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ユキノシタの道標  作者: 西浦
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四話 別離 1



四話 別離 




「…テン?」


 (テツ)(リン)、そしてもう一人の女性の、三人分の声が見事に重なった。子供の名前を復唱した我が子たちに、玄と仁が頷く。

 見れば同席している景も少々面食らったように目を見開いているが、そんな彼らを一度見渡して、仁が懐からなにやら取り出した。


「そう、テン。字はこれね」


言いながら仁は「点」と記した紙をぴらりと広げて見せて、轍と凛が互いに顔を見合わせる。


「…今後、特に僕は関われなくなるはずだから、お前たちにはこの子の世話を頼む。そのためにも早めに名前に馴染んでもらいたいんだ。この子もテンで良いと言ってくれたし、本当の名前を思い出すまでは、これでよろしく」

「関われなくなるって、なんで? …いや、それはともかく、仮って言っても他になにかいいのがあるだろ!」


 毒気の抜けるような笑顔を見せる母に、轍がため息をつきながら顔を手で覆った。


「お前、遠慮しないで文句言っていいんだぞ? もっとカッコイイ名前とか、せめて普通の名前を寄越せって」

「そうだよ。自分で考えたっていいし」


 凛も同意して頷き、顎に指を当てて首を傾げると「レンって響き、良いと思って…あ、それは土蜘蛛の御大(おんたい)殿と同じになっちゃうか。コウとか、トキって名前も良いなー」などと勝手に候補を出し始める。

けれど「テン」という名を与えられた彼は控えめに笑って、「…ううん。僕、この名前がいい」と(かぶり)を横に振った。


 昨日とは打って変わって笑顔を見せた彼に、轍と凛がまたしても顔を見合わせるが… その二人をよそに、同席するもうひとりの女性がテンの前に進み出て、柔らかな笑顔を見せた。


「初めまして。私は轍と凛の妹で、(ルイ)。よろしくね」

「よろしくお願いします…」


 漆黒の長い髪を後ろで束ね、ふわりと笑う累はどこか仁を思わせる。しかしテンは少々寝不足気味で、どこかふわふわと覚束ない様子で返事を返した。

 無理はないと、仁が心配そうにテンの様子を窺う。

昨日から休ませてはいるものの、あの惨劇を目の当たりにした影響は強く、眠りはどうしても浅くなる。時には魘され飛び起きて、その度に仁と玄が落ち着かせはしたが…


 本当ならば然るべき環境でしっかりと休ませなければならない。しかし今は他を優先せざるを得ない大仕事があると、仁が表情を改める。


「…さて、ゆっくりみんなを紹介したいところだけど、今はこの地を引き払うのが先だ。景、何か問題などは?」

「はい、問題はありません。夜明け前ですが、皆すでに準備を終えて待機に入っています」


 景の報告に仁は頷いて返し、ちらりと玄を見た。

この先は自分が出張る場面ではないと一歩を引いた仁に、玄が真直ぐ景を見据えて口を開く。


「…よし。号令は景、お前が機を見て下せ。…昨日から勝手続きですまないが、テンと俺たちは、最後にここを出ようと思う」

「…お二人とテンが最後に? それは…いえ、分かりました。では自分は今より拝殿で指揮に当たります」


 思わず聞き返す景だが、しかしすぐに了解を示して拝殿へと向かった。けれど凛と累、そして轍は不安そうに二人の前から動かず…


「こら、お前たちも早く行け。御大の指示通り、皆と共に行動を」

「…どうして父さんたちが最後に行くのか、聞いていいか」


 行動を促す玄に、轍が戸惑ったように疑問を投げかけた。

 景が先頭を率いて、最後にここを出るのは轍たち、探索能力の高い烏天狗たちのはずなのだ。それなのに先代の長を務めた二人がなぜ残ると言い出したのかと、不吉なものを感じた轍が、不安を隠せずに玄と仁に詰め寄る。

しかし仁はくるりと身を反転させると、テンと共に荷物を整理し始めてしまった。

その仁に構わせないためか、玄が少しだけ身体をずらして二人を隠し、幾分穏やかな表情で口を開いた。


「不安に思うようなことはなにもない。あの子のためにも、俺たちもちゃんと新天地へ向かう」


言いながら手招きをした玄に、轍が身を乗り出す。


「…あの子は故郷を去るんだ。少し、時間を許してやってくれ」


 潜めた声でそう言われ、轍はしまったという顔をした。

 これから向かう新天地は、ここからずっと西の、更に海を越えた先の諸島の一つだという。そうなると翼を持たないテンには、故郷はもう二度と戻れない場所となる。

 ここが故郷なのは轍たちとて同じだ。しかし何百と生きる自分達なら、いつか戻れるかもしれない。何かのついでに立ち寄ることもあるのかもしれない。けれど人間のテンにしてみれば…。


 景は察して言葉を噤んだのにと、轍がうな垂れた。もちろん言わなければ伝わらないのは当たり前なのだが、あえて口にしなかったそれを言わせてしまい、轍がすまなさそうに唇を引き結んだ。

しかし…すぐに笑みを作って父に視線を戻す。


「…じゃあ、先に行ってるから、ちゃんと来いよな。父さんたちの塔も向こうで作るけど、まさか中までは誰も手伝わないんだから」

「はっは。分かっている。自分の家くらい自分らでやるさ。…お前たちもしっかりな。体力のない者は休憩を取らせないと、下手して落ちたら命はないんだ」

「わかってる。その為に五つの群に分けたんだ。子供らや飛翔能力のない者をそれぞれに配置して、みんなで支えていく」


 今回の移動距離は今までにないものになっている上に、何百年もの時をこの土地で過ごしたため、引っ越しの経験がない者も増えていた。

そのため景は先代長である玄と仁、そして中堅以上の天狗たちの経験と知識を元に、急ぎ今回の引越し計画を立てていた。


 そうして一時間後。妖怪たちの大移動が始まった。


 御大である景の部隊が先頭を率いて、第一軍が飛び立つ。一軍は比較的能力の高い者が配置されていて、危険を察知すれば対処に動き、その間に後方の部隊を安全に避難させる役目があった。

