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第一話「英雄、あるいは悪魔の卵たち」(2)


 所長室から一望できる世界は、まるで遥か古代の大森林のようだった。

 見渡す限りの、緑、緑、緑。そして遠くには険しい稜線を連ねる山々。


 けれどもそれは、本物の景色じゃない。

 横幅およそ30メートル、高さ7メートルの巨大液晶画面。

 そこに映し出された、単なるフェイク映像だ。


 ここ、アンビエント強制収容所は、地上にない。

 某国の山中、その地下数百メートルに建設された監獄だ。

 ゆえに、大自然の奥には土と鉱物が敷き詰まっているというわけである。


 その作り物の風景を前にして、われらが所長――地獄の王者、フェルマータは何を思うのか。


「来てやったぜ、所長サマ」

 忌々しげに、シャルフが吐き捨てた。


 フェルマータは、電動の車椅子ごと振り向いた。

 こうして何度その姿を前にしても、まったく底の知れない男だった。

 年齢はいったいいくつなのだろうか。きっちりと後ろに撫でつけた黒い髪の毛には、ところどころ白髪が混じっているものの、その顔はまだ若い。30代の前半といったところじゃないだろうか。いつもターミネーターのように無表情だ。

 そのうち、肌がぺりっと剥がれて機械がむき出しになるんじゃないか……なんてひっそりと期待してたりする。

 銀縁のメガネの奥では、サーベル色の瞳が、下手な言動をすれば即座に叩き斬ると言わんばかりの鋭い光を放っている。

 常に白いスーツを身にまとっていて、両手にはめた手袋もまた白い。


 その白が意味するものは、正義じゃない。

 自分が絶対であるという主張だ。


「シャルフ、コーダ」

 唇をほとんど動かさずに、フェルマータは言った。


 それほど大きい声というわけではない、むしろ静かなささやきのようだった。

 けれども、額に銃口を押し付けられたかのように錯覚してしまうほどの威圧感。

 ぼくでさえそんな有様なのだ、名指されたふたりの心境はいかほどか。


「一週間、きさまらの食事は半減だ」

「なっ――」

「えっ――」

 処罰の内容を告げられたシャルフとコーダは、雷が脳天に直撃したような表情でうめいた。

「そ、そりゃないぜ! ただでさえ満足できない量だってのに、これ以上減らされてたまるかよ!」

「そうよ、この暴力女はともかく、わたしは育ち盛りなんだから! 栄養失調で死んじゃうわ!」


 猛烈な抗議を受けると、フェルマータは眉ひとつ動かさず、

「二週間に延長だ」

「おいおい所長さんよ……!」

「だから、わたしは――」

「三週間。それ以上ほざくならば無期限だ」

 慈悲も容赦もなく、そう言ってのけた。まだエレベーターの音声ガイドのほうが人間味のある声音だろう。


「きさまらは、クズだ」と、メガネの位置を直しながら王は言う。「世界そのものから外れ、本来ならば処分されなければならない異端の存在だ。それを、こうして生かしてやっている。おれには、そのための力がある。金があり、権力があり、能力がある。そして、この地下の帝国で唯一自由をもっているのは、おれだけだ。

 おれに反抗するというのならば、すればいい。徹底的に反抗してみろ。この牢獄から逃れてみせろ。だが、その先にきさまらを待っているのは、ここよりも不条理な〝世界の常識″だ。きさまらはここでしか生きられん。生存は、おれがきさまらに認める唯一の自由であると知れ。他のすべては、おれの手中にある」


 その言葉は、シャルフやコーダだけじゃない、ぼくにも向けられたものだった。そして、このアンビエントで生活するすべての「ノイズ」たちに向けられた王の宣布だ。


 歪んだ秩序。

 時代遅れの絶対王政。

 けれども、ぼくたちには、その理不尽に対抗するための力も、自由も、そして理由さえもなかった。


 この牢獄の外は、何よりも残酷だと知っていたから。

 ここは地獄だ。世界から見捨てられたクズたちの集まる最後の場所。

 そして――クズたちが生き延びられる、唯一の楽園でもあった。


 だから、シャルフもコーダも、それ以上逆らわない。

 逆らったって、何ひとついいことなんてない。


 ただ頭を垂れて、素直にうなずくだけでいいのだ。

 王への忠誠を示すには、それで十分だった。


「もうひとつ、きさまらに仕事を与えねばならん」

 執務机を指でこつこつと叩きながら、フェルマータは言った。

 このしぐさが意味しているところを、ぼくは最近になってようやく知った。

 彼はいま、とてもイラつき、そして怒っているのだ。


 ぼくらに見えないところで何かの操作を行ったのだろう、壁面の大自然が、一転して町中の映像に切り替わった。

 やや画質が荒く、わずかに高めの位置から撮影されたそれは、おそらく監視カメラのものだろう。

 ビジネス街と思しき一角を捉えた映像だった。


 やがて――やってきたパトカーの一団が、銀行を取り囲んだ。

 警官たちは降りると次々に拳銃を構えながら、入り口を見張っている。


「なんだなんだ?」とシャルフ。

「数十分ほど前の映像だ。新たなノイズが確認された」

 フェルマータのその言葉と同時に――画面内で爆発が起きた。

 銀行の壁が、内側から吹き飛んだのだ。


 中から出てきたのは、フードを目深に被った大柄な男。レスラーもかくやという体格である。

 その背中から、なにやら白い触手のようなものが二本生えていて、その先端はサソリの尾のように鋭利な凶器となっている。

 まるでアメコミにでも出てきそうな化け物だった。


 警官たちの制止を無視して、男は歩き出す。その手には、大きなボストンバッグが。おそらく、大金が詰め込まれているのだろう。

 そして次の瞬間、銃声が響き渡った。

 警官のひとりが発砲したのだ。

 しかし――


 画面の中で、男はにやりと笑った。


 銃撃は、けん制じゃなかった。男を狙って放たれたものだ。

 ならば、弾丸は外れたのか?

