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モノクロの君に捧げるモノローグ  作者: 花式カイロ
一章
21/61

8 啖呵

 黒鉄を纏ったような重厚感のある扉。ヴァイスは見た目ほど重くはないそれを、隣に立つディアンと一緒に押し開いて中へと入った。


 中央に鎮座する、紙が高く積まれたスクエアテーブルと、乱雑に文房具が転がっている壁際の長机。

 年季の入ってるらしい赤褐色のそれらを見ながら、ヴァイス達は部屋の中を歩いた。


「先生、いないね」

「だな。まぁ、いつも事務室にいるとは限らねえしな……」


 そうだね。柔く同意して部屋を出て行こうとするが、ヴァイスは部屋の壁に気を取られその足は止まったまま。

 視線の先にあるのは、様々な文字が書き連ねられた大量のメモだ。真新しい質感のものもあれば、色褪せて黄ばんだものもあったり。

 幼いながらにも、ヴァイスはそれらに“歴史”を感じることができた。


 一つ一つ、時間を忘れ果てたように眺めていく。ディアンはそんな様子のヴァイスに何も声をかけないまま、同じようにして時を過ごした。

 そして記録を辿っていくように目を通していくうちに、一枚の紙に目が留まる。

 ドレスを纏いハットを深く被った婦人らしき人物の絵と、その周りにびっしりと書き込まれた文字。所々に薄ピンクの蛍光ペンでラインが引かれていた。

 ヴァイスは、その文字に見覚えがあった。少し弱々しくて、けれどなんとなく気持ちが柔らかになってしまうような可愛らしい文字。それは——。


「あら? 二人とも、どうしたの?」


 不意にかけられた声に、ヴァイスとディアンは勢いよく驚いた。危うく書類をばら撒きかけてヴァイスは焦る。バンっと強い音を鳴らして紙を抑え、一呼吸ついてからピシッと姿勢を正して。慌ただしく動く心臓の音が少し煩わしかった。


「書類の提出をしに来たんです」


 落ち着きのないヴァイスに変わるように、ディアンが返答する。そして手に持っていた紙を差し出した。

 普段の少し乱暴な物言いからは想像できないほど、彼は意外にも目上の人物に対しての礼儀はしっかりとしている。あまり見られるものではないそんな彼の姿を横目で見ながら、ヴァイスも彼に倣って先ほど落としかけた紙の山を前へと突き出した。


 カティアは再びあらあらと言いながら、綺麗な動作でそれらを受け取った。さらりと流れる絹のような髪の毛を耳にかけ、潤んだ大きな瞳で一番上の紙に目を通す。


「NoDiWS、ね。ふふ、素敵なチーム名。あなた達らしいわ」


 奇しくも、一番上の紙はチーム名を記載したものだったようで、カティアはにこりと微笑んでそう言った。

 ヴァイスは一瞬だけきょとんとしてから、少し笑って照れてみせる。チーム名を決めたのはヴァイスではなくノワールなのだが、それでも自分が褒められたかのように嬉しかった。


 少しの愉悦に浸っていれば、カティアが一度書類を抱え直してから廊下ではなく別の部屋に続く扉の前へと行き、こちらに一度振り返った。


「記載漏れと、それから大丈夫だとは思うけど、チーム名の被りがないか確認してくるから少し待っててちょうだい」


 そう言ってまた微笑まれる。ヴァイスとディアンは共に頷き、扉の奥へと消えていくカティアを見送った。



 カティアのいなくなった部屋で、しばし二人は立ち尽くす。

 何もすることがないことに気付いて、ヴァイスは少し迷った。大人しく待つのは性に合わず、かと言って今端末をいじるのも失礼に当たる気がした。実際はそんなことないのだろうけれど、ヴァイスは変なところで真面目なのだ。


 手持ち無沙汰に体を揺らしていれば、不意にディアンが壁際へと歩いていった。一瞬の間を置いてそれに反応し、何かと思って首を傾げる。ゆっくりと壁に貼られたメモを見上げたディアンは、それから少ししてこちらに振り向いた。


「なぁ、ヴァイス」

「うん?」


 先の態度が嘘のように、いつも通りジャージのポケットに手を突っ込みながら、ディアンが声をかけてくる。少し雑な仕草で手招かれたので寄ってみれば、壁のとある場所——ヴァイスが先ほど注視してたメモを、ディアンは指し示していた。

 ヴァイスは元よりその大きい目を更に見開いて、ディアンと彼の名を呼んだ。


「お前が見てたこれ……カティア先生の書いたやつだろ」


 どうやらディアンも同じ思考に至っていたらしい。少しの間を置いてから、ヴァイスは「うん」と答えた。

 少し意外だった。ディアンは人の筆跡を一々記憶しているような性格ではないと思っていたから。

 当のヴァイスでさえ、まじまじと凝視し視覚からの細かな記憶を手繰り寄せて、それでも頭の隅で突っかかる感覚だったのをカティア本人の顔を見て思い出したくらいだった。

 もしかしたらディアンもヴァイスと同じような行動をとっていたかもしれないし、元から知っていた可能性もあるし、見方を変えるならば悲しいことにヴァイスの記憶力が乏しかっただけだったかもしれない。

