8 武術気功への勧誘 (4)
気功から帰宅した。父は入浴中、母は夕食の準備中だ。お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯にというところだろうか、いや、18時過ぎに山や川から帰らないお爺さんやお婆さんは心配だ。両親ともいる時に武術について話して、質問を集中砲火されたら困る。ゆっくりと考えようと思っていたが、今は千載一遇の機会であり、時期を逃してはならない。
「お母さん、香奈絵さんから誘われて武術を始めることにした」
「あら、そうなの」
しばらく、待ったが、そうなのの後に何も言われない。拍子抜けした。あれほど痛いのを拒否し続けていたのだから、そこを質問しないのか。質問された時の回答にひたすら悩み続けて行き詰ったから、惣社さんに相談したのに。質問されない理由を考えても仕方がない。だが、はっきりとさせておかなければならないことがある。痛い技をかけられたくないということだ。どちらも痛みではあるが、武術で痛い技があるのと、家で痛い技をかけられるのでは別だ。実際、私は武術は始めたいが、家で技をかけられたくないから矛盾していない。
しかし、家での技は今が言うタイミングだろうか。「やめて」と言うと、余計にやる人がいる。惣社さんは言った。「お母さんに家でどんどん痛い技をかけられるよ。あのお母さんのことだからね」と。武術を始めたら家でかけられる。それは楽観的な考えだ。悲観的の間違いではないか。違う。母の場合には、始めたらではなく、「武術を始めるなら予習をしないとね」だろう。今晩、夕食後から地獄の門を開いてしまう。口は禍の元だ。余計なことは言わないでおこう。
「来週の日曜からだからね」
「わかったわ」
怖過ぎる。口内炎ができて喋りたくないのかと思うほどだ。でも、詮索はしまい。一歩踏み外せば、私の命に関わるのだから、この話は終わり。
私はテレビの前にある付箋紙を取った。うちは、両親が健康おたくで、健康器具や健康の本が多い。足つぼを押す棒は3本ある。父と母と父が買った。父と母も、父が2回も間違いではない。母は父が買ったことを知らずに買い、父は自分が買ったことを忘れて買ったのだから。
木製の青竹踏みもある。木製だから青竹ではないのは私もわかっているが、「青竹踏み」という4文字で健康器具の具体的な説明なしで、用途が伝わるのだから「青竹踏み」ということにしたい。父が使用後に元の場所に戻さないから、廊下で蹴ったり、つまづいたりしたことが何度あることやら。本当に痛い時には声が出ない。実体験で学んだ。
ふくらはぎを揉みほぐすのもある。足の裏の電動マッサージ機は、温熱・振動タイプと、温水バブルタイプがある。たまに足の裏を踏んでくれと言われることもある。両親は、どれだけ足が疲れているのやら。
マッサージ機は、大きいのも携帯できる折りたたみ式もある。携帯式は、接触部分のアタッチメントを交換でき、平らなの、凸が2つ付いているの、凸がたくさんついているなどを好みで選択できる。ひどいのはマッサージチェア。父が3台も買った。「家族で使えるから」と。おかしいよ。家族全員で同時にマッサージする必要はない。歯ブラシではないのだから1台でも家族で使える。廊下に大きなリクライニング式のマッサージチェアが3台並んでいるのを見ると、飛行機のファーストクラスはこういう感じかなと思う。ちなみに、今は父の洋服置き場になっている。洋服はクローゼットに収納すべきだ。1台すら不要だった。
そのような健康おたくだから、テレビで健康情報が紹介されると付箋紙にメモをして、あとでノートに貼り付けるのだ。そのため、本で使うような小さい付箋紙ではなく、メモができる大きい付箋紙が置いてある。私は、付箋紙に重要なことをメモした。そう「ザッハトルテ、買ってもらう」だ。もうすぐ父が風呂を上り、夕食になるから、メモをした付箋紙はテーブルの私の席の下に貼り付けておいて、夕食と入浴が終わったら私の部屋に持って行って机に貼ろう。
夕食と入浴を済ませて自分の部屋へ。今日は漢字ドリルの宿題が出ている。漢字は、母に漢字検定の勉強をやらされている。誤解がないように言うと、無理矢理やらされているのではない。私は文字を読むのが好きだ。これも誤解されがちなので言うと、本を読むの、すなわち、読書が好きなわけではない。文字なら何でもいいのだ。役所、公民館、駅などにある公報でも、スーパーにある旬の食材を使ったレシピでも。そのような私に母が、どうせ文字を読むならこれを読みなさいと買ってくれたのが漢字検定の本なのだ。そのため、国語の授業で読み書きに苦労していない。だが、いくら読み書きできようと漢字ドリルの宿題は免除されない。本来、覚えるために書くのに、単なる作業として書くのはおかしい。
明日も学校だ。漢字ドリルを終わらせたら、休むことにしよう。
夏渚の母です。
いつも娘がお世話になっております。
宗家である父から連絡が来ました。惣社さんが夏渚を武術の見学に誘うことに成功したそうです。さすが惣社さん、私が鍛え上げただけあります。せっかく惣社さんがお膳立てをしてくれ、夏渚が武術をやる気になっているので、我が家で「痛い」は禁句です。
今後も夏渚をよろしくお願いします。