第四周目 「四面楚歌の教師」
第四周目 「四面楚歌の教師」
美才冶世界。
こいつと出会い、そろそろ1ヶ月が経過しようとしている。
何とも濃密で濃厚な1ヶ月だ。正直な話、1年くらい経過していてもおかしくないくらいの体感時間だった。
にもかかわらず、オレにはいまだこいつの考え方が読めない。一向に読めてこない。美才冶が何を考えているのか?
それは、オレにとって永遠の謎なのだろう。
そしてまた一つ、美才冶はオレの予想を裏切るような爆弾発言をノーモーションでぶつけてきやがるのだった。
◆
「はーい、みんなー今日も授業はじめますよぅ? ノートと教科書の準備はいいですかぁ? ねんねしちゃめーですからねー」
いつものようにまほちゃん先生のまったりとした授業が始る。
癒し。
まほちゃん先生と言う人物を一言で言い表すなら正にそれだった。
どんなに荒んだ気持であろうと、どんな不届きな気分であろうと、まほちゃん先生の授業を受けると、自然と安らかな気分になれる。
これぞまほちゃんマジック。まほちゃんズワールド。まほちゃん先生は、このクラスになくてはならない存在なのだ。
◆
あっという間にまほちゃん先生の授業が終わり、時刻はお昼。
まほちゃんズワールド唯一の例外者である美才冶。こいつだけは別格。
誰も寝る事さえないまほちゃん先生の授業において、唯一寝るという暴挙を決め込むまほちゃんズワールドただ一人の不法入国者。
オレは隣のよしみで仕方なく美才冶の頬をペンでつつき、起こしてやる。
「おいこら。授業終わったぞ? 昼飯の時間だ。とっとと起きやがれ」
「んー、あと500分だけー」
「長げーよ。そこはせめて後5分だろ。一応起こしてやったからな? 後はもうしらん。勝手にしろ」
席から立ち上がろうとした瞬間、オレは制服をつかまれ、再び席へと戻された。
「美才冶。言いたいことがあるなら、面と向かって言え。今度は何だ?」
美才冶は顔を伏せたまま、オレと目もあわせず言う。
「ボクはね南天君。そろそろ次の段階に進もうと思うんだ。当然、君にも付き合ってもらう。いいね?」
付き合うも何も、そもそもオレに選択権は無い。
それより気になるのが、美才冶の次の段階というワード。つまり、どういうことだ?
「一旦場所を変えよう。そこの窓の外、ベランダでいい」
美才冶の言葉に従い、オレは窓を開け、教室のベランダへと出た。
春のうららかな陽気。流石に桜は散ってしまったものの相変わらず吹く風は温かく、眠気を誘う。
「何だよ。改まって」
「南天君、このクラスの話をしよう」
こいつの話はいつだって唐突で、理不尽で、信じがたい。
「ボクは、ある人物を探すためこのクラスへとやってきた。ボクのカンによって導かれて、だ」
それは知っている。美才冶から何度も聞かされた話。
こんな話ならわざわざ教室から移動するまでも無い筈。オレは、美才冶が次の言葉を口にするのを、固唾を呑んで見守った。
「断言しよう。このクラスは普通じゃない」
「は? 普通じゃない?」
普通じゃない。
そりゃ美才冶やギコ、フータや百竹といった普通じゃないやつらが何人かいる時点で、まるっきり普通ってわけじゃないだろうよ。
「まぁ、聞きたまえ。ボクがこのクラスに来たとき、確かに何人かの変わった<個性>の持ち主がいると感じた。それが凪子や白羽君、杏。だけど、ボクはその時点で一つの間違いを犯していた。ボクは神様じゃない。ボクのカンだってたまには外れる事もある。いや、この場合は状況がボクのカンを上回っていたというべきか」
「つまり何が言いたい? まさか、このクラスにゃお前の探し人はいねーのか?」
美才冶は黙って首を横に振った後、続けた。
「このクラスには変わった人物がいるだって? そうじゃない、逆だ。全くの逆。実のところ、このクラスには変わった<個性>の持ち主しかいないんだよ、南天君。もう一度言う。このクラスは、普通じゃない。おかげさまでボクのカンは、凪子や杏の件を通じて確実にその力を増している。だからこそ分かった事実さ」
つまり、このクラスの連中は全員が全員何かしらの秘密、美才冶の言う所の個性ってやつを持ってるってことか? ギコや百竹のように?
おいおいおい、そんな話ありえるのか? 全員だぞ?
「疑う気持も分かる。何しろ、ボクだって思いもよらなかった事体だからね、これは」
「流石に無理があるだろ。見てみろよ、美才冶。このクラスの面々を、あいつらの顔を。どいつもこいつも、どう見たってごく普通の高校生ってやつだろ?」
ベランダから教室を覗き見る美才冶。
何を思ったか、その人差し指をある人物へと向けながら言う。
「ふむ。そうだな。例えばだが、教卓前に座る彼。確か臼井君だったか? 彼を見たまえ」
臼井景雄。その名の通り、クラス内において若干影の薄い人物。
「臼井が何だよ。… いやいやいや、嘘だろ? まさかあいつも?」
美才冶はニヤリとその口元を怪しく歪める。
「ザッツライト。そのまさかだよ。ボクのカンが囁いている、彼はね、ここに居るけど、ここに居ない」
「すまん、美才冶。全く意味が分からん」
「南天君。生霊って知ってるかい? もしくは、エクトプラズム。つまり、彼の実態はここには無いのさ。彼が影が薄いって話もあながち間違っていないどころか、なるべくしてそうなったといったほうが正しいのだろうね。あははっ、素晴らしい<個性>だ」
衝撃。
嘘だろ? あの景雄が? オレは言葉を失い、ただただ呆然と臼井景雄を眺めていた。
「ふふん。これくらいで驚いてもらっては困るな。次だ。臼井君の隣、委員長を見てみたまえ」
臼井の隣の席は、我がクラスの委員長である宮前の席。ギコに並ぶ優等生である女委員長、宮前にも何か秘密があるってのか?
「彼女には祓う力がある。さしずめ和製エクソシストってところだね。きっと、何代にも渡り、代々受け継がれてきた由緒正しきものなのだろうね。実に美しい」
確かに、宮前の実家は大きな神社。
両親はそこの現神主だと聞いたことがある。まさか隣同士に座る二人にそんな秘密があるとは… ん? 待て、隣同士だと?
「気がついたかい南天君。これは明らかに可笑しいんだよ。こんな事実、絶対に有り得ないんだ。同じクラスにそんな二人が居るだけでもまずいのに、よりにもよって、彼らは隣同士で座っている。毎日毎日顔をつき合わせているんだ。可笑しいだろ? 宮前さんが気がつかないはずが無いんだ、臼井君の<個性>に。彼らは本来反発しあうような<個性>同士なんだよ」
「そ、そうなのか?」
「まだまだあるぞ。臼井君の後ろの席男子。彼には俗に言うパイロキネシス、発火の<個性>がある。その斜め後ろの席のお下げ髪の彼女。彼女はその正反対、物体を凍らせる<個性>。言い出したらきりがないし、君に理解できるかも怪しいから一旦ここまでにしておくが、ボクがここ数日の間調べただけでもこの有様。南天君、君はこの事実をどう考える?」
どう考えるも何も、もしも美才冶の話が本当だとするなら… このクラスは、このクラスは一体何だ?
