第三周目 「三段飛びの女」
第三周目 「三段飛びの女」
美才冶とギコの勝負から数日が経過していた。
ここ数日間、比較的大人しく、その鳴りを潜めていた美才冶。
だが騙されちゃいけない。この静寂は虚構だ。
美才冶の目は虎視眈々とクラスメイト達を監視し、次のターゲットを見定める。
つまり、今は嵐の前の静けさってやつにすぎないのだから。
「南天君。ボクのカンが囁いている、次のターゲットは彼女。あの子だ」
授業と授業の合間の休み時間。そう言って美才冶が指さしたのは、百竹杏だった。
彼女は今日が日直当番らしく、一人で黒板を消している。その表情はどこか浮かない。
百竹杏。
フータの隣の席、つまりは美才冶とオレの前の席に座るどことなく小動物チックな小柄な女。
フータの隣の席というクラス一最低な席に座っている上に、後ろには美才冶が控えているという、ある意味クラスで1,2位の問題児に挟まれ、正に前門の虎後門の狼状態の幸薄少女。
それに加え、オレもフータもダメ人間であるからして、彼女には普段から大いに世話になっていた。
例えば、教科書を見せてもらったり、寝ているところを起こしてもらったり、ノートを写させてもらったり… 数えればきりが無い。
オレとフータの席は教室隅後方にある。
ギコを頼ろうにも席が離れすぎているため、その分何かと百竹の手を借りてしまう。そう、単純にこいつはイイヤツなのだ。
何の因果か、そんな彼女が美才冶の目に留まってしまった。
日頃の恩もある。オレは美才冶の手伝いというより、その魔の手から百竹を救うため、オレは、とりあえず美才冶より先に動くことにした。
目をつけられた以上、百竹と美才冶との接触は避けられない。
とはいえ、いきなり美才冶相手じゃ、百竹があまりに気の毒というもの。だからこそ、その前にオレが探りを入れてみようという寸法。
しかし、百竹もギコやフータ同様、普段から気の知れた人物であることに違いは無い。知っているからこそ、この百竹にも美才冶の求める「何か」、やつの言葉を借りるなら「個性」ってやつがあるとは思えない。
とはいえ、反面そう思っていて見事にカウンターパンチを食らったギコやフータの件もある。ここは慎重に行動すべきだろう。
「よぉ、百竹。お前じゃ上のほう届かねーだろ? オレも手伝うよ」
「え? あ、ありがとうございます、南天さん。実を言うと、どうしようかなって思ってたところだったんです」
健気にも一人で日直の仕事をこなす百竹。… あ? 一人で?
「と言うか百竹。お前が今日日直と言う事は… 勿論、フータもってことだよな」
「は、はい。でも、あの、私、大丈夫ですから」
そう言って、逆に申し訳無さそうな顔する百竹。やはりこいつはイイヤツだ。
だが、だからと言ってフータがサボッていい理由にはならない。当然の話だ。
「すまん、百竹。あの自由人には後でオレから説教しとくから。代わりといっちゃ何だがオレに手伝える事があったら言ってくれ、日頃百竹には世話になってるんだ、こんな時くらいこき使ってくれて一向に構わん」
「いえそんな。そんなの南天さんに悪いです」
「それこそ気にしすぎだ百竹。お前に自覚はないかもしれんが、日頃、オレやフータがどれだけお前に助けてもらってるか。だからさ、そう堅く考えるな」
「南天さん…。えへへ、それじゃあお言葉に甘えさせていただきます。それに、それを言ったら私だって南天さんや白羽さんにはいっぱいお世話になってますもん。私、独りで居る事が多いですので… でも、そんな私にもお二人は気軽に接してくれますし」
百竹はわりと大人めな性格なので、確かにクラスの中心に居るってタイプじゃねーが、それは幾らなんでも言いすぎだろう。
彼女は、オレやフータのようなはみだし者とは違う。
でもまぁ、良かった。何とか、手伝いの承諾を得られた。これで今日一日は百竹と行動を共にする機会も増えるだろう。
最も、恩返しってのも単なる口実ってだけじゃねーがな。言葉通り、機会があれば手伝えるだけ手伝っていこうとは思っている。
そんなことを考えていたのも束の間、さっそく百竹からお声が掛かった。
「あの、南天さん。早速でごめんなさい。この道具を理科準備室まで運びたいのですが、手伝っていただけますか?」
「お安い御用だ」
ということで、オレと百竹は次の科学の授業で使うであろう様々な実験道具を持ちつつ、クラスの連中より一足早く教室を後にしたのだった。
が、そんなオレ達を後ろからじぃーっと見つめる瞳が4つ。
◆
「凪子さんや凪子さんや、あの二人、実に怪しいと思わないか?」
「うん。怪しい。凄く怪しい。あーちゃん、私と言うものが有りながら…」
「あははっ、全くだ。ふむ。ここは一つ、あの二人をそーっと尾行してみようじゃないか。もしかすると、百竹さんだけでなく、南天君のあんな顔やこんな顔まで見えてくるかもしれないぞ?」
「あーちゃんのあんな顔… 了解。私、ストーキングは得意だから、世界ちゃんの遅れはとらないわ」
昨日の敵は今日の友。ああ、美しきは友情かな。
◆
「でも、南天さんがこうして手伝ってくれて良かった。私一人じゃ一度に持ちきれなかったし、次の授業に間に合わなかったかもしれません。私、あんまり力持ちじゃないから」
「ああ、この量じゃ流石に女一人が持つのは厳しいだろうな。いや待てよ、ギコなら軽々片手で運べそうな気がしてきた」
オレの小粋なジョークにくすくすと笑ってくれる百竹。やはりこいつはイイヤツだよ。
◆
「んー、流石にこの距離だと二人の会話までは聞こえないな。っと、どうした凪子?」
「今、あーちゃんが私のことをネタにして笑いをとったような気がする」
「ふふっ、凄いな君は。そんな細かいことまで分かるのかい? 流石はスト、いや南天フリーク」
◆
「どうかしました? 南天さん」
「いや。気のせいか、今、物凄い寒気を感じた」
「風邪ですか? 気をつけてくださいね、病は気からって」
そういいかけたとき、突然、隣に居るはずの百竹の姿が消えた。と、同時に手に持っていた実験道具が空中へと勢いよく投げ出される。
つまり、百竹はこけたのだ。
何も無い、この平坦な廊下で。
その瞬間、オレは我が目を疑った。体制を崩したはずの百竹は、驚くべき速さでその体制を建て直し、そして、オレの身長の倍以上ある高さに舞った道具達を、なんと空中でキャッチしたのだ。
つまり、百竹は人間一人分の高さ以上に跳んだのだ。
その姿はとても美しく、オレは思わず彼女を見上げてみほれ、暫くその姿に見惚れていた。
が、そこはやはり女の力。いくら器用にキャッチしようと、その重さを抱えたままの着地は容易ではなかった。
百竹は両手にフラスコやビーカーを抱えたまま、なんとか着地を果たしたもののバランスを崩し、今度は後ろ向きに、正に今、倒れようとしている。
… いつまでも見惚れているわけにはいかない。
何故なら、文字通り、今度はオレが彼女を支える番だったからだ。
オレは、慌てて彼女の後ろ駆け寄り百竹をがっちりと支えた。
とにかく、百竹も、道具も全て無事。まずはひと安心。
「やれやれ焦ったぜ。いきなり百竹が隣から消えちまったからな。それはそうと、怪我無かったか?」
「は、はい。その、今回は南天さんのおかげで、無事でした。そ、その、私今の」
「今のジャンプか? ああ、凄かったじゃないか」
「ほ、本当ですか? ひ、ひいたりしませんか?」
「ひくもんか。それどころか奇麗だと思ったぞ、オレは」
確かに凄かったが、ひくようなことじゃない。
何しろ、最近のオレの周囲には普通じゃないヤツばかりよってくるからな。
「よ、良かった。それで、その、そ、そ、そろそろ、手を、離してもらえると」
百竹は何故か顔を真っ赤に染めながら、妙に色っぽい上目遣いでオレにそう訴えかける。
「え?」
慌てて視線を我が手に移す。
… ジーザス。
やんちゃなオレの手は、咄嗟だったとはいえ、百竹の胸をしっかりとホールドしていた。
「うぉおおおお! す、す、す、す、すまん。悪い。あわわわ、わわ」
そんなオレの慌てっぷりがよほどおかしかったのか。百竹は頬を赤く染めながらも、楽しそうに笑った。
「くすっ。大丈夫です。私の方こそ、ごめんなさい。おかげで助かりました。でも、そんなに慌てた様子の南天さんはじめて見ました。ちょっと意外です」
「勘弁してくれ」
◆
「声は聞こえないが、何かひと悶着あったみたいだな。って今度はどうした凪子?」
「今、あーちゃんの身にラブコメちっくなイベントが起こった気がする」
「あは、あはは、は。それは、ご愁傷様だな。うん。だが、おかげで俄然二人の会話の内容が気になってしまったよ。こうなっては尾行は中止、バレ覚悟でもう少し近づいてみようじゃないか」
◆
「そういえばさっきの。ちょっとだけ気になる言い方だったな。今回は、無事だったって。今回はってことは、何回かこういうことがあったのか?」
「転びそうになって、胸を思い切りつかまれる事体ですか?」
「違う! オレが言いたいのは、今回みたいすっ転んだことがあったのかよってことだ」
「ふふ。実は南天さん、この手のネタに弱いんですね?」
何故だろう。美才冶が関わったわけでもないのに、早くも百竹の違う一面を垣間見てしまった気がした。
「冗談です。ええ、実は南天さんの言う通りなんです。私、よくあるんですよね、こうういうこと」
百竹は意を決したような顔で、オレの目をじーっと見つめた後、ぽつりと呟いた。
「私、ちょっと浮いてるんです」
浮いてる? それってどういう意味だ? 美才冶やらフータのようにクラスで浮いているってことか? それともまさか言葉通りの意味?
