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ローディエル家の若夫婦は仲が良い

作者: 月森香苗
掲載日:2026/11/01

シル→シルヴァンの愛称/クララ→クラリスの愛称


最初から最後まですれ違いもなければ喧嘩もなく、お互いがお互いを大好きで重苦しいほどの愛情を持っている話です。

婚約破棄の危機もなければ、誰かに邪魔されることもありません。

明確ではありませんがやんわり性的なことを匂わせる描写があるためR15にしています。

 シルヴァン・ローディエルとクラリス・ローディエルは三ヶ月前に結婚したばかりの新婚夫婦である。

 リュシエール伯爵領を治めるローディエル家とミュゼリア伯爵領を治めるフェルネスト家の間で婚約が結ばれたのは二人が十歳の時である。


 どちらも他家の子供達と交流を始めている年齢で子供ながらに恋の話を聞いたりしていた年齢でもあったので、初めて顔を合わせた時からお互いを異性として意識していた。

 特にシルヴァンはふわふわと微笑む可愛らしいクラリスを一目見た瞬間から恋に落ち、この子と結婚するのだと理解するや否や、よく回る頭を最大限働かせた。

 他の家の令息と関わりのあるシルヴァンは、その中の何名かが好きな女の子に対して素直になれないという姿を見た。だが、大抵は相手の女の子がそれを嫌がっていた。

 意地悪な言葉や態度は嫌われるだけ。

 シルヴァンはクラリスに嫌われたくないと思ったので、意地悪なことはせずにひたすら好きだと言おうとその場で即決した。


「クラリス、俺ね、君と仲良くしたい。よろしくね」

「はい、シルヴァン様。私もあなたと仲良くしたいです。よろしくお願いします」


 まだ子供のふたりが可愛らしく笑い合うのを見て、両家の親たちは安堵した。

 にこやかな二人が庭に行こうと言い、たどたどしくも初々しいシルヴァンのエスコートを受けて飛び出していく姿に大人たちはこれなら大丈夫そうだと頷きあった。



 そこから八年。二人は大きな喧嘩をすることもなく、すれ違いもなく順調に関係を深めていった。



 十五歳の時に入学した貴族の子女が集まるシェルヴァーナ学院はシルヴァンにとって最高の思い出となった。

 領地ではなく王都の屋敷にお互い居を移し、毎朝シルヴァンはクラリスを迎えに行き馬車で通学。授業こそいくつかは性別の関係で別れることになったが、三年間クラスは同じで婚約者同士だからと席を隣同士にしてもらえたし、当然昼食は一緒に学生用食堂で取り、帰りもクラリスと同じ馬車で送り届ける。

 同じ貴族街区域で屋敷も近いところにあるから頻繁に互いの家に顔を出していたし、休日は王都の劇場や店、カフェへ行くなどデートを沢山した。

 外出をしない日でもどちらかの屋敷でゆったりと過ごすことが出来、シルヴァンはいつでもどこでも大好きなクラリスと一緒にいられる時間を堪能し尽くした。


「シルヴァンは毎週の学院の休みの日でもクラリス嬢と会ってるんだろう? 飽きないのか?」

「え? 何で? 最愛の婚約者とはいつでも一緒にいたいものだろ?」

「いや、頻度ってものが……学院でも毎日一緒で、休みの日ともなると会わない日はあるのか?」

「そりゃあるよ。お互い用事があれば会えない日はあるさ。家の用事があればそれはさすがに優先するよ」

「……家の用事でなければ?」

「クラリスが最優先に決まってるだろ?」


 何言ってるんだ? とでも言いたげなシルヴァンを前に友人は閉口した。

 シルヴァンがクラリスから離れる数少ない授業のひとつの際に好奇心から聞いてみたのだけど、聞いたことを友人は後悔した。

 こいつ、見た目は軽薄そうだけど、中身がそれを裏切っている。

 そう理解するのは一瞬だった。


 傍から見ればあまりにも重苦しいほどの愛情なのだが、それを受け止めるクラリスはクラリスで、彼女もまたシルヴァンに一目惚れをして大好きで仕方がなかったので、その愛情を余すことなく受け止めた。


