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離婚から始まるルビーの未来~頼りになるパートナーと新天地へまいります!~

作者: ねねこ

「はぁ……まさか、離婚ってこんなにあっけなく成立するもんだとは……」

 私は、ルビー・エレファ……だった。今は離婚してただのルビー。

 この世界に転生した私には前世の記憶があった。

 前世の私は電器屋に会社帰りや休日に入り浸ることが趣味の家電ラブなどこにでもいる家事好きな人間だった。

 え?ふつうは家事なんて好きじゃないって?

 私は大好きだったので、私基準ではそれが普通なんです!

 せめてもの詫び、とかなりの額の慰謝料を持たされたのは口止め分もあるのだろう。教会で離縁状にサインをし、慰謝料と小さなトランク1つで伯爵家を出て来た。

 実家に帰ろうにも、すでに私のこの世界での実家はなくなっていて、文字通り私は天涯孤独だ。

「さて……何をするにもまず必要なのは住む家よね……行きますか……」

 

 

 今の状況を語るのなら、7歳の頃まで記憶をさかのぼる。

 自分が異世界に転生したことに気づいたのは、7歳くらいの頃だった。

 今世での実家の家業は、魔法石を作ることで、私は幼いころから父の作業場に入り浸り、父の作る色とりどりの魔法石をおもちゃにして遊んでいた。

 真っ黒の石炭のような石に父が魔力を通すとそれが色と輝きを持ち、透明な魔法石に変わる。そんな父のそばで、見よう見まねで魔力を通すことを試してみたくなり、やってみると石は黒いままだったけれど、輝きを放った。その輝きが私の脳裏に今世ではない記憶を焼き付けたのだ。

 そう、それが平成から令和に日本人として生きた前世の記憶だった。

 死んだときの記憶がないので、事故か何かだったのだろう。前世の家族には申し訳ないな、という気持ちはあるけど、今世を楽しんで生きていくしかない、できれば手に職をつけよう、と決めてそれから私は本格的に父に師事した。最初こそ父はどうしたものかと悩んでいたようだけど、私が一人っ子と言うこともあり、将来的に手に職をつけておくのはプラスだろうと判断して、仕事場に本格的に入れてくれるようになった。

 この世界では人はみな魔力を持って生まれてくる。様々な属性があるが、父は「無属性」という、どんな魔力とも相性が良い魔力の持ち主だった。その属性で魔法石を作る仕事をしていて、この国ではトップクラスの魔法石作成の第一人者だった。まず透明な魔法石を作り、そこに依頼のあった魔力属性を重ね、様々な属性の魔法石を作り出す。

 父の作る無属性の魔法石はあらゆる魔力を籠められる、いわばチートクラスの魔法石で高く取引されていて、私は何不自由なく育ってきた。

 そして私が16歳になった時に持ち込まれたのが、このあたりの領主であるエレファ伯爵の息子との婚約の話だった。

 どうしたものか、と父も母も悩んでいたが、領主さまの後ろ盾を得られるのなら更に仕事を広げることができるだろう、そう、例えば王都や他国に、と私は考え、両親に「婚約の話、お受けします」と告げた。

 それからエレファ伯爵家に向かい、自分の夫となる方と会った。

 夫となるルード・エレファ様は私より一つ年下で、第一印象は可愛らしい純朴なお坊ちゃん、という感じだった。

 前世プラス今世で実年齢はアラフィフな私には息子のような年齢だ。

 実際、応接室で初対面した時に、優柔不断と言うかあまり自分の気持ちを言葉にしない性格が透けて見えるできごとがあった。

「あの……ルビー嬢」

「ルビーと呼んでくださって構いませんわ、ルード様」

「ほう、言葉もきちんとつかえるのだな、ルビー嬢は」

 領主である伯爵が感心したようにあごひげを撫でる。

「父のところにいらっしゃる色々なお客様と接しますので、一応は聞き苦しくない言葉遣いを、と習いましたの。私の言葉遣いはおかしくはないですか?」

「おかしくないどころか、このまま夜会へ一緒に行っても問題ないくらいだ。そうだろう、ルード」

「え、ええ。とても聞き取りやすいです」

 いや、絶対何か言いたかったでしょ、あなた。言いたいことがあるのに、父親の顔色を窺って言えない性格が透けて見えたけれどまだ15歳の少年だ、それも不思議ではない。

 ルード様が話を変えるためにお菓子を勧めてくださり、ああ、こういう気づかいはできる優しさはある方なのだと分析した。

 少なくとも、父の魔法石を独占に近い形で取り込みたい領主のエレファ伯爵の思惑は分かっていた。娘である私が父に師事しているのも有名な話だったし、私も魔法石を作れるのならさらに良いと考えたのだろう。

