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モノクロの君に捧げるモノローグ  作者: 花式カイロ
二章
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27 さみしいよ

 翌日、ヴァイスはこの間までの不調が嘘のように回復し、担当医から退院の許可をもらうまでになった。子供とはいえ驚きの回復力だ、と医師に指摘された際に、笑って誤魔化したのは記憶に新しい。

 今日、ヴァイスはその医師に「青鈴先生の様子を見たい」と直接懇願し、無事許可を得ることができた。今度はちゃんと上靴を履いて、昨日ディアンたちと歩いたルートを一人で行く。午後になっても、病院の職員は変わらず忙しそうにしていた。すれ違う人々の中には、時折人工亜人特有の混ざり物みたいな魔力を感じる。その度に、自分が働かずとも当たり前のように誰かが前線に立ち、そしてだれかが怪我をしているのだと実感する。普段病院とは縁遠いヴァイスからすると、不思議な感覚だった。


 そうこうしているうちに、ヴァイスは無事に青鈴のいる病室の前へと辿り着いた。弱々しく手を持ち上げて扉を開けようとしたところで、中から声がすることに気がついた。ヴァイスは驚き、その手の動きをぴたりと止める。


「青鈴を……アイツ……、……なん?」

「……ええ。……応戦した……聞いた情報……、……してます」

「……続き、青鈴まで……一体、……つもり……やろな」

「……」

「——カティアが……してはるのに、あんたは……………つもり……、青鈴……」


 聞き耳を立てたが、やはり扉越しなこともあって会話の内容全てを聞き取れはしない。だが、二人いるうちの一人がカティアであることは分かった。もう一人の声はあまり聞き馴染みがない。どこかで聞いた声かもしれないが、少なくとも交流の多い相手ではないと思う。

 ヴァイスは少し迷ったのちに、扉に添えてた手に魔力を込めた。手動で開ければ十中八九物音を立てるだろうが、魔法ならばスムーズに行くだろう。唯一懸念点を挙げるとすれば、魔力感知によって気付かれる可能性だろうか。

 けれど戦場ならまだしも、ここは病院。相当警戒心が強いか神経質でない限り、常に魔力感知を働かせると言った疲弊必至な作業はしないだろう。まぁ、バレてしまったらその時考えれば良いことだ。

 手のひらから扉へ、優しく撫でるような感覚でその物質に魔力を移していく。扉はヴァイスの魔力に素直に応じ、すっと静かに開いた。隔たりがなくなったことで、先ほどよりも会話がはっきりと聞こえてくる。ヴァイスは身を隠しながら、二つの声に耳を立てた。


「……彼は、いつ、目を覚ますのかしら……?」

「分からん、としか、今は言えへん。……無責任なこと言うても、あんたは納得しぃひんやろ?」

「……そう、ですね」


 カティアと、もう一人独特の訛りのある女性の声が会話を続けている。昨日、兄弟と同じようなやり取りをしたことを思い出した。ヴァイスは、カティアのように冷静な対応はできなかったけれど。


「っこのまま……目を覚まさなかったら、私は、どうすれば……!」

「……っ」

「どうしてっ……! どうして、彼が、こんな目に遭わなくちゃいけないの!! こんなの、あんまりだわ……」

「カティア……」



 気がつけばヴァイスは逃げ出していた。心臓がどくどくと跳ねて、伝わってくる鼓動に耳を塞がれたみたく、それ以外の音が聞こえなくなって。すれ違った誰かから呼ばれたような気もしたけど、聞く素振りすら見せなかった。

 いつも、母のように優しくて、穏やかなカティア。宝物を扱うみたく、柔らかく撫でたり抱きしめてくれたりする時もあれば、不意にお茶目な一面を出したりして。ヴァイスたちが間違ったことをすれば、否定はせずともきちんと叱りつけてくれる。小鳥のような綺麗な声も、陽の光みたいな落ち着く匂いも、全部が好きだ。生みの親は別にいても、許されるならばカティアのことを「お母さん」と呼んでみたいと、思ってしまったこともある。

 そんな彼女が細い声を張り上げて、感じる悲しみに涙を流していた。形容し難い辛さに襲われた。喉が絞められたように息苦しくて、心臓を鷲掴みにされたように胸が痛い。


 自分よりずっとずっと年上の人が取り乱す姿を想像したことは、一度たりともない。それほど周囲の大人たちを強いと思っていたし、そもそも自分が前線に出る立場だったから、死なない自分はともかく、兄弟の身の危険しか案じていなかった。

