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ユキノシタの道標  作者: 西浦
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一話 生き残る道

※流血表現があります。



一話・生き残る道



 十数年前。あの日僕の生まれ育った村は滅んだ。七歳を数えたばかりだった。

村の医家で薬師でもある両親に頼まれて、その日は一人で薬草を摘みに山に入っていた。

 山に入ってから一時間ほどが経った頃だ。

籠の中身を確認して、ある程度集まった薬草の量に、これだけあれば大丈夫だろうと立ち上がる。と、不意に匂ってきた煙の匂いに振り返れば、村の方角に煙が上がっているのが見えて……

少しの間、立ち尽くした。

 野焼きや飯炊きのような煙の量ではない。子供の僕にもそう判断できるほど、それは見たこともない規模でもうもうと立ち上がり、空を黒く染めていって……


「な なにこれ……!?」


 慌てて駆け戻るが、そのせいで、きちんと区分けして摘んでいた薬草が籠の中で散らばる。

『そんな風に集めたら、また仕分けなきゃいけなくなって、遊ぶ時間が減るわよ』いつだったかそう言って諭して来た母の顔が脳裏を掠めたが……今は、そんな事はどうでも良かった。

 とにかく不安に駆られて必死に山を駆けて…… その足が、村の手前で止まる。

人の声がしたのだ。それも普段は聞き慣れない怒声に、下卑た笑い声。甲高い金属音と……悲鳴。


「なんで…… なにが起こって……?」


 大人であれば、聞こえる音や声で襲撃を受けている事を悟れたのだろう。でも、七つになったばかりの僕には何がなんだか解らず、ただ頭が真っ白になって家に向かって駆け出した。

 山道への斜面の、すぐ側にある家。転がり込むようにして中に駆け込んだ僕は、そこに広がる惨状に絶句する。


 ……あちこちに、看護手伝いの人たちが倒れていた。その向こうに、母が。その母を守ろうとしたのか、すぐ側に父が倒れていて、二人を囲むように血溜まりが出来ている。血は作業場の床一面を覆うほどで、二人がすでに生きていない事を物語っていた。

 それでも手を伸ばして両親に歩み寄る。二人の体を揺さぶる。父さん、母さんと呼びかけながら。

手や足が血に濡れる。涙は留まるところを知らずに流れ続けて、そのせいで視界がぼやけて二人の顔が…… 良く、見えなかった。


「やだよ……こんな……っ 嫌だぁ!!」


 思わず叫んだ声に、外から「まだ誰かいるぞ!! 引きずり出せ!!」と声があがった。

血の気が引く思いに立ち上がった僕は、歯を食いしばって裏口へと向かって駆けた。

……正直、何も考えていなかった。考えられるはずがなかった。それでも僕の本能は生きるための行動を取って、再び山道への小道へ向かってただ駆けて行く。


「いた!子供だ! 村の者は全員殺せとの仰せだ!」


 そんな声が飛んで、僕は息をするのも忘れてただ走った。

苦しい。息を、息をしなきゃ。そう思うのに呼吸は思うようにはならなくて、それでも必死に走って……


「あうっ!!」


 大きな松の木を通り過ぎようとした時、地面に突き出した根に躓いて転倒した。

友達と登ったりした思い出深い松の木だが、つい木を睨みつけつつ立ち上がり、すぐに駆け出す。その後ろで。


「矢だ! 誰か弓を!」

「槍も持って来い! 山に逃げ込む前に片を付けるぞ!!」


見つかってしまっては、もう希望も活路もなかった。殺される。もう駄目なのだとどこかで諦めが入っていた。それでも必死に山に入って茂みに隠れた瞬間、後ろから矢が打ち込まれてくる。


