プロローグ1 緋村始
その瞬間、轟音とともに眩い光があたりをつつみこんだ。
何がおこったのか。誰の仕業なのか。周りの人々は訳も分からず、ただ立ちすくむしかなかった。強烈な衝撃に耐えられたのはごくわずかな人間のみで、そのわずかな者たちですら、理解を超える事態に思考を停止したという。
目の前には、高貴な身なりの男。人々が王と崇め、守るべき主。
そしてその王の頬に勢いよくのめりこんだ拳。拳から腕、顔へと視線を動かすと、若い男のようだ。何の予兆もなく、まるで初めからそこにあったかのように、拳はごく自然にそこにあった。それだけでも驚くには十分であったが、人々が驚いたのは、何より、その格好であった。
黒い装束に金色のボタン。襟は随分と角が立っており、肩も横に長く、随分と動きにくそうだった。人々はそんな奇天烈な服は見たことがなかった。
その場にいた全員が凍りついて、貫き続けた沈黙を破ったのは意外というか、当然というか、その若い男であった。
自分の拳、そしてその先にいる王と、その周りの人々を見て、男は真顔で呟く。
「……マジかよ」
人はそれぞれ与えられた人生を生きている。
人間は生まれながらにして平等なんて嘘だ。何かしらのアドバンテージやハンデを背負っている奴は少なくない。庶民と支配者の間には生まれながらにして絶対に越えられない境界線が存在する。飲み込むしかない不満。圧倒的理不尽。燻る怒り。全部飲み込んで、なかったことにして、やりすごす。俺達は与えられた役割を演じ続けるしかないんだ。集団で孤立しないために。異端の徒とならないように。
だがもしも。
だがもしも今の俺を救う「力」あったなら、俺はそれを使うだろうか?
答えは否だ。
そんな力を持っている者は明らかに異質だ。そんな奴は孤立するにきまっている。孤立すること、そして異質だというレッテルを貼られること。その恐ろしさを俺は知っている。いや、知ってしまっている。故に俺は恐れるだろう。力を持つことを。力を持っていることが露見することを。だから俺は力を使わない。使えないのだ。
たぶんそういう俺のような弱さを持っている人は沢山いる。しかし皆どこかで妥協して、我慢して生きているのだ。孤立しないように、一人にならないように。
一人になることを恐れ、傷つくことを恐れている俺達。
そのためにならどこまでも愚かに冷酷になれる俺達。
俺達は馬鹿で、残酷だ。
だから俺達は痛いほどよく分かっている。
俺達に世界は救えない。
たとえ俺達がそう願っても。
たとえ俺達がそうできるとしても。
俺達はいつまでも与えられた人生を生きていくのだ。
「おい、緋村、さっさと並べ~」
「はいは~い」
教師の呼びかけに俺は間の抜けた声で答えた。
もやのかかった頭をぶんぶんと振り、ふらつく足に喝を入れる。教室のドアをくぐり、廊下に出た途端、こもるような熱気が俺を襲う。暑いのはどうも苦手だ。何ていうか、気力を一気に奪われるような気がするんだよね。ひょっとしたら俺の成績も、妙にツンツンした髪も、全部熱気のせいかもしれない。うん。そうだといいなあ……。
「よお、また変なこと考えてたのか?始」
なんて熱気から現実逃避気味に考えていると、妙なやつに絡まれた。
「寺内、何でそう思った?」
「ん~~。 あえて言うなら……顔?」
「デフォだよ。 これがデフォなの。 生まれつき、いついかなるときもこの顔なんだよ」
「はは、変なの」
「てめえ……」
寺内匠。俺の数少ない友人の一人だ。(なんで俺に友人が少ないかなんて、野暮なことは聞かないでほしい)趣味は面白そうなことに一枚噛むこと。そのくせ、こじれすぎればさっさと逃走するという、要するに修羅場につっこむことだけが生きがいというようなハタ迷惑な男である。しかし意外なことにこの男は友人が多い。おそらく、人の敷居を堂々と無視し、土足で踏み込む傍若無人な態度に、清々しさを覚える人が多いのだろう。時々そのタフさが羨ましくなる程に、この男は自由に生きている。
「ほらそこ、喋ってないで並べよ~」
「「ほいほ~い」」
担任のゆるい注意に従い俺達は離れた。学級委員が人数を数え終えた後、男女二列で並んだ俺と愉快なクラスメート達は、若干緊張しつつ体育館に向かった。
今日は我らの高校の一学期の終業式。一学期が終わる日であり、夏休みが始まる日でもある。高校生にとっては非常に大きなイベントであるようでいて、案外大したことではない。ああ、やっぱ来たか、そんな感じだ。たぶん夏休みが終わる日も、ああ、やっぱ終わるか、宿題が終わらなくても、ああ、やっぱ終わんないかと思うのではないだろうか。いや、それはだめか。でも面倒なんだよなあ、宿題。何で夏休みなんてあるんだろうなあ。
などと、俺がどうでも良い考えに浸っている事なぞお構いなしに終業式は始まった。校長のどこぞのビジネス本から引っ張ってきたような、使い古された感溢れるお話や、生活指導の先生の、要約すれば面倒を起こすな、で済む無駄に長い注意の後、俺達はやっとむさ苦しい体育館から解放された。生徒たちの様子は入る時とは大きく異なり、先ほどの理由のない緊張感から解放され、退場がてらおしゃべりに興じている。俺?一人で黙々と退場しましたよ。だって模範的な男子高校生だもの。別に寺内以外とは話せないとか、そう言う訳じゃないよ?本当だよ?