「クラリスが羨ましいわ。シルヴァン様はいつでもクラリスへの愛情を隠してないもの」

「本当よ。私の婚約者なんて顔を合わせれば嫌味ばかりよ」

「わたしのところは嫌味はないけど褒め言葉もなし。交流日のお茶会は沈黙よ」

「ふふ。シルヴァンは私に嫌われたくないから言葉を惜しまないと教えてくれたの。だから私も同じように好きという言葉を惜しまないわ」


 令嬢だけの授業の一つ、お茶会でのマナーを学ぶ時間。

 いくつかのテーブルに分かれたその一つに友人たちと座っていたクラリスは、友人たちから羨ましいと言われ続けていた。

 元々柔和で可愛らしい顔立ちのクラリスがほんのりと頬を染めながらシルヴァンとの思いが同じであり、好意を惜しまないと言えば、友人たちはどんよりとした何かを背負った。

 尤も、シルヴァンとクラリスのような関係は年頃の男女では中々に難しい所がある。二人の場合は初めての顔合わせの時から五年間かけてそれを当然にしたのだ。

 我慢出来ずに焼き菓子を手に取ったクラリスは小さく割った一欠片を口に運び幸せそうに微笑んだ。


 周りの目を盗んでは庭の木の影で隠れるようにキスだけはしていた。

 それ以上はクラリスの名誉に関わるのでシルヴァンも耐えた。

 初めの頃は大人の真似事のような、頬にする程度の可愛らしいものだったけれど、婚約者で恋人の二人が唇を重ね合わせるようになるのは自然なことで、大人は見て見ぬふりをした。

 二人の結婚は揺るぎないものであるし、節度を持っているのだ。それすら禁止したらシルヴァンが何をしでかすか分からない、と誰もが思うほどシルヴァンとクラリスは相思相愛であった。


 そんなシルヴァンは割と人気があった。

 赤茶の髪の毛に榛色の垂れ目をした彼は、整った顔立ちをしていることと、いつでも柔和に笑んでいることで下位貴族の令嬢達に思いを寄せられていた。

 クラリスという婚約者がいても、シルヴァンが気に入れば立場を奪える、と思う令嬢はそれなりにいた。

 上位貴族の令嬢はシルヴァンがクラリスと婚約していることは元より、彼女に対しての態度を見ていて現実を理解していたから端から相手にもしていなかったのだが、クラスが異なる下位貴族の令嬢達は現実を知らなかった。