「意図的に集められたってのか? このクラスの連中は」
「さぁ、どうだろうね? そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。現状では目的すら見えてこない、ボクには何とも言えないよ。確かにそれも気になる問題だが、もう一つ、ボクにはどうしても気になることがあるんだ」
クラスの連中は普通じゃない。
これ以上に気になる問題が果たしてあるだろうか? オレは黙ってクラスの様子を眺めた。
どいつもこいつも、和気藹々と昼飯を食べている。一見すると平和そのもの。この光景だけ見ていると、どう考えたって、可笑しいのは美才冶の頭ってことになるが、残念ながらオレも、いわゆる頭の可笑しい世界の一端、ってやつを垣間見てしまった側の人間。今回も、恐らく美才冶の言葉が正しいのだろう。
こんな結論に辿り着く辺り、オレの思考回路は美才冶によって大分侵食されちまってるらしい。
「分からないか。いきなりだったからね、まだ心の整理が出来ないかな。すまないが、ここまできたらボクは止まる事が出来ない。では言うぞ? ボクのカン通り、もしもこのクラス全員が何らかの力を持っていたとしたら、このクラスはどうなると思う?」
オレは起こりえる限りの想像をしてみた。
不思議姉弟に、フライングウーマン、生霊にエクソシスト、人間ライターに人間冷蔵庫。それに加えてまだ見ぬ謎能力を持つ実に個性的なクラスメイト達。
そんなやつらが同じ教室の元に集まるクラス。
「んなもん、まともなクラスになるわけが無い。それどころか、普通の学生生活を送れるかすら怪しいだろ」
「エクセレント。その通り。流石南天君、ボクが言いたかったのはまさにそれさ。<個性>と<個性>のぶつかり合い。聞こえはいいが、最悪だろうね。だがどうだろう、実際このクラスはそんな事になっているかい? むしろ学年一の仲良しクラスじゃないか。何といってもこのボクにまで、その慈愛の手を差し伸べてくれようとしたんだからね。ま、未遂に終わったのはボクとしてもちょっと残念だったけど」
その時、昼休み終了の予鈴が校舎に響き渡った。どうやらオレ達は随分長々と話し込んじまったらしい。
やれやれ、今日もオレは昼飯抜きか。
「時間が無いから結論だけ言おう。ボクはこのクラスの秘密を解き明かしたい。それこそがボクの探す人物への近道だと、ボクはそう信じている」
「お前の話は相変わらずのぶっ飛びっぷりだったが、まぁ、言いたいことは大体分かった。それで具体的には何をおっぱじめようってんだ? オレは何をすればいい?」
「あははっ。話が早くて助かるよ。このクラスの秘密を解くにはどうすればいいか? ズバリ、ボクのカンが囁いている。担任を調べるべきだとね」
たんにん、タンニン、担任… 担任だと? まほちゃん? まさか、まほちゃん先生まで秘密を持ってるってのか?
「おいおい美才冶、まほちゃん先生は流石にねーだろ。そもそも生徒じゃねーぞ? 最初のお前の話じゃ、お前の探し人はクラスメイトだって言ってたじゃねーか」
「ふむ。君の言う通り。先生は調べるまでも無く、ボクの探す人物ではない。現時点でもそういいきれる。だがね、先ほども話した通り、このクラスの秘密を解き明かす事こそが、ボクの求める路の一番の近道なんだ。そのためにもまほろ先生を探る事は、避けては透れない道なのさ」
◆
こうして、次のターゲットは担任である中世古まほろ先生、通称まほちゃん先生へと決まった。
これは美才冶のお目当ての人物を探るためでも、先生の秘密を探るためでもない。あくまでこのクラスの秘密を紐解くための一端である。
段階を追って謎を説く必要がある以上、今回のこの調査、恐らく今までで一番長く険しいものになるのは、まず間違いないだろう。
それに加えて先ほどの美才冶の話。ヤツは何度も何度も、まるで強調するかのようにこう言った、クラスの全員、だと。
つまるところそれは、オレ自身も含まれているという事になる。
あいつはこのクラスの謎を解くとともに、とうとうこのオレについても、本腰を入れて調べる気になったということなのだろう。
全ての謎が明らかになったとき、果たしてオレはどんな顔をしてみんなの前に、美才冶の前に立っているのだろうか?
今のオレには、まだ想像すら出来ない話。
◆
「これはボクの予想でありカンだが」
午後。
まほちゃん先生の授業中、美才冶は突然オレに語りかけてきた。
「このクラスが奇跡的に一つにまとまっている理由、平穏無事にまるで極々普通の学生クラスのように団結している理由。それらは全て、先生の持つ力、つまりは彼女の<個性>によるものだとボクは考えている。まずはそれを探るためにも、今日、ボクはまじめに先生の授業を受けてみようかと思っている」
そう言って、ぐいっとそのピンク色のメガネを押し上げた美才冶は、カバンからびっくりするくらいファンシーなノートとペンを取り出した。
分からない。やっぱりオレは、美才冶のことがさっぱり分からない。だが、今特筆すべきはそんな美才冶の悪趣味な文房具の話ではない。こいつがまじめに授業を受けようとする姿勢だ。格好は相変わらず体育着のままだが、こいつがまじめに授業を受けようとするところをはじめて目の当たりにしたオレは、いささかの感動を覚えたりするのだった。
「おお、珍しい事もあるもんだな。お前にしちゃいい心がけだよ。それだけ今回の件、本気だってことか?」
「あははっ、まぁね。ボクだってたまには授業くらいまじめに受けるさ。君と同じ、一、学生としてね」
一、学生ねぇ。勉学に励むからこそ学生であって、こいつの場合一日中寝ているか、自身の目的のために暗躍するかの二択。
とてもじゃねーが学生だなんて名乗る資格は無いような気がする。学生を名乗りたいなら、もっと学生らしい行動をしろ。自分の欲望に忠実すぎるんだよ、こいつは。
が、そんな会話を繰り広げるオレ達に近づく人物が一人。
「んもー、二人とも授業中におしゃべりしてちゃ、めっ、ですからねぇー」
そう言ってオレのおでこに向かって、かるーいデコピンを一撃放ったまほちゃん先生。
勿論、威力はゼロだ。
「すんません、まほちゃん先生」
「なーにやってんのさアラタ。この僕でさえまほちゃんの授業だけはまじめに受けてるってのにさー。しっかりしてよー」
確かにオレが悪いんだが、フータにそれを言われると無性に腹が立つ。むしろ腹が立つ。腹を立てずにはいられない。
「フータ、お前にだけは言われたくねーな」
「はいはーい、そこまでー。今日はね、先生とっても嬉しいんだから。喧嘩なんかしちゃだーめ、ねっ?」
そう言いながら、にこにこ顔で美才冶の手を取り、ぎゅっと握手をした後ぶんぶんと上下に振るまほちゃん先生。
「だって、今日は初めて美才冶さんが、私の授業をきちんとうけてくれてるんですもの。ねー」
尚もその手を振り続け、まぶしいくらいの笑顔を見せるまほちゃん先生。
そんな先生に対し、珍しく動揺した素振りを見せる美才冶。
おお。こいつでもこんな顔する事あるんだな。何だか意外な一面を見た気がする。相性の問題か?
