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長い沈黙の末、やっと彼氏様がしゃべりました。
「今のはつまり、父の会社が人手に渡って僕が無職になってしまうから、結婚式はしなくていいということ?」
私は神妙に頷いた。
「どうしてそんなことを言うの? 何故そう思ったの?」
私は大学で噂を聞いたこと、婚約解消のメールがきたこと、そして彼氏様が、引越しの準備をしていて確信したことを伝えた。
「貴文さん、失業したから、私と別れようとしているんだと… そんなの嫌だなって」
彼氏様は、軽く溜め息をつくと、私の目をじっと見ながら語りかけてきました。
「ユカ。よく聞いてね。その噂はでたらめだから」
「えっ」
「というより主語が違っていると言った方がいいかな。不渡りを出して経営に困ってる会社を、うちの社が買い取ったんだ」 なんですと!?
「引越しをするのは、僕の弟が今度K大に、入学することになったからだよ。あのマンションは通学に便利だから、譲ってほしいと言われてね。それに結婚したら、あそこじゃ、ちょっと手狭かなと思ったしね」
3LDKを手狭って… それにあのマンション、彼氏様名義ってこと? 譲るって、あげるってこと。それとも売るの? 高校生の弟に? その金銭感覚に庶民な私はついていけません。
「それじゃあお父様の会社は安泰で、貴文さんも今までどおりの生活ができるってこと?」
「そうだね」
「だったら、なんで婚約を白紙にしようって、メールしてきたの?」
「僕そんなメール、送った覚えがないんだが…」
えっ、私あのとき衝撃のあまり、白昼夢でも見たのか。
いや、それはない。だって何度も読み返したもの。
私はスマホを取り出すとそのメールを開いて、彼氏様に見せた。
「ほら、これを見て」
「事情が変わった。婚約ははくし、事情が… 」
彼氏様はメールの文章を何度か繰り返した。
「分かったよ、ユカ。このメールは打ち間違いだ」
「はっ?」
「事情は分かった。婚約の話しを改めてしよう。僕はそうメールしようとした。しかし、メールでする内容ではないと、消去したはずなんだが… 」
打ち間違い? 送信ミス!
こんな重大な内容のメールを間違えるなんて、私怒っていいですか。
しかし私はなけなしの理性を働かせ、次なる謎の解明をすることにした。
「婚約の話しを改めてする事情って何?]
彼氏様は少し気まずそうに、視線を逸らした。
「この前、結婚の話をした時、ユカ、あまり乗り気じゃなっかた。それが気になっていたんだ…」
ああ、それ気付いてたんだ。結構強引に話しを進めてたから、分かってないと思ってた。
「この前、偶然、智美さんに会ってね、思い切って相談したんだ。」
ええっ! 何を聞いたんですか、彼氏様。
「知らなかったよ。僕と付き合っていたために、大学でいやな目にあっていたなんて。それから、僕の為に必要以上に努力していたことも。そしてそのせいで、辛い思いをしていることも… 僕は全然、気が付かなかった」
彼氏様は、逸らしていた視線を戻すと、私の右手をとった。
「それに、僕との結婚に不安をいだいている事も、教えてくれた」
「私、貴文さんに結婚しようって言われたとき、とっても嬉しかった。でも、お父様が大きな会社の社長さんだとか、立派な職業の親戚の人達が大勢いるとか聞いて、そんな所にお嫁に行って務まるかどうか心配になったの」
「僕達は大切な話しを、何一つしてこなかった。このまま結婚しても、きっといつか破綻する。僕はユカと二人で幸せになりたいと、思っているんだ。辛いことや不安に思うことがあるなら、相談してほしい。もっと僕を頼ってほしいんだ」
力説してるところスミマセンが、彼氏様、ちょっと頭の中を整理させてもらっていいですか。
二宮先生から聞いた噂は、誤報だった。そこに送信ミスで打ち間違いのメールが届き、二宮先生のでたらめ情報に真実味を与えた。そして、彼氏様のスマホの電池が切れて音信不通になり、私の不安を煽ることになった。私は彼氏様のマンションに駆けつけ、引越しの準備をしているのを見て、完全に倒産、無職、貧乏と断定してしまったと。
彼氏様の方は、サトからいろんな話しをき聞いて、私が結婚について悩んでいることを知って、話し合いの場を持とうとしていた。そしてそこに、勘違いしまくった私が現れて、“こんなことで別れたくない”とか“苦労だなんて思わない”とか言っちゃったわけだ。
私は貧乏暮らしになってもいい… ってつもりで言ったのに、彼氏様は西園寺に嫁入りしてする苦労なんか“気にならない、私頑張る!”と解釈をした。
私はとんでもない大失態を犯してしまった。
あー私の馬鹿馬鹿馬鹿!
今までのは全部無し! 実は私、別れるつもりでいたの… って今から言って通りますかね?
難しいですよね、通りませんよね…
誰か私にタイムマシンを貸してください。