伝統から伝説へ編
高校一年になった小松有希に告白された優也は、「好きな人がいる」と返事をしたのだが、有希は優也のその想い人が「紺野千聡」であることを言い当ててしまった。
「どうして分かったんだ」
「分かりますよ。紺野先輩もポニーテールだし・・・」
「・・・」
「付き合ってるんですか」
「イヤ・・・」
「やっぱり」
「え、やっぱり。それってどういう・・・」
「紺野先輩は、フミちゃんのお兄さんのことが好きなんでしょ」
ボクは驚きを隠せなかった。
ボクから千聡先輩へ、そして千聡先輩から綾小路先輩への文化委員長の想いに気付いているということだった。なぜこんなことが分かるのか。ボクには何がなんだかさっぱり分からなかった。
「実は、優也くんがフミちゃんを当選させた後、片山先生から過去歴代の選挙得票結果を見せてもらったんです。歴代二位は紺野千聡で三位が綾小路智也。つまりフミちゃんのお兄さんだったんです。フミちゃんのお兄さんなんか、立候補者が三人もいたんだから、これも驚異的な数字だって先生が言ってました。優也くんも含めると三年連続で三人とも文化委員長です。でも本当に驚いたのは三人だけじゃなかったんです。過去歴代の得票上位の人達は、ほとんどが文化委員長だったんです。こうして見ると、文化委員長には文化委員長だけにしか分からない特別な何かがあるように思います。フミちゃんを見ていたからなんとなくわかります。多分そういうことなんだろうなって」
なんということだ。
確かに、あの弁論大会を経験した文化委員長であれば、生徒会選挙で候補者を圧勝させることは多いだろう。過去歴代の投票結果上位に文化委員長が多くなるのは当然のことだった。しかし、有希ちゃんはそこから文香君を見ただけで、ボクや千聡先輩の想いにまでたどり着いてしまった。
有希ちゃんは、文化委員長の本当の伝統が何かを知らないが、全く別のアプローチで、文化委員長の想いが引き継がれていることを突き止めていたのだった。
「でも優也くんのそんな気持ちなんて全然分かりません。分かりたくもありません。私は文化委員長じゃないんです。でも私が分かることも当然あります。それは優也くんがとてつもなく凄い人だということです。私にとって優也くんはものすごく頼りになる唯一無二の存在なんです。どうしても好きなんです。どこからどう見ても好きなんです。私のこの気持ちは、その文化委員長の何かなんかより絶対に勝っていますから」
そうだった。有希ちゃんは、文化委員長ではない。ボクの気持ちなんか分かりっこないのだった。でも、この方が良いのかもしれない。もし分かってしまったら、あの姿を見てしまい、それが文化委員長の本当の伝統だと知っていたとしたら、自分の方が好きだなんてとても言えるわけはないのだ。でも、あんな悲しい文化委員長の伝統なんて知らないほうが良いに決まっている。有希ちゃんはポニーテールもいつの間にか止めてしまっていた。
文化委員長ではない有希ちゃんはポニーテールが止められる。
でも、本当にあの伝統を無くしても良いのだろうか。
伝統を引き継いだあの日から、ボクは明らかに変わった。それまでのボクは、比較的真面目で口数が少なく、目立たないタイプだったけれど、千聡先輩のあの弁論大会の姿を見てしまったボクは、あれ以来、人前で話すことが全く苦にならなくなっていた。苦にならないどころか自分の想いを言葉にして相手に伝えることが楽しく感じるようにすらなっていた。更に、ボクは人を褒めることが習慣になってしまった。褒められて嬉しくない人なんているはずがない。気が付けば自然にボクの周りには人が集まるようになっていた。
文化委員長の伝統を引き継いだボクは自分が大きく成長できたことを実感していた。それこそ今まで嫌でも比べられ続けて、そして負け続けていたあの生徒会長の小松直樹に並んだと思えるほどだ。
それもこれも全ては千聡先輩のおかげだった。今のボクがこうしていられるのは千聡先輩から文化委員長の伝統を引き継いだ結果なのだ。
そんなボクから文化委員長の伝統を取ってしまうと、一体何が残るというのか。
「生徒会長の小松直樹に何をやっても勝てない男」というレッテルだけが残ってしまうのではないだろうか。
有希ちゃんにこれだけ言われても、優也は自分に自信が持てずにいた。
しかも、この子はあの直樹の妹だった。あんなに何でもできる兄が直ぐそばにいるのに何故ボクの方が良いのか全く理解できなかった。
「あんなにハイスペックの直樹に比べるとボクなんか全然大したこと無いじゃないか」
「なに言ってるんですか。そんなの比較にもなりません。断然優也くんの方が頼りになります。お兄ちゃんなんて、優也くんに比べたら番犬程度です」