 これは政略結婚だ。

 そこに個人の気持ちは必要ない。必要はないが、できれば夫となる人に情は持ちたい。

 この優柔不断なところはマイナスだけど、それはこれから大人になりながら矯正していけばいいし、今から目くじらを立てても仕方ない。

「婚約のお話お受けいたします」

 と返事をして帰宅し、父と母に「ルード様は優しい素敵な方だったわ。あの方なら、私、きっと幸せになれると思うの」と伝えると、2人とも安心していた。

 さあ、もう引き返せない。

 それから私はエレファ家に通うようになり、色々と伯爵家に嫁入りするために教えを請い、ルード様が学校を卒業した18歳の時に結婚した。

 教会で結婚の誓いの儀式をし、前世では縁のなかったドレスを纏い、自分で言うのもなんだが、その日の私は世界一綺麗だったと思う。今世の父と母の喜びの涙を見て、心の中で前世の両親に(お父さん、お母さん、私、こっちの世界で結婚できたよ)なんて言ったりして。私の手を取るルード様の手が少し震えていたのがとても可愛らしいと思うくらいには、彼に情が生まれていた。

 それからすぐルード様は王都に行き、離れて暮らす生活となった。義理の父となった方曰く「将来、この領地を継ぐために王都で勉強が必要だ」と言う言葉にルード様は従った。行く前に見送る私を何度も振り返り、少し泣きそうな顔をしていて、ああ可愛らしいなぁ、と思った。

 離れて暮らすのは少し寂しいと思ったけど、領地のために私も覚えることが多く寂しいなどと思う暇もすぐなくなった。時折手紙のやり取りをルード様とはするだけだったが、手紙に書かれた彼の近況報告や同封された贈り物が嬉しくてたまらなかった。私も一度だけ父にお願いして蒼の魔法石でブローチを作り、ルード様に贈った。蒼の魔法石は、風の加護のある魔法石だ。ルード様は風の魔力持ちだったのでそれを選んだ。他にも使い方はあったので、ルード様にだけ使い方は教えておいた。ルード様のお礼のお返事には「毎日ブローチをつけています。ルビーと一緒にいるみたいで元気が出ます」と書いてあった。

 そんな風にそれなりに情を交わし、心を交わし、ルード様が二十歳、私が21歳になった時、義理の父と母が馬車の事故であっけなく亡くなった。

 領主不在の地を作るわけにもいかないと、ルード様が時期領主になるために王都から戻り、私は領主夫人の立場になることになった時、今度は私の父と母が火事に巻き込まれて亡くなった。立て続けに頼りになる人たちを亡くし、さすがに力を失っていたが、戻ってきてくれたルード様が黙って私に寄り添ってくれたことで徐々に立ち直り、2人で領地経営を頑張ることにした。父も母も、義理の父も母もこの領地をもっと良くしていくことを望んでいると思ったからだ。

 そして少しずつ二人で領のことを決めて色々なことを進め、1年もすると安定してきた。

 そんな時、私たちのもとにお客様がやってきた。

 私たちの元に王都からやってきたのは、伯爵家のご令嬢マリエッタ様でルード様とはご学友だったという。ちなみに彼女の実家の領地は、エレファ家の隣の領地だ。

 華やかで美しいマリエッタ様は3人の侍女を連れてやってきた。

 何のために来たのか、と問うルード様にご令嬢、マリエッタ様は「隣の領地でいずれわたくしも婿取りをして女伯爵となる身ですから、領地経営に関してルードに教えてもらおうと思いまして。これは陛下からの推薦状ですわ」と国王陛下からの推薦状をまるであの有名なドラマの印籠のように見せて来た。

 同じ伯爵家と伯爵家でも国王陛下により近い証を持つ向こうの家との家格の差は明らかで、何より陛下のお許しがあるとなると否やとは言えない。

 伯爵家からの手紙もあり「どうかいずれ領主となる娘のために力を貸してほしい」と書いてあり、向こうの伯爵家に恩を売る良いチャンスだと思った私は、館の中で一番広い部屋、つまり私の使っていた部屋をマリエッタ様のために一日足らずで調え、マリエッタ様が連れて来た御付きの侍女たちための離れも調え、そちらを使ってもらうように手配した。

 マリエッタ様は「ルビー様のお部屋を譲っていただくわけには参りませんわ」と困っていたけれど、ルード様が「ルビーはマリエッタ様にはこの部屋を使っていただきたいと言ってますので、どうぞ妻の顔を立ててください」と援護射撃をしてくださったおかげで問題なく済んだ。