いつも寝ている美才冶が、珍しくまじめに授業をうけてくれたことがよほど嬉しかったらしく、いつにもまして上機嫌でハイテンションなまほちゃん先生。
どれくらいハイテンションだったかといえば、事あるごとに美才冶を指名し、問題を解かせたり、教科書を読ませたり、いつもは例えばその日の日付であったり、出席番号順ごとに指名されていたものが、今日に限っては全ての回答権が美才冶にまわされるレベル。
オレにとっては非常に助かる展開ではあったが、しかし美才冶、そこはやはり只者ではなかったわけで、全問正解という快挙を難なくこなす辺りやはり流石だと言わざるを得ない。
その後、まほちゃん先生の授業は平穏無事に終了した。
が、何故か微妙な顔をしている人物が一人。何を隠そう、勿論、美才冶その人である。
オレ達は再び教室の窓からベランダへとやってきていた。
「困った。南天君、どうやらボクは… まほろ先生が苦手らしい」
「はぁ?」
前途多難。
まほちゃん先生が苦手? そんな人間がこの世にいたことに既に驚きだが、この世に怖いものなどないかのような、自信の塊、美才冶世界がよりにもよってまほちゃん先生が苦手だと言う事実が、何より一番の驚きだった。
「先生の性格なのか、はたまた持ち合わせた<個性>によるものなのか。彼女には、人を自分のペースに引き込む力があるようだね」
「そりゃ性格だろ。そもそもまほちゃん先生をなんとかしねーと、今回の問題は解決できないんだろ? 大丈夫かよ、肝心のお前がそんな調子で」
「そんなことを言われても、その、困る。ボクだって苦手なものくらいあるさ」
これまた珍しく弱気な美才冶。
日頃のお返しにもう少し弄ってやりたいところだが、実際問題事態はわりと深刻だ。
「で、どーすんだ?」
「転んでもタダでは起きないのがボクの信条。今日、彼女の授業を受けてみてボクは確信したよ。やはり先生こそが、このクラスのキーであることに間違いないってね」
キー。随分微妙な言い回しだ。
いずれにしろ、まほちゃん先生がこのクラスにとっての重要人物であることは間違いないらしい。
しかし、それはどういう意味で、どういう方向でなのか? オレらにとっては正にそれが問題なんじゃなかろうか。
「よーするにだ美才冶。お前は、まほちゃん先生が黒幕だって言いたいのか? 返答次第じゃ、オレは今回の件、手を退かせてもらうぞ」
「ほぅ。君にしては珍しく、随分御執心じゃないか? あははっ、妬けるね」
「お前に何が分かる!」
反射的にそう叫んでしまったオレ。
… しまった。
が、そう思ったときには既に遅い。教室の連中が一斉に視線をベランダへと向ける。
皆からの視線が居た堪れない。
そんなオレに対し、美才冶はぽんぽんとオレの肩に軽く手を置いて言った。
「落ち着け、南天君。ボクはキーと言っただけだ。先生は一体何者で、このクラスとどう関わっているのか? これからそれを探っていこうという話なんだからね」
美才冶は、いつも通りの落ち着き払った声と態度でオレを宥めた。
よりにもよって、美才冶に宥められる日がこようとは。何て無様なんだ、オレという人間は。
「すまん」
「いいさ。人間、正直なのは良い事だからね。それと、今後の方針のことだが、もう少し様子を見てみよう。急いては事を仕損じるって言うだろ? 今回ばかりは、ボクとしてもいささか慎重にならざるを得ないからね」
紆余曲折を経てようやく始動したまほちゃん先生の調査。
が、この直後、オレ達の思いも寄らない方向へと事体は急変していく。
◆
翌日。
「はぁー? まほちゃんが風邪ー?」
教室に響き渡るフータの叫び声。
朝のホームルーム。まほちゃん先生の代わりに現れた体育教師から放たれた言葉は、クラス中に衝撃を与えた。
「くぅら、白羽。中世古先生と呼ばんか。先生はお前らの担任であって、友達でも同級生でもないんだぞ」
こんな朝っぱらからこんな暑苦しく、むさくるしい体育教師の姿を歓迎するやつがいようか? いや、いるわけが無い。
微妙に低いクラスメイト達のテンションの中、ただ一人フータだけがきぃきぃと騒ぎ立てている。
「休むくらいだもんなー、ねぇセンセー、まほちゃんの風邪酷いの?」
「だから中世古先生と呼べと言っとるだろうが。それに、詳しい事はワシも知らん。だがインフルエンザじゃないんだ。二、三日も休めばすぐに良くなるだろう。そういうことだから、お前たちは心配せずいつも通り勉学に励む事。いいな?」
まほちゃん先生、突然のダウン。完全に予想外なこの展開。さて、美才冶。お前はこの状況をどう見る。
「南天君、これはチャンスだ。好機だ。これをみすみす逃す手はない」
何となく想像はついていたが、美才冶曰く、チャンスらしい。
「チャンスって言われてもな。当の本人が居ないのに何をするってんだよ?」
「決まってるじゃないか、そんなもの」
美才冶はそのピンクのメガネをくいっとあげた後、口元をにやりと歪めて言う。
「お見舞いさ」
「いいねいいねいいねー。美才冶さん、ナーイスアイディアー。ね、ね、皆で行こう? まほちゃん家ってどんなかなー」
どこから沸いて出たのか、オレと美才冶の隣にフータがやってきていた。つーかこいつ、盗み聴きしてたのか?
だが、それより何より、こいつらは一つ、大事な事を忘れている。
「待て。行くのはともかくとして、そもそもお前ら、まほちゃん先生の住所知ってんのか?」
「…」
「…」
案の定、知らねーのかよ。
それ以前に、フータはともかくとして、美才冶のやつお見舞いにかこつけて何をやらかすつもりなのか。やつが絡んでくる以上、ただのお見舞いで終わるはずがないのだから。
「そんなことも知らずに、思いつきで物を言うんじゃねーよ。それにな、そもそもオレ達が行った所で」
その時、突然、ガラス戸が開かれギコまでもがオレ達の前に姿を現した。いや、フータがオレ達の話を聞いてたってのなら当然、ギコもその話を聴いていたということに他ならない。というかギコよ、もう力に頼らないんじゃなかったのか?
「話は、聞かせてもらった、わ。大丈夫、私、先生の家知ってるから」
「ふむ。そういえば、凪子は副委員長だったな」
「うん。だから、クラス委員の仕事で、何度かお邪魔した事があるの」
「流石は凪子だ。ふふん、どうだ南天君。何か他に問題があるかい?」
何故か偉そうな美才冶。別にお前の手柄ってわけでも、何が解決したってわけでもないのにな。
「いや、ねーよ。というかお前ら、既に行く気満々なのな」
「あったりまえだよー。僕ってば当然アラタについていくからねー。姉貴、姉貴、まほちゃんちってこっから近いの?」
「近い。歩いて20分くらい」
「では決定だな。放課後、このメンバーでまほろ先生宅へGOだ」
そう言って再び不敵な笑みを浮かべる美才冶。この顔。ああ、美才冶のこの顔、正直言って気が重い。
◆
そして、時刻はあっと言う間に放課後とった。
「このメンバーで集まって遊びに行くのって初めてだよねー、んふふ、僕ってば何だかわくわくしちゃうなー」
などと暢気にのたまうフータ。こいつ、絶対何も考えずについてきたんだろうな。
「あのなぁフータ、オレ達は別に遊びに行くわけじゃねーだろ。あくまでお見舞い何だからな? お、見、舞、い」
「わかってるよー。アラタってば相変わらずあったま堅いんだから。カチカチなんだから」
その時、美才冶がちょいちょいとフータを手招きし、小声で話しかける。
「白羽君、白羽君」
「なになに? 美才冶さん」
「南天君とまほろ先生は、過去に何かあったのかい? 彼の先生に対する態度が聊か気になったんだが」
「あー、それ。僕もちょっと気になってたんだよねー」
流石はモーストデンジャラスコンビ。何が飛び出すかわかったもんじゃねー。
というか、何気にギコまで聞き耳を立てる始末。そもそもお前はそんな真似せんでも聞こえるだろうが。
「お前ら、内緒話は当人の居ないところでもっと小声でやるもんだ。それに、期待してもらって申し訳ねーがなんもないぞ」
「本当かな? あーやーしー」
「うむ。怪しいな」