オレがもう一度聞き返そうとした瞬間、背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
この廊下の隅っこまで響き渡る自信満々な声の持ち主。間違いない、美才冶だ。
「話は聞かせてもらった。百竹さん、君は実に面白い<個性>を持っているようだね。ふふっ、率直に言おう。ボクは君に興味がある」
「美才冶! 何でお前がここに居るんだよ! しかもギコ、お前まで」
ギコは相変わらず無表情だが、気のせいかオレにはいつもと違い、まるで般若の面のように見えた。精神的に訴えてくる何かがあった。
「何を言ってるんだ南天君。次の授業を受けるために決まってるだろ? 別段、何の不思議もないじゃないか」
「お前ら、つけてたな?」
オレの詰問に対し、美才冶はヘタクソな口笛を吹いて露骨に視線を逸らした。
何というたどたどしさ。つーか、幾らなんでもわざとらしすぎだろ。
どうやら、この美才冶にも人間らしいところってやつが少なからずあるようだった。
結果的に4人で運ぶこととなったおかげで、オレ達は授業の始る大分前に準備室へと到着した。
実験器具を教卓へと収めるや否や、美才冶はさっそく準備室のテーブルを陣取り言った。
「さぁ、百竹さん。次の授業まではまだ存分に時間がある。詳しい話を聞かせてもらおうか? さぁさぁ、ハリーハリー」
美才冶の登場。
確かに、席が近いだけあって、多少の交流はあったにせよ、美才冶が何者でどういうやつなのかを全く知らない百竹は、かなり混乱気味のようだった。
まぁ、オレだって、美才冶のことなんざ、未だに知っているようで実は何も知らないわけだが。
「落ち着け美才冶。幾らなんでも展開が速すぎる。それと、突然すまんな百竹。見ての通り、こいつちょっと頭がアレなやつなんだ」
「アレとはご挨拶じゃないか南天君。ボクはちょっと痛々しいヤツなだけだぞ。失礼な」
そういうことを胸を張って堂々というな、堂々と。
というか、自覚があることに驚いたよオレは。
「あの、分かりました。突然でちょっと驚ういちゃいましたけど、折角席が近く同士ですし。実は私も美才冶さんともっとお話してみたかったんです」
百竹のやつ、見かけによらず意外にもチャレンジャーだったらしい。怖いもの知らずというか、純真というか。
「おいおい本当にいいのか? 百竹。お前、こいつに丸裸にされちまうかもしれんぞ?」
あながち言葉の綾ってわけでもない、それはもう色んな意味でな。
オレはギコの件で確信したのだ。
美才冶は容赦が無い。自分の欲求に対して驚くほど率直で素直なのだ、そして、手段を選ばない。
「さ、流石に丸裸はちょっと… その、恥ずかしいです」
「あっはっは。なーに、安心したまえ。恥ずかしいのはね、最初だけさ。そして次第に幸福へと変わっていく」
「いや、お前は本当に何を言い出すんだよ美才冶。意味分からんぞ。それに、んな無駄話ばっかりしてると時間なくなっちまうじゃねーか」
「何だ。やはり君も百竹さんの話が気になるんじゃないか」
正直に言おう。
気にならないはずが無い。あんなジャンプを目の前で見せられて、気にするなって方がどうかしてる。
「そ、その、あの、南天さんも私の丸裸に、興味があるんですか?」
「だから違う! お前はうっかりさんか! 何なんだよ、さっきからその妙な勘違いは。オレが気になるのはさっきのアレだ」
勿論、健全な一男子生徒として、丸裸に興味が無いって言っちゃ嘘になるが。
「分かってます。ふふ、南天さん面白い」
「だろう? 南天君は面白いのさ」
「うん。私なんて、ずっと前から知ってたもん」
女三人寄れば姦しいなんて言うが、さっきから脱線してばかりでちっとも話が進まない。
このまま話がオレの方向へと跳ぶというのも癪なので、オレは何とか軌道修正を図る。
「百竹、お前浮いてるとか言ってたが、さっきの廊下で見せたNBAプレイヤーも真っ青な超ジャンプと何か関係があるのか?」
「超ジャンプ? ほぅ、ますます興味深いなそれは」
「うん」
一瞬だけ躊躇した顔を見せた後、百竹は重い口を開いた。
「皆さん、やっぱり驚いたりひいたりしないんですね。不思議です。まるでそれが当たり前みたいに、それが普通だっていうような反応」
「あー、それ何だが。ちょいと事情があってな。美才冶もギコもちっと普通じゃないんだよ。だから百竹、お前がどんなやつでもこっちは別に驚いたりはしないってわけだ。だから安心して話してくれていい。もしかしたら、お前の抱える悩みを解決できるかも知れんぞ。あ、勘違いするなよ? オレは至って真っ当な普通の人間だからな」
… 今のところは、だがね。美才冶はぽつりとそう呟いた後、大きく頷きながら言う。
「ふむ。概ね南天君の言う通りだ。自分で言うのも何だが、私は普通じゃない。色々とね。だから大船に乗ったつもりでボクに話してくれ」
「話したらすっきりする、かも。私も、聞くくらいなら出来るから」
「そ、そうなんですか? でも、その、何となく美才冶さんが普通じゃないってのは分かる気がします」
「はっはっは。百竹さん、そんなに褒めるなよ。照れるじゃないか」
褒めてない。別に褒めてないだろ今のは。
だが、そんなやりとりのおかげで百竹の緊張が解けたのも事実だった。
「私、この話は今まで誰にも、家族にも話してこなかったんですが。いい機会かもしれません。皆さんのお話も気になりますが、今は、私の話をどうか聞いてください」
無論、最初からそのつもりさ。美才冶はそう答えた後、椅子から立ち上がり準備室の窓へと近づいた。
「私、物心ついたころからこうなんです。その、ちょっと、ほんのちょっとですけど、浮いてしまう事があって」
「待て待て百竹。どうも気になってたんだが、その浮くってのは言葉通り宙を浮くってことか?」
「はい、そうです。その、いつもってわけじゃないんですよ? こう、例えばわくわくしたり、うきうきしたり嬉しかったりすると」
「体も浮いてしまう、か。ふむ。つまり、心が浮かれると、体も浮かれると。ふふっ。それは何とも面白い<個性>だ」
「でも浮くといっても、本当にぷかぷか浮いちゃうわけじゃなくて、ほんの数ミリ、最大でも数センチくらいなので、ぱっと見では分からないと思います。それに、私自身コントロールできているわけでないので、バランスを崩して転んでしまうのが関の山。例えコントロールできても、さっきみたいに、一瞬だけ大きくジャンプするくらいがせいぜいです」
何だそりゃ。
だが待てよ、本人がコントロールできてないとはいえ、心が浮かれると体が浮くんだろ? じゃあなんでさっき百竹は浮いたりしたんだ?