今までずっと比べられ、負け続けていた直樹に対して自分の方が上だと断言してくれる子がいるのだった。しかも、小さい時からずっとだという。昔は確かにこの妹の子守り役をしていたが、やはり、直樹の方が子守りもしっかり出来ていた。しかし子守りをしてもらっている側からみると、直樹のことは、「番犬」程度にしか見えないということらしい。
こんなに愉快な思いをしたのは久し振りだった。
ラテを一杯口にすると、今まで味わったことのない甘さがボクを包み込んできた。
ボクは、この子の発言に自分のコンプレックスが消えかかっていることに気付いた。この子とつきあったら、こんなボクのコンプレックスなんかきれいさっぱり消してくれそうな気がする。ボクにはこの子の存在が必要なのかもしれない。でも・・・
ボクが返事をできずにいると、有希ちゃんから止めの一撃がきた。
「私を選んでくれるなら、キスしてあげます」
そう言った有希ちゃんが席を立ち、ボクが座っているベンチシートの右横に座ってきた。
有希ちゃんは、ボクが有希ちゃんに傾きかけている感情を見事に読み取ったのだった。まさに完璧のタイミングと距離の詰め方だった。ボクと有希ちゃんの距離がいきなり二センチになった。ちょっと動けば当たってしまう距離だ。
ボクは、この有希ちゃんの発言と行動にドキリとしてしまった。今まではあしらってばかりだったこの子に対して急に女性として意識するようになってしまった。
無意識に有希ちゃんの整った唇に目がいってしまう。
たしか、前にも同じことを言われたことがありその時はなにも感じなかったが、今は全然違っていた。こんなに綺麗になった有希ちゃんが言ったそのセリフにボクは完全に主導権を握られてしまったような感覚に陥った。
同じセリフでも、タイミングによって感じ方がこうも変わってしまうものなのか。ボクの心臓が自分の意志とは関係なく暴れまくっている。
ボクの顔を良く見る為か、隣にいる有希ちゃんが左手で髪をかき上げる仕草をした。それに伴って、フワっとラテとは違う甘い香りが更にボクを誘惑してきた。この距離でこの子が見せる行動はもう完全に女性のそれだった。
元々この子は、本当に可愛い子だった。
こんなかわいい子にここまで言わせてしまって良いのだろうか。イヤ、駄目だろう。
でも、こんなキスで釣られたような告白で付き合ってもいいものなのか。イヤ、そんなの言い訳がある筈ないのだった。
「なんかあれだな。ここでOKするとキスに釣られたみたいに思われそうだ」
火照る顔を隠しながら返事をしてしまった。この子を前にして初めて照れてしまった。
有希ちゃんはそんなボクの態度と顔色を敏感に察知した。有希ちゃんの顔が更に近づいてきた。
「だったら、古今東西ゲームに付き合ってください。やってくれるって言いましたよね。お題は「お互いの長所」です。これで勝負しませんか」
「そういえば、やるって言っていたね・・・」
「これだったら絶対に負けませんから、負けようがありませんから。あの生徒会選挙で二回も伝説を作った優也くんに私は絶対に勝ってみせます。次のクレープ代を賭けてもいいです」
有希ちゃんから見れば、ボクが中学でやってきたことは悲しい文化委員長の「伝統」などではなく、「伝説」ということらしい。
「伝説って大げさだな」
「何を言ってるんですか、あれを伝説と呼ばずしてなんて言うんですか。優也くんは本当に902票の意味を知ってるんですか。相手の票が一クラス届かなかったんですよ。それに本当に凄いのは二年目です。あの五十嵐君と先生たち全員を敵に回しても、それでも勝っちゃうんですよ。この二つは伝説以外の何物でもありません」
「そ、そうなんだ」
あり得ないくらいの勢いだった。
ここまでボクを褒めることが出来るなんて。褒め殺しにも限度がある。この子と古今東西ゲームなんかやった日にはとんでもないことになるに違いなかった。
「二回も伝説を作っちゃう優也くんに、私が惚れないわけないじゃないですか」
ゲームをしているわけでもないのに、有希ちゃんが止まらない。
有希ちゃんが意識してそうしているのかどうか全く分からないが、ふと気づくと有希ちゃんの唇がボクの耳のすぐそこまで来て囁いてくる。
「そ、そうだね」
もうまともな返事ができないボクは、クラクラしながらも背筋を伸ばしてしまう。
「なぜ逃げるんですか」
「・・・」
だめだ。ボクはもうこれ以上有希ちゃんから逃げられそうにない・・・。
【完】
最後のイラストは
有希が優也に近寄り、キスを迫っているところです。
spellaiのアプリを使用。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。