「怪しい」
三者三様の反応。にやにやしながらこちらに視線を向けてくる。
「あのなぁ。好き勝手いいやがって」
「ま、まぁまぁ、落ち着いてください南天さん。皆さんもそこまでにしましょう、ね?ね?」
百竹、やっぱりお前だけはオレの味方をしてくれるんだな。不覚にも感動しちまいそうだ。
「杏にそう言われては仕方が無い。凪子、先生宅まで後どれくらいかな」
ギコは美才冶の質問に答える代わりに、その細く長い指をすっと伸ばした。
「アレ」
そう言ってギコが指さしたのは一棟の高層マンション。
「うっわ、まほちゃんってばいいとこ住んでるなー。何階建て? ねぇ、これって何階建て? 」
「知るかよ。おい、入り口で騒いでないでとっとと入るぞ」
ぞろぞろと高層マンションのエレベーターへと侵入する怪しい5人組。あーあ、本当にここまで来ちまった。
「ここまできて言うのもなんだが、誰か先生に連絡とか入れたのか?」
本当にいきなり唐突に勢いだけでここまで来たオレ達。
女性の、それも一人暮らしで風邪で寝込んでいる人間の下へ、突然上がりこんでいいものなのかどうか。
「転校生であるこのボクが、先生の電話番号なんて知っているわけが無いだろう?」
「うぅ、ごめんなさい、私も知りません」
「当然僕もしらないよー」
残るは一人。オレ達の視線は自然とギコに集中した。
「知ってるけど、連絡してない」
「何でだよ!」
「何となく」
「まぁ、君たち、夫婦喧嘩はそこまでにしてだな」
「夫婦じゃねー!」
にやけ顔の美才冶に対し全力で否定するオレ。
一方、無表情ながらも顔を赤らめるギコ。早いから、気が早いから。まだ結論は出ていないから。
「そ、そうですよ。ダメです。そんな、お二人ともまだ学生ですし、その、そういうことはきちんと話し合って決めないと」
エレベーター内で騒ぐ場違いな5人組。
とはいえ、オレに変わって真剣にそう言ってくれる百竹。ああ、やっぱりお前はいいやつだよ。
「ふむ。相変わらず罪な男だな、南天君は。それはそうとして、凪子、先生の部屋はこの階でいいのかな?」
「うん。皆、降りて」
時刻は4時過ぎ、流石に一般的な会社の就労時刻終了まで多少の時間があるためか、マンション内はしんと静まり返っていた。
「一先ずもうマンション内なんだし、お前らこっからはあんまり騒ぐんじゃねーぞ?」
「子供じゃないんだからさー、そんなの分かってるよー。アラタってば先生みたい。それより姉貴、まほちゃんの部屋はどっちなの?」
「あっち」
オレ達はギコに先導されながら、とううとうまほちゃん先生の部屋の前までやってきてしまった。
「はいはいはーい。僕がチャイム押しまーす」
フータはそう宣言し終わる前に既にチャイムを押していた。おいおい、やっぱり子供じゃねーかよ。
暫くの沈黙の後、ドア前のインターフォンから先生の声が聞こえてきた。
「え? え? 美才冶さん? 百竹さんに、白羽さん、それに南天君まで」
まほちゃん先生、こりゃ相当驚いちゃってるな。連絡もなしにやってきたんだ、そりゃ当然。
「まほちゃーん、僕も僕も。僕もいるよー」
「白羽君も? あらあら。皆さん、お揃いでどうなさったんですか?」
「僕たちってば、先生のお見舞いに来たんだよ。先生、調子どう?」
いつもなら率先して事を運ぼうとする美才冶だが、今回は借りてきた猫状態。まほちゃん先生が苦手って話はどうやら間違いないらしいな。
「あの、あの、すみません、先生。先生が急に風邪で休まれたと聞いて、私たち、居ても立っても居られなくて」
そんな美才冶に代わって、インターフォンの近くに居た百竹が率先してくれる。
「…」
が、その先生からの反応が無い。一度インターフォンに出た以上、部屋に居るのは確実なんだろうが…。
「まほちゃん? おーいまほちゃんやーい」
「うぅうう」
「? おい、まほちゃん先生、一体どうし」
「うええええええええええええええええん」
突然の女性の泣き声が廊下に響き渡る。女性、というかこの声の持ち主は当然まほちゃん先生なわけで。
「えええええん、ぐずっ、うぅ、ごめんねぇー。先生、せんせぇ、ちょっと感動しちゃった。今、開けますからね。ちょーっと待っててくださいねぇ」
つーか、感動してたのかよ! まほちゃん先生らしいといえば、らしいけど。
「ふむ。何とかうまくいったようだな」
「取り敢えずはな。で、美才冶。こっからどうするつもりだ? 実際、ここまで来ちまった以上、苦手だなんて言っちゃいられんぞ」
「分かってる。さぁ、そんなに気張らずまずはお見舞いだ」
そんな風にオレ達がひそひそと話しこんでいると、目の前の扉がガチャリと開いた。
「はぁーい、皆入って入ってー」
オレ達の目の前に現れたまほちゃん先生は、マスクに冷却シート、パジャマにどてらに毛糸の靴下という病人マックスモードの姿だった。コレ、本当にオレ達来て良かったのか?
「すまん先生。やっぱ突然来たのはまずか」
まほちゃん先生は、そう言いかけたオレの口をその人差し指で塞ぎ、ニッコリと笑ってみせた。
「いいんですよぉ。先生、ほんとーに嬉しかったんですからぁ。それに、南天君だったらいつでも歓迎ですもん。前にも言った通りですよぅ?」
「…… ありがとう、先生」
「うふふっ、さぁ、南天君も遠慮なく入ってくださぃ」
オレはまほちゃん先生の後ろについて彼女の部屋のリビングへと入った。
そこでは、先に入っていたフータがそれはもう本領発揮と言わんばかりのウザっぷりを発揮しながらまほちゃん先生の部屋を物色していた。
きっと、こいつの頭の中には礼儀やマナーといった言葉は存在していないのだろう。
「あんまりじろじろ見られちゃ恥ずかしいですよぉ、白羽君。先生だって一応年頃の女性なんですからぁ」
「んふふー、ごめんごめんまほちゃん。僕ってば姉貴以外の女の子の部屋なんて入った事無いからさー興味津々なんだー。あー、何かいい匂いするよねー、何だろー」
あくまでも自分の本能に忠実な男、フータ。
だがそんな男にも年貢の納め時はやってくるもの。ギコは黙って立ち上がると静かにフータに近づき、目にも留まらぬ所作でそのどてっぱらにボディブローを叩き込んだ。
一瞬、オレの目に般若が映ったような気がしたが、それはオレの気のせいに違いない。
「ごほぅぇえっばぼう」
それがフータの最後の言葉だった。
「先生、失礼しました」
ギコのやつ、フータに対しては本当に手加減や容赦ってやつがない。ま、今の自業自得だからいいんだが。
それにしてもギコのやつ、また腕を上げたな。早すぎて動きが見えなかったぞ、今の。
部屋の片隅でピクピクしているフータを全力で放置しつつ、オレ達は本題へと移る事にした。
「あ、あはは。先生、その、お体のお加減はいかがですか?」
戦力外のフータ、何時に無く表情が硬い美才冶、だんまりなオレ。
気を使わせてしまったらしく、そんなオレ達に代わってまたもや百竹がまほちゃん先生への話を主導してくれた。
「あなた達がお見舞いに来てくださったおかげで、先生、風邪なんてどこかに飛んでいっちゃいました」
そう言って再びにっこりと笑うまほちゃん先生。
どうやら本当に風邪はそれほど重症ではないらしい。この分ならすぐにでも良くなるだろう。
最も、素直に寝ていればの話だが。そして残念な事に、オレ達にとっての問題は正にこれから。さて、どうやって切り出すべきだろう? オレがそんな風にあれやこれや思案を巡らす中、ついに、オレ達の首領が動き出した。
「まほろ先生。ズバリ、先生は何者ですか?」
美才冶らしい、実に単刀直入なやり方。
「? 先生は先生ですよぉ?」
「ふむ。そう来たか。まぁ、これで済んだら苦労はしないな。うむ、仕方が無い」
そう言うなり、美才冶は百竹の肩をポンと叩いた。
「百聞は一見にしかずってやつさ。杏、それじゃぁ頼むよ」
「えっ、えええっつ。わ、わたし、私ですか?」
「あははっ、まぁまぁ落ち着きたまえ。一先ず君の<個性>ってヤツをちょっとだけ見せてくれればいいんだ」
