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モノクロの君に捧げるモノローグ  作者: 花式カイロ
二章
57/61

26-2

 ヴァイスが病室に戻ると、そこには白衣を着た人物がいた。誰だろうと思いながら見ていると、担当のドクターだと自己紹介をされて、えっと驚いたものだ。ノワールが呼んだのだと、本人からこっそり耳打ちされた。


 そういえば、勝手に病室を飛び出したんだった。


 患者が取るべきでない行動をしたのだと自覚した途端、強烈な焦りを感じる。怒られても仕方がないと思いながら、「ごめんなさい」と慌てて頭を下げた。

 だが事前にノワールが事情を話してくれていたらしく、謝罪は受け入れられながらも、優しく注意されるだけで終わった。本当に何から何まで気の回る少年だと思いながら、また脳裏に恩師の痛ましい姿が浮かび上がって気が沈んでしまった。



「容態について話す、と言いましたが、それには先日起きた一連の出来事について説明しなければなりません。私たちは出払っていたので、報告書を見たり人に聞いたりなどでしか把握はできていませんが……ひとまず、あの日何が起きたのかというところから説明しますね」


 まるで台本が用意されていたかのように、スティルは流暢に説明を始めた。


 時は、ヴァイスが意識を失った日の正午にまで遡る。ヴァイスが青鈴と共に事務仕事をこなしている同時刻にある異常(・・・・)が起こり、その結果寮が異形に襲撃されるという事件に発展したらしい。


 その異常というのが「結界の消滅」だ。


 ヴァイスたちの住む寮——国立対異形人工亜人特別総合施設は、異形から世界を守る要となる施設のうちの一つである。このことから、ヘルシュタイン家とノインテッター家の両家は、寮を中心に半径一キロメートルの範囲に結界を張ったのだ。もう一つの要の施設である、異形対策開発局が設置されている総合研究所も、その結界の範囲内に建てられている。


 異形の侵入を拒み、また異形の攻撃に対する耐性も高い。そんな結界の効力は凄まじいものだ。だがその分、結界を維持するために費やす労力も並大抵のものではない。

 例えば、プログラミングの欠陥によって機械がエラーを生むように、結界もまたなんらかの欠陥——魔力の枯渇だとか、負荷に耐えられなかったとかだ——が原因で崩壊や消滅を招くこともある。前例は少ないが、それでもゼロじゃない。人工亜人を造り出した誉高き研究者であっても、決して完璧ではないのだ。


 そしてその前例が少ない異常が起こった結果、寮内に異形が侵入したという訳だ。異形の出没が確認されたのは寮内のみだったようだが、その原因は未だ調査中らしいとのことだった。


 あの日、ヴァイスを含め寮にいた人工亜人たちが初めに覚えた違和感。それは結界の消滅が原因だろうというのが、上の考えらしい。

 その後、寮内で活動していた人工亜人の大半が、違和感の正体を確認するため、各々が行動を起こしていた。ある者は事務室に行き状況を調べ、またある者は実際に外に出てその足で違和感の正体を突き止めようとしていた。

 そんな時、まるで見計らったかのようにあの大型異形が、亜人のほとんどいなくなったフリースペースに現れた。

 そして不運にも、フリースペースに留まることを選択していたヴァイスが、単独で大型異形と対峙することになってしまった。



「君が大型異形と遭遇した時のことは、君自身の方が詳しいね?」



 途中、スティルを手助けするように挟まれたノワールの言葉に頷く。ヴァイスは大型異形に単独で挑んだ。結果として、戦績は振るわなかった訳だが——。



「途中で、青鈴先生を含む応援が合流した、と」



 今度の語り手はスティルだ。ヴァイスはその言葉にも大人しく頷いた。

 あの時のヴァイスはほとんど戦闘不能の状態に近く、本人は状況を詳しく理解していなかったが、応援は青鈴を含めた七名が来ていたらしい。魔力を感知して得た情報から、その時投入できたのがその七名だけだったそうだ。


 その場で討伐できずとも、せめて撃退が望ましいとされたその局面で異形が取った行動は——撤退だった。

 大量の魔力を放出すると共に建物を破壊し、その場から逃げた。だがその逃げる際に異形が取った行動の被害はあまりにも大きく、応援に来た七名のうち二名が意識不明の重体、三名が重傷、そして一名が軽傷という悲惨な結果を招いた。