考えても答えは出そうになかったので、オレは直接百竹に聞いてみる事にした。
「なぁ、百竹。それじゃあ何でさっきお前は浮いちまったんだ? オレと歩いてるだけだったろ? 他に何かいいことでもあったのか?」
一瞬の静寂。
理科準備室に冷たい風が吹き抜ける。きっと、美才冶が窓を開けたせいだ。そうに違いない。
「そ、そ、その、それは」
「うぉっほん」
美才冶がわざとらしく大きな咳払いをした後、何故かこちらを睨んでくる。何だ? オレ何か不味い事言っちまったのか?
「南天君。困るなぁ、話を逸らしてもらっては。君の朴念仁っぷりも確かに立派な<個性>だが、今は百竹さんの話だろ? ちょっと黙っていてもらおうか」
「あー、スマン」
確かに話を逸らしてしまったのは事実ということで、ここは一旦素直に謝るオレ。微妙に納得は出来ないが。
「さ、南天君のことは後ほど当事者同士で濃厚な話し合いの席を設けるとして、今は気にせず続きを頼むよ」
「え? は、はい。でも、話といっても今のがほぼ全てです。どうにかしたいとは思うのですが、今まで誰にも話せませんでしたし」
「エクセレント。だが、惜しいな。実に惜しい。あえて言うが今の話を聞く限り、君は飛べる」
跳ぶ?
言葉の綾か? まさか空を飛ぶってわけじゃないだろうな。
「南天君、何だその顔は。言葉通りさ、空を飛ぶの飛ぶ。ユーキャンフラーイ。翼無しでの飛行は、全人類の持つ夢さ。ま、彼女が百パーセント本領を発揮すればの話だがね」
「ほ、本当に、私にそんなことが出来るんですか?」
「出来る。と、ボクが言ったところで、君はそれを鵜呑みにすることが出来るかい? こういうことはね、意外とメンタルが重要だったりするんだ。出来ると信じきること、出来て辺りまえだと思い込むこと、自分に自信を持つこと。それが何より重要なのさ」
今の美才冶の話を総合すると、つまり百竹に足りないものは自分に対する自信ということなのだろうか。
荒唐無稽な話の割には結論がまともだ。まともすぎる。
「それは… 難しいです。だって、私…」
百竹がそういいかけたものの、その瞬間、クラスメイト達が続々と準備室へと姿を見せた。
どうやら、一旦ここで時間切れらしい。この続きは、昼休みまで持ち越しのようだった。
◆
理科室から教室への異動中、美才冶がオレに話しかけてきた。
「君は、フライングヒューマンという言葉を知っているかい?」
こいつはいつだって唐突に、理解し難い話をオレにふってくる。
ポルターガイストの次はフライングヒューマン。
オレはいつからオカルト研究部に入部しちまったんだろうか? ああ、一刻も早く退部したい。
「ああ、言葉くらいはな。詳しくはしらん。そもそもよ、翼を持たない人間が、どうやって空を飛ぶってんだよ」
「ふふっ。まさにそれだよ、南天君。人間には鳥と違って翼が無い。だがその代わりに、人間だけが持っているものも存在するということさ。南天君、彼女には是非、あの大空を飛び回って欲しいものだな」
◆
待望の昼休み。美才冶が空を飛ぶなどという、それこそぶっ飛んだ話をしたその流れで、オレ達は屋上へとやってきていた。
「あー、いい天気だな。こっからだと校庭の桜が良く見える。たまには屋上で食う昼飯ってのも悪くないかもな… っておめーらもう食ってんのかよ!」
「あははっ。君が御託を並べているのが悪いのさ。食事とはスピード。ちんたら食べていては、いざというときチャンスを逃す。そうだろう凪子?」
「うん。世界ちゃんの言う通り」
そう言い切った二人は既に昼飯を食べ終えた状態だった。
美才冶はいつも通り謎の液体飲料、ギコは手作り弁当。流石は大食いコンビ、花より団子ってわけか。
「全く、風情ってもんがねーよ」
「だよねだよねー。女の子が色気より食い気じゃがっかりだよー。さぁー、アラタに百竹さん、僕らはこっちでゆっくり食べよーよ」
いつものメンバーに加え、百竹が加わっているせいか、それともバカは高いところが好きだからか、面倒な事にフータのテンションは何時にも増して高かった。
「何かスマンな百竹、無理に誘っちまって。やかましいだろーけど我慢して食ってくれ」
「そ、そんな。無理やりだなんてとんでもないです。私、いつも独りで食べていたので、こうして誰かと一緒にお昼を食べるのがとっても新鮮なんです」
「そう言って貰えると助かる。そう言えば」
「ねぇーねぇー杏ちゃん。それじゃーさ、いつもどこで食べてるの? 杏ちゃんってばお昼になるといつもどこに行っちゃうじゃん」
相変わらず、自分勝手に容赦なく会話に割り込んでくるフータ。
まぁ、オレが聞きたかったのも正にそれだからいいとしても、百竹さん若干ひき気味じゃねーか。自重しろフータ。
「あ、はは。その、実はですね。ここ、実は私の指定席なんです」
そう言ってオレらが座っているギコのレジャーシートもとい、屋上床を指差した。ってことはつまり。
「百竹、オレらが誘うまでも無く、お前いつも屋上で食べてたのか?」
「あの、はい、実は」
「へぇーへぇーそうなんだー。でも何でまた、わざわざこんなとこで一人で食べてるの?」
他の学園ではどうか知らんが、我が校の屋上はお世辞にもお昼を食べるのに適した環境とは言えない。
吹きっさらしの上にゴミが散乱。
一応、金網が張ってあるものの、いずれも老朽化。ところどころ穴が空きがたがた状態、どうみてもその役目を果たしているとは思えない。
その上、夏は暑く、冬は寒く、おまけに廻りが山だけに花粉が充満。
それに加えて、オレが美才冶に協力するはめになったあの事件の現場でもある。こんなとこで落ち着いて飯が食えるわけが無い。
「えへへ、実はですね。私、ここで特訓してるんです」
やはり、百竹は陰で努力するタイプの人間のようだ。その姿勢は素直に好感が持てる。
「まぁ、確かにここなら滅多にヒトも来ねーだろうけど」
「勿論それも理由の一つなんですが、もっと大きな理由があるんです」
「ほぅ? ほへふぁ興味深ふぁいふぁ」
先ほどまでギコと大食いトークを繰り広げていた筈の美才冶。
ちょっと目を放した隙に、オレが購買で買ったパンを口いっぱいに頬張っていた。
「くぉら美才冶! きっさま、オレの、オレのメロンパンに何してやがる!」
一瞬の静寂の後、無事、オレのメロンパンを全て食べ終えた美才冶は、ニヤリとその口元を歪めて笑う。
「ふふっ。南天君、前から思っていたんだが、その顔その性格で菓子パン好きってのはどうなんだ?」
ここぞとばかりにフータが続く。
「なはははは。だよねだよねー。アラタってば、こんな目つきしてるくせに大の甘党なんだよ。笑っちゃうよね… っていふぁいふぁいよあらふぁ」
顔と趣向は関係ないだろ? 関係ないよな? 誰が何食おうと断じて関係ないよな?