どうやら美才冶は、まほちゃん先生に直接百竹のアレを見せることによって、先生の真贋を諮ろうということらしい。だが、果たしてそんな簡単にうまくいくだろうか? 何しろ、相手はあのまほちゃん先生なのだから。
「あの、あの。それじゃ、私、行きます!」
ぎゅっと目を瞑った百竹の体は、しばしの沈黙の後ゆっくりと少しだけ浮かび始めた。
「うむ。何時見ても素晴らしいな、君の<個性>は。大分コントロールもよくなってきたんじゃないか?」
「ふふっ。ありがとうございます。あれからも毎日練習してますから」
スカートを手で押さえながら、さながらまほちゃん先生の部屋が無重力であるかのようにぷかぷかと浮く百竹。
美才時の言うとおり、確かに様になってる。この勢いなら、あの時くらいスイスイ自由に飛べるようになるのも時間の問題じゃなかろうか。
何というか、人が空を飛ぶって事体にもはや何の疑問も持たなくなっちまったオレ。ついこの間までなら、そんな事ほざくヤツがいたら鼻で笑ってやったのにな。
だからこそ、先生の気持は良く分かるが。
「…」
「せ、先生? まほろ先生? あの、あの大丈夫ですか? その、私、やっぱり変、ですか?」
「ふ、ふふふ、にゅふふふふふふふふふふ」
あ、ヤバイ。これはヤバイ。これは完全にダメなパターンだ。
先生が、壊れた。
「あわわ、先生が、私のせいで先生がー」
満面の笑みで不気味な笑い声を上げるまほちゃん先生と、慌てふためく百竹、何故か呻き始めるフータ。
何だこの状況、全く収集がつかん。
「おいおい落ち着けよ二人とも。百竹、まず深呼吸しろ。別にお前のせいじゃないし、ある意味先生の反応は正常だ。あんなもんいきなり見せられたら誰でもこうなる。たぶん」
「は、はい。分かりました。深呼吸ですね?」
若干の落ち着きを取り戻した百竹はオレの言いつけ通り、その場で深呼吸を始める。
やれやれ、と思いきや、あ、ダメだ、こいつ全然落ち着いてねぇ。
「百竹、吐け、息を吐け。さっきからすってばかりじゃねーか! それ深呼吸じゃないから、ただの過呼吸だから」
何故だろう。頭痛くなってきた。
「姉貴が一匹、姉貴が二匹、姉貴が三匹… うぅううう、ごめんよぉ姉貴。殴らないでくれよぉおおお」
先ほどから何やら残念な夢を見ながらフータがうなされているが、自業自得だし良い薬なのでナイトメアの邪魔はせず放置。
まったくどいつもこいつも、この場にまともなやつはいないのかよ。
と、その時、そのまともなやつ筆頭のギコがちょんちょんとオレの肩をつついてきた。
「おう、どうしたギコ。つーかお前はこんなときでもやっぱり落ち着いてるな。本当、助かる」
「うん。でしょ? それはそうとあーちゃん。あーちゃんって巨乳好きなの?」
前言撤回。
ギコは美才冶とは違うベクトルで考えている事が良く分からん。というか知りたくないというか、知るのが怖いというか。
「お、おおお、は? え? 何故今? 今聞かなきゃ駄目な事なのかそれは?」
オレの質問に対し、何故かぽっと顔を赤らめ目を伏せるギコ。
「だぁーっ、顔を赤く染めるなー、ギコーしっかりしてくれー」
「南天君、ハッスルしているところ悪いんだが、先生のあの反応、君はどう思う?」
いたぁーー、普段一番まともじゃないヤツが、何故かこの場で一番まともだったーーー。
「どうもこうもないだろ? さっきからにゅふふ言って笑いっぱなしだぞ。どう考えてもシロだろ」
「君もそう思うか。実はボクもそう考えている。ボクはね、前にも言った通り、その人を見るだけで、少なくとも多少の観察さえすればその人の持つ<個性>ってやつを大雑把ではあるが見極められるんだ。勿論、カンのおかげでね」
もうなんて言うか、なんでもありなんだな。美才冶のカンって。ここまで来ると別段驚きもしねーが。
「だが、そのボクのカンを持ってしてもなかなか見極められない人物ってのも当然存在する。君や、先生のようにね」
こいつ、まだオレをそんな目でみていたのか。あきらめの悪いやつだな。
そもそも、オレにそんな個性ってやつがあったら妄想趣味になんて走ってないわ。
「オレはタダのモブだ、お前と一緒にすんな。でもまぁ、お前も先生はシロだってのが結論なんだろ? 結局先生は無関係なんだろ? だったらとっとと帰ろうぜ。いつまでもこんな騒いでたら先生に悪い」
「ふむ、君にしては至極まともな意見だが、ボクの話はまだ終わりじゃない」
「何だよ。まだ先生が関係してるって言い張るきか?」
「さっきの話に関係して来るんだが、ボクのカンでも見極められない人物。これまでの経験上、そういう人物は往々にして特に強力な個性の持ち主で有り、かつ、自分でそれを自覚していない場合、無自覚な場合が多いんだ」
美才冶は、騒がしい先生の部屋の中で、一際冷静に、オレの目をじぃーっと正面から睨みつけながらそう言い放った。
やはり、美才冶はどこまでも本気なようだ。
「… だったら尚更だろ。ぼけっとすらな、帰るぞ」
「思った通り、やっぱり驚かないんだな、君は」
「何の話だよ。ギコ、百竹も出るぞ」
ギコ、百竹、フータを先に廊下で待たせ、部屋にはオレと美才冶、そしてまほちゃん先生のみ。
部屋はしんと静まり返り、先ほどまでの騒がしさが嘘のようだった。
「ごめんなさいねぇー。折角皆さんにお見舞いに来ていただいたのに、先生、やっぱりお熱が出ちゃったみたい。何だか、あらぬ幻をみていたようなんですぅー。うぅう、恥ずかしいぃです」
いや、先生、残念ながらそれ幻じゃないから、と思いながらもむしろその方が好都合なので黙っておく。
「いえ、こちらこそ突然お邪魔してしまいすみませんでした。ですが、それだけの価値はあった。うむ。それでは先生、お大事に」
美才冶はそれだけ言うと部屋から出た… と思いきや、その場で立ち止まりいきなりオレの方を振り返った。
「ん? 南天君、君は帰らないのかい?」
「ああ。ちょっとだけ野暮用だ。悪いが皆と先に帰っていてくれ」
「分かった。皆にはうまく説明しておくよ」
美才冶がやけに素直だったのと、別れ際のにやけ顔が物凄く気になったが、一先ず、これで部屋にはオレと先生の二人きり。
痛いほどの静寂が部屋とオレを包み込む。
相変わらずまほちゃんはオレの顔を見ながらにこにこ笑っている。
美才冶がドアから玄関に出たのを確認し、オレはその場で勢い良く頭を下げた。
「ごめん、まほちゃん。もしかしたらオレ、またまほちゃんに迷惑かけることになるかもしれない。そんなことになったらオレは、オレは」
床の冷たさが伝うオレの頭を、柔らかな温もりが包み込んだ。
まほちゃんが頭を下げるオレをそのまま上から抱きしめたのだ。
「いいんですよぉ。私は改君の先生なんですから。改君はなーんにもきにすることないんですよ。相変わらず心配屋さんですねぇ、改君は。そんな昔の話まで持ち出してー。私、改君になら何度迷惑掛けられたっていいと思ってるんですから。だ、か、ら、そんな顔しちゃめっですよ? ね?」
そんな先生の太陽のような笑顔に対して、オレは黙って頷くほか無かったのだった。
だからこそオレは、きっとまたこの人を頼ってしまうのだろう。
きっとまたこの人に助けられてしまうのだろう。
結局オレは、あの時からなんにも成長出来てねーってことなんだろう。
◆
翌日。
昨日のオレ達のお見舞いが影響しちまったのかどうかは定かではないが、結局まほちゃん先生の病状は悪化してしまったらしい。
今日も今日とてむさい体育教師の顔を見ながら、こうして朝の時間を過ごす羽目となってしまった。
心なしか、先生の居ない教室はその空気さえ重たく、気だるい感じがした。
気がつくとオレは、大きな溜息を漏らしているのだった。
「ふむ。朝から大きな溜息とは、さては朝ごはんでも食べ損ねたのかい?」
「あのなぁ美才冶。お前じゃないんだから、いちいち飯くらいで一喜一憂するかよ」
「はて、この前お昼を食べ損ねたくらいで怒り心頭だったのは何処の誰だったかな?」
美才冶はにやにやとその口元を歪めながら、オレの顔をじっと見つめる。… 恐らく百竹の件の時のことだろう。
こいつ、ちょっと性格がフータに似てきてないか?
