三話 玄と仁 3
今回の辺境集落の悲劇。その顛末はこうだ。
襲撃を受けた村は天狗が住むとされる山の麓にあると、都でもそこそこ知られている。
周辺は狩りで暮らせるほどの獣はおらず、農作物と薬で生計を立てている村だった。特に薬は評判が良く、村に住む薬師の指導の下、村を挙げて製造に取り組んでいたほどだ。
そうしてこの村は、辺境ながらも何不自由なく、慎ましく暮らしていたのだが…。
襲撃を受けるひと月ほど前の事。
都の権力者お抱えの医家は、薬の納品にやって来た二人の村人をもてなした。
もう少し数を確保できないか、納品の頻度ももうちょっと増やせないものか。そう相談する宴の席で、誤って召使いが皿を割ってしまい、運悪く破片が村人を傷つけた。
慌てて治療道具を準備させようとした医者に、しかし村人は「大した怪我ではない」とやんわりと治療を断り、自分たちで手当てをしたのだが…
その翌日、「たいした怪我ではない」と言った村人の言葉通りというべきか、彼の怪我は包帯も必要ないほどまでに治っていた。
たった一晩。時間的にはまだ半日ほどで塞がった傷。それを見た医家は、村人の尋常でない自然治癒の高さに、驚愕に目を見開いた。
それは単純に認識の違いだった。
村人たちにとっては「一晩もすれば治る」怪我。しかし普通の人間ならば、それは数針を縫う程の怪我だったのだ。
村人には特異な力がある。だからこうして良い薬が作れる。
もしかしたらそれは、彼らの血から出来ているのではないか。血に高い効能があるのでは。では肝は。肉は。
もしかすれば、彼らの肝を食らえば永遠の命が手に入るやもしれない。
最初は面白おかしく噂されていたそれは、やがて都の権力者の耳に入り、あろうことかその噂を真に受けてしまった。
『村人を捕らえよ。手向かうならば全員を殺してでも血肉を手に入れて来い』
…それが、今回の襲撃の全貌だった。
事の全てを知った仁は、景にこの地を去るべきと進言した。
村人の特異性に目を付けたならば、彼らはきっと、村人たちの生活の場である山の草木や水にも、その特別なものが宿るのではと疑い出す。そうすれば、山には頻繁に人が通うことになる。
都から度々探索に乗り出すのは人手も金もかかる上に一度や二度では終わらない。となれば、この村の家々を修復し、拠点とするのにそう時間はかからないだろう。
移住先の候補地もいくつかあり、今なら「理想郷」の創造主、九条の誘いもあるのだから、と。
長の座を降りた今、集落の全ての決定権は景にある。
補佐の立場を貫く玄は口を閉ざしていたが、しかし仁は、事の真相に怒りを抑え切れず…。
八咫烏は妖怪の中でも特異な性質を持っていて、集中的に狙われてきた過去を持つ。
高い妖力と驚異的な攻撃術を誇る種族だが、繁殖能力の低い彼らはもともとの数が少ない。それなのに特異性に目を付けられてしまい、一気に数を減らしてしまった。
その後は、暗黙の了解で八咫烏に危害を加える事は禁じられた。しかし、僅か十羽前後にまで減った八咫烏を狙う者は後を絶たず、だからこそ彼らは、信頼する烏天狗の里に身を寄せて生きているのだ。
…村人の惨劇が我が身に重なる仁の、その心情を察するのは容易だ。
もしも彼らの遺体さえ見捨てれば、身体は好き放題に切り刻まれ、血を抜かれて、弔われることなくうち捨てられる。
そんな惨い仕打ちを受け、散っていった仁の同胞たち。
仁自身も幾度となく狙われ、命を脅かされてきた。たった一度の生殖能力さえ奪われかけて、その度に玄に、集落の仲間たちに助けられて…
仁の拳が震えていた。血が滲むほど唇を噛んで、抵抗する猶予さえなく殺された村人達の死に、涙が零れていく。
この山に本当に天狗が住むことを、自ら知らせるような真似はしてはならない。
若い妖怪たちにそう言ってきたのは他でもない、自分たちである。
だからこそ手を出してはならないと目を逸らしていたけれど、影に隠れて様子を窺っていた時、襲撃者の一人が「こいつの血を飲んでみないか」と言い出した。
山を暴かれるに留まらない。
これ以上の辱めを、死者を弄ぶような真似を許せるはずもなく、ついに怒りを爆発させた仁が旋風を巻き起こし、村から襲撃者を吹き飛ばした。
『…ごめん。こんな事… どうしても許せないんだ…!』
怒りに拳を震わせながら、背を向けたまま仁が呟いた。
玄はそんな彼の肩をぽんと叩き『仮にお前が堪えられたとしても、俺がやっていた』と長年の相棒に声をかけた。