 マリエッタ様は「……ルビー様のご厚意に、感謝いたします」と改めて頭を下げてくださった。

 その声音には貴族令嬢らしい気位の高さではなく、年頃の娘としての素直な戸惑いと礼儀が混じっていて、私はマリエッタ様に好意を抱いた。

「せっかくですから、ここではお互いに気兼ねなく参りましょう。わたくし、領地のことはまだまだ学ばねばならぬことばかり。どうかルビー様もわたくしに色々とお教えくださいませ」

 その笑顔はとても愛らしく、私は差し出された手を取った。



 それからマリエッタ様はルード様や時に私と共に領地の運営の関しての勉強や実際に行われている事業などを見て回り、真面目なマリエッタ様はとても勉強熱心で、領地の住民たちともすぐになじんだ。1か月もすると、一緒に街へ出かけると領民たちから手を振って歓迎されるようになり、私と二人でいるとよくお菓子などを頂き、都度笑顔で応えられるマリエッタ様はきっと良い領主になるだろうと思った。

 そんな日々が続いていたころ、ルード様の様子がおかしいことに気づいたのはマリエッタ様が先だった。

「最近、ルードの様子がおかしいとルビー様は思いませんか?」

 侍女たちがお茶を置いて退室し、二人きりになった時、マリエッタ様がそっと切り出した。

 その中に、マリエッタ様の侍女のひとり――――クラリッサ嬢がいた。彼女は男爵家の出で、侍女というには立場が高すぎるのだが、幼い頃からマリエッタ様と親しく、マリエッタ様の侍女となり、今回は側仕えとして同行しているらしい。

 卓上に茶器を整える所作も、庶民の侍女よりはどこか優雅だなとは最初に思ったのを覚えている。

「お疲れなのかしら……それとも、何か領地運営に悩みを抱えておられるのかしら。領地の仕事は重いものですし」

 その美しい顔は険しさよりもむしろ心配に曇り、眉根を寄せる仕草は本心からのものに見えた。

「そうね……」私も頷きながら、ルード様の最近の振る舞いを思い返していた。

 ため息は多い、何か私に言いたげな空気がある、のは何となく感じていた。

 だが、彼ももう領主という立場でいい大人だ。妻に言いたいことがあるのならきちんと言えばよい。

 それを察してやるほど、私も優しい女ではないのだ。



 私はマリエッタ様に頼まれた領地の書類を確認するため、少し早めに書斎へ向かっていた。

 すると、書斎の窓から淡い夕陽の光を受けて、見慣れたはずの景色が妙に違って見えた。


 ――ルード様とクラリッサが、机を挟んで向かい合い、肩を寄せている。


 一瞬、目を疑った。

「……何をしているの?」


 クラリッサが振り向き、優雅に微笑む。

「ルビー様、ちょうどよかったですわ。ルード様がこの資料の整理に迷っておられまして、少しお手伝いしておりました」

 ルード様は慌てて机から立ち上がるが、顔が少し赤い。

「そ、そうだ、ルビー!ちょっとこの魔法石の扱いを説明してほしかったんだ……その、それにかかわる書類の整理をあの、クラリッサに……」

 その声には、言い訳以上に困惑と流され感が滲んでいた。

 胸がぎゅっと締め付けられる。怒り、哀しみ、そして何より――あの優しい夫が、こうして流されていることへの失望。

「……そう」

 私のの声は自分でもびっくりするくらい低く、冷たかった。

「そう……なら、いいわ」


 その瞬間、私の中で何かが切れた。

 長く信じてきた日々の情も、二人で築こうとしていた領地の未来も、今この一瞬で砕け散るように感じた。


 クラリッサの困ったような、だけどしてやったり、という気持ちが浮かんでいる微笑みが、私の胸に深く突き刺さった。

 そしてルード様は、ただ「悪くない」と思っているような顔で、困惑しているだけだった。

 

 私はゆっくりと後ろを向き、書斎を離れた。

 マリエッタ様に報告すべきか迷っている間に事態は悪化した。

 私がするべき魔法石の流通の契約にルード様が手を出し、それをクラリッサが手伝ったことにより大きな損害を出し、事態はマリエッタ様に知られることになってしまった。その頃にはもうルード様とクラリッサは同じ寝室にいるところを複数人の使用人に見られていた。

 幸い、すぐに私が修正したことと、マリエッタ様が領地を超えて手を差し伸べてくださったおかげで、被害は最小限で済んだけれど、それでもかなりの魔法石の元石(これがエレファ領の一番大きな財源だった)がただ同然の金額で隣国へ流れてしまい、最悪、国家反逆罪に問われるところだったのだとマリエッタ様に指摘された二人は真っ青になっていた。いや、遅いわ。

