恋心
このままいると父さんが迎えに来そうなのでそろそろ家に帰ることにした。
借り物だし綺麗な着物を汚さないように気を付けて歩く。
そう思って歩いているとクウリが灯篭に火を付けたままでいいのかと聞いてきた。
意外だった。
石灯籠の灯りを消してしまうと足元が見えづらいので、いったん帰って着替えてから消しに来ようと思っていた。
そのことを伝えると煙管に火を付けたときと同じように指で火を呼びよせた。
おかげで足元がとても明るくなった。
少し驚きつつもありがとうと言っておく。
まさか俺の二度手間を省いてくれたのか?とよぎったがたぶん山火事が心配だっただけなのかもしれない。
山に住んでいる狐の心配もしていたようだし、そっちの方がなんだかしっかりくるな…と思っていると階段に差し掛かった。
そこまで急な階段でないにしろ階段だ。今までの道よりも注意して歩く。
それにしても女の人の着物がこんなに動きづらいものだとは思っていなかった。
袖や裾を手繰り寄せつつ、えっちらおっちら下りる。
クウリは俺の苦労なんて我関せず、と言った感じでさっさと下りて神社へ向かってしまった。
そんなに酒が飲みたいのかアイツは。
やっとのことで下り神社に着くと火の玉は勝手に消えた。便利だな。
神社の隅にある家の前で人が立っていた。
五十鈴だ。
心配だったので待っていたのだと言う。
五十鈴と家の中に入ると父さんの笑い声が聞こえてきた。
クウリと会話が続くのかいささか疑問が浮かんだが、この窮屈な着物を脱ぎたいので部屋へと急ぐ。
五十鈴に手伝ってもらいつつ着替えをし、その日はそのまま寝た。
いつもの時間に目が覚めると着替えをして神社の掃除のために家を出た。
いつものように空は晴れ渡っている。
すでにお勤めをしていた父にあいさつをし、ついでにクウリのことを聞いてみた。
昨晩はしこたま飲んだようで今はまだ寝ているという。
昨日の約束を覚えているだろうかと心配しつつも掃除を始める。
掃き掃除もふき掃除もあらかた終わり朝餉を食べるためにいったん家に帰った。
準備をしている母にクウリのことを聞くと、まだ寝ているようでもう少し寝かせてあげようと言われた。
食事を終え自室に向かう途中、冷めていく料理を思うと客間に足が向いた。
ふすまを開けるとクウリは壁に背を預け座った状態で静かに寝ていた。
敷かれた布団は使われた気配はなくそのままだ。
「おいクウリ朝だ。起きろ。起きて飯食え」
「なんだよ。まだ朝じゃねぇか」
「朝だから起きろっつたの」
「妖怪相手に健全な生活をさせようとするんじゃねぇよ」
ぶつくさ言いつつ壁から背を放したクウリを確認して部屋を出る。
厨にいる母にお願いして膳を用意してもらい、それを手に部屋へと戻った。
膳をクウリの目の前に置くと眉間にしわが寄った。
何か変な物でもあったのだろうか。
確かに粟などを混ぜたご飯に味噌汁、それと数切れの漬物という質素なものではあるが。
「お前らはオレを兎かなんかだと思ってんのか?」
「どういう意味?」
「もしくはお前らの知っている狐は野菜を食うのか?悪いがオレは肉以外は食わん。肉持ってこい」
「肉なんて今あるわけないよ。野菜があるだけマシだよ。というよりクウリって野菜食べないんだ?」
「あたりまえだろう。狐だぞ。それなのに毎日野菜を供えやがって、言っておくが油揚げも好物じゃないからな」
「そうなの!?」
「油揚げが肉からできてたら好物だったかもな」
「うーんどうしよう。困った」
「昨日のお前が本物の女だったら食ってたんだがなぁ」
「うるさいよ!」
「…そういえば昨日の女はなんだ?」
「五十鈴のこと?俺の姉さんだけど…い、五十鈴はダメだよ!」
「安心しろオレは生娘しか食わん」
「………え?」
「なんだ?知らなかったのか?」
「…いや、五十鈴には今付き合っている人がいるし、来年嫁ぐんだ。だから、なんとなくというかうすうすわかってた」
「あんまり姉に対する感情には見えねぇが」
まさか昨日会ったばかりのクウリにバレるとは思っていなかった。
クウリの表情がニヤリと笑っているように見えて目をそらした。
姉さんとは血は繋がっていない。
小さい頃両親が亡くなった五十鈴を預かっていた俺の親がそのまま引き取った。
恩を感じているのか五十鈴はいいとこの家に嫁ぐことを決めた。
好き合っている人がいるってことは親には内緒にしたまま。
俺がそんなことを知っているのはたぶん五十鈴を見ていたからだと思う。
だから俺の事を弟としか見てないことも分かっていた。
それに五十鈴が好きな人と一緒にならないのに俺が、なんてことは言えない。
「クウリと違って色々あるんだよ」
「人間って面倒だな」
「そうだね。俺も妖怪だったらよかったかも」
諦めたように言うと小さくため息が出た。