… 吹っ切れた。もう全てが吹っ切れた。
オレは思い切りフータの頬をひっぱりながら叫んだ。
「ああそうさ、オレはあんぱんが好きさ。チョココロネが大好きさ。もはやメロンパンが主食さ」
笑いたきゃ笑うがいい。オレは、我ながら実に良い顔で言い切った。
「だっはっはっはっつ。南天君、やっぱり君は最高だな。そうだ。正直は美徳さ」
「南天さん、南天さん、もしかして、そのスイーツとかも好きだったりするんですか!」
オレのカミングアウトを受け、何時に無く積極的に食いついてきた百竹。
「お、おう。ここまでくれば隠す意味もない。男一人でケーキバイキングにも行くし、コンビニスイーツの新作は常にチェックしてる」
「だーっはっはっは。く、苦しい。南天君、君は女子中高生か? 君が一人でお洒落なカフェに入ってケーキを注文する姿を想像するだけで、は、腹がよじれる。やっぱりき、君はボクを殺す気かい?」
「なはははは。アラタってばお茶目すぎだよー」
大爆笑の美才冶とフータ。
確かに笑うがいいさとは思ったが、実際ここまで大笑いされると怒りが沸くというより、若干へこむ。
甘いものに関して言えば、ギコは普通、美才冶は問題外、フータに至っては嫌いときている。オレの周りには悉くオレの趣味を理解してくるやつがいない… と思っていた。
「素敵じゃないですか! 実は私も好きなんです、甘いもの」
百竹は一際大きな声でオレの目をまじまじと見つめながら、そう言った。
灯台下暗し。
こんなにも近くに、オレの同士は存在していた。オレを笑うことなく、否定することなく、受け入れてくれる同士。
「お、おおお、おお」
オレは声にならない声を出し、涙目になりながら百竹の手を握りぶんぶんと上下に揺らしていた。
「えへへ。今度一緒に食べに行きましょう。私、今日こうして皆さんとお昼を食べて改めて実感しました。やっぱり一人で食べるより、誰かと食べた方が美味しいんです。ね?」
そう言ってオレに笑いかけてくれる百竹。その笑顔につられて、思わずオレも顔がにやけてくる。
が、その時、オレに向かって思い切りオーラを放つ人物一人。ギコだ。
ギコは、無表情ながらもその頬を思い切り膨らませ、オレの目をじーっと見つめ何かを訴える。
全身から嫌な汗が出てくるのを実感する。
おかげで急速に落ち着きを取り戻したオレは、百竹の手を掴んでいた手を高速で解除し、話の駆動修正を図る。
「ごほん。いや、スマン。ミイラ取りがすっかりミイラになっちまった。休み時間も残り少ない、話を戻そう」
「ふふっ。もういいのかい? 南天君。ボクとしてはもう少し君の」
「いーんだよ。オレの話はもういいの。それより今は百竹だろーが」
これ以上脱線したら今度は何を喋らせられるか分かったもんじゃない。
というか、それよりなによりギコさんの視線が怖い。はい、すんません。自重します。
「えっと、どこまでお話しましたっけ? あ、そうそう。理由ですよね? 私がここで練習している理由」
百竹がそういい終わるや否や、その変化は起きた。理科準備室で聞いた通り、そしてあの廊下で見た通り、百竹は、浮いた。
「お、おい百竹。お前… 浮いてる」
もう少し気の利いた言い回しが出来ればよかったのだが、その一言を何とかひっぱってくるのが精一杯だった。オレも、ギコもフータも。
ただ一人の例外は、やはり美才冶だった。
「うむ。数十センチほどだが確かに浮いてる。見事なものじゃないか」
百竹はまるで自身が空気より軽い存在であるかのごとく、ふわふわと地面から浮いていた。
揺れるスカートを抑えながら百竹は言う。
「何だか今日は調子がいいみたいです。いつもより高く浮いてる感じがします」
「食後っての意味が有りそうだな」
オレは何となく思った事を口にしていた。
「んー、確かにね。百竹さん、君が宙を浮く条件。これはあくまでボクの推測だが、どうやら君がある種の幸福感を感じる事がその要因の一つである事は間違いない」
幸せ。幸福。
幸せ感じて心浮き浮き、体も浮き浮きってか。なんつー適当で大雑把な話だよ。滅茶苦茶だ。物理法則も、自然の摂理も全て無視しちまってる。こんな説明で納得できるわけが無い。
「なんだ? 今回も納得言ってないて顔しているね、南天君」
「当たり前だろ。お前といいフータといい、百竹といい、いつからオレの周りでびっくり人間ショーが開かれるようになったんだよ」
「うぅ、南天さん酷いです。私はサーカス芸人じゃないですもん。見世物じゃないですもん」
そう言って顔を伏せその場にしゃがみこんでしまう百竹。
「あーあ、泣ーかした泣ーかした。アラタのせいだー」
「相変わらず、罪な男だな。南天君は」
あ? オレのせい? オレのせいなのか? 日頃の恩返しどころか、オレが泣かせちまったってことか?
「いや、その… スマン。俺が悪かったよ百竹。そうだよな、お前だってなりたくてそんな体質になったわけじゃねーもんな」
「えへへっ、うっそでーす。びっくりしました?」
そう言って顔を上げはにかんだ笑顔をオレに向けてくる百竹。
つまりは、嘘泣き。ああ、なんて単純なオレ。
というか、百竹ってこんなキャラだったか? 美才冶にあてられでもしたのだろうか。
「あっはっは。南天君、君は相変わらず頭が堅いな。堅すぎる。もっと柔軟な思考を持つべきだ。前にも言っただろ? こういうことは往々にして大雑把で適当だってね。本人がそう思い、願えば、万物の法則なんて悉く超越出来るものなのさ」
「あーそうかよ。オレの理解なんてとうに超えちまってる。そもそも理解できるとは思ってないさ」
「考えるんじゃない、感じるんだ」
「… どっかで聞いた事あるセリフだな、それ。まぁ、リアルピーターパンだとでも思えばいいのか? 百竹の場合は」
ピーターパン。
ガキの頃に誰もが一度は読んだであろう童話。
今回の場合、大切なのはそのシナリオや内容ではなく、ピーターパンの飛行方法。やつのソレと百竹のソレは、似ている部分があるんじゃなかろうか。
「そうだ。それでいい南天君。その発想だ」
「わぁ、いいですねピーターパン。そんな風に考えた事一度もありませんでしたけど、大道芸人よりずっといいです」
「ちっちっち。困るなー、現代のピーターパンこそこの白羽風太を差し置い… いふぁいいふぁい、あらふぁ、いふぁいよ」
折角丸く収まりそうだってのに、わざわざぶり返すなっての。
オレは全力でフータの頬をつね上げながら言う。
「で、結局のところどうすんだ? 美才冶さんよ。お前の言うところの百竹の個性ってやつも、こうして分かったわけだろ?」
「確かにそうだが、まだだ。まだだよ、南天君。ボクは百竹さんが飛ぶところを見ていない。それを見てこそ彼女の調査を終えられるというものさ」
そもそもオレは未だに美才冶が、一体どんな人物を何のために探しているのか知らない。その人物は美才冶の恩人である事。オレに明かされた情報はたったそれだけなのだ。しかも頼りは美才冶のカンのみ。やはり一筋縄ではいかないものなのだろうか?
