悲しい伝統編
文香と有希のバレンタイン計画が未遂に終わってから約二カ月が経過した。
桜が咲ききり入学シーズンが落ち着いてきた。と言っても今年で二年になる菊池優也にとっては、ほとんどその影響はなく、既に平凡な日常が繰り返されようとしていた。
そんな中。「優也先輩」と懐かしい呼び方をする後輩の声が聞こえる。
振り返ると、そこにポニーテールの文香君がいた。
ボクと同じ制服を着ている。本当にこの高校にボクを追いかけてきたということだった。
文香君は、よりポニーテールが良く似合う女の子に変身していた。頭の上で束ねているにも関わらず、その髪の長さは肩口を越えている。更に、髪質もかなり手入れをしているようで艶があるように見える。
初めに会った時とは大違いだった。あのボサッとした印象の面影は今では微塵も感じられない。それどころか、今ではスラっとした立ち姿にさすが生徒会を経験してきた女性だと思わせるほどの気品があった。
この感じは、千聡先輩を思わせる雰囲気すらあった。
元々この子は可愛い顔をしている子なのだった。ボクは初めから分かっていた。
「ちょっと髪の毛伸びたんじゃない?大人っぽくなって印象が変わったかな。でもとてもよく似合っていて可愛いよ」
文香君は、以前と同じように顔を真っ赤にするのだった。
ボクは、いつものファミレスでゆっくり話を聞くことにした。
「本当に追いかけてきてくれたんだね。嬉しいよ」
「約束しましたから、当然です」
本当に約束したかどうかは、はっきり覚えていなかったが、このボクを追いかけてこの堀川高校に合格してしまうとは、本当に大した子なのだった。自分のことが棚に上がっているが、本当に半端な想いだけでここに来れる訳はないのだった。
「後任は、どんな子が文化委員長になったんだい」
「結構ハンサムな男の子ですよ。賢くて背も高くてモテそうな感じの子です。と言っても優也先輩には全く敵いませんが」
「ハハ、文香君も言うようになったね」
「本当です」
「・・・」
文香君のあまりの真剣さに思わず言葉を失ってしまうのだった。
「なんか、先生からの紹介みたいな感じでした。初めから先生や生徒に人気があり、私の応援演説なんて全く必要なさそうな男の子でした」
「そうか。職員室組か。面白くないな」
「え、どういう意味ですか」
「あ、そうか、文香君は知らないんだったな。それはあれだよ。教員の先生が選挙前に生徒会の本命のメンバーを職員室に集めて決起会みたいなことをするんだよ。中学の生徒会なんてそんなもんさ。先生の息のかかっていない生徒が生徒会長になって好き勝手されたら先生方はたまったもんじゃないからね。
だから、まず生徒会長を先生が決めて、その生徒会長がやりやすいメンバーを各委員長に一名ずつ割り当てて職員室に呼ぶんだ。ボクは職員室組なんだ。というか生徒会のメンバーはほとんど全員が職員室組なんだよ」
「全く知りませんでした」
「知らなくていいよ。文化委員長組には通用しないから」
「そうですね。そうでした」
「はは、懐かしいな」
話していくうちに、千聡先輩のことを思い出して、ちょっと悲しくなってしまう優也だった。
場が、少ししんみりし始めた。そうすると、文香君がぽつぽつと今まで溜まっていた想いを伝えてきのだった。
「本当に感謝してるんです。選挙でこんななんのとりえのない自分を当選させてもらえるだけでも凄いのに、あの弁論大会。私は本当に感動しました。あの大会の優也先輩の姿が忘れられません。私にとってあの大会の本当の優勝者は優也先輩に間違いありません。あの瞬間から優也先輩は私の全てになりました」
全く同じだった。文香君は、自分が千聡先輩から受けた想いと全く同じ感情を抱いていたのだった。ここまで同じだとは思っていなかった。自分はただ、文化委員長の責務を全うしただけなのだ。
しかし、よく考えたら彼女のこの想いは当然の結果と思えた。自分がこの伝統の一番の理解者だからだ。
解っていた。本当は初めからこうなることは解っていたのだ。
でもボクは、それをやらないわけにはいかなかった。これは文化委員長の責務だからだ。この素晴らしい文化委員長の伝統だけは、ボクの代で終わらせるわけにはいかなかった。
しかし、この子の解りすぎる想いを受けることはどうしてもできなかった。ボクは千聡先輩のことが好きなのだ。どうしても千聡先輩のあの姿が頭から離れられない。
「ごめんね。ボクには好きな人がいるんだ」
「有希ちゃんですか。有希ちゃんは優也先輩の本当の凄さを知りません。あの弁論大会の優也先輩を知っているのは私だけです。有希ちゃんなんかより、私の方がはるかに優也先輩を理解しています。優也先輩は本当に凄いんです」
珍しく文香君の声が大きくなっていた。
その言葉の強さに、今まで相当この想いがため込まれていたかが容易に想像がつくのだった。
でも・・・そうではないのだ。
「違うんだ」
「何も違わないです。優也先輩は本当に凄いんです。そんな優也先輩を知っているのは私だけなんです。私しかいないんです。それにさっきだって私のこと可愛いって言ってくれたじゃないですか。そんなのおかしいです。私だって好きなんです」
「だから違うんだって」
「どう違うんです?」
「・・・ボクは千聡先輩が好きなんだ。元文化委員長の」
「ちさと・・・せんぱい・・・もとぶんかいいんちょうの・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
二人の間に長い沈黙が続いたが、やがて文香君が吹っ切れた声でこたえてきた。
「優也先輩の気持ちが痛いほど分かります。やっぱりそうだったんですね。私じゃなかったんですね。あの行動の源は千聡先輩という訳なんですね。
・・・私も同じです。私の時も後輩の男の子に対して優也先輩からしてもらったことと全く同じことをしちゃいました。これは、文化委員長の責務だから、悲しいけれど・・・、とっても悲しいけれど優也先輩から受け継いだ伝統を引き継がないわけにはいかなかったから」
文香君が精いっぱいの強がりを言って見せてきた。
「実は今、その後輩から告白されて困っています」
「それなら、その後輩と付き合ったら?」
「優也先輩、それ本気で言ってますよね・・・。そんな残酷なこと言わないでください・・・」
文香君の頬からきらりと光る涙を見るのがとても痛々しかった。
一方通行の片想いの連鎖が起こってしまっている。
強烈に元文化委員長のことを想っているにも関わらず、後輩に好かれると分かっていても、この悲しい伝統の為に文化委員長の責務を全うしてしまうことを選択する。
文香君、ボク、千聡先輩・・・そしておそらく、文香君のお兄さんも同類だ。いや、もしかしたらもっと前から同じことが繰り返されているのかもしれない。
それにしても・・・。
文化委員長なんか全然大したことない。
演説はあんなに上手いくせに、揃いも揃って恋愛が下手すぎる。
この一方通行が交わることがあるのだろうか。そうは思いながらボクはいたたまれない思いで、今回もまたフリードリンクで大して香りも効かない苦いコーヒーを口にするのだった。
イラストは、高校1年になった文香が校門で待ち伏せして優也先輩を呼び止めたところです。
spellaiのアプリを使用。