 シルヴァンの優しさは全てクラリスのものである。

 仲の良い友人には多少砕けた態度を見せるし、クラリスの友人達には少しだけ親切だが、それ以外の全ては一律どうでも良いので無難な態度しか見せていない。

 己に関わりがなければ、例えば公爵家の令息や男爵家の令嬢という、家格や性別が違った相手でも態度は同じである。なんなら王族相手は敬語を使う程度で対応は同じだ。

 シルヴァンにとって、他人とはクラリスかクラリスではないか、それでしかない。

 なので、クラリスの評判を貶めて婚約者に成り代わろうとする者は全て敵となり、シルヴァンは容赦なく排除行動に出た。


「他人の悪口も言えないようなクラリスが誰かをいじめるわけないだろう」

「その前に、学院でクラリス嬢が一人になる時間はないよな」

「シルヴァンが常に横にいるのに……」

「シルヴァンも一人になる時間はないって事だけどな」

「明確なアリバイがあるって凄いけど、怖いな」

「本当に鬱陶しいな。クラリスを悪く言うやつって必要だと思う?いなくても問題ないよな?」

「あ、これは駄目だ。シルヴァン、死者は出すなよ」

「当たり前だろ?」


 クラリスが一人になる時間など精々お花摘みの時間くらいだ。

 今のようにクラスが別の授業の時ですら友人がそばに居る。

 下位貴族の集団の中でクラリスが酷いことを言ってきた、とかあれこれ噂を流そうとする者がいたが、それはすぐに潰された。


 何をしたのか、彼が永遠に語ることはないが、愚行に走ったものはすべて退学して行き、社交の場に出ることは無かったことだけは事実である。

 クラリスに手を出すな、というのが周知される頃にはシルヴァンの危うさが周知されていた。

 お陰でシルヴァンとクラリスの周りは平和になり、余計な雑音も聞こえることがなくなって最高に幸せな三年を過ごすことが出来た。

 あまりにも二人がべったりなので、シルヴァンは親切な友人からこっそりと結婚式前に子が出来るようなヘマはするなよ、と言われたのだが。

 そもそも行為をしていないのだからそんな事態に陥るわけがないと言えば非常に驚かれた。


「うっそだろ」

「嘘じゃない。クラリスの名誉を損ねることをするわけないだろ。そんなことよりそんな下世話な考えの対象にクラリスをしたことは許さない」

「え、あ、ぁぁぁぁぁー!」


 あまりにも距離感が無さすぎて既にすることはしていると思われていたらしいのだが、クラリスの不名誉になる、と鉄拳制裁を加えた。

 想像することすら許せなかったのだが。


 なお、両家の親からも何故か言われたのだが、キスまでしかしたことがないと知って逆に心配されたのは未だに納得出来ない。

 シルヴァンはクラリスと結婚式を挙げるその日まで、瑕疵一つ無く幸せな花嫁になってもらうつもりだった。

 だから、それを台無しにすることは決してしなかった。


 ただまあ、結婚すれば話は別で、式を終えて披露宴を中座した新婚夫婦は初夜を行うのだが、我慢していたシルヴァンの理性は簡単に崩壊し、二人は一週間ほどほぼ寝室から出なかった。

 まあ、そうなりますよね、と使用人は食事を運び二人が入浴する時にシーツを変えて手早く掃除をする時以外は部屋に近づきもしなかった。


 流石に学院を卒業して結婚もしたシルヴァンは次期伯爵として父親から仕事を教わるようになり、朝から翌朝までベッタリ、という訳には行かなくなった。


「シル、離れている時間が二人の愛を深めるのよ?」

「クララ~! 俺、頑張るから!」

「ええ。私もお義母様から家政のことを教わって頑張るわ」


 クラリスは今の貴族女性の基準から言えば少しばかりふくよかな体つきをしているのだが、シルヴァンから言わせてみれば周りが痩せすぎなのだ。

 ドレスのウエストをコルセットできつく絞っているけれど、男はそこまで細い女性が好きという訳では無い。

 寧ろ痩せすぎは抱きしめると骨が当たって痛そうだし、骨が折れそうで怖いのだ。

 クラリスは全体的に柔らかく、特に胸は顔を埋めると幸せになるほど豊かだ。

 毎晩その柔らかさに顔を埋めて眠るのがシルヴァンの幸せで、クラリスもくすくすと笑いながらシルヴァンの頭を撫でる。

 仕事に行きたくないと零すシルヴァンを宥めて働かせることなど簡単だ。

 抱きついて離れない彼の額にキスをしたクラリスは、さあ、起きましょう、と告げると彼女も起き上がる。

 結婚当初は箍が外れたように夜を越え朝方まで求められ、起きることも出来なければベッドから降りることも出来なかった。しかし最近はようやく落ち着いたようでただ眠るだけの夜もある。

 二人の仲睦まじさは、リュシエール伯爵領にあるローディエル家の領主邸の使用人達も十分に知っていることだ。

 婚約時代、学院に入学する前の時でもお互いの領地を定期的に行き来してクラリスのことを十分に知っていた使用人達は、若夫婦の微笑ましい姿を見ながら良い家で働けていると感じるのだ。

 シルヴァンはクラリス以外の他人は一律どうでも良いと考える、些か性格に難ありだが、使用人に横暴な態度を見せたことはない。

 クラリスに至っては使用人に対しても親切で、特に侍女に対しては身近で世話をするのもあってか、礼を告げる言葉は惜しまないし、こっそりとお菓子をくれたりなどしてくれる。

 不機嫌になって当たり散らすということもない。

 他のお屋敷勤めの使用人から聞くこともある理不尽な要求もない。

 ローディエル家の現当主夫妻も横暴とは無縁なので、誰もが生き生きと働ける、そんな空気が流れていた。



 朝食は若い新婚夫婦二人、小食堂で取っているが、夜はシルヴァンの両親のマルカスとヴィアンカ、シルヴァンの妹のナターシャ、弟のエルヴィンと取っている。

 ナターシャとエルヴィンも幼い頃からクラリスを知っているものだから、二人が結婚して領地で一緒に暮らすようになっても、見知らぬ誰かが割り込んできたみたいな空気にはならなかった。

 二人とも兄が深く愛しているクラリスを姉と慕っている。


「シルヴァン。来年の王宮舞踏会から本格的にお前たち夫妻に社交の主体を移行していく。私の知人への挨拶に二人を連れていくので、関わりのある家の情報をしっかりと覚えておくように」

