2-2 約束
そこらで見かけるようなキャメルのスクエアテーブル。そこには何枚もの紙と、それからシルバーの安っぽいノートパソコンが置かれている。
多く設置された椅子のうちの一つをヴァイスは陣取り、難題を示された学者のように項垂れていた。
人工亜人たちは異形を討伐した際、その詳細などをまとめた報告書を提出しなければならない。
ヴァイスは現在その仕事に追われている。
だがしかし、その報告書作成こそがヴァイスの何よりも苦手とする仕事だった。
まず報告書を作る前提として、討伐した異形の特徴や性質等を思い出し、それらを丁寧に、けれど簡潔に纏めなければいけない。
記憶力も文章力も、ついでに文の構成力も必要な作業。体を動かす方が性に合っているヴァイスにとって、これ以上鬱々とした気分になる仕事はないのだ。
「ヴァイス、終わらないの?」
返り血を洗い流し、戦闘服から普段着へと衣装チェンジしたノワールがやってくる。
漆黒の御髪を揺蕩わせながら、優麗な動きで机に手をついた。むくりとヴァイスは顔を上げて。口角を上げたままのノワールに浮かない表情を見せた。
「……僕がこの作業苦手なの、知ってるだろ……」
絞り出したような声を浴びせ、ノートパソコンをトントンと叩く。そうしてみせれば、ノワールは仕方ないと言うようにふふ、と笑った。
「もちろん、知ってるよ。僕も手伝うから、早めに終わらせよう」
お腹も空いたしね、と一言。ヴァイスはありがとう、とお礼を言って隣席へと彼を導いた。
少し傾いた日に照らされた二人の髪は、暖色を伴って輝いた。
夕日が水平線に沈んでいく頃、二人の報告書作成がようやく終わった。しばらく座りっぱなしだったヴァイスは、体を左右に傾けたり首を回したりでストレッチをしている。
一方、ノワールは余裕そうな笑みを浮かべて紙類をまとめていた。トントンと無機質な音が室内に響き、ヴァイスの鼓膜を揺さぶる。
ほんの少し湧き上がった眠気はその音に押し潰されるように消えていき、報告書で埋め尽くされていた脳内が晴れていく。
けれど仕事の要素を含んだその音は、何故か急速にヴァイスの焦燥を募らせた。
「それじゃヴァイス、提出は任せたよ。……ヴァイス?」
ノワールにそう声をかけられても、ヴァイスは何の反応も示さない。
首を僅かに傾けた後、ノワールは再度呼びかけた。
だが当のヴァイスはノワールの方を向いたりはせずに、どこか明後日の方を見つめている。空間に穴が空いてしまうのではないかというほど、じっくりと。
その表情は物憂げでもなんでもなかった。文字通り、なんでも。
画面の向こうの無機質なイラストみたいに、何者も映さないピクセルの瞳がただそこにあるだけ。
「ヴァイス」
「……ノワール」
ふと、そんな硝子の瞳にノワールの顔が映る。生気を取り戻したその海色は驚いたように瞬いて、それから呼応するようにその彼の名をころりとこぼした。
鈍い金色の視線を受け、段々と本来の性質を思い出したようなヴァイスは眉を下げ薄い笑みを作る。ゆっくりとした動きで、彼方へと目をやった。
「少し、考え事してて」
「考え事?」
うん、とヴァイスは言う。
既に閉じたノートパソコンのその端を、人差し指の柔い手つきで撫でていく。する、すると一定のリズムを保ったその音はヴァイス自身の判断を仰ぐように響いていく。
幾度か繰り返したのちにピタリとその動きを止めて、拭うようにして薄い灰色に手を滑らせた。
「どうして、僕たちなんだろうって思ってさ」
「……それは、どういう?」
ヴァイスの発した言葉。その意味を理解していない様子で、ノワールは聞き返す。
ヴァイスはのろりと手を持ち上げ、包むようにして頬杖をついた。
「こうして異形と戦って、書類仕事をして……そういう時に、ふと思うんだよ。なんで僕たちがこの使命を背負わされたんだろう、って」
雪花のように薄々と響かせて。空気に溶けたその声は、二人きりの空間の温度を僅かに奪う。
ノワールは締まった吸気を挟み、そのまま凍りついてしまったかのように言葉を失った。次第に、ノワールは考え込むようにして俯いていく。
ヴァイスはその様子に気付きハッとした。何かを言おうと口を開きかけていたノワールの、その細腕をパシッと掴む。ヴァイスは、焦りを含んで頭を振った。
「ごめん、なんでもない。気にしないで。疲れてるとこういう思考になっちゃうんだ、ダメだよね」
この使命こそが、僕たちの生きる意味なのに。
自分に言い聞かせるようにして、ヴァイスはその言葉を加えた。何の疑問も持たずに言ったはずのその言葉は、確かな鋭利さで心を刺してきた。
そうして生まれた困惑を消すように、花びらが降るような儚い瞬きをする。
ヴァイスはゆっくりと、縋るものがなくなったみたいに頼りなく手を下ろそうとした。すんでのところでギュッと握られる。
予期しなかった動きに驚いて、思わず腕の主の顔を見た。慈愛で包み込むような、優しげな笑みを向けられる。
ヴァイスは目を瞠った。
もう片方の手がするりと上がって、ヴァイスのふわりと流れる雪色を柔く撫でる。少し頼りないその動作は、けれどヴァイスの心を落ち着かせた。
弱音を零した悔しさに耐えるみたく、ギュッと口を引き結んで。弱々しく笑いながらノワールを見上げた。
「今日はもう、休んだらどうかな? あとの仕事は僕がやっておくから。ね?」
ノワールは、ヴァイスの発言に言及しようとはしなかった。ただそれだけ言って、また頭をふわりと撫でるだけ。
禁句を聞き逃してくれたようにも捉えることのできる彼なりの気遣いに、ヴァイスはこくりと頷き応えた。