 ただ最後の一択だけは真実だったとしても認めたくはなかったので、ヴァイスは自分の中からだけその選択肢を消した。


「……これ、なんだと思う?」

「異形、だろうな。……この部屋の壁に貼ってある紙、ざっと目を通したがほとんど異形関連だった。だからこれも、そうなんだろ」


 ヴァイスの質問に、ディアンは静かな声色で答える。最後に「実際にこんなタイプの異形は見たことねえけどな」と、当てもなく空で漂う風船のような調子で、取ってつけたように加えた。ヴァイスはパチリと一つ瞬きをして、デジャヴのように「うん」と返す。

 そしてまた、メモの方へと目を向けた。


 女性的でありながらも、どこか異質で不気味な佇まい。そして顔までもが覆い隠されたその格好。

 御伽話に出てくるような摩訶不思議な姿のその生き物——であるかどうかは定かではないが——を、それでも異形と捉えることに何故だか違和感を抱いた。



 コツ、と控えめなヒールの音が聞こえてきた。ヴァイスとディアンは同じタイミングで振り向く。確認作業から戻ってきたらしいカティアは、少し寂しげな表情で、壁面のメモを見つめていた。

 そんなカティアに、ヴァイスはかける言葉が見つからなかった。眼前の女性が、介入の余地すらない悲哀の雰囲気を纏っていたから。

 勇気を出して声をかけようと口を開いても、やはり踏み切れずに再び横一文字に引き結んでしまう。腹の前できゅっと手を組みながら、助けを求めるように隣に立つディアンを流し目で捉える。

 ディアンはこちらに視線を向けるわけでもなく、けれどヴァイスの意志を感じ取ったように目を細めた。


「先生」

「……! あら、失礼。ええと、記載漏れもチーム名の被りもなかったわ。待たせてしまってごめんなさいね」


 少し頼りなさげな言葉であったが、一応の報告にヴァイスは安堵する。「よかった」と、溢れるように声が出た。

 けれどそんな気持ちはすぐに消え、カティアの表情の曇りに意識が向いてしまう。さりげない微笑みでは取り繕えぬほどの哀愁と、そんな彼女と関係がないとは思えない新規の情報。掛け合わせればなんとなく想像がついた。


「……この部屋の壁、すごいでしょう? 全部、異形に関する情報よ」


 ふと、カティアがくるりとあたりを見回しながらそう言った。それに倣うみたく、ヴァイスも自らの大きなターコイズの目を動かして。

 軽く一周させてからカティアの方へと戻した。パチリ、と目が合う。朝日に照らされた檸檬みたく淡い艶を帯びたその瞳は、怒りや悲しみといった負の感情を秘めているように見えた。


 見つめ合ううちに、カティアの方が先に視線を下ろした。まるで内情をひた隠しするみたいに深く俯き、綺麗な両手を組んで擦り合わせる。それに引き摺り込まれるように、ヴァイスは悲壮をその胸に抱いた。


「でも……これでもまだ、氷山の一角なの。表舞台から切り離されたところでは、もっとたくさんの凄惨な事実と誰も知り得ない真実が置き去りになっている。……酷いものよ」


 その惨劇を写したように冷淡な声色でそう告げられて、返す言葉も何もかもすり潰されたような思いになった。

 自らの息を飲む音が、僅かながらにあたりに響く。


「私たちと異形の戦いはもう長い間続いている。なのに、その惨劇はまだ全てが暴かれているわけでもない。……そして、異形の正体についても」


 普段親代わりとして存在する時とは違う真面目な口調で、カティアは言葉を続けていく。最後の話題については、同じようなことを兄弟たちとも交わした。

 あぁ、自分たちだけがそういう不安を抱えているわけではないのだ。

 ヴァイスは、抱いていた不安に一抹の安堵が介入してきたような、そんな気がした。


「けれど、悔しいことに私はそれを暴ける立場にはいないわ」


 そんなほんの少し沸いた安堵さえも覆うような悲しい声色で掻き消される。

 ハッとして彼女を見やれば、いつの間にか上げられていた顔にはまたもや悲しげな笑みが浮かべられていた。いつも優しくてマイペースなカティアには合わないその表情。

 胸が酷く締め付けられる思いをヴァイスは抱いた。


「でもね、だからと言って若い世代の子達が戦って傷つく姿を見るのも、辛いのよ。……人工亜人は、案外脆いから」


 あなたはよく知っているかもしれないわね。

 目を合わせながらそう言われて、ヴァイスは思わず逃げるように視線を逸らしてしまった。それによって生じた少しの間。気まずい思いが膨らんでいった。


「……生きているうちに、歪みのない異界を見てみたいわ」


 そう言いながらカティアは歩を進め、そしてヴァイスたちの後ろにあった壁面のメモに手を添えた。そして確信する。やはりこのメモは彼女の人生に悲劇を与えた凄惨な事実なのだと。