 そして何とか事態が鎮静したところで、マリエッタ様が二人への罰が必要だと言ったのだ。

「ルードは、自領だけでなくこの国の国力も弱まるようなことをしたんですのよ?それを分かっていらっしゃいますか?」

「……ぼ、僕は、魔法石をもっと気軽に流通させようとしただけで……」

「呆れた。魔法石の元石はエレファ領の特産なのですよ。この国でも一番採掘量が多いのです。わが伯爵領でも採掘はできますが、エレファ領には質も量も負けております。わたくしはそれを分かったうえで、伯爵領とこちらの領の関係を今後もきちんと良いものとしたいと思っていましたが、どうやら期待はできないようですわね。特産品には価値を持たせたうえで流通させるのが領主の仕事ではありませんか。それをただ同然で、しかも隣国に渡すなどありえませんわ」

「べ、別に損をしようとしたわけではなく将来的に……」

「はあ……あなたは学園にいた時から流されやすい人だとは思っていましたが、領主になって少しはまともになったのかと思いきや、この領地がしっかり回っていたのはルビー様の手腕だったということですわね」

「……そ、それは……」

 ルードの言葉はしどろもどろで、もはや言い訳の体も成していなかった。


 私は胸の奥に冷たいものが広がっていくのを感じていた。

 浮気だけではない――この人は、領主としての責務も、夫としての責任も果たせない。

 あの優しい微笑みも、頼りなげに私を見上げてきた視線も、結局はただの空虚だったのだ。

「マリエッタ様」

 私は静かに口を開いた。

「この件の責任は、妻である私が最終的に負います。ただし……夫婦の縁は、もう切らせていただきます」


 マリエッタ様の瞳が一瞬見開かれる。その横でルードが慌てて叫んだ。

「ま、待てルビー!僕は――」

「――優柔不断で、流されやすい夫。そんな方を夫として生涯支え続けるのは、私には到底無理です。クラリッサ嬢がお気に召したのであれば、どうぞお好きに」

 私は微笑んだ。自分でも驚くほど、冷たく澄んだ声で。

「こんな優柔不断な男で良ければ、差し上げます」



 そしてそのまま、マリエッタ様が立会人になってくださるということで、嫌がるルード様を馬車に押し込み、結婚式をした教会へ向かい、離縁状を作成してから家に戻った。

 マリエッタ様はクラリッサを解雇し、彼女はルード様に泣きついてそのままこの屋敷に住むことになったと聞かされた。本当に呆れた。そこも流されるのか。

 離縁は合意の元だったが、マリエッタ様がかなり強めにルード様を締め上げて、私はかなりの額の慰謝料を受け取った。だが、私には慰謝料より彼から取り返さないといけないものがあった。

「ルード様。そのブローチを返してください」

 いつも彼が胸元に着けていた、いつぞや私が贈った蒼の魔法石のブローチだ。これは亡き父が作ってくれた魔法石だったから、どうしても自分の手元に取り戻したかった。

 ルード様は一瞬言葉を失い、かすかに肩をすくめた。

「……ブ、ブローチか……」

 私の視線は冷たく、しかし揺るぎなく彼を捉えていた。

「はい、お願いします。これだけは、どうしても返していただきたいのです」

 ルード様は俯きながらも、仕方なさそうにブローチを取り外し、そっと私の手に差し出した。その手つきには、困惑とわずかな後悔が混ざっている。

 私はそれを受け取り、しっかりと握った。

 これで、過去に私と彼をつなげていた象徴はすべて戻ってきた。もう、彼に縛られる必要はない。

 手のひらに蒼の魔法石が触れる感触に、私は少しだけ安心した。

 もう一度、私の人生を自分の足で歩んでいける――そう思えた瞬間だった。

 

 

 トランクを手に、街へと向かう。

 もう今日からは領主夫人ではなく、ただのルビーとして生きていくのだ。

 トランクの中にはルードから返してもらったブローチとマリエッタ様からの推薦状といくつかの書類と着替えが入っているだけだった。え?慰謝料?こんな小さいトランクには入りきらないよ。実は父と母から内緒にしなさいって言われてたから誰にも言ったことなかったんだけど、私、拡張空間、別名収納空間のスキル持ちで、収納量は試したことはないからわからないけど、かなりのものだ。ここにもらった慰謝料は纏めて入れてある。

 このスキルが分かった時、父は「国にバレたら大変なことになるから、このスキルのことは誰にも言ってはいけないよ」と私に言い含めたものだ。そしてそれをごまかすために、父が私にふんだんに魔法石を使って作ってくれたのがこのトランクだった。

