究極のチョコ対決編
優也が千聡先輩にラブレターを渡してから約十カ月が経過し、今年もバレンタインの季節がやってきた。
「フミちゃん。今年も良いかな」
兄の直樹のマークが厳しすぎて自分の家でチョコが作れない有希は、例によってフミちゃんの家で一緒にバレンタインの準備をしたいとお願いすることにした。
「モチロン良いよ」
「今年は、途中で生地を分けてお互いの隠し味を入れることにしようよ」
「いいね」
「どっちがおいしく作れるか勝負だね」
昨年同様、学校の帰りに一緒に材料を買い込むことにしたが今回は勝手が少し違う。ベースはチョコクッキーと決めていたが、それぞれ隠し味を使って中身の差別化を図ることにしたのだ。
昨年は返事を貰えなかったけれども、今年こそは必ず返事をもらうと心に誓う有希なのだった。
今年は、チョコを渡すのは二人一緒でも、次の日に一人で優也くんに会いに行き、返事を貰うと決めていた。
その為にも、フミちゃんよりも絶対においしいものを作る必要があるのだった。
「優也くんは、確か桃とパイナップルが好きなんだよね。あ、そういえばラムネやマシュマロも好きだったと思う。もう、全部入れちゃおうか。でもそれだと甘すぎるかな。ねぇフミちゃん、どう思う?」
有希ちゃんが隠し味のネタを隠さず話し始める。文香はそんな有希ちゃんがとっても眩しく見えてしまう。
文香は、有希ちゃんに隠し味のネタなんか話すつもりは毛頭ないのだった。でもしかし、私は優也先輩が、好きな食べ物が何なのか全く分からなかった。
実は、唯一の情報源である有希ちゃんから優也先輩の話を良く聞くのだが、最後には「だったら良いね」という終わり方になり、話の後半はほとんど有希ちゃんの妄想に付き合わされることになるのだ。そのため、有希ちゃんの話のどこまでが本当で、どこから妄想なのか判断できない。一度、話の途中で本当かどうか確認した時に、話をしてまだ一分も経っていないのに「だったら良いな」と言われてしまったのだった。
食べ物だけではない。普段、優也先輩はどのような格好をしているのか。どんな会話を良くするのか。文香は全然分からないのだった。文香は本当に優也先輩のことを何も知らないに等しかった。
それに対して、有希ちゃんの優也先輩の情報量は半端なかった。その半分以上が妄想だとしてもだ。更に有希ちゃんは優也先輩との子供時代の話も良くするのだった。そんな小さい時のことまでよく覚えているものだと感心する一方で、そんな思い出がある有希ちゃんがとても羨ましく思うのだった。
文香は、今更ながらに自分が恥ずかしくなるのだった。こんなので、本当に私は優也先輩のことが好きだと言えるのだろうか。
文香は、チョコクッキーの隠し味に有希ちゃんにばれないようにこっそりラムネを入れることにした。
文香が、二人で作ったクッキーのベースにバニラエッセンスを二、三滴たらした。
「こうすると、バニラの良い香りがするんだよ」
「知らなかった」
有希は、フミちゃんの優しさに感動してしまった。ベース生地を作った後は、それぞれ隠し味を入れるはずだったが、その前に、私の知らない隠し味を私の分まで垂らしてくれたのだった。
なんだかんだ言っても、フミちゃんはやっぱり優しい子だった。
私は、そんなフミちゃんが大好きだった。
でも、今回だけは絶対に負けられない有希は、そんなフミちゃんの目を盗んで、ベースの生地を取り分けたあとの自分の生地に、バニラエッセンスを余分に十滴以上振りかけるのだった。
「あれ、有希ちゃん。今年も来たんだ」
「おじゃましてます」
丁度二人のクッキーが焼きあがった頃、フミちゃんのお兄さんが顔を出してきた。
「お兄さん。丁度良かったです。私のクッキーの味見をしてもらえませんか」
「えっ、せっかく準備したのに。俺なんかが食べても良いのかい」
「そうだよ、高校三年にもなって未だに彼女の一人もできない兄さんの意見なんて全然意味ないから」
「なんだと、俺だって可愛い後輩から本命チョコを貰ったことがあるんだからな」
「一体いつの話よ」
「中学の時だったから三年前だよ」
「そんな昔。本当に可愛い子なの?」
「当たり前だろ、ポニーテールが良く似合うメッチャ可愛い子だよ」