「そこまでしないと、百竹がお前のお目当ての人物かどうかが判断できないのか?」
「あははっ。んー、さぁ? どうだろうね」
前言撤回。
こいつはただ単に、本当に単純に百竹が飛ぶところを観たいだけなんじゃないだろうか?
「そうですねー。私も美才冶さんに飛べる、なんて言われちゃったら本当に飛べるような気がしてきちゃいました。私、飛びたい。飛んでみたい!」
「そうだ。その意気だ百竹さん。こういうことは信じる事が大切なんだ。願う事が重要なのさ。後は、条件次第」
おいおい、美才冶のせいで百竹まですっかりその気になっちまったじゃねーか。どうすんだよこれ。
確かに百竹は浮く事が出来る。それはオレもこの目で見たし、今も見ている。人間離れしたジャンプも見た。
だが、それと空を飛ぶって話は完全にベクトルが違うだろう。
「美才冶、具体的に何か考えはあるのか?」
「うむ。童話ピーターパンでは空を飛ぶ際、楽しい事を考える事でそれを可能とした。だが、童話は童話。百竹さんの場合、それは飛行するためのきっかけ、要因の一つでしかない。ボクの予想では、もっと他の要因ってやつがあると思う。それを探す事が近道だろう」
美才冶がそう言い終えたとき、昼休み終了の鐘が鳴り響いた。
「どうやら時間切れのようだ。そうだな、放課後にまたここに集まろう。皆、それまでに百竹さんが空を飛ぶために必要な何かってやつを考えておいてくれないか? ふふっ、奇抜な発想を期待しているよ」
正直そんな事を言われても見当もつかん。だが、元妄想家としては頭が堅いなどと言われたまま、はいそうですかと引き下がるわけには行かない。こうなっては意地だ。意地でも百竹を飛ばしてみせる。
などと一握りのプライドを燃やすオレ… だったのだが、ここで一つ、重大なあることに気がついた。
「しまった!」
「ど、どうしたんですか南天さん。もしかして何か分かったんですか?」
「昼飯…… まだ何も食ってない」
流石に味わって食べる時間はもはや無いが、せめて一つだけでもとオレは購買で買った我が愛しのパンを探す。
が、そこにあったのは、無残にも食い散らかった菓子パンの袋のみ。
地面に散乱する食いカスを目で追っていくと、ある人物の足元にぶちあった。
つまりは犯人である。
オレは校舎全体に響くような、全身全霊をこめ、その名を叫んだ。
「美才冶----!!!」
◆
オレは、空腹のまま午後の授業を受ける羽目となった。
空腹感は最高のスパイスなどというが、実際の空腹とは人を不幸のどん底へと誘うもの以外の何物でもない。
そんな事考えるオレは今、午後の授業である体育のマラソンの真っ只中だった。
「んふふ。うれしいなー、今日はアラタと一緒に走れるなんて」
「か、勘違いするなよ? オレはな、別にお前と一緒に走りたかったわけじゃない。空腹で力が入らないんだよ、こんな状態でまともに走れるかっての」
「アラタってばなにそのツンデレ。んふふ、恥ずかしがらなくてもいいのに。もっと素直になりなよアラタ」
否だ。断じて否。
オレは突っ込みを入れる力も無く、淡々と走る走る走る。
終始にやけ顔のフータから視線を外し、ふとトラックの中心に目を向ける。
どうやら女子側の今日の体育は陸上らしい。短距離走に走り幅跳び、ハンドボール投げに棒高跳びに校外マラソン。
あちらさんは好きな種目を選べるシステムのようだが、野郎側は選択の余地無し、問答無用でマラソン一択。
何なんだよ、この格差は。男女差別か? 差別なのか?
「アラタ、目。目つきが怖くなってるよ? どうしたのさ」
考え事をするとすぐに目に力が入ってしまうのはオレの悪い癖だ。
こいつのせいでただでさえ強面顔が偉い事になってしまう。
この目つきのおかげで、オレがどれだけ苦労を重ねてきたか。この苦労は誰にも分かるまい。
「悪りぃ、ちょっとな。よーするに世界は理不尽で出来ているってこだ」
「ふーん? よくわかんないけどそれよりさ、ちゃんと考えてる? 例の宿題」
「さっきのアレか。正直言ってさっぱり分からん。大体人が自力で空を飛ぶって時点で、オレの妄想の範疇を超えてる。しかもあの百竹がだぞ?」
「だよねー。不思議な事もあるもんだよ。でも見てみたいなー、百竹さんが飛ぶところ」
存在自体が一番意味不明なお前が言うな、お前が。
そりゃオレだって見てみたい。人が空を飛ぶなんて光景、見たくないはずが無い。
「おらおらー、南天に白羽! 真剣に走らんかー!」
突然、体育教師の罵声が飛んできた。
フータとすっかり話し込んでしまったせいで、知らないうちにペースが落ちてしまっていたらしい。
気がつけば最後尾、体育教師に目をつけられたオレとフータは慌ててペースをあげた。
「ひー、怖い怖い。やだなーもー、僕たちちゃんと走ってるじゃん。あの筋肉教師ってば、脳みそまで筋肉で出来てるんだよきっと」
「ああ、だといいな」
あ、ヤバイ。
ペースをあげて一気に走ったせいで、本気でふらふらしてきた。
今日は朝メシも食えずじまいだったせいで腹が減って仕方が無い。だが、大の男がマラソン中に空腹の果てにでぶっ倒れるなんて情けないまねだけは断じて出来ない。
とその時、誰かがオレの名を呼ぶ声が聞こえた。
幻聴なんかじゃない、確かに声は聞こえてきた。
「どーしたのアラタ? やっぱり限界?」
「みたいだ。すまんフータ、オレはちっと休んでからいく。悪いが先行っててくれ」
「んもうだらしないなぁ。一人じゃ寂しいから、ちゃんと追いついてよ?」
先ほどの体育教師の一喝があったせいか、フータは珍しく素直にオレの言葉を聞き入れのろのろと走って行った。
それを見届けた後、オレはコースを外れ先ほど声のした方、校舎の隅へと急いだ。
そこでオレを待ち構えていた人物、それは…
「やっぱりお前か、ギコ」
校舎の隅に隠れ、壁際にこっそりとオレを見つめていた人物、それは紛れも無くギコだった。
「やほ、あーちゃん」
「やほっておまえなぁ。今授業中だぞ? いいのか? 優等生のお前がこんなところでサボっててよ」
「うん。いい。それよりあーちゃんのお腹の方が心配だったから」
そう言って一体何処から取り出したのか、体育着の懐からごそごそとコンビニの袋を取り出したギコ。中にはオレの好物である菓子パンやら甘いものが買いこんであった。
「ギコ、お前、まさかわざわざオレのために?」
オレの言葉に対し、一度だけこくんと頷いて無表情のまま、その顔を赤くするギコ。
「ね、ね。ポイント、ゲット?」
ああ、なんて甲斐甲斐しいやつなんだ。
オレは感極まって思わず涙目になりながらも言葉をひねり出す。
「でもどうやって?」
ギコもオレと同じクラスである以上、コンビニになど寄っている暇はなかったはずだ。
「簡単よ。陸上科目で校外マラソンを選んだの」
「で、お前はコースを外れてコンビニに立ち寄ったと?」
「うん。マラソンを選んだのは私と、世界ちゃんだけだったから」
そうってサムズアップしてみせるギコ。
オレは、何度もギコにお礼を言いつつ、メロンパンに口をつける。
「そういや、美才冶はどうしたんだ?」
「もしかしたら、まだ一人で走ってるかも。勝負だー、とか行ってたから」
ありそうな話だ。
あの美才冶ならこの前のギコとの勝負の延長線上で、ギコにマラソン勝負を勝手に挑んで勝手に一人でまだ走ってるなんて普通にありえる話だ。
「あいつならギコを追いかけてまだ走ってる、ってのもあながち有りえなくないか。ちなみに、百竹は?」