「!!」


咄嗟に身を丸めた僕の口が唐突に塞がれた。けれど濡れていた手は勢い余って滑り外れた。これ幸いと後ろを振り返った目に映ったのは。


「か カン兄ちゃん……」


 それは、五つほど年上の奏太(かなた)という友達だった。一緒に沢山の悪戯をして、村を駆け回った……

 自分よりも幾分大きな友人の背に、数本の矢が突き刺さっているのが見える。声を上げそうになった僕の口を再び塞ぎ、奏太は力なく笑った。

「矢は関係ない。俺、さっき腹に、……槍、食らっちゃってっから…… 俺はもう 駄目なんだ」

「……!!」

「いいか、お前は……っ こ のまま山を、登るんだ。俺が ここ、に 逃げこんでたことは し、知られてない。俺はもう死ぬ。だから……っ」


手が濡れていたのは、貫かれた腹からの血だった。そうと知って僕の目から涙が溢れる。


「今は泣くな……! 後で、生き延びてから なら…い、いくら泣いてもいいから、今は泣くんじゃない……! ……死ぬなよ。いいか、ぜ……絶対に生き延びろ!!」


 口から手を離されて、強く、山頂に向かって強く背を押された。

駆け出す前に剥ぎ取られた羽織。その羽織を持ったまま奏太が茂みから出て、斜面を転げ落ちて行く。

 その指が山頂を指していた。僕に山頂へ登れと。

……力を失って落ちた手が、そんな風に見えただけかもしれない。けれど僕は溢れる涙もそのままに、必死に声を抑えて山を登っていった。


 見つかれば殺される。だから静かに、でも速く。慣れ親しんだ山頂への獣道を、ひたすら山頂を目指して走って…… 

 

 やがて、あまりに急ぎ過ぎたせいか、息が持たなくなってその場に膝をついた。

ここはまだ駄目だ。立ち止まっている場合じゃない。そう思ってちらりと来た道を振り返るけれど、追手がやって来る様子は見られない。


これなら、少しだけ休憩しても大丈夫だろう。そう思って、木の茂みに身を隠して息を整える。




 ……そうしてどのくらい時間が過ぎたか、がくんと身体が揺れて、その振動に僕は目を覚ました。

同時に今がどんな状況だったかを思い出して、慌てて生い茂った緑の中から注意深く辺りを見渡す。


「どのくらい寝ちゃったんだろ……」


 急斜面の山道を駆けあがったせいで息が上がってしまい、身を隠したところまでは覚えている。

少しだけ休息を、と思ったのだけれど、どうやらそのまま気を失ってしまったようだった。


 奏太(かなた)たちとかくれんぼや鬼ごっこをした、庭のようなこの山。

接近する者の立てる、草を踏みしめる音に木々を揺らす音。鳥の警戒した鳴き声。

静かに相手を探す遊びの経験は、今の自分に迫る危険がないことを教えてくれている。けれどここはまだ村に近過ぎる上に、奏太(かなた)も頂上へ向かえと言っていた。

その言葉を思い出して、茂みから足を踏み出しかけた時だ。


 木を叩き切るような音が山に響き渡った。

音に驚いた鳥たちが一斉に飛んで、静かだった森の中は一変して騒然となった。


(……え、なにこの音。まさか追手!?)


 音は、今まさに背を向けた村の方角からだ。

 再び茂みの中で身を縮こませたまま様子を窺っていると、どうやら自分を追ってきた襲撃者が、人が隠れられそうな場所に槍を突き立てながら進み上がって来ているのが分かった。

もう姿も見えそうなほど、声も近寄って来ていて……


「ひっ……!」


 ここにいれば間違いなく殺される。

恐怖に駆られて駆けだそうとしたそれよりも一瞬早く、突然、後ろから口を塞がれた。


「んぐ!」


あまりの恐怖に、無意識に口許の手に噛みつこうと試みる。けれど大きな手はがっちりと顔を掴んできて、更にもう片方の手で暴れる僕を拘束した。


「声を上げるな。……まだ死にたくないんだろ」


 まだ若い男の潜めた声は警告だった。

てっきり襲撃者の仲間だと思ったが、声を潜めているあたり、どうやら違う。

助けてくれるならと、コクコクと何度も頷いて見せる。と、再び聞こえてきた襲撃者の声に身がびくりと跳ねた。それを感じ取ったのか、自分を抱き上げた男がさっと山頂の方へと引いていく。