「わかりました」

「クラリス、お茶会やサロンも開くようになるから、一つずつ覚えていきましょう」

「はい、お義母様」

「いいなぁ。お義姉様のお茶会にわたしも参加したい」

「ナターシャ。クラリスは結婚したからお招きするのは既婚者になるのよ。あなたはあなたで令嬢のお茶会があるでしょう?」

「だって、お義姉様なら美味しいお菓子がメインに出てくるでしょう? 羨ましくて」

「ナターシャ、別に誰かをお招きしたお茶会ではなくても、私とナターシャの小さなお茶会を開けば良いと思わない?」

「あ! そうね! お義姉様と二人でお茶会すればいいんだわ」


 まだ十四歳のナターシャは数える程度にしかお茶会に参加したことがない。大人のクラリスとのお茶会という言葉に目を輝かせた姿を見て、流石のシルヴァンも駄目だとは言えなかった。

 それに、どこかに出かけて見知らぬ誰かとお茶をするくらいなら妹と屋敷でお茶会をしてくれていた方が安心出来る。

 十二歳のエルヴィンはもっと幼い頃から兄の異常なまでの愛情をクラリスに捧げているのが当たり前で、それが普通だと思っているので、世間的にその思考が重いなんて考えたことがない。

 エルヴィンにも最近婚約者が出来た。

 男の子のいない子爵家に婿入りする予定なのだが、兄を見て育ったエルヴィンは、兄を基準とした振る舞いをしている。

 第二のシルヴァンが生まれるのは時間の問題だったが、相手の家は娘が大切にされそうだと好感触なので人間関係に問題は生じないだろう。

 ちなみに、ナターシャはナターシャで、彼女も兄の洗脳というか刷り込みを受けているので、通常はあそこまでとち狂ったレベルで愛情表現をしないということを知った時は驚いたし物足りなさを感じた。

 幸いにして、愛に飢えまくってるような令息が婚約者となり、ナターシャがたっぷり注いだ愛を全部吸収し、それと同じくらいの愛を返されるようになったので問題はなくなったが。


 それはさておき、王宮舞踏会は春から始まる社交シーズンの始まりとなる、その名の通り王宮で行われる大規模舞踏会である。

 新婚夫婦は他所の家へ紹介のため、未婚の若者で婚約者がいない者は相手を探すため、そして婚約者同士は顔を広め二人の関係を周知させるため、若者がこぞって参加し、とても華やかなものになる。

 未婚女性は明るく装飾も華やかなドレスを着るのが慣例だからこそ、王宮舞踏会は色とりどりの華やかなドレスで花畑のようになる。

 クラリスとシルヴァンの結婚は社交シーズン終わりごろに行われたので、今年の王宮舞踏会は未婚の婚約者として若草色のドレスを着たのだが、来年からは既婚者らしく落ち着きのある色合いのドレスになる。

 大抵は相手の髪色や目の色に合わせるので、赤茶のドレスに榛色の刺繍になるとクラリスは考えていた。

 そしてシルヴァンは当たり前のようにその組み合わせにするつもりでいた。全身に自分の色を纏わせる気でいるため、何年も前より糸を厳選し、染色にもこだわり、どこで仕立てるかも決めていた。なお、それは全てクラリスの目の前で行っているのでサプライズでもなんでもない。