 魔法の空間をトランクに展開させて、2トントラック一杯くらいの収納可能なトランクを作ってくれた。だからこれは持って出た。このトランクの存在を知っているルード様は譲ってほしいといったけれど、これは父の形見でもあるので、生涯私のモノです、と言ったら引き下がったけど。うん、まあこのトランクあったら魔法石の運搬楽だもんね。実際、ずっとそうやって私が使ってきてあげたんだし。

「さて、乗合馬車停留所は……」

 街の真ん中にある馬車の乗合停留所で、隣りの伯爵領へ向かう馬車を確認する。マリエッタ様が「どうせならうちの領地で働いてくださいませんか?」と誘ってくださったのだ。もうすぐマリエッタ様は婿取りをして女伯爵になる予定だ。マリエッタ様からしたら、私の父譲りの魔法石作成の能力は、ぜひともほしいものだろう。あんな有能な領主のもとでなら、ずっと私がやってみたいと思っていたことができる気がした。



 乗合馬車に揺られて丸二日、隣りのジャクリーン領に着いた私は、まずマリエッタ様の推薦状を手にマリエッタ様の実家へ向かった。ジャクリーン領はエレファ領より魔法石の採掘量こそ少ないが、魔法石の加工技術は王都に次いで優秀である。

 すでにエレファ領を引き払ったマリエッタ様も戻られていて、何日かぶりにお会いできた。

「マリエッタ様。お言葉に甘えて参上いたしました」

「よくいらっしゃいましたわ、ルビー様。お疲れでしょう?部屋を用意させてますので、そちらでくつろいでくださいませ」

 と、案内されたのは綺麗な客室で、エレファ領の領主鄭の私の部屋より立派で広くて、これが領地経営に成功した差……と驚いたものだ。

 エレファ領をこれくらいゆるぎないものにしたかったな、などと思ったけれどそれはもう叶わない。せめて領民たちがきちんと暮らしていけることを祈るだけだ。

 ひと息ついたところで、部屋の扉がノックされた。

「ルビー様、今よろしいですか?」

「あ、はい」

 扉を開けて入ってきたのは、マリエッタ様と、いかにも洗練された身なりの青年だった。背は高く、立ち居振る舞いも隙がなく、にこやかな笑みを浮かべている。

「ルビー様、紹介いたしますわ。こちらが、私の婚約者のエルマー様です」

「初めまして、ルビーさん。マリエッタからあなたのことはよく聞いています。彼女に色々と教授くださったそうで、ありがとうございました。これからは、彼女を支えるのは僕の役目ですから、どうぞ安心してください」

 なんだろう、この違和感。

 優しい言葉を並べているのに、目の奥が少しも笑っていない。むしろ「自分こそが上だ」と言わんばかりの光が潜んでいた。

(ああ、外面だけの人ね……)

 私は心の中で小さくため息をついた。

 ルード様とは違う意味で流されやすいタイプと見た。

 ただマリエッタ様は彼を信頼しているようだし、私はただの客だ。余計なことは言わないでおこう。



 それから私はマリエッタ様の紹介で、魔法石の元石の加工の仕事をすることになった。父に仕込まれたやり方はジャクリーン領のやり方とは違っていたけれど、私のやり方のほうが効率が良いと気づいたマリエッタ様が領内へ私のやり方を基盤とするように指示を出した。すると、加工の効率は1.2倍に上がり、併せて魔法石の魔力付与の効率も上がり、王都への物流も増えた。

 順調な領地経営に一滴の墨が落ちたのはあの外面よしおの婚約者の余計な一言が原因だった。

 エルマーがマリエッタ様の父親にこう言ったのだ。

「ジャクリーン伯爵、マリエッタのやり方も悪くはありませんが、私も領の運営に関わりたいのです。彼女一人で全てを決めさせるのは危険です」

 と、ジャクリーン伯爵に申し出たのだ。

 マリエッタ様は笑顔で「まあ、心配しなくても私は…」と答えようとしたが、ジャクリーン伯爵はその声を遮った。

「マリエッタ、君は少し肩の力を抜きなさい。今後の領の魔法石に関する案件はエルマーが監督する。マリエッタはその十分な知識を生かして補佐に回ってほしい」

 マリエッタ様は目を丸くし、すぐに反論した。

「しかしお父様、私が直接指揮を取った方が効率も安全も確実です。それに私の知識はルビー様のおかげです。ルビー様のやり方でここまで順調になってきたではありませんか」

「ああ、そうだ、マリエッタ。ルビー、だったか?あの女を早めに追い出すんだ」

「え……?エルマーさま、何を……」

「君の友人だということで調べたんだが、彼女は隣のエレファ領の前領主夫人だったのだろう?離縁に関して調べてみたんだが、魔法石の加工の独占をして贅贅沢三昧で領民を苦しめたため、ご夫君から離縁を言い渡されたのだろう?そのような人間を君のそばに置くのは僕も義父上も反対だよ」