 そうじゃない。

 およそ秒速350メートルで宙を突き進んだ鉛の玉は、弾かれていた。

 叩き落されたのだ。

 白くうねる、獣の尾のような二本の触手に。


 警官のひとりが、画面外へ吹き飛んだ。続けてひとり、さらにひとり。

 次から次へと、フレームアウトしてゆく。

 白い触手が目にも留まらぬ速度で動き、伸びて、警官たちを蹂躙しているのだ。


 明らかに常識的ではない存在。

 ノイズだ。


「ノイズ自体は単純なものだ」と、フェルマータはゴミを分別するときのような気だるさを声音に混じらせて、言った。「この背中から突き出る白い触手は、肋骨が変異したものだと推測される。自らにとって危険、あるいは邪魔だと思われる存在に対し、自動的に攻撃を仕掛けているらしい。だが、きさまらのもつノイズに比べれば、大好きな先生のお誕生日会のために精一杯に練習を積み重ねた小学生たちのかわいらしいダンスのようなものだろう」


 なんとも回りくどい喩えだけれども、つまりは大した相手じゃないと言いたいのだろう。それと、ぼくたちのほうがよほど並外れたクズだとも。


「それで」とコーダ。「お仕事って、これのこと?」

「あたしらが出る必要ないだろ」とシャルフ。「あんたの子飼いの特殊部隊カッコニンゲンサマたちを使えば済む話だ」


 ところが、フェルマータは、鈍色の瞳に小さな光を宿していた。

 そんなことは百も承知だ――と言わんばかりに。


「きさまらの相手は、こいつだけではない」

 映像が切り替わる。別視点のカメラだ。


 映し出されたのは、遠巻きにこのカオスな戦場を眺めるギャラリーたち。

 恐怖に支配された顔で叫び続ける女性がいる。

 映画か何かの撮影だと勘違いして、スマホで録画している男性がいる。

 雑踏の中で親とはぐれたのか、泣き出しそうな顔であたりを見回す子供がいる。

 その中に――


「……うげぇ」

「……ひえぇ」

 シャルフとコーダが、ダンプカーに踏み潰されたカエルのような悲鳴を上げた。


 ひとりの、ある女性の姿を認めたからだった。


「こいつの相手は、きさまらでなければ務まらん」

 そう言うフェルマータもまた、心中穏やかではないだろう。

 何せ、悪魔のような存在が、いまだ野に放たれたままなのだから。


 映像に映りこんでいたのは、花のような笑顔の可憐な少女。

 名を、アリス・マクスウェル。

 もっとも危険な、クラスZに分類された最凶のノイズ。


「マクスウェルを捕縛せよ、などと阿呆な命令は下さん。きさまらの標的は、あくまでこの男だ。ただちに実行しろ。異論はないな、シャルフ、コーダ」

「……チッ、マジでついてねぇ。今日の日付を人生最悪の日だって記念日にしなきゃなァ」

「もー、ほんとに最悪。なんであのクレイジーサイコレズの相手をしなきゃなんないのよー」

「返答が聞こえんようだが。きさまらは口をなくしたか? それとも、なくしたのは鼓膜か、言葉を理解する脳か。あるいは、明日以降の食事かもしれんな」

「わーったよ、やるよやりますよ! やるしかねぇだろこんちくしょー!」

「はいはいはいはい、どうせ〝Yes″しか知りませんよーだ」


「それから」と地獄の王は、視線をぼくへと移して言った。「きさまもだ、ジーン」

「……ですよねー、そうですよねー」

 ここでようやく、ぼくは言葉を発する機会を得たのだった。


 戦場に駆り出されるのは、いつだってぼくの役割だ。

 話の流れ的に、知ってたというかわかっていたのだけれども、それでも、やっぱり嫌なものは嫌なのだ。

 命の危険があるから、ではない。ぼくには、命の危険というものがそもそもわからない。

 それじゃあ、何が恐ろしいのかというと――

 世の中、だったりする。


 いや、キザなレトリックとか、そういうんじゃなくて。

 ぼくの、ぼくたちのようなノイズが恐れているものは、いつだって常識というやつだ。

 その常識で塗り固められた世界に行かなきゃならないというのが、ぼくは、恐ろしい。


「わかりました、行きますよ」

 こう返答するしか、選択肢が残されていないことも、すべて常識の作り出した枷によるものなのだから。


 そうして――

 ぼくら3匹の猟犬は、ふたたび地上へと送り出されるのだった。


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