 そして、ヴァイスにとって一番の気掛かりであった青鈴は。



「——昏睡、状態……?」



 酷く震えた声が喉を過ぎるのが、自分でもよく聞こえた。反芻するみたく、今度は頭の中で言葉を繰り返す。ずっとそうしていると、ゲシュタルト崩壊を起こしそうだった。


「はい、その……頭部を強く打ち付けた際に負った、脳へのダメージが大きかった、ようで……」


 報告を続けるスティルの声が、段々と小さくなっていく。スツールに座った彼が、膝の上で震える片手をもう一方の手で強く押さえていた。握りしめられたズボンに、放射線状に広がったような皺ができる。どうにか感情を抑え込めているように見えた。


「治癒魔法を試しても、ダメで……国の最先端の医療技術を用いても、なす術が、ないと……」


 そう告げて、完全に黙り込んでしまう。彼の背後とヴァイスのベッドの横に、それぞれ位置取りをしているディアンとノワールも、一つの言葉も発さない。沈黙が重かった。

 ヴァイスは、自分の体に掛けられている布団を両手で強く握りしめた。怒りや悔恨、様々な負の感情を心の中で()い交ぜにしながら。スティルのズボンと同じように、ヴァイスの掛け布団にも皺ができる。ぐしゃぐしゃになった白い布は、ヴァイスの心情をそのまま剥き出しにしたような有様だった。


「……いつまで、そう(・・)なの……?」

「……分かりません」

「…………でもっ、いつかは目、覚ますんだよね……?」

「…………っ分かり、ません」

「じゃあ一生眠ったままだってのかよ! 分からない分からないって、それなら、先生はもう一生目覚まさないとでも言うのかよ! なぁ、スティル——」



「ヴァイス!!」



 割り込まれた空気を裂くような大声に肩が跳ねる。叱りつけるようにヴァイスの名前を呼んだのは、ディアンだった。いつにも増して険しい顔をしていた彼は、ヴァイスとしっかり顔を見合わせて目をぎゅっと細める。その後で、スティルの方にちらりと目をやった。


「っ! ……ごめ、ん……」


 ディアンの動きに倣ってスティルの顔を見る。——泣きそうな目をしていた。眉を下げ、瞼を大きく開いて。針葉樹の葉を溶かしたような瞳が揺れている。今にも涙が溢れそうなほど、その瞳は潤んでいた。

 ヴァイスの拙い謝罪を聞いたスティルは、表情を覆い隠すかのようにすぐさま下を向く。少し遅れて「いえ」と、低く小さな声が聞こえてきた。

 流れた沈黙は、先ほどのものよりずっと重い。自業自得ではあるけれど、だからこそ息が苦しくて仕方がなかった。


「……お兄様、私たち、今日はもう帰りますね。お体に障るようでしたらいけないので」


 打って変わって、優しくて落ち着いた声だった。いつもの、耳に心地の良いスティルの声。怒っているのか、悲しんでいるのかすらも分からなくて。彼の顔を見ることができなかった。

 最低限の意思表示として、首を一度だけ縦に振る。それを合図にしたかのようなタイミングで、柔肌同士を擦ったような音がかすかに聞こえた。その小さな音でさえ、ヴァイスの耳には痛かった。

 ヴァイスが俯いたままにしているその横で、スティルは静かに立ち上がってスツールの位置を整える。脚と床の擦れる音が響いて一瞬止まる。スティルの手が悩むようにして宙を揺れる。諦めたのか、それ以上スツールに対して運動を加えることはしなかった。

 硬いものを擦る音は一般的に不快なものだとヴァイスは思っている。だが自分が与えた雑音はきっとそれ以上に鋭かっただろうと思い、罪悪感から眩暈がしそうになった。


「ヴァイス」


 そんな感覚から引き戻すように聞こえてきた声にハッとする。声のした方向とは反対にいるスティルから目を背けるようにして、声の主に顔を向けた。それでも伏せがちな視界は、病院には不釣り合いな黒のシャツと、それと同色の少し長めな艶髪だけを映している。


「君は近々退院できるって、病院の人が言っていたよ」


 ノワールは、安心させるように柔らかにそう言った。その後で、そっとヴァイスの耳元に口を寄せてくる。


「君が帰ってくるの、待ってるからね。僕もディアンも、……スティルも」


 その言葉に目を見開く。ノワールの、またはスティルの顔を見る、返事をする、笑いかける、等々。そんな風に何かしら良い方法はあったかもしれないのに、どうすればいいか分からなくて、逃げるようにして皺のできた布団を覆い被さった。

 ガラ、と扉を開ける音がして、それから二人分の足音が遠のいていく。不意に、頭のあたりを撫でられたような感覚がして、それからまた一人分、足音が遠のいた。やがて扉は閉められて、外界の音がぱったりと止む。静かで冷ややかな病室の中、じわりと瞼が熱くなった。

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