教室に戻ってからは先生が適当に話した後(あんまり聞いてなかったから内容までは分からなかった)、成績表を受け取った人から解散という運びになった。
俺がもらった成績表を見てげんなりしていると、寺内がうれしそうにこちらに近づいてきた。
「よお、始。 成績どうだった?」
「聞くなよ……ケツから三番目だ」
「かあ~~っ、ひでえな。 まあ、そんなことどうでもいいんだが――」
いいのかよ。ならなんで聞いたの?何?俺の心の傷をえぐるためだけに、会話にワンクッション置いたの?それはクッションではなくむしろ針山というべきではないでしょうか。
俺が一瞬顔をしかめたのを気にもせず、寺内は会話を再開する。本当にマイペースだな、コイツ。
「今度海に行こうって話になったんだけど、お前も来るか?」
「泳ぎに?」
「いや、ナンパだけど」
さらりと言い切る寺内。こいつ水着すら持っていく気ないだろ。まあ、いかないんだけどさ。
「悪いが俺はパス。 別に彼女なんかほ、欲しくねえし」
いかん、どもった。
思わず頬がかあっと熱くなる。そんな俺を見て寺内はニヤリと笑う。やめろ。そんな目で俺を見るなよ。恥ずかしいだろうが。
「ああれええい?ひょっとしてえ、ご本命がすでに……?」
「るせえ」
「あ、杉崎だ」
「え」
「嘘だよ」
「……」
寺内はさも嬉しそうにこっちを見た。というよりも、頬がリスのようにパンパンに膨らんでいる。明らかに笑いをこらえてるだろ。いいよ笑えよ。笑ってくれよ。もう好きにして。
「確かにきれいだと思うんだけど……地味っていうか、華がないっつーかさ。 もっといい子いるんじゃねえの?」
「お前に女の好みについてとやかく言われるとはな」
「いや、そんなつもりはねえが……確か中学も一緒だったよな。 そん時からか?」
「それは……」
俺は、ほんの少し、ほんの少しだけ迷った。これは――俺と、杉崎の話は――まだ誰にも話したことがなかったからだ。だがどうしてか、今なら話せる気がした。相手が寺内だからか。あるいは、自分の中に何か変化があったのか。それは分からない。ただ、この時の俺は何も予感していなかった、それだけは確かだった。
きっかけは些細なことだった。
中学二年の頃、俺は図書委員をやっていた。部活はサッカー部。レギュラーでもなく、これといって目立った特技はない、ごく普通の中学生だった。
そんな俺の数少ない楽しみの一つは、図書委員としての活動として、杉崎と話をすることだった。彼女も図書委員で、同じクラスだった。
俺と彼女の共通点はお気に入りの本が同じという、ただそれだけだった。その本は異世界で少女が、悪魔の王と闘うという、海外のファンタジーだった。俺は杉崎と本の話をするのが好きで、それ以上の感情は無かった。杉崎もきっと同じだったと思う。俺達は時々話し相手になるだけの、ただそれだけの間柄だった。俺も彼女もそれで満足していた。
すべてが崩れたのは、寒さが増す、秋の暮の事だった。
図書室で、一冊の本がズタズタに引き裂かれていたのだ。それは偶然にも、俺と杉崎の好きな、海外ファンタジーだった。俺も彼女も深く悲しんだ。だが事態は、俺が思っていたよりも、ずっと悪い方へと動いていた。いや、始めから、俺の見通しが甘かっただけなのかもしれない。
事件の前日、俺は図書室の当番で、閉館まで図書館にいた。そして、杉崎は偶然、その日は急に部活のミーティングが入り、委員会の仕事を休んでいた。生徒たちの間には、すでに俺が怪しいという噂が流れ始めていた。とはいえ、図書委員だったからといって、疑うというのも発想としては単純だ。そのときは、まだ噂の域を出なかったし、皆本気で信じていなかった。
しかし穏やかな水面に小さな石を投げ込んだときのように、ごくごく小さなきっかけで、すべてがひっくり返った。