「あーあーそうですね、オレが悪かったよ。確かにあん時は怒ったよ。原因が主にお前にあったし、朝昼と計二食抜きだったから流石に腹が立ったんだよ」
「あははっ、そうだったね。すまない。うむ、これはボクもちょっと大人気なかったかな。反省するよ。でも、君も感じているのだろう? この不協和音を」
不協和音。
美才冶から発せられたそのワードについて、暫し逡巡する。
確かにオレは今、妙にイライラしていた。当の美才冶すら過去の事を掘り出してきてまでオレにつっかかってきたくらいだ。
朝からオレが感じていたこの空気の重さってやつは、どうやら気のせいではないらしい。
「まほちゃん先生の不在が影響してるってことか?」
「イグザクトリー。南天君、この前ボクが話した事覚えているかい?」
この前と言われても、こいつの話はいつでもぶっ飛んでるからどれの事だか当てるのは容易じゃない。
が、話の脈略から言ってもあの事だろう。
「ああ、確か、先生がこのクラスの鎹だー的な話だったか?」
「鎹か。君らしくて良い表現だね。ボクの言ったキーよりいい表現だ。実際、正に君の言った通りだし」
結局、昨日のお見舞いで分かった事はまほちゃんは美才冶のようにクラスの連中の秘密に気がついていない、加えて美才冶に言わせると、自身が自覚なしの個性の持ち主である可能性が高いということ。この二点だった。
「つまり、お前は昨日の一件があったにも関わらず、あくまでこのクラスとまほちゃん先生は因果関係があると考えているわけだな?」
「またまたイグザクトリーだ。南天君には悪いが、ボクは確信さえしているぞ。今回の件、ボクが予想するに、先生の<個性>こそがこのクラスをまとめる鎹になっていると考えて間違いない」
それはまたなんつーご都合主義でピンポイントな力だよ。
オレはあきれ果て、今日二回目となる大きな溜息をついた。
「意味が分からん。心が落ち着く香りでも出してんのか? まほちゃん先生は。お香かっつーの」
「ん、考え方としてはあながち間違ってはいないぞ? 人間は特定の音楽を聴いたり、香りをかいだりするとリラックスすることが出来る。赤ちゃんにテレビの砂嵐の画面を見せると泣き止んだなんて話もあるくらいだからね」
「おいおいおい、純真無垢な赤ん坊と、こんな世界珍人間コンテスト集団を一緒にするなよ? 次元が違うだろーが」
オレのその言葉に、美才冶はぴくりと反応し、いつもの嫌な笑みを携えながら言った。
「今日の君は冴えてるな。そう、次元が違うんだよ南天君。ボクらの周りだけ正に次元が違うんだ。ボクが思うに、先生の<個性>それは、特殊空間を生む力。それこそボクら全てを包み込んでしまうくらい大きな空間であり、且つ同時に、他の通常の世界と整合性を保つ事が出来るほど強力な力」
何故だろう、頭が痛くなってきた。
空間? 次元? 間違いなく、今までで一番難解で厄介な事柄にオレは足を突っ込もうとしている。
「あははっ、無理に理解しようとする必要は無いさ。大切なのは先生のおかげで、このクラスはごく普通の2年A組として過ごす事が出来ているということなんだ。結局、彼女がここにいること事体の謎までは解明できては居ないがね、必然か、それとも…」
成る程、理解しようとするからいけないらしい。つまりこうか、ただ目の前の言葉を素直に受け入れれば良いと。
「それが出来れば苦労はしないっつーの。それで?」
「ん?」
「それでオレ達はこの後どーすりゃいいんだ?」
「そうだね、いずれにしても先生が居ないと話にならない。一先ずボクの推測の確認のためにも、暫く成り行きを見守ろう。先生の不在が、このクラスに一体何をもたらすのか? ね」
「あーそうかよ。分かった。しかし、お腹空いたな」
「! ほらほら、君、やっぱり朝食食べてないのか? 食べてないだろ?」
これまでもそうだが、今回は明らかに信じがたい話にも関わらず、オレは半信半疑ながらも素直に美才冶の言葉に従ってしまった。
が、この後、クラスは美才冶すら予想だにしなかった、いや、もしかするとこの事態さえやつの計算のうちだったのかもしれないが、とにかく、オレの妄想の斜め上をロケットで飛び越えていくような展開が待ち受けていたのだった。
◆
先生不在二日目。
「おはよーさん。ったく、朝飯ってのはあれだな、食おうと思うと食えないよな」
今日も今日とて朝飯抜き。
何だか嫌なキャラが定着しつつあるような気がする。いやいや、腹ペコキャラは二人も居れば十分だろーよ。
「遅いぞ南天君。君の飯の話はもういいんだ、それよりほら、アレを見たまえ」
そう言ってクラスメイトの連中を指さす美才冶。どういうわけか、どの面を見てもお世辞にも機嫌がいいとは言えない。
何かが起こった、もしくはこれから起こりそうってオーラが充満している。
「何だよありゃ。連中、朝からやけにハッスルしてるじゃねーか。で、誰の誕生日だ?」
「こんな時に寒いギャグを聞いている暇はないぞ、南天君。早速だが、先生の不在による変化ってやつが起きて来たらしい」
美才冶の言う通り、確かに微かではあるものの、クラスで何かが起こってきているのは確かだった。だが、これくらいじゃ聊か説得力に欠けるのも確か。
そりゃあれだけ仲の良かったクラスがこんな状態になってるんだ、それだけでもオレからすりゃ結構な変化なのも確かだが。
「<個性>を持つ人間が一つの空間にこれだけ存在するんだ。あははっ、この世界においては、普通じゃ絶対に有りえない状況だ。ほら良く見てみたまえ、お互いがお互いにプレッシャーを放っている。先生というフィルターが消えた今、仲の良いクラスメイトから一変、言わば互いに疑心暗鬼状態ってわけさ。これは理屈じゃない、その証拠に実際君もそう感じているだろう?」
「さぁ? どーかな、オレは」
「んー。とにかく今の状況では、何が起こっても可笑しくないって事さ。ボク達も注意するにこしたことはない」
◆
先生不在三日目。
この日、ついに事件は起きた。
それはこれまでのクラスの関係では起こりえなかった事であり、ある意味まほちゃんがこのクラスのキーポイントであるという美才冶の考えを決定付ける事件だった。
きっかけは本当に些細な事だった。
クラスの人物が自身の持つその個性、つまり力を使ったのだ。
クラス中の人間が自分だけの秘密、自分だけの苦悩、自分だけの個性だと思い続けひた隠しにしてきたそれらが、とうとう明るみになってしまったのだ。それも二十数人の人間が一斉に。
この後の展開は混乱を極めた。驚愕、混乱、衝突。
結論だけを言うならば、我がクラスは崩壊した。それはもうがっつりと。
何と表現すればいいのか、そもそもこの状態は何なのか?
