3-4 ほおずき
すっかりと料理を平らげられた皿。それとは真逆に満腹感を抱くお腹を撫でながら、ヴァイスは幸福を含んだ声色でご馳走様でした、と言う。
向かいに座るスティルは、まだ食事中だ。まるで芸術品のように美しく食事を摂るスティルを、ヴァイスは頬杖をついて眺めた。
「……見られていると食べにくいです」
困ったような表情を浮かべ、口元に手を添えながらスティルは言う。それに対してヴァイスは、えへへと無邪気に笑ってみせた。
「スティル、意外に食べるのゆっくりだよな〜って。その代わり、めちゃくちゃ丁寧」
人差し指を振って、褒めるような調子で声を放つ。
食器の持ち方や扱い方は、いつかチラッと見た作法の本そっくり。そして立てる音は最小限。かと言って上品すぎず、無駄な動きも一切ない洗練された動き。
自分には到底無理な芸当だ、とヴァイスは心の隅で思った。緩慢な動きで手を元の位置に戻して、それから寒気を超えて芽吹いた花みたく笑う。冷たい表面の中にじわりと滲む、暖かな感情。
スティルは、そんなヴァイスの顔を見て驚いたように眉を上げた。
「まぁ、意識してはいますから。……それから、お兄様に押し付けられた分も私は食べましたからね。そのせいもありますよ」
笑いを含み、揶揄うようにそう言た。ヴァイスは思わず表情を崩して、うっと声をあげる。
料理の中に混ざっていた、ヴァイスの嫌いな食材。それを何食わぬ顔でスティルの皿に混ぜていったのだ。
それをなんとも思っていないようにスティルが食すから、味を占めて苦手なものはどんどんと押し付けていった。
その結果が完食時間の差として出ているのだと、スティルはそう伝えようとしているのだろう。
ヴァイスは気まずく思って、ゆらゆらと視線を泳がす。
「……さーて、食器片付けてこようかなぁ」
「ちょっとお兄様、逃げないでくださいよ」
はぐらかすみたいに言えば、スティルは呆れたように吐き出した。
しばらくの沈黙の後、二人は顔を見合わせて。それからぷっと同時に吹き出した。
二人が片付けを終える頃には七時をとっくにすぎていて、さてどうしようかと思案する。
「スティル、この後予定ある? なかったら、ちょっと体術の練習付き合ってよ」
「遠慮しておきます。やることがあるので」
食い気味に拒否されて、ヴァイスはがっくりと項垂れた。えー、とぐずるような声をあげる。スティル、と再び声をかけるも、左右に一度ずつ首を振られるだけだった。
そんなスティルに、ヴァイスはぷく、と頬を膨らませる。
ヴァイスがここまで食い下がるのは、練習の誘いを断られたのがこれで初めてではないからだった。
昔から、魔法やら何やらの練習の誘いをかけても、スティルは用があるだのなんだのと理由をつけて避けるばかり。
最後に一緒に練習できたのはいつだったか。いや、もしかしたら一度だけのことだったから、最後も何もないのではないのか。
ヴァイスはそんなことを思いながら、もどかしさを示すように体を左右に揺らした。
「お前はいつになったら僕の誘いを受けてくれるんだよ」
「さぁ、いつでしょうね」
にっこりと、真意の図れぬ笑みを浮かべる。それを見てヴァイスは顔を引き攣らせた。
「うわ、その顔めちゃくちゃノワールみたい。怖いよ」
「あの人と一緒にしないでくださーい」
ノワール本人がこの場にいないのを良いことに、失礼極まりないやり取りを交わす。きっと今頃、何も知らないノワールはくしゃみを一つしたことであろう。
並んで踏み締める、柔い綿の絨毯。一つ一つの話題を消化するうちに、いつの間にかスティルの部屋に着いていた。
「お見送りされる形になってしまいましたね」
アンティークな扉のドアノブに手をかけて、スティルはヴァイスの方を見た。困惑なのか嬉しさなのか、よく分からない表情を浮かべたスティルの肩を、ヴァイスはポンと優しく叩く。
「まぁまぁ、たまには良いでしょ。……それじゃスティル、またね。あまり夜更かししちゃダメだよ」
綿菓子みたくふわふわと甘い声質で言葉を紡ぐ。肩に触れた方の手を自分に寄せて、控えめに左右に振った。
「それはお兄様の方でしょう? 生活習慣、整えてくださいね。……それでは、また明日」
ラムネ色のシーグラスを透かしたような声色で、スティルも返す。耳に痛いその言葉には曖昧にはーい、とだけ返事をして、扉の奥へと消えていくスティルの姿を最後まで焼き付けた。
パチリと瞬きをして、それからくるりと振り返る。揺れる白雪が片目の視界を狭めた。
今日も何気ない一日が過ぎると思っていた。その考えは驚くほど唐突に打ち砕かれてしまったが。
この先、大層な目標を掲げて生きていくのだろうか? それとも、交わした約束は波にさらわれる砂のように溶けていき、変わらず平穏な生活を続けるのだろうか。
あれだけ言っておいて幼いヴァイスは、先のことなんて到底読めるわけもなかった。
それでもと間違いだけは起こさないように、自分が信じたい道を進むように、確かな足取りで一歩ずつ床を歩いていく。
ふと廊下の灯りを見上げる。鬼灯みたいなそれは、自室へと帰るヴァイスを案ずるように、深く淡く輝いていた。