 だからこそ、辛かった。想像もしていなかったことに直面して、剥き出しの感情に当てられる。それは、ヴァイスにとって逃げ出してしまうほどのことだった。



 日中のみ開放されている病院の屋上。ヴァイスはいつの間にかそこに来ていた。着いた頃には既に足元も覚束ない様子だったが、ヴァイスはそれを自覚していない。走っていたら着いた。それが彼自身の認識だ。

 雲一つのない青空を受け止めるこのエリアは、今のヴァイスには眩しすぎる。逃げるようにして日陰に寄って蹲ったところで、最近ずっと逃げてばかりだ、と思った。


「ぐす……う、……っ……」


 声を押し殺して泣いた。昨日はまだ、枕を濡らす程度で済んだけれど。今日はダメだった。膝を抱えた腕に閉じた瞼を押し当てる。腕がほんのりと熱を帯び、受け止めきれなかった涙が薄い頬を滑った。これではとてもじゃないが戻れそうにない、とどこか意識の遠くの方で考える。それでも涙は止まらなかった。


 どうすれば、こんな結末にならずに済んだのだろうか。あともう少し、自分が強ければどうにかなった? あの時自分がその場に留まらなかったら、応援を寄越させることにもならなかったのだろうか。そもそも、寮にいたこと自体がダメだったのかもしれない。何がなんでも、任務に同行していれば。……そんなことで、異形の襲撃そのものを防げたとは到底思えないけれど。


 頭の中でたられば(・・・・)の思考を巡らせる。そうしているうちに、何が悲しいとか悔しいとかも綯交(ないま)ぜになって、また溢れる涙の勢いが強まった。このまま身体中の水分が流れ出て、枯れ果ててしまえれば。不謹慎ながらもそう願ってしまった。


「ヴァイス」


 降ってきた声に体が跳ねる。その勢いで体中の錆が取れたように、ゆっくりと力が抜けた。涙で濡れていてぐしゃぐしゃでも、かまわずにその顔を上げる。

 いつも気がつけば隣にいて、ヴァイスの細かな心の機微に目ざとく気が付いて。だからこそ、一番いて欲しい時にそばにいる。献身の塊みたいな片割れが、目の前に立っていた。


「……ノワール、……っ、のわぁるぅぅ……!!」


 酷い声だった。言葉として形になった泣き声は、落ち着きのない揺らぎで人名を紡いだ。何度も何度も、ノワールという名前一つしか知らないように繰り返して。それでも名の主の少年は、全部分かってるよ、とでも言うみたく優しく抱きしめてくれた。

 今日は珍しく、白色のシャツを着ていた。密着するとヴァイスの涙で濡れて灰色のシミを作るが、ノワールは特に気にも留めずにヴァイスの背を撫でている。青鈴やカティアの手よりも小さいけれど、ヴァイスにとって何よりも心地の良い暖かさだった。合間に息継ぎをするたびに、青葉のような匂いが薄く香る。鼻腔をくすぐるその匂いに、安心感を求めるように何度もすり寄る。その度に、頭に添えられている手の方が何度かぽんぽんと撫でてくれた。

 全てを許された気がして、けれどそんな訳がないとまた泣きそうになる。嗚咽の声を漏らしてまた泣き出せば、ノワールの抱きしめる力が強くなる。こうしていると、本当に二人で一つになった気分になる。そう、だから本音も曝け出る。逃げも隠れも、もう一人の自分(・・・・・・・)みたいなノワール相手じゃ当然無意味だ。


「うっ、ひぐっ……、カティア、せんせ……がっ、泣いてて……っ……、ぼく、……ぼくがもっと、ちゃんとっ、してたら……っ、こんな……こんな……!」


 文脈は支離滅裂で、とても要領を得ているとは言えない。それでもノワールは、いつもの優しい声で「うん、うん」と静かに相槌を打っている。ヴァイスが言葉に詰まると、背をさすりながら「ゆっくりでいいよ」と言ってくれた。


「っ、泣いても……しかたない、って……ぐすっ…‥、分かってる、けどっ……!」


 それでも泣いちゃうんだよ、なんて。言い訳がましくて、口にすることはできなかった。だけど後に続ける言葉も出てこない。日向から切り離された世界で、ヴァイスの啜り泣く声だけが静かに響く。皮肉なことに澄み切っている青空は、いつもヴァイスが輝かせる瞳の色そのものだった。今はもう涙を堰き止めようと、必死になって瞼を閉じているだけ。肌の濡れる感覚が気持ち悪かった。