「三年前の中学の後輩?ポニーテール?」
有希が、無意識のうちに綾小路兄妹の会話に突っ込んで話の内容を再確認する。
「本当だよ」
「だったらなんで、その子と付き合わないのよ」
「・・・いろいろあるんだよ」
その話は本当だった。文香の兄である綾小路智也は、三年前に紺野千聡から本命チョコを受け取ったことがあったのだった。しかし、前任の文化委員長のことが忘れられない綾小路智也は、紺野千聡を彼女にすることがどうしても出来なかった。
有希は何故か、この時の会話が記憶として残り、特にそのお兄さんの「いろいろあるんだよ」という言葉が忘れられないのだった。
「もったいないですね。お兄さん、優しくてモテそうなのに」
「ほらみろ、分かる子には分かるんだ」
「はいはい、だったら私のも食べてみてよ」
「是非、忌憚のない意見をお願いします」
こうして、文香のお兄さんによる二人のチョコの試食会が開かれることになった。
お兄さんが、先ずフミちゃんのクッキーを手にした。
「これは、なかなか・・・」
次に有希のクッキーを食べ比べる。お兄さんが微妙な顔をした。
「・・・」
「対称的な出来になったね。生地も同じで見た目もそれほど変わらないのに、こうも変わるものなんだね」
「どっちが美味しいんですか?」
「どちらも、本当に凄くいい出来栄えだよ、どちらも究極のチョコに仕上がったって感じだね。でもま、二人のチョコは、言うなれば味を追求した文香と、愛を詰め込んだ有希ちゃんって感じになってるなって思ったよ。文香のチョコはラムネの酸味が絶妙なバランスになって効いている。本当に美味しいし誰が食べてもおいしく仕上がっていると思うよ。これだったらどんな男の子もイチコロだね。
それに対して、有希ちゃんのチョコはあれだよね。相手の男の子の好きなものをいっぱい知っているんだね。その好きなものの詰め合わせって感じに仕上がっているね。味はちょっとゴチャっとした感じになってるけど、これには好きな人への想いがすっごく詰まっている感じがするな。これを貰った男の子はやっぱりイチコロになるね。断言できるよ」
二人の顔から色が失われていく。
「二人とも、そんな顔しないって。本当にどっちも絶対に成功する究極のチョコだよ。何故そんな顔するの?まさか今回の俺の時みたいに、二人のチョコを並べて食べ比べるわけはないんだから、大丈夫だよ。二人とも絶対に上手くいくって」
そのまさかだった。
お兄さんは、私たちが別々の相手にチョコを渡すと思っている。でもそれは普通の考えだった。
まさか二年連続で二人同時に同じ人にチョコを渡すとは思っていないということだった。フミちゃんのお兄さんは至極当然の予想をしただけだった。
でも違うのだった。私たちは二年連続で二人同時に同じ相手にチョコを渡すのだ。そして、並べて食べ比べられることになるのだ。今回のお兄さんの様に。
文香は、その兄のコメントに打ちひしがれてしまっていた。
有希ちゃんの愛の詰まったチョコに比べると、私のチョコはただの味が良いだけの誰でも満足するようなものでしかないのだった。でも優也先輩のことを何も知らない私はこうすることしか出来なかった。こんなもの有希ちゃんの愛の詰まったチョコと比べられてしまったらと思うと、こんな恥ずかしいものは絶対に渡せない。
一方の有希も頭の中が真っ白になっていた。
今年こそ、ちゃんと返事を貰おうと思っていたのだけれど、フミちゃんのお兄さんに完全にダメだしをされてしまった。こんな不味い物、フミちゃんの味を追求したチョコと比べられるわけにいかなかった。つい先ほどまで優也くんの好きなものを詰め込めば絶対美味しくなると勝手に決め込んでいたのだった。
そんな子供みたいな考えで上手くいくはずがない。食べ比べれられれば一発でばれるのだ。そんな惨めな思いはしたくない。このチョコは絶対に渡すわけにはいかなかった。
紺野千聡の「想い人」である文香のお兄さんも、文化委員長の伝統に心を奪われてしまった一人だった。それ故に未だに彼女の一人もできないのだ。そんな、元文化委員長の忌憚のなさすぎる意見によって、文香と有希の今年のバレンタイン計画は未遂に終わってしまうのだった。
そして二人はそれぞれの想いを胸に高校一年になった。