。
並んで歩く兄弟たちも、そんなヴァイスの異変には流石に気が付くようで、各々が足を止める。振り返って見えたそれぞれの顔に、心配する気持ちが浮かんでいるように見えた。
「……僕たちがいても怖い?」
優しく問いかけたノワールの言葉にハッとする。広まった視界にノワール、ディアン、スティルの三人の顔がよく見えた。
怖くない、なんて本当の意味ではっきり言えるほどまだ強くない。これから先も、今回のように同じことが起こるかもしれないと考えると、どうしても不安は生まれる。どれだけ楽しい時間を過ごしても、それが不安を完全に塗りつぶしてくれることは、多分ない。
けれど彼らがいれば前に進んでいけると、いつもいつでもそう思う。
「——大丈夫。怖いけど、僕は大丈夫」
力強く答えれば、目の前の三人はそれぞれ顔を見合わせて、嬉しそうに笑ってくれた。ヴァイスの考えを見透かしているように。
両開きの扉を通って中に入る。真っ先に出迎えてくれた人物を見て、早々に「やっぱ大丈夫じゃないかも」と思ってしまった。
「おかえりなさい、ヴァイス」
「……カティア、先生」
ずっと待ってた。そんな思いが、優しい声色に込められているような気がした。柔らかな光を取り込む檸檬色の瞳も、優しく包むような視線をヴァイスに向けている。
名前を呼んで、それから何を言えばいいのか分からなくなって口を閉じる。逃げるかのように少しだけ目を逸らして考えていれば、不意にカティアが「ふふ」と優しさ笑った。
「良かった、本当に……あなたが無事で、良かった」
彼女は立膝になり、皺のない綺麗なワンピースの裾をわざわざ床に晒す。ぎゅっと優しく抱きしめてくれた。ふわっ、と花の香りが漂って、なんだか懐かしい気持ちになる。カティアの震える細い声に、情けなくも泣きそうになった。
「ただいま、先生……」
カティアが場所を変えようと言ったので、ちょうど空いている会議室に入った。ここの匂いも相変わらずだ、と思った。短い間とは言え病院にいっぱなしだったせいで、全ての匂いが懐かしく感じてしまう。
「青鈴のことは、もう聞いているのよね?」
開口一番、出てきた話題に喉が詰まる。避けて通れる話でもないとは分かっていたが、こんなにも早く彼女と青鈴についての話をするとは思わなかった。
ギギギ、と軋む音が聞こえそうなくらい、鈍い調子で首を縦に振る。そんなヴァイスを見て、共鳴するようにカティアも一度だけ頷いた。
「なら、彼の説明は省くわね」
「えっ」
拍子抜けだった。いや、別に、聞きたい訳でもなかったが、こうもさらりと流されると驚きはするもので。先ほどとは比べ物にならない滑らかな動作でヴァイスは首を傾げる。
「あら、驚かせてしまったかしら? ごめんなさいね。でも確認したかっただけで、これは本題じゃないのよ。……場所を移したのも、他に人がいると伝えたいことも満足に伝えられないから、ってだけよ」
うふふ、とお茶目な風に笑ってみせる。その後で内緒話をするみたく人差し指を立てた。実際彼女が言ったように、きっと似たようなものなのだろう。人がいると、できない話。
「……なん、ですか?」
ヴァイスには見当がつかなくて、その頭に生まれるのは困惑と疑問ばかりだ。後ろに大人しく控えている兄弟たちは分かるのだろうか。そうだとしたら羨ましいし教えて欲しい限りだけど、きっと直接聞いて理解すべきなのだろう。
じっ、とカティアの瞳を見つめた。彼女の話だけに集中するために。
「……あなたが目を覚ました後に、お見舞いに行けなくてごめんなさい」
そっと語り出した。確かに、ヴァイスが入院中、カティアが訪れてきたことはない。まぁ二、三日の入院だったし、そもそも青鈴のことを知った後でカティアと顔を合わせることは気持ち的にできなかっただろうから、あまり気にしてはいなかった。
けれど彼女の口ぶりからして、それには理由があるのだろう。なんだろうと思いながらも、続きの言葉をただ待った。
「実はね、ヴァイスの意識が回復してない頃に、一回だけあなたの様子を見に行ったのよ。……ノワールたちとも一緒にね」
その内容に、ヴァイスはノワールたち三人の方を振り返った。肯定を示すようにこくんと頷かれる。知らなかった、なんてのは当たり前だけど。
改めて、カティアの方に向き直る。にこり、と薄く微笑まれた。
「再生の力が弱まって、重傷を負ってしまったことは聞いていたわ。でも、実際にベッドで眠るあなたを見て……怖くなってしまったのよ」
後悔するようにそう告げた。「怖くなった?」と、おうむ返しのようにヴァイスは聞いて。カティアは弱々しく「ええ」とだけ返す。
「あなたがそう簡単に命を落とさないことは知っているわ。普段から怪我の一つもなく、びっくりするほど元気なこともね」
そう言ってヴァイスの頭をふわりと撫でる。日々のことを想起するように、目を細めていた。
