提案
「あー笑った笑った」
腹まで抱えて笑っていた男はようやくおさまったらしく、再び祠の上に座ると懐からキセルを取り出す。
キセルを口にくわえると、人差し指で何かを呼びよせるようなしぐさをした。
すると小さい火の玉のようなものが男のくわえるキセルの火皿に吸い込まれていった。
一瞬いわゆる狐火かと思ったが、先ほど指した指の先にある石灯籠の火を貰ったのだろう。
煙草に火を付けるときに男の顔が照らし出される。
軽く吸いゆっくりと煙を吐き出した。
やけに整った顔にさまになるしぐさをされ同じ男としてなんだか悔しく感じた。
「んで、改まって生贄の儀式たぁ。オレに何の用だ」
そこでようやくオレは目の前に神がいることを思い出した。
急いでたたずまいを直す。
「かように綺麗な満月の夜に、無粋な行動であることは重々に承知しております。恐れながら稲荷神様―」
「あー…先に訂正しとく。オレは稲荷神なんかじゃない。ただの化け狐だ」
稲荷神だと思っていたこの男は神ではなくただの妖狐だと言った。
昔この辺りで暴れ退治され封印されていた祠を見つけた俺の御先祖さまが稲荷神だと勘違いしたらしい。
御先祖さまには申し訳ないが、それを聞いた時はアホなんじゃないかと思った。
しっかりしてくれよ。と今さらながらに思う。
今まさにアホな格好している俺が言えた義理ではないのだけれど。
「それでも構わないってんならいいぜ。お前が生贄になってまでオレにお願いしたいことってなにかな。巫女サマ?」
ニヤニヤと人をおちょくるような目や口が癇に障る。
たぶんこの男はそんな俺の気持ちがわかっていてわざとやっているんだと思う。
だが俺はそんないけすかない相手に頼らざるを得ない状況にあった。
ふと思った。
「ちょっと待って。願いを聞いてくれるのか?」
「妖狐のオレを化かそうとしたお前らの村が気に入ったからな」
「……ここ最近めっきり雨が降らず日照りが続いているんだ」
「そうだな」
「村で育てていた作物も枯れてきて残っているのをなんとか育ててる。年貢を納める分を考えたら俺らの村は冬を越せない」
「そうだろうな。山の狐たちも食べる物が減って困っているようだったし」
「なんとかできないか?」
「雨を降らせればいいのだろう?できないこともない」
「本当か!?よかった…これで…なんだ?なんか下が騒がしいな」
振り向くと下にある神社から声が近付いていた。
なんかやたら騒がしいが、たぶんこの稲荷神もとい妖狐に驚いて逃げた村人たちが戻ってきたのだと思う。
低い声の中にひとつだけ高い声が交っているような気がするが気のせいだと思いたい。
立ち上がり着物を汚さないよう注意しつつ祭壇から下りる。
階段の向こうが明るくなり松明の火が見えた。
「紗貴ノしーん!無事かー!?」
「俺は大丈夫です。それより皆聞いてください」
「うおぉぉぉ!!!お狐さまー!」
奇声を発して松明を持った男たちを掻き分け妖狐の目の前に膝まづいた。
俺の父親だった。
息子であるはずの俺の心配よりも、ずっと崇拝していた相手に会えたということのほうが大事らしい。
いや。もしかすると父も不安だったのかもしれない姿の見えない相手を崇拝し続けることも、もし稲荷神がいないということになったとき俺の一族が今までしてきたこと全てを否定されることも。
生まれてからずっと神社の跡継ぎとして育てられた俺でさえ神の存在など信じていなかったのだから。
うまく聞き取れないが何かを言っている父を見ていると、後ろから聞き覚えのある高い声が聞こえた。
どうやら気のせいではなかったようだ。
「紗貴!無事でよかった…!」
振り向くと同時に軽い衝撃に襲われ抱きつかれたのだとわかった。