「ん。百竹さんはね」
そう言って校庭の中央を指差すギコ。
ああ、… ん? これは…。
美才冶の宿題、もしかすると、もしかするかもしれない。
◆
放課後、美才冶の言葉通り、オレ達は再び屋上へと集まった。
勿論、百竹を空へと飛ばすためにである。
「諸君、よくぞ集まってくれた。ふふふ、さて、早速だが君たちの宿題の答えを聞かせてもらおうか?」
オレ達の顔をぐるりと見回した後、美才冶が声高らかにそう言った。
人が空を飛ぶ方法、条件。もしかすると、今、そいつが明らかになる… かもしれない。
「そうだな。まずは風太君、君の答えから聞こうか?」
最初に指名されたフータ。おいおい、いきなりこいつで大丈夫か? オレは一抹の不安を覚えながらも黙ってその回答を待った。
「大丈夫、問題ない。僕ってばちゃーんと考えてきたからね」
何故か自信満々なフータ。オレは嫌な予感しかしねーが、頼むぜフータ。ここは一つ、まともな答えってヤツを。
「んふふ、そんなに見つめないでよアラタ。ボクの答えはね、コレコレ」
そう言ってフータが懐から取り出したもの、それは紛れも無くピーターパンのコスプレそのものだった。
「おいおいフータ。お前、こんなものどっから持ってきたんだよ」
「演劇部の知り合いから借りてきたんだよー。こういうことはやっぱり、まず形から入らないとね♪」
何気に顔の広いフータ。
なるほど、らしい答えではあるのだが、ぶっちゃけ絶対ない。コレは流石に無いだろ。
が、百竹の反応はオレの予想したものと大幅に異なっていて。
「わー、可愛いー。ピーターパンだぁ」
などと暢気に笑うのだった。
「フータよ、お前正気か?」
「本気も本気。っていうか僕ってばいつだって本気だよー」
そんなフータに対し、美才冶がにやにやしながら言う。
「面白い。確かに、もしかすると見た目ってやつも重要なファクターかもしれないぞ? 早速試してみようか」
言うが早く、屋上は百竹によるファッションショー会場へと変わってしまった。
そう、フータが演劇部から借りてきたのは、ピーターパンの衣装一着では無かったのだ。
シンデレラ、白雪姫に始り何故かメイド服、軍服やナース、スチュワーデスに婦人警官、挙句の果てにちょっとアレな水着まで。
おいおいおい、これって本当に演劇部から借りてきたものか? 後半は演劇というより完全にコスプレ状態じゃねーか。
百竹も百竹で素直に嫌がればいいものを、こちらも何故かのりのりハイテンションでポーズなどとる始末。
つまり、もはや手に負えねぇよ状態だった。
最後の最後にようやく件のピーターパンのコスプレを身にまとった百竹に一言物申す。
「で、肝心なとこはどうなんだよ百竹。飛べそうか?」
百竹は非常に申し訳無さそうな顔で、ぽつりと呟く。
「す、すみません。その、ちょっと浮いてはいるんですか、特にそいういう感じは無いです。はい」
確かにちょっと浮いている。これはコスプレ効果によって多少なり百竹の心が浮き足立っているって意味だろう。
だがやはり飛ぶに至るまでには行かなかったということ。
まぁ、そりゃそうだろうと思いつつも、着眼点としては実はオレの答えも、ある意味フータと近かったりする。
「うむ、まだ一人目さ。気を落とさず次に行こう。そして次は凪子、君だ」
美才冶に指名されたギコは一歩前に出て百竹に近づいた。
「私は、コレ」
そう言ってギコが百竹に手渡したのは数冊の本だった。
「本?」
「うん。さっき図書室で、借りてきたの」
本の中身が気になったオレは百竹の手から一冊だけ取り上げそのタイトルを見る。
「世界の超常現象ベスト100。これであなたも超能力者だ! … ギコ、本当にこんなのウチの図書室にあったのか?」
「あったよ。ちなみに貸し出し禁止だけど」
本当だ。
本の裏表紙には確かにウチの図書室の印とともに貸し出し禁止のシールが張られていた。おいおい、色々と突っ込みたい事はあるものの、取りあえずは折角ギコがくすねてきた本だ。一先ずは読んでみるしかあるまい。
「姉貴ってば相変わらずお茶目なんだからー。ちなみに他のタイトルは、良く分かる航空力学。浮力、全解剖。青空写真集。雑食って感じだね、姉貴」
ちなみにギコは読書家だ。そういった意味では文武両道を地で行くまじめなギコらしい回答ではあるのだが、さてどうだろうか?
「取り敢えず、図書室にあった飛ぶ事や空に関する本を漁ってきたって感じだな。まぁ、ためしに幾つか読んでみようぜ」
オレの呼びかけとともに各々一冊ずつギコの本を手に取り読み始める。
それから数分後、最初に音をあげたのは案の定フータ。こいつと読書は一番遠い立ち位置にある。オレからすれば数分でも持ったのが奇跡といえる。
「うきーっ。僕ってばもう無理。何が悲しくてこんな良く晴れた天気に、屋上まで来て読書なのさー。僕、ちょっと散歩してくる」
フータは大きく背伸びをした後、屋上から姿を消した。相変わらずの自由さだ。
その後さらに数十分経過。
何を隠そう、オレも読書は得意な方じゃない。しかも手に取った本がまた悪かった。航空力学に関する本らしいのだが、オレにはちんぷんかんぷん。
集中力の途切れたオレは、ちらりと横目で三人の様子を伺う。美才冶とギコは表情一つ変えず、オレと同じく分厚いハードカバーの学術書を一心不乱に読みふけっている。こいつらの場合、普通にその内容を理解していそうで怖い。というか恐らく理解してるんだろうな。
一方百竹は例の本、オレが最初に手に取った貸し出し禁止のあの本を読んでいた。その目は輝きに満ち、その顔はまるで童心に返ったような笑顔だった。
三人とも読書家である以上、どこかで一区切りつけない限り、こいつらの場合延々と読み続けるんじゃないだろうか? そんな不安が過ぎったオレは、隣に座る百竹に言う。
「なぁ、百竹。そろそろ1時間くらい経つんだが、どうだ? 参考になったか?」
「南天さん、南天さん、凄いです。超能力者って本当に居るんですね! ほら、見てくださいよ、スプーン曲ですよスプーン曲げ」
百竹は興奮した様子で一気にまくし立てる。だがちょっと待て、百竹よ。明らかにお前もその一員にカテゴライズされるし、明らかにお前の方が凄いだろ。
「何言ってんだ百竹。スプーン曲げくらい俺にも出来るぞ」
勿論、力でぐいっと無理やりに、だが。
「はぁー、やっぱり皆さん凄いんですね。それに比べて私はダメダメで…」
「やっぱりダメそうか?」
「は、はい。スミマセン。どうしても飛べる自分がイメージできなくて」
他にもギコが持参した本は数冊残っているものの、やはり本では根本的な解決にはならないらしい。
日も大分落ちてきた。そろそろ次を試すべきだろう。
「おい、美才冶。お前もいつまで読みふけってんだよ。んなもん家で読め、家で」
「んー、あははっ。そうだったね。それじゃ、こいつは帰りに借りて帰るとしよう。途中で投げ出すのはボクの流儀に反するからね。それはそうと、やはり凪子のやり方でもダメだったか」
そう言うと、美才冶はニヤリとその口を歪めいやーな笑みを浮かべながらオレの顔をじーっと見つめた。
「さて、いよいよ真打登場ってわけだ。お待たせ南天君。君のエクセレントな答えを聞かせてもらおうか?」
美才冶自身の回答も当然用意してあるんだろうが、どうやらそれは最後の最後らしい。
ぶっちゃけそれがそのまま、今回の答えである気がしてならないのだが、ここまできたらオレの回答も発表せざるを得ないようだ。