 ドアの外で話を聞いていた私は、そんなねじ曲がった噂で自分たちの立場を被害者としたルードとクラリッサに腹が立ったが、これが身分社会の現実だ。

 マリエッタ様は驚愕の声を上げた。

「え……それは嘘ですわ!ルビー様の離縁の真相は……!」

「マリエッタ。真実はどうでもいいのだ。そのように言われていること自体が問題なのだよ」

「……!し、しかし、ルビー様はすでにこの領地での仕事に欠かせない存在です!彼女の知識や方法なしでは、魔法石加工の効率は上がりません!」

 しかし、エルマーはにこやかに微笑んだまま、冷たく言い放つ。

「だからこそ、彼女がここにいると問題なのです。この領地を僕たちが管理するのに邪魔になります。君は次期女伯爵であることをもっと自覚してください。彼女は今すぐこの領地を離れるべきです」

 ジャクリーン伯爵も頷き、声を低くした。

「ルビー嬢を遠ざけることが、マリエッタ自身のためでもある。彼女に頼りすぎるのもまた危険だ。君は自分の力を独占させず、領地全体のために動くのだ。それが領主となるべきものが見せる模範的な姿と言うものだ」

 マリエッタ様は言葉を失い、私もまた心の中でため息をついた。

(やはり、どんなに有能でも、外面の良いクズには勝てないのね……)

 あの婚約者の薄っぺらい内側の欲は透けて見える。

 マリエッタ様の能力を飼い殺しにして、お飾りの領主にして、自分が伯爵領の金の流れを仕切りたいのだ。実際にはマリエッタ様に実務をかぶせるつもりなのだろう。そして私のことは、魔法石の加工場送りにでもして同じように飼い殺すつもりだ。そんなことするわけないし、させないわ。

 数日後、マリエッタ様に思いもよらぬ通告が届いた。

「マリエッタ様、王都からの書状です。あなたは、隣国との密輸に関与した疑いで調査対象となるとのことです」

 いや、その危険に一番近かったのは、私の元夫ですが!?と全力で反論したかったけれど、それは誰にも聞いてもらえない反論だった。

 その疑惑が決定打となり、ジャクリーン伯爵はマリエッタ様を廃嫡し、エルマーを養子として迎え入れてしまった。

 それでもエルマーはマリエッタ様との婚約を破棄せず、「一生大切にしますから」などと笑っていた。そんなエルマーにジャクリーン伯爵は良い婿殿だ、などと笑っていた。どこがだ、ふざけんな。

 こうなってはもう逃げるしかない。だけど、1人ではなく、マリエッタ様も一緒にだ。こんな地獄のような場所にマリエッタ様を残していけるわけがない。

 真夜中にこっそりマリエッタ様の部屋を訪ねると、マリエッタ様は驚いていたけれど招き入れてくれた。

「マリエッタ様。色々お世話になりましたが、私はこの領を出ていこうと思います」

「……ルビー様!……いえ、そうですわね。わたくしはこれ以上ルビー様を守れませんし……」

「私はこれでも案外臨機応変に対応できる人間なので大丈夫ですよ。ですから、今度は私がマリエッタ様のお力になる番です」

「え?」

「このままここにいては、マリエッタ様は確実に飼い殺しにされますわ。エルマー様とご結婚されても、実務はマリエッタ様で手柄はエルマー様、という図式がすでに彼の中では出来上がっていると思われます。それはあまりにも理不尽なことでは?」

「……」

「ですので、マリエッタ様にご提案です。このまま私と国外逃亡しませんか?」

 マリエッタ様の瞳が大きく見開かれ、一瞬言葉を失った。

「……国外、ですか?」

「はい。王都からの書状もありましたし、国内にとどまっていては危ないかと」

 私が告げると、彼女の表情に迷いと不安、そして小さな決意が混ざった光が宿った。

「……でも、もし逃げたとして、私たちは……」

「大丈夫です、マリエッタ様。私たち二人で力を合わせれば、どこでもやっていけます。私の魔法石の加工技術と、マリエッタ様の実務能力があれば。実はもう国を出る手配は済んでいるんです。今夜です」