俺は一応関係者として、校長先生立ち会いのもと、警察から話を聞かれたのだ。
学校側としては、外部の人間が犯人である可能性を考慮して警察に通報したに過ぎず、また警察も、俺に怪しい人がいたかどうか聞きはしたものの、俺が何か決定的な証拠を持っているのではないかと期待していた訳ではなさそうだった。
だが俺は警察から話を聞かれた。その噂は瞬く間に学校中を駆け巡り、さまざまな尾ひれがついて、いつしか事件の犯人は俺だということが学校中に浸透していた。警察は理由もなく――犯人でもないやつに話を聞いたりしない。冷静に考えれば明らかにおかしい理屈だが、噂だから、ネタだから、何かを言っても自分は悪くないのだという免罪符をもって、彼らは、人から人へと根拠のない噂を流し続けた。俺に嫌悪感のこもった視線が向けられるようになるのに、そう時間はかからなかった。
さらに彼らの視線はより悪意のある攻撃へとエスカレートしていった。俺が教室に入ると誰もが一瞬口を結び、あいさつをしても、反応が返ってこない。部活に行くと、練習に付き合ってくれる奴がいなくなった。まるでいきなり自分だけ、鏡の向こう側に行ってしまったかのような、あるいは、皆が急に水面に映る像になってしまったかのような、深い孤独と混乱が俺を襲った。手は届く。見える。なのに、触れられない。ああ、こたえたね。いっそ、直接何かを行ってくれたら、殴り飛ばしてくれたらどんなによかったかと思う。まあ、そんなことされてもこたえたと思うけど。でも今よりはマシになるんじゃないかと、そのときはそう思っていた。いつからか俺は部活にいかなくなった。ただ、学校に行き、図書室には通い続けた。それは俺の意地だった。何だか、そこでだけは負けたくなかった。そこでだけ、俺は「いつも」を貫きたかったのだ。
だがほつれた糸はそう簡単には元には戻らない。
やってきた図書室に彼女の姿はなかった。あの本が破れた瞬間、俺と彼女の間にあった何かは静かに、しかし確かに終わってしまったのだ。
「……ま、こんなもんだろ」
彼女の姿がない図書室を見て、俺は決まってそう呟いていた。彼女だって俺と関わりたくはないだろう。そうだ。あの時彼女が一緒じゃなくて良かったじゃないか。今こんな目に遭ってるのは俺だけで、他の誰も不幸になってない。そうだ。きっとこれが一番なんだ……。
杉崎のいない部屋に慣れてきたころ、俺はもう、学校ではほとんど喋らなくなっていた。図書室での仕事を終えるとまっすぐ帰宅し、自室で様々なことをして時間をつぶしていた。特に趣味もなかった俺は、ほかにやることもなく勉強時間が増えた。おかげで成績は上がったが、そんなことは俺にはどうでもよかった。俺にとって毎日はただの無意味な時間の浪費にしか感じられなかったからだ。
そして事件から半年程が経って、春が訪れ、俺は三年になった。杉崎とはクラスは別々になり、もう二人が一緒に図書室にいる可能性はゼロになった。それでも俺も彼女も図書委員を続けていた。そして俺は当然のように一人で黙々と図書室で仕事をしていた。
そんなある日、俺はいつものように仕事を終え、帰宅しようと図書室を出た。
すると――
「――あ、奈央!」
「あ、瞳」
俺はさっと廊下の隅に隠れた。声からして杉崎と、部活の仲間であることは間違いない。杉崎とすれちがうのは何だか妙にきまずい。それに、おそらくこの友人がいい顔をするまい。
二人は、他愛もない話しをしながら廊下を歩き、図書室の前を通った。
「そいやあ奈央ってさあ、二年のときも図書委員だったよね?」
そら来た。やっぱり友人がこいつを切り出すと思ってたよ。やっぱり隠れて正解だったな。
「う、うん。 そうだけど……」
杉崎はわずかに口ごもる。まあ、そりゃそうだ。なんたって俺だからな、相方。
「へえ~~。 ……誰だっけ、男子」
何で突っ込んじゃうかなあ、そこ!