「エクセレントかどうかは知らんが、オレも一つだけ思いついた事がある。時に百竹、お前、今日の体育の時間何やってた?」
「え、体育ですか? あ、私は陸上でしたけど」
「その陸上の種目は?」
「め、目つきが怖いです、南天さん。そ、その、私は走り幅跳びでしたけど」
目つきに関してはこの際どうでもいい。重要なのは勿論。
「それだ!」
「それか!」
「え? え?」
ビシッと人差し指を伸ばし、百竹を指さす。
応えるように美才冶も同じく百竹を指さす。
訳が分からず、一人ぽかんとしている百竹。ギコはまだ持参した本を読みふけっているのでスルー。
「走り幅跳びだ、百竹。若干考え方がフータと被ってるってのが気にくわねーが」
「ふむ。成る程な。カチンカチンの南天君にしては悪くない考え方じゃないか」
「だろ? こういうのは思い込むってのが重要なんだろ? だったらそれ相応のやり方、形式があったほうがいい。加えて、百竹は走り幅跳びが得意だ。俺は今日、マラソンをサボりながらそれを発見した」
「様式美。自己暗示。ある種の儀式というわけだ。冴えてるぞ、南天君」
別段そこまで考えていたわけじゃないが、どうやらオレの回答は美才冶のピンクのお眼鏡に叶う代物だったらしい。
後はコレで本当に百竹が飛んでくれさえすりゃ、全ては一件落着なんだが。
「た、確かに私は走り幅跳びを選択しましたけど、特別得意ってわけじゃ」
「けど、少なくともわざわざそれを選択するくらいだ、他にくらべりゃ嫌いってわけじゃねーだろ?」
「それは、確かに、はい」
「なら十分だろ。何にしても、まず試してみるだけなら」
オレがそう言った瞬間、美才冶はオレの口に手を当て続きの言葉をさえぎった。
「まぁ待ちたまえ南天君。日も暮れてきた。恐らくこれが最後になるだろうし、ボクの回答も君のやり方に加えようと思う」
「もがもがもが」
「ふふっ、何を言ってるのかさっぱり分からんが、君の言いたいことは分かる。だが、今は黙ってボクの回答を聞いてくれ。ボクの回答、それはリアルさだ」
オレは何とか美才冶の手を払いのける。
美才冶に関して言いたいことは間々あるものの、今は百竹だ。先ほどの美才冶の発言、オレは何か嫌な予感がしてならなかった。
「リアルさだと? 美才冶、お前、百竹に何させようって腹だ!」
オレンジ色の光に照らし出され、妖艶に微笑む美才冶。デジャブだ、こいつの本性を知ったあの日の屋上のこいつも、同じ顔をしていたことをオレは忘れていなかった。
「なーに、簡単な話さ。ボクの回答は今までで一番単純明快。何故なら、百竹さんにここから飛び降りてもらうだけなんだからね」
一瞬の静寂。
カラスの声だけが屋上に響き渡る。この静寂を破るのは、やはりオレの役目らしい。
「ふざけるな! 美才冶! お前、自分が今何を言ったのか分かってんのか? 百竹はお前とは違うんだぞ?」
「落ち着きたまえ南天君。君が動揺してどうするんだ。分かってる。だから言っただろ? 君の言いたいことは分かるって」
再び、美才冶はじーっとオレの顔を見つめる。
これは美才冶なりの合図なのだろう。つまり、ボクの言いたい事くらい察してくれという。
…あー、やれやれ、メンドクセ。オレだってそんな事が出来るくらいお前と親しくなった覚えは無いってのに。
だが、真剣な表情の美才冶を見て、あることに思い当たっちまったのも事実。そうだ。何を隠そうこいつは一度、この屋上から飛んでいるのだ。
いや、正確には飛び降りたが正しいのか。オレはそれを見ている。確かにこの目で見ちまっている。それが全ての始まりであり、元凶。忘れる事の出来ないオレのトラウマ。それをもう一度、それも百竹にやってみせろと、美才冶は言う。
問題は山盛りだが、最たるものは当然百竹の身の安全である。
確かに百竹も普通じゃない。変わった個性を持っている。だが、それは美才冶程のものとはとても思えない。
つまり、幾らオレ達が回答を出そうが、失敗する可能性は常にあるということ。むしろ、その可能性のほうが高い。絶対的に高いといわざるを得ない。百竹の個性は発展途上、完璧ではないのだから。失敗したら、そのまま地面へ激突。当然死ぬだろう。
だが美才冶は言った、君の言いたいことは分かる、と。つまり何かあったときには、自分が助けに行くという意味なのだろう。そうでなければそもそも成り立たない荒療治なのだから。
そうなると、オレに出来ることは一つ。実際、この目で美才冶の力を見たものとして、百竹を後押ししてやるだけ。
「分かったよ。なぁ、百竹。実はな、こいつもここから飛んだ事があるんだよ。しかもオレの目の前でな」
「ほ、本当ですか? 美才冶さんが?」
今まで真っ青な顔をして口をあんぐり空けていた百竹の顔に、少しだけ精気が戻ってきた。
「ま、飛んだっつーか、飛び降りたというか、自殺未遂というか」
「あははっ。褒めすぎだろう南天君。照れるじゃないか」
「今のセリフのどこに褒め要素があんだよ! ったく、誰のせいでこんな状況になったと思ってんだ」
「まぁ、そう言うな。百竹さん、とにかくそういうことなのさ。ボク自身も、かなりの荒療治であるとは思うが、チャレンジする価値はあると思うぞ。それに、失敗を恐れる必要は無い。ボク達にどーんと任せてくれ」
百竹はオレと美才冶、そして屋上から見えるオレンジ色の景色とその階下に、何度も何度も視線を行ったり来たりさせながら考える。
ここまでくれば、後は百竹次第だろう。
今更だが、美才冶の主張にも一理あるのも確か。百竹は今まで生活してきた中で、終ぞ飛ぶには至らなかった。つまり、その空をぶち破るにはそれ相応のきっかけってやつが必要なのだろう。
くるりくるりと視線を慌しく回転させていた百竹のそれが止まった。どうやら、彼女の中で遂に結論が出たらしい。
「あの、分かりました。私、私、飛びます!」
あーあ、言っちまった。とうとう、百竹はその呪いの言葉を言い放ってしまった。
「エクセレント! よく言った百竹さん。さぁ、気が変わらないうちに準備を進めようか」
準備、と言っても後は飛ぶだけ。
オレは、向かい側の金網に寄りかかり、女三人の様子を眺めていた。
ギコはその運動センスで百竹に三段跳びのコツを教え、美才冶はまるで暗示を掛けるかのように、なにやら百竹に話しかけている。
そういや百竹のやつ、まだフータの持ってきたピーターパンの衣装を着たままだ。まぁ、今更そんな事を言うのも野暮ってもんだろう。
オレは黙ってその様子を見守った。
何度かホップステップジャンプの練習をした後、いよいよそのときが来た。
屋上のフェンスの金網は大きく破れた一部分がある。
百竹はその向かい側の端から走り、そこから飛ぶ事になっている。
オレは、その破れた金網の近く寄りかかり屈伸運動をする百竹を見守った。ちなみに、ギコは百竹と同じスタート位置にいる。美才冶はオレと多少距離を離して、同じ金網の近く。
オレは、美才冶に最後の確認を行った。
「おい、美才冶。当然分かっちゃいると思うが、百竹のこと頼むぞ? そもそもお前の力に期待して無きゃ、成り立たない荒療治なんだからな?」
「分かってるさ。そう力むな南天君。だけど、君は一つ大きな勘違いをしている」
「あ? 何だよ、勘違いって」
「ボクは神様じゃない。確かにボクはここから飛び降りたけど、別に空を飛んだってわけじゃない。誰かを抱えて飛ぶなんて行為は、ボクには出来ないのさ」
コイツ、イマ、ナンテイッタ?