 常にべったりそばにいた二人に秘密などほとんどない。


「わたしのデビュタントは王宮舞踏会の後だから参加出来ないのは残念」

「姉さまはデビュタントが終わったら他の舞踏会に出られるだろ? 僕はまだまだ先だよ」

「でもね、エルヴィン。子供の社交はあるわよ。ユリアーネのエスコートしなきゃね」

「あっ! そっか!」


 年が変われば十五歳になるナターシャはデビュタントを迎えるが、それは本人が言う通り王宮舞踏会の後である。

 王宮舞踏会はデビュタントを済ませていないと招待されない。

 エルヴィンはもっと先の話だが、ナターシャが語るように未成人の子供は子供で社交があるのだ。

 それまで積極的に参加していなかったエルヴィンだが、婚約者が出来たからにはそうはいかない。

 可愛らしい弟妹達の会話を大人たちがにこやかに眺めながらの夕食が終わり、シルヴァンとクラリスは部屋に戻る。

 とは言っても、寝支度をするため一度それぞれの私室に戻ることになる。

 夜の営みを終えた後、意識が朧気な状態であればクラリスとてシルヴァンに入浴させてもらうのは気にならないけれど、しっかりと意識がある時は流石に恥じらいがある。

 クラリスには五人の侍女が付けられていて、日々の入浴は交代でしてもらっている。


「クラリス様、新しい香油を入手しました。お肌をしっとりとさせるものです。今日はこちらなどいかがでしょうか?」

「いいわね。お願いしてもいいかしら?」

「はい」


 侍女に入浴の介助をされるのが当然のクラリスは、彼女たちに対しての恥じらいはない。

 髪や体を洗ってもらうのは当然のことであり、肌の手入れをされるのもその一環である。

 クラリスはシルヴァンが気にいるほど柔らかな体をしているが、太っているわけではない。適度に肉付きが良いだけなのだ。

 特にお気に召している胸の手入れは入念にされる。何せ夜毎の枕替わりだからだ。


「クラリス様……また大きくなりました?」

「……やはりそう思う? 最近少しきついかしらと思っていたのよ」

「お腹周りは変わりないので……」


 ああ、と言う声がどこからともなく漏れる。

 育った原因は簡単に想像出来たのだ。

 皆の脳裏に蕩けるような笑みを浮かべるシルヴァンが浮かんだのは無理もない話だ。


「太ったと言われたらどうしようかしら」

「それはないかと思います。ただ、ドレスの直しをしなければなりませんね」

「そうね。今度マダムが来た時に採寸をしなおして、お直しに出しましょう」


 柔らかなモスリンで出来ているナイトドレスはクラリスのお気に入りである。婚約者時代の頃からシルヴァンがクラリスに最上の眠りをと言って選びぬいた生地で作ったナイトドレスは、結婚後も変わらず贈られている。

 たかが布かもしれないが、着心地というのは大事なものなのだと痛感させられている。

 柔らかなアイボリー色のモスリンで仕立てられたナイトドレスの胸元には繊細なレースがあしらわれ、ふんわりと膨らんだ長袖は手首で絞られ、裾に向かってゆったりと広がるスカートが足元まで流れている。

 胸下には細いリボンが結ばれ、淡い色合いの生地には控えめな光沢があった。そのリボンのおかげというか、所為というか、クラリスの柔らかく豊かな胸元は更に強調されるのだが、慣れているクラリスは気にしていない。

 薄手のショールを羽織れば寝支度は終わりで、侍女たちは手早く片付けを済ませると速やかに退室し、クラリスは二人の私室の間にある夫婦の寝室へ向かう扉を開けた。


 女性であるクラリスよりも男性であるシルヴァンの方が寝支度の時間が短いのは当たり前のことで、既に室内の窓辺にある長椅子に腰掛けていた彼は、クラリスを視界に入れると垂れ目をさらに緩ませるように笑みを浮かべながら立ち上がり、大股で近寄ると簡単にクラリスを横抱きにした。

 ゆったりとした白いシャツに濃色のズボンを履くシルヴァンは、二人きりになった途端に離れたくないとクラリスを必ず抱き上げる。

 クラリスも同じ気持ちなので、首に腕を回すとさらに密着し、その場でキスをする。

 二人の間にある愛が枯れる気配は欠片も見えなかった。


「ねえ、シル。次にマダムがお越しの際は採寸してもらうわ」

「え、どうしたの?」

「大きくなったのよ……胸元がきついのよ」


 ベッドまで軽々と運ばれ、そっと横に寝かされたクラリスの隣に潜り込んだシルヴァンはまじまじとその部分を見る。

 そして、己の行動がそうさせたのだと理解するとにっこりと微笑んだ。

 柔らかなクラリスの部分が増えるには問題は無い。

 クラリスは胸元が目立つだけで、腰周りは細い。もう少し肉が付いても良いとシルヴァンは思うが、女性の美に対してのこだわりを知っていると迂闊に口には出来ない。


「ドレスのデザインも考えないとね。俺も話し合いに参加していい?」

「いいわよ。はぁ……サイズの変更は大変なのよ。それにしても、来年の王宮舞踏会のドレスだけでは足りないわね」

「夜会もいくつか参加するだろうし。色んなドレスを着たクララが見られるのはいいよな」

「程々にしましょう……ナターシャのエスコートはお義父様?」

「そうに決まってる。俺はクララしかエスコートしないと決めてるから」

「酷いお兄様ね」


 ごろりと寝転がったシルヴァンの前髪を掻き分けると顔がよく見える。他者の前ではいつでも同じ表情のシルヴァンだが、クラリスを前にすると一転、豊かな感情が出てくる。

 盛大に頭を打ち付けて痛みで涙目になった顔、格好をつけた澄まし顔、クラリスを傷つけた者への怒りを向けた顔。それらは全てクラリスにしか見せていない。

 たとえ家族であってもシルヴァンの感情はクラリスに捧げられている。

 そしてそれはクラリスも同じことである。

 いつでもにこやかに笑うクラリスが拗ねた顔や恥ずかしがる顔、恋をしている顔はシルヴァンのためだけのものだ。いや、さすがに羞恥は他の人にも見せているけれど、恋をしている顔はシルヴァン以外に見せるはずもない。