その渦中にいるオレですら正直分からない。きっと、クラスの誰もがオレと同じ心境んだろうな。只一人、あの女を除いて。
「しかしまぁ、ボクのカンもまだまだだなと思い知らされたよ。あっはっは」
「あっはっはってお前なぁ。どーすんだよ、この状況」
「どうするもこうするもないさ。と言うか南天君、これはもはやボクの手に負えないレベルだからね」
そう言って楽しそうに笑う美才冶。いつものようなにやけ顔でなく、まるで心の底からこの状況を楽しんでいるかのような笑み。
この状況を作り出した原因の半分以上はこいつにあるってのに、どうしてそんな顔が出来るのか、オレには理解しかねる。
「って言うかさー、何なのこの状況って。僕らのクラスはどーなっちゃったの? ねぇー、ねぇーってばー」
現状が飲み込めないらしく、オレの隣でフータが騒ぐ。
つーか知るかよ、むしろこっちが知りたいくらいだ。
「あーちゃん、これってやっぱり?」
「あの、あの、やっぱり先生がいらっしゃらないせいなのでしょうか?」
「信じられないが、こんなの見せられちゃ信じたくもなるよな」
そう言いながらオレは、目の前の光景を直視した。
椅子は宙を舞い、教室の片隅は燃え、水槽は凍りつき、怒声と罵声が響き渡るこの光景を。
「いよいよもって、世界ビックリ人間イリュージョンショーが現実味を帯びてきたな」
「あははっ、本当だ」
「あわ、あわわわ、お二人とも、どうしてそんなに落ち着いていられるんですかー」
百竹よ、そりゃ勿論この目の前の光景が現実だと認めたくないからだよ。実際、あきれ果てて、もう笑うしかない。
「なぁ、美才冶。こんだけ暴れまわってちゃ他のクラスの連中も騒ぎを聞きつけて大事になるんじゃねーのか?」
「ああ、それなら心配ない。ボクの見立てだど今はまだ若干だが先生の力が働いてるから、影響はこのクラスの外には漏れていない。んー、だがそれももはや時間の問題だがね。あっはっは」
いやいやいや、笑い事じゃないですよ美才冶さん。いよいよもってどーすりゃいいんだ、おい。
「というか、何て出鱈目な力何だよまほちゃん先生は。無意識というか自覚なしで今までこの教室の均衡を保ってきたんだろ? 今更だけど色々と凄すぎて言葉も出ねーよ」
「ぷぷーっ、あれ見てよアラター。良くわかんないけど景雄が泡吹いて倒れてるよー。意味わかんないよねー」
本当だ。
つーかありゃ、どう見ても委員長が物凄い顔で念仏唱えてるのが原因だろうな、うん。
などとオレ達は暫く教室の隅で成り行きを見守っていたものの、事体が沈静化することも解決するわけもなくただただ状況がカオスになる一方だった。
美才冶も落ち着いちゃいるが自分から何かしかけようという気はないらしい。
このままただ状況が悪化するのをただ指をくわえて見ているわけにもいかん。
「フータ、クラスの一大事の今こそ、お前の本領を発揮するときだ。お前のカリスマで元の平穏なクラスに戻してくれ。むしろこれはお前にしか出来ないことだ、いや、お前ならきっと出来る」
オレは大真面目な顔でフータをヨイショする。
「そう? やっぱりアラタもそう思う? やっぱりみんなのピンチを救えるのはこの僕しかいないよねー。よーし、いっちょやってみるよ。大船に乗ったつもりで待っててよー」
そう言って台風の中心へとスキップで歩み寄っていくフータ。ご愁傷様です。何という死亡フラグ。
結果は言わずもがな、フータは5分もしないうちに、ボコボコに打ちのめされ泡を吐きながらオレ達の元へ戻ってきた。
まぁ、フータには悪いが期待はして無かったよ。そう、フータは犠牲になったのだ。
「んで、どうだったギコ? 何か分かったか?」
まともに話し合いが出来るような状況ではないゆえ、フータを状況探索用に使わせてもらったわけだ。
ちなみに、罪悪感はこれっぽっちもない。
「うん。やっぱりダメみたい。皆、聞く耳もってない。混乱状態で興奮状態。凄くよくない状況」
だろうな。帰ってきたフータの状況をみりゃ一目瞭然だが、やっぱり話し合いで何とかなるレベルを遥かに逸脱しちまってるな。
「どうだい南天君。次は君が行ってクラスに平穏を取り戻してみるかい?」
「馬鹿言え。只のモブのオレに何が出来るってんだよ。フータの二の舞になるのがオチだろ」
「大丈夫、例えどんな状況でも、誰が相手でも、あーちゃんは私が守ってあげる、から」
そう言いながら頬を赤く染め一心にオレの目を見つめてくるギコ。
ギコさんよ、その絶対的な自信は一体何処から出てくるんだ? だが、そんなセリフもギコが言うともはやシャレに聞こえないから怖い。
「あ、ああ。そりゃどーも。でも今のところ大丈夫だから。むしろそういう状況にならないよう努力するさ」
相変わらずのポーカーフェイスが、一瞬だけツマラなそーな顔をしたのをオレは見逃さなかった。
「って言いたいのが本音だけどな。今回ばかりはどうもそうもいかねーらしい。これ以上荒れちまったらまほちゃん先生にも申し訳ねーからな。モブはモブなりになんとかしてみるか」
「やはり先生か。気になるな。ボクとしては二人の関係ってやつが非常に気になる。凪子もそう思うだろ?」
激しく首を上下させたギコは先ほどから、オレの顔をじーっと睨んでいる。怖い。なんつーか怖いですギコさん。
「じーっ」
「いや、分かったからわざわざ言葉にするな。つーかオレを睨まないでくださいギコさん」
何時までもこんなところで油を売っているわけにも行かないということで、オレはギコを引き連れてクラス連中の様子を見て廻る事にした。
「それで、あーちゃん。何か手はあるの?」
「いんや。ない。とりあえずボコるしかねーな、うん」
「ダメだよあーちゃん。暴力はダメ」
そうは言われてもオレには本当に手はなかった。
何度も言うが、オレは美才冶やギコのような力を持ち合わせちゃいねーんだよ。
そんなオレ達の目に最初に映ったのは委員長の姿だった。
「お、委員長だ。おいおい、何か白眼向きながら何かぶつぶつ言ってるぞ。大丈夫かこれ?」
「わかんない。けど、臼井君がのた打ち回ってる」
「美才冶に言わせると、どーやらこの二人の力の相性は最悪らしいぜ。見る限り一方的だけどな」
言わば念仏と幽霊だ。そりゃ相性が最悪と言うより良すぎるくらい。
「このままだと景雄がやばそうだ。一先ず委員長を止める。あー、委員長? なぁ、落ち着けよ。お前、仮にも委員長なんだからさ」
が、委員長はオレの話を聞くどころか相変わらずぶつぶつ念仏を唱えている。それどころか今度は何故かぷるぷる震えだしやがった。
「こいつ、どっちかっていうと払う側より取り憑かれてる側じゃねーか?」
「私、昔こんな映画見たことあるよ、あーちゃん。ブリッジするよ、きっと」
いや、知らんけど。話し合いは通じそうもないのは確かだった。
「はぁー、やっぱり安請け合いすんじゃなかったな。本当に殴りたくなってきた。相手がフータだったらとっくに殴ってんだけどなー」
と、その時、委員長に何が起こったかは全くわからんが、何故か睨まれるオレ。
「お、どうした委員長。もしかして気がつい」
その瞬間、これまた何故かビンタされるオレ。
「は?」
すかさず往復ビンタされるオレ。
「ちょ、待て」
狂ったようにビンタされるオレ。
「いやいやいや、痛いから。委員長痛いから」
いいよな? これなら正当防衛だよな?