こいつ、さらっととてつもないことをカミングアウトしやがった。
オレの平常心は一気に沸点まで到達した。
「ふざねんじゃねー! 何言ってんだよ、お前が助けないで、それじゃ誰があいつを助けるってんだよ!」
距離が離れていた事と、仮にも女性である美才冶の胸元に掴みかかるわけにもいかず、オレはその怒りを金網へとぶつけた。
だが、それがいけなかった。
結論から言えば、オレは、堕ちた。
屋上から、金網ごと。
その瞬間、全てがスローモーションに見えた。
よく、交通事故に合った瞬間の人間は全てがスローモーションに見えるなんていうが、きっとこういうことを言うんだろうな、などと暢気に考えるオレ。
慌てて駆け寄り手を伸ばす美才冶、が、もはや遠すぎる。遅すぎる。
あの時の何とも言えない美才冶の顔を、オレは一生忘れる事は無いだろう。
「ん? 何だろう。向こうが、ちょっと騒がしい」
「え? 本当。良く分からないですけど、南天さんと美才冶さんが口喧嘩してるみたいです。大変、私、止めて…」
「あーちゃん!」
「え、ウソ… 南天さん!」
◆ ◆ ◆
1、楽しいかった出来事、幸せだった出来事、嬉しかった出来事を思い浮かべる。
2、自分は出来る、自分は飛べる、飛べてあたりまえと言い聞かせる。
3、何のために? 何のために私は飛ぶの?
ホップ・ステップ・ジャンプ。
屋上の端から端へ、私は自分でもびっくりするぐらいのスピードと身軽さを携えながら一気に走り抜け、三段跳びの要領で、その身を宙へと委ねた。
風だけが、私と一緒。
私は、飛んだ。空を飛んだ。あの人に、あの人に手を差し伸べるために。
◆ ◆ ◆
美才冶の顔が随分遠ざかった。
いくらスローモーションといえでもその動きが止まる事は無い。
ああ、もう随分落下しちまったらしい。ほら、見てみろよ、屋上があんなに遠い。
さてと、地面へと激突するまでもう時間がねぇ。そろそろ走馬灯でも走らせるか?
思えば色々あった人生だった… ような、そうでもないような。とにかく、ここ数日の記憶が強烈過ぎて、どうしてもそこばかりが思い出されちまう。
美才冶と出会い、あいつに振り回されて、美才冶とギコが勝負して、フータの正体を知って、ああ、ギコに告白されたのも驚いた。
スマンな、ギコ。どーやら結論は出してやれそうに無い。結局、百竹が飛ぶところも見れなかったな。でもまぁ、オレ自身、こんな最後を迎える事になるってのが一番驚きだ。
あー、夕日がまぶしいな畜生。おかげで景色が良く見えねーじゃねーか。最後に良く見ておきたかったってのによ。
…ん? オレンジの光の中に何かいるような。
「なーんてーんさーーーん! おちちゃだめーーー」
鳥? 飛行機? いや、スーパーマンか? ああ、何だ、ただのピーターパンか。… え?
その直後、オレの体は緑色の使者、もといピーターパン、もとい百竹杏その人によってがっちりと抱えられる。
「よ、よかったー。間に合った。大丈夫ですか? 南天さん」
「お、おう。おかげさまで。それより百竹、お前、飛んでる」
「あはは。見たいですねー。私、飛んじゃってますね」
「オレ、重くないか?」
「大丈夫です。きっと今の私の周りだけ、重力さんはお休みしちゃってますから。一先ずこのまま屋上に戻りますね?」
百竹はオレをお姫様抱っこで抱えたまま、屋上へと舞い降りた。
「はーい、到着です。飛べない百竹はただの百竹だー、なんちゃって」
「エクセレーン。素晴らしい。百竹さん、君ならきっと出来ると思っていた。確かに魅せてもらったよ、君の<個性>」
「うん。奇麗だった。それに、あーちゃん、良かった無事で」
そう言って無表情ながらも、顔を真っ青にして心配してくれていたギコ。
美才冶は相変わらずの仁王立ち。
オレは情けない事に腰が抜けていた。
「は、ははは、ははっははは。助かった。それに、ホントに飛んだ。百竹、お前、本当に飛びやがった。良かったな、こんちくしょう」
「はいっ!」
「二人とも。喜びを分かち合うのは一向に構わないが、一旦ここをずらかるぞ? 確かに君は助かったが、代わりに金網の一部が落下してしまったからね。誰かがここにやってくるのも時間の問題だ。厄介ごとはゴメンさ。さぁ、行こう」
衣装から着替えるため、そして結局戻ってこなかったフータの代わりにその衣装を演劇部へと返却するため、一旦百竹とギコの二人と別れたオレ達。
美才冶とふたりきりになったところ、オレは先ほどの真意について尋ねた。
「なぁ、美才冶。結局のところ、百竹が空を飛ぶための条件って何だったんだ? お前の言うリアルさか? それともオレの提案した三段跳びか? まさかあの衣装のおかげとか?」
「んー? 相変わらず君は細かいところにこだわるな。そうだね、もしかしたらそのどれかかもしれないし、その全部かもしれないし、或いはもっと他の要因だったのかもしれない」
「何だよそれは。オレに教える気は無いってか? ま、実際オレは助かったし、百竹は飛んだんだ。これ以上突っ込むのは野暮かもな」
「そうそう。それでいいんだよ」
確かに。
例え、この場で詳しく解説されたところでオレには関係ないし理解できるとも思えない。
だが、もう一つ。もう一つだけ見過ごせない問題がオレと美才冶の間には存在していた。
「それはいいとしてもだ、もう一つ。おざなりには出来ねーこともあるよな? 美才冶さんよ」
「はて? 何のことやら」
出た。
わざとらしいくらいのごまかし顔と、下手糞な口笛。今回はこの手に乗って溜まるかよ。なんてたってオレは、死にかけた、いや危うく殺されかけたんだからな。
「お前も飛べるんじゃなかったのかよ? もしあの時百竹が失敗したらどうすうるつもりだったんだ? オレはともかくとして、百竹の事はどうするつもりだったんだよ?」
「ボクは確かに君の目の前でここから飛び降りて見せたが、そもそも失敗したとき彼女を助けるとは一言も言っていない。君が早とちりしただけだろう? それに、結果的に成功したんだからもういいじゃないか」
結果論だ。
そんなのは結果論に過ぎない。それに、それじゃああの時こいつが屋上でオレに見せたアレはそもそもなんだったのか? それに、美才冶のこの根拠の無い自信。まさかとは思うが、オレが堕ちる事までこいつにとっては想定済みの出来事だったとでも言うのか?
オレは、例えようの無い何かを感じながらも、美才冶の背中を追いかけた。
「そうそう、本人はいないが、一応言っておこう。何事も終わりが肝心だからね」
そう言って立ち止まった美才冶は、ごほんと咳払いを行った後、空を見上げながらで言った。
「この美才冶世界の名において、百竹杏を三段飛びの現代のピーターパン、と断定する。これから彼女がこの<個性>とどう付き合っていくかは彼女次第だが、百竹さんならきっと使いこなす事が出来るさ、今回のようにね。以上、解析終了」
一呼吸置いた後、美才冶は続ける。
「だが、残念ながら彼女もまたボクの捜し求める人物ではなかった。あははっ、まだまだボクらの仕事は終わらないぞ? 南天君」
こうして百竹杏の調査を終えたオレ達。
残るクラスメイトは27人。
だが、この次の美才冶のターゲットとなる人物が、まさかあの人だなんて、この時点では思いもよらなかったわけで。
どうやらオレの知らないうちに、この調査はいよいよ後半戦へ突入していたらしい。
END