 私は彼女の手を取り、静かに微笑んだ。

 マリエッタ様は少し震えた手で私の手を握り返す。

「……ルビー様はお強いですね。ではその強さを私に分けてくださいませ」


 その言葉が私たちの決意だった。夜の闇に紛れて、二人だけの脱出が始まる――。


 一度私はお借りしている客室に戻り、用意していたトランクの中身を確認した。

 魔法石の加工技術の書類と自分で作った図面、父に作ってもらった一度はルードにあげたブローチと、家事の焼け跡から拾った父の仕事道具一式が入った箱。仕事道具の箱は外側は焼け焦げていたが、中身には傷一つなかった。収納空間には慰謝料と加工前の魔法石の元石がたっぷりだ。この魔法石の元石は、エレファ領にいた時に買えるだけ買っておいたものだから不正な手段で手に入れたものではない。

 これだけ元手があれば、考えていることがきっとできる。

 トランクを手にマリエッタ様の部屋を再度訪れると、マリエッタ様も小さなトランクに詰めた荷物を手に待っていてくれた。

「せめて手紙を残しておきましたわ」

「手紙、ですか?」

「ええ。私は私の意志でいなくなることを」

「いえ、それはやめましょう、マリエッタ様」

 自ら無事を知らせる必要などない。実際、私はお借りした客間をずたずたにして、窓を開けて来た。これで私は真夜中に賊にさらわれたと思われるだろう。

 私はマリエッタ様の書いた手紙を火にくべて、燃やし尽くした。そしてベッドのシーツをぐちゃぐちゃに乱して、マリエッタ様に持ってきた私の服を差し出した。

「こちらに着替えてください。そしてこの寝間着は持っていきます」

 ベッドの上に脱いであったドレス風の寝間着を私のトランクに入れる。

「マリエッタ様は攫われるのです。寝間着のまま、私のいた客間をずたずたにした賊に私と共に」

 ベッドは再度ぐちゃぐちゃに乱し、シーツにわざと体の跡を残す。併せてカーテンを引っ張って乱して、開け放した窓の向こうの手すりにマリエッタ様の髪を数本絡めておく。使用人たちが朝見つければ、いかにも「真夜中に賊にさらわれた」ように見えるはずだ。私たちはそう思わせるために、必要なだけの痕跡を残した。

 私の服に着替えたマリエッタ様の目にもう迷いはなかった。

「マリエッタ様、この魔法石に手を」

 私の掌にあるそれはルードのブローチだった。ここで役にたってもらう。

 風の魔法をこめた魔法石がブウン……と音を立てて、私とマリエッタ様を風が包み込む。

「ルビー様、これは……!」

「私の父が開発した移動魔法です。風の魔力で移動します」

 これはルードなら知っているけれど、彼は使ったことはない。だって使ったなら王都から私に会いに戻ってくることもできたはずなのに、彼は一度もこのブローチを使うことはなかった。