「……っ!?」


 あまりに滑らかな、そして静かな滑走。

どうやらすぐ隣にも誰かがいたようで、男と同じような動きをしたそちらを目だけで見て…… 僕の目が更に見開かれた。

 少し長めの白い髪に、青の混じった銀の瞳。その背には、同じく白銀の翼が折りたたまれていて。


当然ながら人ではない。翼がなければ姿形は人だけれど……


「凛、何人来てるか分かるか」


 僕を抱えた黒髪の男が尋ねる。「リン」と呼ばれた銀色の人は、硬い表情のまま目を細めて「……ん~……三人一組な感じのが五組、いや……六組」と答えた。


「二十前後か……けっこう多いな。これ以上上に来られたら集落に気づかれかねない。術で惑わせよう」

「あんなやつら、やってしまっていいと思うけど」

「追手はただの下っ端だ。そいつらをやれば、下で待機してるやつらが動く。山ごと焼き払うくらいやりかねない奴らだってのは、さっき見ただろ」


 それはそうだけど、と悔し気に唇を引き結んだ銀色の彼は、仕方なさそうにため息をついた。そうしてそのまま両手をこちらに差し出して、目が合った僕に柔らかな笑顔を見せた。


「それなら(テツ)の分野だから、子供は僕が預かる」


子供を寄越せと急かす手を見て、轍と呼ばれた男が自分を見下ろした。


「さっきも言ったが、死にたくないなら静かにしてろよ」


言われずとも、僕にそれ以外の選択肢はない。

 頷き返すと銀髪の方に渡されて、言われたとおりに僕は静かに状況を見守った。けれど、二人はどうやら人間ではない。離れて見てみれば、黒髪の男にも翼が、こちらは黒い翼が折りたたまれていた。

 見ている傍から、彼は黒光りする翼を広げて錫杖を振り始める。

後ろだけ長く伸ばされた黒髪は無造作に麻紐で縛られ、彼が杖を振る度にそれが揺れた。

 二人はそれぞれの髪の色を表したかのような、白と黒の修験装束を着ている。その背には翼。つまり彼らは……


『山のご神木より上へ行ってはいけないよ。ご神木より上は、天狗様のお住まいだから』


 普段から口うるさくそう言っていた村長の言葉が思い返された。そして目の前の彼は『これ以上上に来られたら』と言った。ということは、彼らは山頂に住むという「天狗様」なのか。

 信じられない思いに、僕はただ彼らを凝視した。

 翼を生やした神様。そんなもの、いるはずがない。そう言っては繰り返し山頂を目指そうとして、その都度見つかって叱られてきた過去。

それなのに…いざ姿を現した「天狗様」に、僕は恐怖した。


「……ん? もしかして怖い?」


 僕が震え始めたのを受けて、白い翼の彼が心配そうに覗き込んでくる。けれど僕の緊張は限界を迎えていて、再び気を失ってしまった。






 ……子供を抱いた凛は、まもなく術を張り終えるであろう轍を見て周囲を確認する。

今いる追手以外に侵入者の気配はない。とすれば、一度集落に戻った方が良いだろう。そう考えているところに轍が振り返った。


「よし、霧を出して混乱の術を展開した。しばらくはここらで右往左往してるだろ。一度集落に戻って見張りを頼もう」

「了解。……それより轍、この子気を失っちゃったんだけど……」


言いながらその場に膝をつき、子供の様子を見ていた凛が轍を見上げた。轍も屈んで子供の様子を窺い、眉根を寄せる。


「……ただの気絶っぽいな。つかこいつ、小さいけど怪我の数が……。治癒術……いや、人間相手だと加減がなぁ。父さんに診てもらった方がいいか」

「人間を助けたなんて叱られそうだけど、仕方ないね。……可哀相に、この子一人になっちゃったんだね…」


 孤独の寂しさ。それも幼い身で唐突にそれを突き付けられた人の子に、凛が眉根を下げる。

そんな凛から子供を受け取って、轍が立ち上がった。


「さ、戻るぞ。村人ならともかく、余所者が登り始めた以上は知らせないと」


轍に急かされて凛も立ち上がる。

そうして術に惑わされている襲撃者を一度振り返り…… やがて、静かにその場を立ち去った。




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