 顔を近づけ触れるだけのキスを繰り返し、抱きしめあっている内にどちらからともなく、すぅ、と眠りに落ちていた。



 結婚して初めての王宮舞踏会。

 夫婦として参加するのは初めての大規模舞踏会で、大勢に改めて紹介されたシルヴァンとクラリスは伯爵夫妻から離れて休憩をしていた。

 厳選に厳選を重ねて作ったドレスを着たクラリスを見てシルヴァンは気分が良くなる。

 公爵家や侯爵家はにこやかな笑顔の下で政争などの関係から緊張感を漂わせているが、伯爵家ともなればそこから縁遠くなる。

 ローディエル家は王宮に勤めている者は親戚に数名程度で基本は領地経営を恙無く行う家なので、こうした場で目立つことはない。

 軽食を取れる広間の端に置かれた椅子に腰掛けるクラリスを守るように立つシルヴァンは、彼女を置いて知人に会いにいく、なんてことはしない。

 新妻がどこぞの男に声を掛けられるかもしれないと思うと腹立たしい。

 ワインではなく果実水を飲むクラリスはほう、とため息を漏らすとシルヴァンを見上げてくる。


「独身の頃と違ってやはり扱いが変わりますね」

「そうだね。これからの社交も変わっていくんだろうなぁ」


 まだまだ現役で働くマルカスからシルヴァンが爵位を受け継ぐのは先の話だが、結婚したことで「次期当主」として周囲が見るようになったことを痛感した。

 クラリスも、婚約者から妻になったことでローディエル家を盛り立てる若夫人として見られるようになり、家の関わりのある人々に対して発言が慎重になるのを感じていた。


「まあ、父上はまだ若いし、俺たちに子が出来て大きくなるまでは譲らんと言ってるからなぁ」


 思えば、シルヴァンの父も代替わりをしたのはシルヴァンが学院に進学する少し前の頃だった。

 先代の祖父母は現在、領地にあるそこそこに発展している街からほど近いところに建ててある別邸で隠居生活を送っている。


「子ども……」

「まあ、焦って欲しい訳じゃないけどね。クララと二人の時間はいくらあってもいいし」

「そうね。私もシルと二人の時間は嬉しいもの」


 挨拶回りをしていると必ず言われるのが「早く子供を」と言うことだったが、結婚して環境が変わり、夫人として学ぶことも一気に増えたクラリスへの負担を考えると、とてもでは無いがそれ以上のことを求められるわけがなかった。

 それに、子供が出来ればクラリスの関心がそちらに向けられるのもシルヴァンは嫌だった。

 自分たちの子供は可愛いと思えるだろうけれど、それはそれ。

 クラリスはシルヴァンのもので、シルヴァンはクラリスのものだ。最優先はお互いで無ければ嫌だ。口にはしないけれど、クラリスには分かっているのだろう。


「そろそろ広間に戻ろうか。君のご両親と義兄上にも挨拶をしないとね」

「ええ。行きましょうか」


 クラリスから受け取ったグラスを控えていた使用人に手渡し、シルヴァンは手を差し出すとその手に己の手を乗せクラリスが立ち上がる。

 二人は顔を見合わせて微笑み合うと、気合を入れて人々が集まる広間へと足を進めた。


 大きな喧嘩をすることはなく、すれ違うこともなく、順調に仲を深めた二人は結婚した。そしてこれからも二人は変わらずお互いを愛し合いながら同じ道を歩んでいく。

婚約破棄や婚約解消ものは面白い。

けれど、最初から最後までラブラブな話も好き。

そんな気持ちで書きました。


活動報告に裏話があります。

https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1347077/blogkey/3735244/

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― 新着の感想 ―
 イチャイチャは健康に良い
イヤー久しぶりにこういうの読んだなあ。 何も問題起きない山も谷もない話って気分よく読めて大好き。ありがとうございました。
甘い甘すぎる。 口の中にはちみつを一瓶ぶっこんだくらい甘い…… こうあればいいなあ〜という理想の夫婦です。 年を取って、天寿を全うするまで仲良しでいて欲しいです(そのあとも相愛は続くのかもしれませんが…
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