「ひ、緋村君だけど……」
「ああ、あの」
やっぱそういうリアクションか。俺には声しか聞こえないが、二人がどんな顔をしているのかぐらい想像がつく。どんな表情なのかなんていちいち言う必要もないだろう。
「緋村はさあ、あたし怪しいと思ってたのよね。 サッカー部のくせに、本が好きとか、なんか危ない人っていうか、根暗っていうかさ……」
――ちょっと、こたえるな。ほんの少し耳がきこえなくなればいいんだが……。続きをあんまり聞きたくな――
「まあ、あいつならああいうことしてもおかしくはな――」
「やめて」
「は?」
「彼は……緋村君はそんなことしない。 絶対にあの本を傷つけたりはしない」
「あの本?」
彼女は何を言っているのだろう。なんでそんな昔のことを覚えているのか。だって彼女は俺を忘れたいんじゃ――いなかったことにしたいんじゃないのか。一体なぜこんなことを言うのか。
「でも、皆あいつは、先生とかに呼び出されたって……」
「たとえそうだとしても、彼は絶対にそんなことしてない。 だって……」
「だって?」
「……何でもない。 そろそろ急がないと」
「そ、それもそうだね。 なんかゴメンね。 しっかし今日も結構日差しが――」
彼女らの声は徐々に聞こえなくなり、廊下は沈黙で満たされた。
――だって、何だろう。
俺は廊下でボケっと突っ立ったまま、ぼんやりと考えた。これ以上はやめろとどこからか静止の声が聞こえてくるが、頭は考えるのをやめない。
――彼女は俺を信じてくれているのだろうか。
「……ろ」
――俺は彼女を信じていいのだろうか。
「……めろ」
――俺は彼女の前にいても――
「やめろっ!」
思わず叫んでしまったことに驚いてしまい、慌てて周囲を見回すが、どうやら近くに人はいないらしい。俺はひとまず大きな息を吐いた。
しばらく壁に身を預けて荒れた息を整える。自分の中で何かが汚されたかのような不快感が体を走った。
もう、ずっと前に結論を出したつもりだったのに、たった一言でこうも揺らいでしまうとは、思いもしなかった。自分の弱さが浮き彫りになり、ますます醜くなっているような気がした。
「だって……」
俺はその言葉の続きを、今も考え続けている。
「――ということが昔あったんだよ」
廊下の隅で、俺と寺内は長く話し込んでいた。暑さのせいか制服のワイシャツもそこそこに湿っている。まあ、俺が一方的に語っただけなんだが。
寺内の方をちらりと窺うと、きりっと顔を引き締めていた。まあ、夏休み前の浮かれた時に話すようなことじゃない。少し悪いことをしたかな、と柄にもなく寺内に申し訳なさを覚えた。
寺内はゆっくりと息を吐くと、ぼそりと呟いた。
「お前、サッカー部って設定いらなくね?」
は?
「……てめえ、あんだけ長い話聞いといてそれしか感想ねえ訳?」
結構衝撃のカミングアウトをしたつもりだったんだけど?主人公衝撃の過去みたいな独白だったんだけど?結構な尺つかったんだけど?
寺内は大げさに肩をすくめてみせた。アメリカンか、お前。
「まあ、要するにあれだろ、お前としては、気にはなってるんだけど、相手の方が嫌ってるのかどうか分かんなくて、うかつに出れないってことだろ?」
「まあ、そうかもだけど……」
俺は口ごもった。そう言われると、なんか急に恥ずかしくなってくる。やめろ、なんか俺ただのヘタレみたいじゃん。
「まあ、ヘタレか、ってツッコむのは簡単だけどよ、お前を焚きつけてもねえ。 あんま面白くなさそうだし。 それに……」
寺内はこっちを向いていつもの飄々とした顔のままで、こっちを見つめた。
「俺はお前に同情も共感もしない。 だから、もろもろのエピソードについてのコメントが欲しいんなら、他を当たるんだな」
「寺内……」
こいつは、俺に気を使うつもりなんか毛頭ないのだろう。たぶん今までのように、俺が自分の隣に立てるように、俺の話をきちんと聞いたうえで、ああ言ってくれたんだと思う。
俺達は廊下の窓から、校庭を見下ろした。時々風が俺の頬を撫で、ひんやりと俺の顔を冷やした。
「……帰ろうぜ」
「ああ」
特に前置きもなく、俺と寺内はもうすっかり人気のない廊下を後にしようとした。
と、その時――
「あの……ごめんなさい」
「そう言わずにさ……部活もないんでしょ?」
「でも……」
「あんまり拒まれると、そうだな……少し本気になっちゃうかな」
「っ……」
――あの声は、間違いない。
中学時代に何度も聞き続けた声。俺に淡い期待を抱かせた、もう一度聞きたいと、何度もそう思った声。
か細く、今にも消えてしまいそうな少女の声は、杉崎の声そのものだった。
始めまして。風間信晴です。
今回「俺たちに世界は救えない」を投稿することになりました。
小説を投稿するのは初めてですので、気になるところがあったらアドバイスなど宜しくお願いします。