「けど、私の目に見えないところであなたが感じている痛みは本物で、それでもその痛みに晒されてしまう生き方をしていることも事実で。静かに眠るヴァイスを見て、他の子たちとなんら変わりない、儚い命なんだって改めて思ったわ。……馬鹿ね、ずっと先生をやってるのに、今更そんなことを思うなんて」
彼女の吐露に言葉が出なかった。剥き出しの感情にどうやって触れればいいか分からなくて。それ以前に、カティアが感じたこと、思ったことに対して生まれる感情が多すぎた。
「青鈴があんな風になってしまって、その上ヴァイスまで目を覚さなかったらどうしようって、怖くなってしまって……あなたが目を覚ましてくれた後も、自分の未熟さが情けなくて、顔を合わせる勇気がなかったの」
情けなくない、と言おうとしたけど、カティアの感情にヴァイスが介入する権利などないことに気がついて、開いた口を無理やり閉じる。彼女の顔を視界に入れる余裕がなくて、少し目線を下げてしまった。
「でも会いに行くべきだったし、言うべきだったわ」
そう言って、カティアはまた床に膝をついた。そして彼女はヴァイスと視線を交える。数秒間そうしていたと思えば、そっとヴァイスの手を取った。柔らかいけど薄くて、そして自分とは違って暖かい手だと、そう思った。
「生きていてくれてありがとう、ヴァイス」
素朴で、だけど愛でしかないその言葉を、カティアはまっすぐな声でヴァイスに贈った。
生きていてくれてありがとう。
きっとヴァイスだったら、言おうとしても恥ずかしい気持ちが強く出てしまうのだろう。それをカティアは、目を見て手を握って、ありのまま伝えてくれる。じわじわと心に沁み入っていく感覚に、いつかの時に抱いた寂しさが包まれた。
ヴァイスはついつい泣きそうになってしまって、この歳にして涙腺が弱くなってしまったかと、気を紛らわすように考える。出てくるな、と思いながら上を向けば、またカティアが優しく笑った。
「……実はね、ノワールから聞いたの。あなたが私と青鈴に対して、負い目を感じてしまったこと」
「はっ……⁈ ……おい!」
予想もしていなかったとんでもない暴露に、思わず高い声が漏れた。チクリ魔、もといノワールの方を見て、説明を求めるように怒りを含んだ声をかけた。ノワールは気まずそうに笑った後に、手でごめんねのジェスチャーをした。こんな雰囲気の中で軽すぎる。
スティルにでも吹き飛ばされてしまえ、と勝手に巻き込んだ恨みを向けた。スティルは当然何も知らないので、困惑したような顔をしている。
「怒らないであげて、私も知れて良かったと思ってるから」
「で、でも」
カティアの言葉に反論しようとすると、彼女は自分の口に人差し指を添える。まだ待って、と言っているように見えて、ヴァイスは大人しく口を噤んだ。
「あなたはまだ十歳で、まだ未来がある。ヴァイス人生はヴァイスのものなんだから、青鈴のことなんか気にしないで、ずっとまっすぐ走ってなさい」
ね、と言って頭を撫でる。ヴァイスがその言葉に動揺していれば、彼女は「それに」と言葉を続ける。
「あんな重傷を負ったのも、青鈴本人がヘマしたからじゃない! ヴァイスを優先して守っておいて、その結果ヴァイスを、ついでに私や他の人たちも! 悲しませるなんて、彼は先生失格よ!」
いきなり跳ね上がった勢いにビクリとする。ヘマをしたのはヴァイスも同じなので、そこは自分も耳に痛いと思いながら、案外元気そうなカティアに一つ問いかけた。
「……悲しくないんですか?」
戸惑いが滲み出る声でそう聞いた。カティアは、勢いそのままに作られたような握り拳をゆるりと解いた。否定するような笑みを浮かべて、ほんの少しだけ首を傾げた。特徴的な色合いの、長く艶やかな髪が風にさらされた絹のように流れている。
「悲しいわ、とってもね。……けど、もう決めたのよ」
落ち着きのあるトーンでそう言ったカティアに、「決めた?」と聞き返す。彼女はこくりと頷いた。
「目を覚ました彼に、悲しんだ分だけ散々言ってやるわ、って。……こんなことがあって、こんな風に成長したのに、あなたはずっと寝てたわね、って。ネチネチ言ってやるのよ」
まるでいたずらっ子みたいな顔をしてそう言った。予想外にも子供っぽくて笑ってしまったけど、おんなじだ、と思った。
青鈴が目を覚ますと信じている。信じているからこその決意。奇しくも先刻ヴァイスが決めたことと根本が同じすぎて、彼女の言葉が前を向く最後の後押しになった。
「……僕も、僕も一緒に言ってやります。二度とヘマしないぞ、ってなっちゃうくらい、ネチネチ!」
「おかえり」と言った後にはなるだろうけれど、と頭の中だけで付け加えた。随分と陰湿で、その割に希望に満ちた未来の話。そんな日がやってくるなら、もう重荷に感じる必要はないと、前向きに思えた。
「ええ、そうね!」
そう言って笑ったカティアの顔を見て、今日のことは絶対に覚えておかなくちゃ、と思った。だってこんなの、青鈴にピッタリの土産話にしかならないのだから。