「……が、……れば……」

「うん?」


 こぼれ落ちたような小さな言葉にノワールが柔らかく聞き返す。ヴァイスは、そっとノワールから体を離した。ノワールのシャツに、ヴァイスの涙によって作られたシミがあった。それを覆い隠すようにして、硬い服の生地を両手で掴んだ。


「ぼくが、代わりになれば、よかった……そしたら、きっと、せいりん先生はあんな風にならずにすんだ。……カティア先生、も、泣かずに済んだ……僕が、……っぼくが……」


 口走った内容はあまりにも不謹慎で。けれどこの場で吐き出した以上、それは本音でしかなくて。ようやくいくつかに分割された本音を全て吐露できたヴァイスは、静かに力を抜いた。目線は徐々に下がり始める。項垂れると同時に、頭上から詰まったような息遣いが聞こえた。

 自ら顔を上げようとする前に、ノワールに肩を掴まれた。けれどその手に力はほとんど入っておらず、むしろ震えているようにさえ感じる。何かを言い淀んでいるようなノワールの顔を見ようとしたところで、目隠しをするように服の袖を押し付けられた。擦らず器用に涙を拭いてくれている。困惑でもしているのか、その動きは緩やかだった。


「……ヴァイス。もし、君が犠牲になったとしたら、君の望み通り青鈴さんは助かって、カティアさんも彼を前に泣かずに済んだかもしれない」


 既に失われた未来をノワールは語った。ヴァイスからしてみれば、それはとても素晴らしい世界のように思える。思えたけど、ほんのわずかに震えているノワールの声に、そんな考えを浮かべる気力がなくなった。まだ目は塞がれたまま。隙間から入り込む光が目に痛いと、自業自得な感想が頭をよぎる。


「だからって、ヴァイスが犠牲になるような世界を、僕は望まなかったよ。君がそれを、望んでいたとしても」


 ノワールの腕が離れていく。開けた視界に辛そうに微笑むノワールの姿が写る。下手な笑いだと思った。まるでノワールの真似をする自分自身を、鏡写しに眺めているような、そんな気分。

 目の前の少年は、一度だけゆっくりと瞬きをした。下を向いて、何かを堪えるように(かぶり)を振る。再び正面を向いた時、瞳が琥珀みたいに艶を帯びているように見えた。



「——ヴァイス、僕はね、……君がいないとさみしいよ」



 二人だけに聞こえるくらいの、消え入りそうな声だった。二つだけ多く歳を重ねた、それでも不釣り合いなくらいに大人びているノワールが、今だけは小さな子供に見えた。

 さみしい。……さみしい。彼が素直に伝えてくれた感情によって、ようやく自分の抱えていた思いの本質に気がついた。

 初夏の日差しみたいに明るくて、頭を撫でてくれる手は暖かくて。ついつい眠くなってしまうような緩やかな声も、一転して目が覚めるようなはっきりとした声も、ヴァイスはよく覚えている。カティアが母なら青鈴は父だと、これまで何度思っただろうか。

 そんな青鈴のことだって、ヴァイスは大好きなのだ。庇ってくれた罪悪感だとか、周りの人を傷つけてしまった後ろめたさだとか、生まれた様々な思いは、どれも正しくて違う。もっとずっと素直に言えば、眠ってしまった彼とはもう話せないかもしれないことが、寂しかった。逃げ出してしまうほど、寂しかった。

 ヴァイスが今の青鈴と同じような状態に陥ったとして、その時今のヴァイスと同じ立場にいるのはきっとノワールだ。ヴァイスが望んだ世界は、ノワールが望まない世界。片割れが望まない世界を願ったことの残酷さを、ヴァイスはようやく理解した。


「ごめん……ごめんね、ノワール……ごめんなさい……!!」


 そう言ううちに、また涙が流れてしまった。この涙は、言葉にすると「後悔」になるんだろう。ノワールのことを傷つけてしまった後悔が、涙として溢れ出す。傷つけられた当人は、それでも優しくこぼした後悔を拭ってくれる。頬に触れた素肌が暖かかった。

 涙でぼやけた視界が、ノワールの姿を不鮮明に捉えている。彼も泣いていると錯覚してしまって、今自分にしてくれているみたいにノワールの頬を拭ってあげた。堪えきれなかったように笑うノワールのその声が、泣いているみたく揺れていた。

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