4.チョコレート
商人がチョコレートを摘んでいるのを目敏く見つけた少女が商人のもとへ駆け寄った、あれほど逃げ回っていた蝶は、少女を追う様に付いて来る。
商人も少女もチョコレートはとても好きだった、テーブルの端を掴み、自分も欲しいと、体中で表現して何度も飛び跳ねる、礼儀やマナーを重んじるヘレナはそんな少女を宥め、椅子に座らせ様と試みるが、聞かない処か気付いてすらいない、蝶はヘレナをからかう様に旋回して見せた。
商人はそんな姿を暫し、微笑ましく眺め、一人の令嬢の事を、想い起こしていた。
太陽に愛された金の髪、健康的な白い肌、頬を薄桃に染め、深海の様に深い青い瞳で無邪気に笑う姿は、淑やかな御令嬢とは言い難いが、何より愛らしい。
彼女も、チョコレートがとても好きだった、其れを聞いて、商人は迷わず花と共に、選りすぐりのチョコレートを贈ろうとした。
しかし彼女の手に渡る前に、彼女の母に、体に良くないからと付き返されてしまった、自分の不用意さや付き返された事のショック、そして何より、何故彼女は好きな物を食べられないのだろうと言う思いに、若い商人は俯いた、その時の商人には財力も権力も無い、不用意な発言は命取りだった、俯いて引き下がる他に、成す統べは無い。
チョコレートの入った小箱に掛けられたリボンが少し歪んでいるのを唯眺めた。
そんな後ろ姿に声がかかり、驚いて振り返ると深海色の瞳が笑っていた、走って来たらしく、少し息が上がっている、本当に淑やかとは程遠い・・・商人は思わず笑みをこぼした。
彼女は商人の手から小箱を取り上げ、人差し指を小さな口元にあてた、こっそり頂くから母には秘密にして下さい、そう言って片目を瞑る。其の悪戯っぽい瞳と笑みに胸が溶ける様な熱を持った。
其の想いや彼女の笑みを商人は今も鮮やかに思い出す、目の前のヘレナは、飛び跳ねる少女を抱えてでも椅子に座らせ様としていたが捕まらない様だった。
商人がチョコレートを一つ摘み上げ、少女の大きく開いた口の中へと放り込んだ。
少女はぴたりと飛び跳ねるのを止め、ほろ苦く何処までも甘い茶菓子を、ゆっくりと舌の上で転がした、飛び跳ねることをやめて尚、濃厚な甘みを噛み締める少女の表情は忙しい。
やっとおとなしくなった少女をヘレナは素早く抱え上げ、椅子に座らせた。チョコレートが口の中から消えてしまえば、少女は再び走り回ってしまうのに、ヘレナは辛抱強く何度でも椅子に座らせる。
先程までヘレナをからかっていた蝶は、少女がチョコレートを堪能する束の間のひとときを、ヘレナの肩の上で翅を休めて過ごした。