その後、襲撃者たちが戻って来れぬよう玄と景が術を張り、二人の協力の下で、仁は村人たちの遺体を自らの術で燃やした。
八咫烏は太陽の化身ともされる、格上の妖怪だ。故に司るのは炎と風。
その青白い炎は骨すら残さず全てを燃やし尽くして、煙さえ立ち上らぬ中、村人たちは消えていった。
消えていく骸に手を合わせた仁は、近くにある薬師の家の中へと入った。そうして家長の部屋を見つけ、薬草一覧や薬作りの工程が書かれた書物を手に取る。
母親と一緒に、度々薬草を摘みに山に来ていた子供。それが轍と凛が助けたあの子供だ。
それを思い出していた仁は、書物を手にしたまま、今度は薬師の妻の部屋を探して中に入り、鏡台にあった手鏡と簪、そして根付を手にする。
言葉もなく、仁はただ彼のための遺品を眺めていて…やがて家を出ようと歩いていく。
その途中にある、家族が囲んでいたであろうちゃぶ台。畳みかけの洗濯物。これから調理されるはずだった食材。調合中の粉末に、散らばる薬草。
住む者を失い静寂に包まれたこの家は、つい昨日までは、家族の笑い声が響いていた。
…見たわけでもないのに、脳裏に浮かぶその光景。
仁はやりきれない思いに一度目を閉じて、玄関で一礼し、弔いの言葉を紡ぐ。
『…あの子は、どこか遠くの村に連れて行きます。人ではない僕らには育てられませんが… せめて彼の守護者となりましょう。どうか、安らかに…』
そうして、仁は最後に村を焼いた。
私利私欲に溺れてこんな悪逆非道を働くような輩に、これ以上好き勝手はさせない。そんな言葉さえ聞こえてきそうな背中を見ながら、玄もまた錫杖を呼び出すと、眼前に構えて鎮魂の祈りを捧げたのだった。
山頂の集落に戻った三人は、すぐに幹部らを集めてこの地を去る旨を伝えた。
村が襲撃され、山も調べようとしている事。襲撃の原因が村人の特異性にあった事を聞くと、八咫烏を保護してきた彼らは、それぞれの反応を示しながらも移動の旨に了承した。
『ここに来た当時の村長は、深い干渉は避けながらでも、共に暮らして行けたらと…そう言ってくれました。まるで昨日のことのように覚えていますが…残念です』
そう言って景は遠い目をした。
表立っての交流は避けていたとはいえ、人が妖怪と共存する形を取るのは珍しいことだった。
天狗がいれば他の悪質な妖怪が寄ってこない事を、当時の村長は知っていたのだ。だから互いに干渉はせず、ただ隣り合って暮らしていたのに…
仁と玄が見守る中、薬師の子は、どうやら悪夢に魘される様子もなく、深い寝息を立て始めていた。
風邪などひかせる訳にはいかないと、仁は子供を寝台の中央に寝かせて、ゆっくりと布団をかぶせる。
そうして寝顔を見ていると。
「仁」
名を呼ばれて振り返れば、少し離れた場所で玄が手招きをしていた。その玄に歩み寄り、手を引かれるままに、彼の隣に腰を下ろす。
そこから見える開いたままの窓には月が輝いていて、二人がそれぞれの思いを胸に、空を見上げた。
「明日にはここを去るんだね…」
寂し気に呟く仁の瞳が憂いを帯びて、深く息を吐き出した。
「ああ。ここは長かったな。思い出深い土地だが… 仕方ない」
「人間の一生は短い。数百年後にはこんなことがあったなんて忘れ去られて、戻れる時も来る」
「他の連中はな。でも、俺たちはこれが最後だ」
言いながら玄が顔を寄せて来て、軽く口付け、仁の端正な顔を見下ろす。切ない光を宿す黒い瞳に、仁は手を伸ばして玄の頬に触れた。
「九条殿が太鼓判を押した土地だ。…向こうもきっと、いい所だよ」
苛立ちに眉根を寄せている玄を宥めた仁は、そう語りかけて再び窓の外を望んだ。
…この二人は夫婦だったのだと、幼心にも分かった。
完全に眠りに落ちる前、不意に気が付いて、閉じかかる瞼をこじ開けて見た光景。
窓から差し込む月明りの中、寄り添う彼らはただただ美しかった。
後は言葉もなく、静かに寄り添っていた二人。
それは人と全く同じで、僕の父と母にも、良く見た光景で…
僕は、この二人に「テン」という名前をもらった。だから本当の名前を思い出した今でも「点」を名乗り続けている。
変わった名前だけれど、そこには、二人の思いが込められていた。
未来を紡いでいく一つの点。繋ぐための目印であり、道標。
周りを見渡せば「点」の周りには沢山の「点」があり、どれと繋がるかは縁次第。君次第。
そう、僕次第なのだと。