 彼女のそれは表舞台に出されたものだ。けれど心にせよ体にせよ、彼女が負った傷は到底癒えるものではないのだろう。


 ヴァイス自身は幸いなことに、悲劇を味わったことはない。けれど物を知らぬ赤子でもない。だからこそ彼女がいう言葉の意味は理解できた。悲しいことに、共感は難しかったが。

 それでも、幼き頃から母親のように育ててくれたカティアの辛そうな姿を見て、心が揺り動かされないわけがなかった。

 そのうちに、ヴァイスは無意識に一歩踏み出していた。トン、としっかりとした足音が響く。カティアとディアン、そして踏み出したヴァイス自身までもが驚いていた。けれど歩き出したからには、踏み入ってしまったからには引き返せない。澱みを押し出すように息を吐いた。


「僕が、その異界を実現させてみせます。とても……とても長い道のりだったとしても、異形の脅威も歪みもない、そんな異界に」


 勢いのままに発した声は思ったよりも震えてしまっていた。ほんの少しの羞恥が胸の内に生まれる感覚を抱いていれば、ポンと後ろから肩を叩かれる。ハッとして振り返れば、ディアンが何やら不満そうな表情を浮かべていた。

 しまった、と反射的に思う。ディアン、と呼ぼうとする意思は実際に言葉として発されることはなかった。


「僕が、ってちっせえ主語だな。……お前一人じゃない。俺もスティルも、ノワールもいる」


 質量のある声が響く。いつでもヴァイスを引っ張ってくれるような、そんな声をかけてくれる。ヴァイスは息が詰まる思いになった。


「……先生。ヴァイスの目指すもんは本人も思っている通り、気が遠くなるほどのもんです。けど、俺達はやってみせます。……だから、そんな顔しないでくださいよ。ヴァイスが泣きますから」

「なっ、かないよ!」


 真白な髪が覆うヴァイスの頭。そこに乱雑に手を置かれて、思わずぱっと振り払ってしまった。

 くそ、こいつ。いつも肝心なところで台無しにする。

 頬を膨らませながらヴァイスは思った。

 というかそもそも泣いてないし、自分は言うほど泣き虫でもない。言いがかりも甚だしい。……いやでもあと少し詳しいことを話されていたら泣いてしまったかもしれない。

 頭の中で思考をぐるぐると巡らせていれば、ふふっと可愛らしい笑い声が聞こえてきた。声のした方、カティアの顔を見る。


「二人して、そんなこと言うようになっちゃって……先生、嬉しいわ」


 そう言いながらカティアは、ヴァイスとディアン、二人の頭を柔く撫でた。それが心地良くて、ヴァイスは堅い思考が蕩けていくような、そんな感覚に陥る。

 なんともまぁ単純なものだ。そう自嘲しながらも、母親代わりのようにしてきた彼女の母性に逆らえるはずもなかった。


 ふと隣を盗み見れば、ディアンも顔こそ不機嫌そのものだったが抵抗する様子もなくされるがままに撫でられていた。

 こういうところはまだ自分と同じ子供なんだな。と、当たり前だけどもどこか新鮮な気持ちでヴァイスは思った。


「——けど、あなた達はまだ十歳と十二歳。十分子供なんだから、今はお仕事もそこそこにみんなと笑って楽しく過ごせばいいのよ」


 ね、と微笑まれた。現状では納得するしかなくても、それくらいの気概はありますよと反論したくなる。けれど自分よりも一回り以上経験を積んでいる彼女にそんなことを言えるわけもないし、流石に幼稚ではあるのでやめておいた。

 煮え切らない表情を作りつつ、ヴァイスはその言葉に頷いた。そしてディアンも。


「あなた達、午後はお休みでしょう? じゃあ、みんなで遊びにでも行ってらっしゃいな。今日は天気もいいもの」


 事務室にある窓の外に広がる澄んだ青空を見ながら、カティアはそう言った。ほんの少し目を細め、そしてまたヴァイスたちに向き直る。


「帰ったらたくさんお話聞かせてちょうだいね。あなた達の話を聞くのも、私は大好きなんだから」


 内緒話でもするみたいに人差し指を口に当て、ぱちりと綺麗なウインクをされる。照れ臭さと同時に生まれたワクワクを抱えつつ、ヴァイスはディアンと目を合わせた。


「行ってきます、先生!」

 カティアに向かって元気よくそう言いながら、ディアンの腕を引き部屋を出て行こうとする。

 ディアンの宥めるような言葉に適当に相槌を打ちながら、扉を開けると同時に聞こえた「行ってらっしゃい」の言葉に破顔した。

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