 そのすぐ後ろを行くのは、子供や飛べない妖怪たちを含んだ一団だ。その一団の周囲には護衛部隊が付けられていて、天狗族の一番の弱点でもある二軍を守りながら進んで行る。三軍も同様で、四軍と五軍は疲労でついて行けずに遅れた者を保護するため、若干低空飛行で前の三つの隊を追いかける形だった。


 そうして山の妖怪住民が去って…


 山に残った三人が、山頂の見晴らしの良い場所から(ふもと)の村を望んでいた。

村の生き残りのテンと、彼の保護者となった玄と仁である。


 テンにとってはかけがえのない故郷であり、玄と仁にとっても、沢山の思い出の詰まった大切な山だ。

その場所に別れを告げながら、玄は警戒しつつ山を見下ろしていた。


「…仁、本当にあれはいいのか」


 村があった場所を見下ろしているテンを気にしながら、玄が後ろの相棒を振り返った。仁は丁度「あれ」の方を見ていて、玄に向き直って頷いて見せる。


「うん。手記は僕が手を加えて凛か(ロク)くんに預けるつもりだけど… もう、ここでお別れするよ」

「そうか。…さて、名残惜しいが… テン、目に焼き付けたか」


 玄と仁の二人に守られながら、テンはじっと村のあった場所を見下ろしていた。

村は燃えてしまったため、すでにその姿を見ることすら叶わない。

 両親と村の仲間の全てを失い、更には思い出の住居さえ奪われたテン。そのテンは泣きそうな顔で村の痕跡を眺めていて、やがて玄を見上げた。


「…こんなに…燃えちゃったんだ… ねぇ、僕の村は、どうして襲われたのかな…」


 今にも泣きそうな、それでいて気丈に己を保とうとしているテンに、さすがに玄が迷いを見せる。

 まだ幼いテン。彼に全ての事情を話して良いのか。

あれ以上好き勝手をさせないためとはいえ、村人の遺体を焼いたのは仁だと伝えても良いのだろうか。

それをテンが許せるのかどうか…。

 そんな思いに口を閉ざしていた玄の隣で、仁がテンの前に片膝を付いて身を屈め、視線を合わせた。


「村が襲われた経緯は分からない。でも、彼らは村人の死体さえ持ち去ろうとしたから、そうさせないために僕が燃やした。建物も…全てを燃やしたのは僕だ」

「どうして燃やしたの」

「…僕が勝手にした事だよ」

「どうしてそんな酷いことしたの!? 火で燃やしたりなんかしたら可哀相とか普通思うだろ! 自分の家族だったらそんなこと…!」

「テン! 村人が亡くなったのは襲撃者の仕業だ。仁を責めるのは違うだろう」

「…だって…っ」


 この辺りの死者は土葬が一般的だ。それ故に両親や親友、そして村を焼かれたことは、きっと幼い心には納得のできない事なのだろう。

村人と、そして村自体をも焼いたと告白した仁に、テンは目を剥いて怒りを露わにした。


 恨まれる事を覚悟していたのか、仁はちらりと玄を見上げて「大丈夫だから」と微笑んだ。


「お前、こうなると分かっていて言ったな…!?」

「怒りをぶつける矛先がなければ、彼の心はいつか己を責めるかもしれない。…あの時こうしていれば。ああしていれば、あるいは。深い後悔に飲み込まれれば、幼い心は簡単に壊れてしまう。そんな事になるくらいなら、怒りをぶちまけられる対象があった方がいいんだ」

「だからと言って…!」

「…僕はテンに関われなくなるって、玄も聞いていただろ? だから玄は轍たちと共に、あの子を頼む。僕は陰から、自分に出来ることをする」

「…そんな意味だとは思わなかったんだ。まったく…」


 何をどう言おうとも、それはすでに伝えられてしまった後だ。

了承するしかないのだと悟った玄は、仁から離れ、再び村の痕跡に見入っているテンのすぐ隣に立った。

 ちら、とテンが玄を見上げて、次いで背後で空を見上げている仁を睨む。

その視線からも解る通り、どうやら仁の思惑通りに事が進んでしまった事を知った玄は、苦々しい思いを感じながら、静かにため息を零した。


 そうしてなおも三人が思い思いに景色を見ていた時、襲撃者の一団が戻って来るのが見えて、玄がさっとテンを抱える。


「術の効力が切れてやつらが戻ってきたな…。仁、そろそろ行くぞ」

「…わかった」


 玄に出立を急かされた仁が、空を舞っていた一羽のカラスに手を伸ばした。


「クロ。取り残された者はなかったかい」

「ガァ!」


問われたカラスが返事をする。

その返事に笑顔で応えて、仁は白い翼を広げた。

白銀の髪がふわりと揺れて、同じ色の翼が何度かはためく。




 …あの時、仁さんは僕に背を向けていたから表情は見えなかった。

その背中は確かに男らしさを醸しだしていて、けれどどこか、しなやかな女性をも思わせて…


 凛々しく、そしてたおやかな色を立ち上らせながらはためかせた翼は、力強く、その場に一陣の風を巻き起こす。

地上から押し上げるかのような仁さんの風に乗って…玄さんが僕を抱えて空へ舞い上がった。




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