 私はブローチをしっかり握り、風の流れを制御する。小さなブローチ一つで、現実では到底無理な距離を、瞬時に飛び越えられる。

 マリエッタ様は少しぎこちなく、私の腕にしがみつく。

 「でも……これ、本当に安全なのでしょうか?」

 「ええ、大丈夫です。父も何度も試したものですし、私も何度も使っています。少し揺れるだけで、危険はありません」

 言葉に自信を乗せると、マリエッタ様の肩の力が少し抜けた。

 実際、ルードから取り返して、このジャクリーン領に来る前に魔法石の元石を買うために幾度となく市場へ行くために使ったのだ。

 「それなら……わたくしも信じますわ」

 その一言で私は小さく微笑む。もう迷いはない。今夜、私たちは王都の目も、伯爵領の目も、誰の目も気にせず、自由になる。

 そのまま私とマリエッタ様は真夜中の港に移動した。

「ここは……港、ですね?」

「はい。マリエッタ様、これを被ってください」

 私はまだいいけど、マリエッタ様の顔はこの領内では知られている。

 マリエッタ様にフード付きのケープをかぶせ、私はマリエッタ様の手を引いて待ち合わせていた相手の元へ向かった。

 港の一番端の少し大きめの貨物船の前に男が一人立っていた。

「おまたせしました」

 私が声をかけると、彼は私たちを眺めた後、手を出す。そこに私はもらっていた割符を乗せた。

 割符を確認した後、船に乗れ、と言われ、マリエッタ様の手を引いたまま船に乗り、貨物室に案内される。そこにはたくさんの加工前、済の魔法石があった。

「あの……ここは……?」

「今夜これから出航予定の、海の向こうの国に向かう貨物船ですわ。ちょっと無理にお願いをして乗せてもらいましたの。初めて慰謝料の有効な使い方ができましたわ」

「そ、それはルビー様の大切な……!」

「だから大切な使い方をしましたわ。私とマリエッタ様の未来のために使う、なんてとても有効な使い方でしょう?」

 私の笑みに、マリエッタ様が頷く。

「ルビー様、いえ、これからはルビーと呼びますわ。ですからわたくしのこともマリーと呼んでくださいませ」

「分かったわ、マリ―」

「ええ、ルビー。ところで、海の向こうの国に渡ってからのことはどうするつもりですの?」

 やっと話せる。

 前世云々のことは一生誰にも言うつもりはないが、前世の記憶のおかげで浮かんだ案を書いた書類をマリーの前に並べた。

 そこには、魔法石の加工技術を応用した新しい事業案や、海外での安全な流通ルート、目指している国の細かい情報が書かれていた。

「それでですね、この国を選んだのは理由があります」

「理由?」

「ええ。向こうの国では魔法石はそれほど知られているものではありません。ないことはないですが、一部の上級貴族の宝飾品としての使用が主な使い方のようです。私たちのように技術に使うところまでは至っていないのです。そこに私たちは魔法石を技術として提供しようと思います。マリ―、家事はできますか?」

「家事、ですか。そうですね、お茶を淹れるくらいなら嗜みとして……」

「掃除や洗濯を使用人たちがしているのを見たことは?」

「もちろんありますわ。みなとても手際よくしてくれていました」

「ええ、でも基本は力仕事で大変です。ではそれを楽にする術があったら喜ばれると思いませんか?」

 そう、これが私のずっと考えて来たプランだ。

 エレファ領にいたころから、いつか時を見て進めたかったことだが離縁と言う事態になって頓挫した。

 私の家事が好きと言う気持ちは、とにかく前世で使っていた便利な家電ありきで掃除機、洗濯機、冷蔵庫はマストアイテム、エアコンは快適生活に必須、マッサージ機は高くて買えなかったけれど、いつか買いたいと思っていた家電だ。家事は楽に楽しく、が前世からの私のモットーだ。

「私は家事を楽にする道具を作って、毎日の生活を良くしたいのです。ずっと前からの夢だったのですわ」

 ええ、もうずっと前からの。

「向こうの国で、私は魔法石を使った家事を楽にする道具を作って、レンタル事業を始めたいのですわ」

「れ、れんたる、とは?」

 ああ、つい知ってる言葉で言ってしまった。

「貸出業のことですわ。便利な道具を一定期間、格安で貸し出して使ってもらい、気に入ったら買取もしてもらえるようにして、という事業です」

「なるほど、一度使ってみて良ければ買ってください、ということですね」

「そうです。貸したまま返ってこないなんてことのないよう、貸し出す道具にはこの風の魔法石をつけて、貸出期間が終わったら自動的に戻ってくるように設定するつもりです」

 そのために、風の魔法石を大量に用意したのだから。父が作り上げた魔法を私がアレンジしたわけだが、きっと父は褒めてくれると思う。

「まだ向こうの国ではそういった事業はありません。私たちが先駆者となり、みなの生活を改善していきましょう、マリ―。もちろん未知のモノに人はなかなか手を出しません。そこで、マリーの知恵を使って、これから私たちの作る道具の便利さを広めてほしいのです」

「わたくしが……いえ、私とルビーが新しい生活の先駆者に……」

「私とマリーならできます。だって私たちは負けなかった、理不尽さに砂をかけてこれから新天地へ行く勇気があるのですから」

 貨物室で手を握り合い、私たちは未来を語った。

 私の作りたい家事道具の説明を図案と共に教えると、一つ一つ驚き、質問をし、一緒に考えてくれるマリーはもう私の頼もしい相棒だ。

 大丈夫、私とマリーならできる。いや、成し遂げてみせる。その時、私とマリーを逃がしたことをあのクズどもは存分に悔しがればいいんだわ。



 私たちの新しい世界にもうすぐたどり着くことを思うと、ただ楽しみしかなかった。私たちの行く先には光がある。それはこの魔法石のように確かで輝かしいものであると信じられる。

 まずは何から作ろうか。向こうの国についてリサーチしてからになるけど、たぶん世界共通で必要なのは冷蔵庫だと思うのよね。ちなみに私たちの国では箱の中に水と氷の魔法石を埋め込んで数日だけ保管するのが精いっぱいだった。

 だけど私が知っている冷蔵庫ならもっと長期間保管できる。まずはそれを作って提供したい。ああ、楽しみだな。やっと自分のやりたいことができる。生活家電で生活を楽にして、マリーとのんびり暮らせるようになりたいな。

 この先の未来にはきっと光があると信じて、船に揺られるまま私たちはいつまでも話し込んでいた。



 終

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