04 武運を
帝国の北東──ボディア公国との境界に広がる平原で戦が行われる。
敵が来たら倒せ。勝利を掴み取り、生き残るんだ。
知ることができた情報はそう多くない。
今、俺は有象無象の中の一人──下っ端兵士でしかないのだ。
荷車が忙しなく行き交う陣営内で、十数人が仮眠を取っているテントから出た俺は、外れにある木の下で腰を下ろした。
隊列を組み、長距離を移動してきたばかりだ。疲労が溜まっている。
「ついに明日か……」
思い出されるのはクリスタの苦悩。
人を斬ることは、精神的な面において魔物を倒すこととは大きく異なるだろう。
しかし──
『迷うな! 死にたくないだろッ!?』
訓練中、何度も聞いたオラーゼ隊長の叫び声が思い出される。
そうだ。迷っていたら殺される。
苦悩を抱えられるのも生き残った者だけなんだ。
「すぅーはぁー」
一人覚悟を決め深呼吸をしていると、隣にやって来た男に背中を叩かれた。
「──レイ、緊張してんのかよ?」
「エディ……って、お前こそ真っ青じゃないかっ」
「う、うっせーな! あぁ〜あ、せっかく意識しないようにしてたのによ! 思い出しちまったぁ……」
俺よりも身長が高く、恵まれた体格に刈り上げられた茶髪。
快活さを感じさせるこの男は、同じ隊に配属された同期だ。
「つーか仕方ねえだろ……死ぬかもしれねえんだしさ」
「まあ、たしかにな」
隣に座ったエディはそう言って、不安げな表情を見せる。
帝都に来て一ヶ月。
俺は軍に入隊し訓練を受けた。
基礎体力をつけるための運動や、基本的な武器の使い方。
槍や弓の練習もしたが、やはり一番得意で、実際に配属された隊も主に両手剣を使う場所だ。
それだけ職業を持つ者と持たない者では、その武器に関する巧拙に雲泥の差がうまれる。
隊への配属前、訓練期間中もオラーゼ隊長には目をかけてもらい、『発展』についていくつかのことを教えてもらった。
彼女は軍の中でも一目置かれている凄腕の剣士らしい。
今は俺やエディが所属している中隊のトップでもある。
「けどよ、兵士になってまだ一ヶ月だぜ? まさかこんなにすぐ戦場に出ることになるとはな……」
星を見上げるエディの表情はいまだ固い。
「エディは、自分が育った孤児院に仕送りするために入隊したんだろ? それなら今回は絶好のチャンスなんじゃないのか? こんなにも早く昇進できるかもしれないんだしさ」
「……まっ、そういやそうだけどな。オレもあんなにキツい訓練を乗り越えたんだからこんなところでへばってらんねえよ。大怪我して除隊でもしてみろ。一ヶ月間辛い思いをしただけだぜ? そんなのオレはまっぴら御免だ」
「めちゃくちゃキツかったもんな……あれ」
俺たちは訓練を思い出し、顔を見合わせてニヤリと笑う。
時として個の戦闘力が求められる兵士ではあるが、戦争となると統率力がものを言う。
そのため協調性を高める目的で、俺たちは様々な訓練を受けてきた。
まあ──
「おかげでかなり成長できたけど……特に『野営訓練』は地獄だったな。エディは上官に殺されかけてたし」
「ははっ、あれはお前が悪いんだろっ! 勝手になんでもやっちまうからオレがサボってるって言われてよ。まだ許してねーからな!?」
「もう何回も謝ったんだからいい加減いいだろ……。俺だって反省はしてるんだしさ、一応。あの頃はまだ集団意識ってのが足りなかったんだよ」
「おっ、非を認めるっつーならオレも許してやってもいいぜ? 一応な」
得意げな顔をするエディは、少しずつ顔色が良くなってきている。
どうやら持ち前の元気を取り戻し始めたみたいだ。
俺が鼻で笑うと、エディは再び夜空を見上げた。
「数合わせってつっても、死ぬかもしれねぇわけだろ? だから変にビビってたけどよ……目、覚めたわ。ありがとな」
「お、おう」
突然柄にもなく感謝の言葉を受けたので、変に照れ臭い。
出会って期間こそ長くはないが、共に厳しい訓練を乗り越え、【両手剣使い】ということで同じ部隊に配属された新天地で唯一の気が置けない人物だ。
できればこの戦争を生き抜いてほしい。
だから少しでも気が晴れたと言うのなら……良かった。
「でな? 明日はオレもお前も自分のことで精一杯だろうが、千か二千だ。どっちかがそれだけ倒れたら戦争が終わるって上官が話してた。だから頑張ろーぜ」
「おう、だな。全力で戦って──」
両国ともに軍勢はおよそ一万。
エディによると、そのうち最高二千人が倒れたら勝敗が決まるそうだ。
俺たちは大量にいる兵士の中の一人。
最も階級が低く、数を増やすために急遽戦場に向かうことになった新人兵。
この戦争の全体像を掴めるほど情報は持っていない。
だから──ただ戦う。
金があれば自分用の武器を買うことは許されているが、武器というものはなんであれ、命を預ける物だ。
安価なものはいただけない。
現在持っているのは使い回しのボロい剣と、頼りない鉄製の帽と胸当てのみ。
自分で買えるものよりはマシだとはいえ、正直不安になる。
戦争においては消費される駒に過ぎない軽い命。
それでも自分にとっては替えがきかないたった一つのものだ。
絶対に生き延びよう。
口にはしないが強く願う。
「「武運を」」
俺たちは拳を上げ、コツンッと軽くぶつけ合った。
一ヶ月。
異国の地で兵士になり初めて剣を学んだ。
エディと別れ一人になった俺は、自分の中にある不安に勝る感情に気がついた。
『実戦は魔物で……と考えていたが戦争だ』
帝都に来て十日後。
『発展』に関する異変に俺が驚いていると、完璧なタイミングで現れたオラーゼ隊長は言った。
『初めさえ気を付ければ一気に強くなれる。数を稼げるいい機会だ、レイ。全力で強くなってこい!』
そう……『発展』はあの魔物を倒してからちょうど十日で《準備》を完了した。
スキルというあの能力が覚醒し、その能力が明らかになり始めたのだ。
帝国領土内には多数の民族がいるため、国内情勢が安定しない中での進軍となった今回の戦争。
俺は、強くなる。
明日は初陣。
銀塊はまだ、手放していない。