オレは物凄い勢いでオレにビンタを喰らわせるその手をがっちりと掴む。
さて、どうしたもんかね。と、オレが逡巡したのも束の間。
「私の目の前で、あーちゃんに、なにしてんだあああああああ」
そう叫びながら、オレの目の前で委員長に見事な一撃を叩き込みKOさせるギコ様。
「お、お見事」
情けない事に、オレはそう言うのが精一杯だった。むしろこの人がクラスにとって、一番の台風の目なんじゃないだろうか。
と、その時、オレの肩をポンポンと叩く人物が一人。
「ん? お前もやっと本腰をあげる気になったのか美才冶? 元を辿ればお前の責任なわけだしな」
「さっきも言っただろ? ボクは神様じゃないんだ、こんな状況ボク一人の力じゃどうすることも出来ない。いや、むしろこの状況を何とかできる人物が居るとすれば、それは唯一人だけ。たった一人だけ」
流石のオレでもそこまで言われれば、それが誰だか分かる。
つまり、まほちゃん先生だ。
何とも他力本願で情けない話だが、元々このクラスの均衡を保ってきたのが先生だったと言う事が証明されちまった今となっては、再び先生にこの場を収めてもらうしか手はない。
が、先生は未だに病療中。こんな都合よく現れてくれるわけが…
「あははっ、ほら、分かるか南天君。真打登場だ」
「は?」
オレがそう聞き返したその瞬間、教室の扉がゆっくりと開かれた。
「こらーーーーーーーーーー」
一瞬にして静寂がクラスの全てを喰らい尽くす。
教室中というより、校舎中に響き渡ったんじゃないかというくらいの声量。あの小さな体のどこにこれだけのパワーが秘められているのか不思議でならない。
いや、今はそんなところに感心している場合じゃないか。… 良かった、体調戻ったんだな。
「ま、まほちゃーーーん。会いたかったよー」
フータの情けない心の叫びを皮切りに、今までの喧騒がまるで嘘のようにまほちゃん先生へと駆け寄っていくクラス連中。
所謂、さんねええええーんびいーぐみいいー状態だ。
「やはりあの人には叶わないな。たった一言でこの状況を打破して見せた」
美才冶の口からは珍しく謙虚なセリフが漏れ出していた。教室は、今再び、まほちゃん先生を中心として再構築されたのだ。それもあっという間に。
「すげぇな、まほちゃん先生は」
「ああ。それはそうと、君は行かなくいいのかい? 愛しの先生のご帰還だぞ?」
美才冶にそう言われ、改めて周りを見てみる。こんな教室の片隅に残っているのはもはやオレと美才冶、それにギコのみだった。
というか、さっきからギコがオレをつねってる。痛い、痛いからギコさん。
「あーちゃん?」
「オイオイビサイジ、ナンデソーナルンダヨ。ギコサンニ、ゴカイヲアタエチャイケネーナ」
オレは全力の棒読みで場を濁す。
美才冶のやつ、絶対分かってて言ってるよな? わざと言ってるよな? オレをおもちゃにしてるよな?
「あははっ。けど、良かったじゃないか。こうして先生が戻ってきてくれたおかげで、ボクの抱えるほぼ全ての問題は解決したと言って良いくらいさ」
「まぁな。というより、もしもこのまま先生が戻ってこなかったらと思うとオレはぞっとするよ」
このタイミングで、この奇跡なタイミングでまほちゃん先生が戻ってきてくれてよかった。
それはそうと、ちょっとタイミングが良すぎないか? 今までのことを考えると、これがただの偶然ではないであろうということは、すぐにピンと来た。
「ん? 南天君、なんだいその目は。今回ボクは本当に何もしていないぞ?」
そう言ってにやにやと笑う美才冶。いつもの嫌な笑い方。間違いないなこりゃ。
それに、さっきの美才冶のセリフもちょっと引っかかる。
だが一先ずは、この状況が何とかなっただけでも良しとすべきなのかもしれない。
「まぁ、いいけどよ」
まほちゃんは、ひとしきりクラス連中と抱き合ったり握手したり、頭なでたりした後、連中を席へと戻し自らは教卓の前へと立った。
「にゅふふー。皆さん、改めて数日ぶりですねぇ、ご心配かけちゃいました。先生、皆さんのおかげでこの通り、すっかり良くなりましたぁー」
その言葉通り、オレ達が見舞いという名の好意の押し付けに出かけたときに比べて、確かにその顔色はよくなっていた。
いや、良くなったどころか以前に比べてどことなく目に力が宿っている気さえした。
「でーも、皆さん喧嘩はダメです。喧嘩なんてしちゃめーーっですっ!」
何故だろう。クラスの面々から明らかに戦意が消えていくのが分かる。こんなシーンを見せられちゃ、まほちゃん先生があんなめちゃくちゃな力を持ってるって話も何となく納得できるから不思議だ。
そんな風に考えている時点で、オレもまほちゃん先生の力に影響されちまってるってことなんだろうけどな。
「南天君、気づいたかい? 先生の<個性>は更に強まっているぞ。回りを見てみたまえ」
美才冶に促され、教室を見回す。
成る程、クラスメイトの心だけでなく教室すら元通りってわけか。こりゃ完全に超能力の域を超えてる。
「空間干渉。ちなみに言っておくが、教室だけじゃない。むしろそれより驚くべきは」
「あのー、もしかしてコレのことですか? 」
そう言って自分の足元を指差す百竹。は? 足元?
「たぶん、先生が戻ってこられてからだと思うんですが、私、何故か飛べないんです」
「うむ。それこそが先生の秘密。先生は空間だけでなく、ボクらに直接干渉してきたのさ。つまり、彼女はボクらの力さえ押さえ込む事が出来る。それもこの人数を一度にだ。勿論、この学園に居る間限定では有るだろうがね」
美才冶はそれを、調和を与える個性だと言った。実にまほちゃんらしい個性だと、オレは一人納得した。
結局のところ今回の一件、オレにはどうしても気になる点があった。
美才冶は本来の目的とはかけ離れたまほちゃん先生の調査をし、このクラスの抱える秘密を知りたくもないオレに、わざわざ暴露した。
それによって、崩壊寸前だったクラスも、まほちゃん先生の帰還により何とか沈静化。
まほちゃん先生の持つ当人すら知りえないその個性とやらを証明して見せた。
これらのことから導き出される美才冶の行動の意味。
美才冶はそれらの行為を自分の目的のための近道だと言っていた。
それがオレにはどうあっても理解できなかった。いや、そもそもやつの考えを理解しようとする時点で間違いなのは分かっちゃいるが。
問題は、どうしてわざわざオレ巻き込むのかというところ。考えれば考えるほど、この後オレには背筋も凍るような展開しか待っていないんじゃないかと思えて仕方がない。
こういうときのオレのカンは、美才冶に勝るとも劣らない。と、勝手にオレは思っているわけだが… さぁ、果たしてオレにはどんな結末が用意されてんのかね。
全くもって気が重てーよ。
◆
午後の授業は、まるで何もなかったかのように滞りなく進んだ。
我がクラスはまほちゃん先生により支えられている。これはもう誰の目からも疑いようのない事実だった。
一方オレは、放課後早々に美才冶により屋上へと呼び出されていた。
おかげでこっちは午後の授業はまるで頭に入らなかった。
どうやらオレも、そろそろ覚悟ってやつを決める必要があるらしい。
「やぁ、来たね南天君」
一度目は美才冶と出会ったとき、二度目は百竹の飛行実験、そして三度目。
「何だよわざわざこんなところに呼び出して。って、まぁ大体は言わんでも分かるけどよ」
「その顔。君もある程度覚悟をしてここに来たんだろ? あははっ、そんなに警戒しなくてもいいよ。ほら、見てみなよ南天君。いつかと同じオレンジ色の空だ」
美才冶とあの握手を交わしたのが遠い昔の事の様に思える。実際は1ヶ月も経っちゃいないってのに。
相変わらず、夕日に照らされる美才冶の姿はどこか幻想的で現実離れしていた。
「能書きはいい。さっさと本題を言えよ美才冶。お前にじらされるのは精神衛生上、非常によろしくないんでな」
「そうかい? それは残念だ。ボクとしてはもう少し君と夕日を眺めて居たかったんだが、仕方がないな」
美才冶は夕日をバックにくるりとこちらを振り返ると、じーっとオレの目を眺める。
「な、何だよ。オレの顔に何かついるか?」
「さて、どこから話すべきかな」
「って無視かよ」
「ボクは君と違ってじらされるのも、こうやってじらすのも大好きだからね。あははっ、南天君、どうだい今の気分は?」
こいつ、この期に及んで遊んでやがる。オレの反応を楽しんでやがる。
「やっぱり帰っていいか?」
「今から言う事はもはやボクのカンじゃない。事実であり、現実だ」
「また無視ですか、そうですか」
「ボクはボクの目的のため、ボクのカンによってこのクラスに導かれやってきた。そして、君や凪子、杏と出会い、このクラスが<個性>の持ち主の集まりだと知った。ボクは今日、この場で目的を果たすつもりだ」
美才冶はいつもの不敵な笑みではなく、これまでに見せた事のない優しい微笑を携え、そっとオレの手を握った。
「やっと会えたね、こんにちは、ボクのご先祖様」
そう言った美才冶の手は、オレンジ色の夕日よりずっとずっと暖かかった。
END