第6章 ― 夢の都へ
ヴァロリア王都へ続く街道は、まるで未知なる世界へと誘う道のように、カエルとセリアを新たな物語へと導いていた。
黄金色の草原と緩やかな丘に囲まれながら、二人は故郷の安心を後にし、王国の中心――歴史と信仰、そして運命が交わる場所へ向かう。
そこでは、すべてが変わるだろう。
王都は単なる都市ではない。
エリオンへの信仰が息づき、力と未来が折り重なる象徴――
二人を待ち受ける新たな世界の扉であった。
動力車は舗装された街道を王都へ向かって進んでいた。
車輪の一定した音と穏やかな揺れが、心地よい静けさを車内に運んでいる。
カエル(カエル・ヴァレンハルト)とセリア(セリア・ダーニエル)は並んで座り、旅のリズムに身を任せるように眠っていた。
最初は眠気を堪えていたセリアだったが、いつの間にか瞼が落ち、そっとカエルの肩に頭を預けてしまった。
運転席のリリィ(リリィ)が、ふとバックミラー越しにその様子を見て、微かに微笑む。
――なんて無垢な光景でしょう。
しばらくして、リリィが静かに声を掛ける。
――カエル様……カエル様、起きてくださいませ。
カエルはゆっくりと目を開け、眠そうに返事をした。
――ん……?
その声に反応したセリアも目を覚まし、自分がカエルの肩に寄りかかっていたことに気づいた瞬間、弾かれたように身を起こした。
真っ赤になりながら叫ぶ。
――ご、ごめんなさいっ! 気づかなくて……!
カエルは数度瞬きをして状況を理解し、小さく微笑む。
――大丈夫だよ。長旅じゃ眠くなるのが普通だ。
セリアは赤面したまま窓の外へ顔を背ける。
リリィは前を向いたまま、柔らかな声で告げた。
――カエル様、セリア様……王都へ到着いたしました。外をご覧くださいませ。
カエルは姿勢を正し、窓の外に目を向ける。
目の前には活気溢れる大通りが広がっていた。
露店が並び、広場には人々が行き交い、馬車と少数の動力車が行列をつくりながらゆっくり進んでいる。
セリアは目を輝かせた。
――こんなに早く着くなんて……
――ええ、セリア様。
馬車なら二、三日はかかりますが、この動力車は〈エリィンデル石〉を使って動いていますから、数時間で着きます。
セリアは車窓に広がる高い建物や塔を見つめ、息を呑む。
そのとき、視界の先に大きな建造物が現れた。
――カエル様、見てください!
カエルもそちらを見て、目を見張った。
白い城壁に囲まれ、黄金の塔が光を反射している。
――あれが王城にございます。
〈アンダーブルゴ家〉がこの国を治めておられます――と、リリィは敬意を込めて説明した。
さらに進むと、別の巨大建造物が視界に入る。
色鮮やかなステンドグラスが光を受け、虹色に輝いていた。
――あれは……?
――〈エリオン大聖堂〉でございます。
二千年以上前、神エリオンが最後に降臨された場所に建てられました。
セリアは胸に手を当て、深く息を吸った。
――なんて……壮麗な……
カエルはふと、セリアの表情へと視線を移す。
夕光に照らされた彼女の瞳は、どこか神秘的に輝いていた。
――エリオンは……本当に降りられたのですか?
リリィは前を向いたまま、しかし語り口は厳かだった。
――二千年前、世界は〈アセロン帝国〉の支配下にありました。
その軍勢は果てを知らぬほど巨大で、王はこう宣言したのです。
「剣より上に立つ神など存在しない」と。
カエルとセリアは黙って耳を傾ける。
――そして、北方の王国〈ヴァロリア〉が降伏を拒むと、帝国は怒り、彼らを滅ぼすと誓いました。
――どうして……そんな――と、カエルが口を挟む。
――彼は、人を信じられなくなったのです。
力こそが全てだと信じ、神エリオンから遠ざかり――やがて多くの国を踏み潰し始めました。
リリィは少し目を細め、語り続ける。
――その時、アセロン軍十五万が進軍し、地を揺らしました。
対するヴァロリアは、たった一万の兵。
それでも王は逃げませんでした。
セリアが息を呑む。
――その戦の前夜、王は……祈ったのですね?
――ええ。
彼は冠を脱ぎ、武器を置き、空へ向かって必死に祈ったと伝わっています。
『エリオンよ、まだ私たちを見捨てぬなら……
どうか示してください。
人が塵ではないと――』
車内は静寂に包まれる。
――やがて風が止まり、雲が裂け、光が降りてきたのです。
それは炎でも雷でもありません。
ただ――純白の光でした。
セリアはそっと窓に手を添える。
――その光の中を、〈エリオン〉がお歩きになりました。
人々はその姿を確かに見たのです。
光に包まれ、顔は見えなかったと言いますが――
その声は、誰の耳にも届いたのです。
リリィは静かに言葉を紡ぐ。
『信仰のために戦え。
信仰が灯る限り、死は汝らを縛らぬ。』
カエルの胸に、微かな震えが走る。
――翌朝、アセロン軍が進軍しました。
すると、ありえぬことが起きたのです。
――太陽が……
地平線で止まりました。
――止まった……?――と、カエル。
――はい。
まるで壁のように敵軍を照らし、進軍を阻んだのです。
光は強烈で、誰も前を見ることができず、ただ混乱が広がりました。
セリアが息を呑む。
――では……ヴァロリアは?
――彼らは、太陽へ向かって進んだのです。
一万が――十五万へ。
そして――勝利しました。
リリィは最後に静かに告げた。
――戦が終わった時、敵国の兵は一人も立ってはいませんでした。
草原は光に満ち――
人々は、それを〈奇跡〉と呼んだのです。
リリィはバックミラー越しに二人を見た。
――以来、ヴァロリアは〈祝福の地〉と呼ばれ、
その戦場の跡地は――
いまの〈王立学園〉が建つ場所です。
人々は〈誓いの谷〉と呼びます。
カエルは無言で前方の大聖堂を見つめた。
その光は、まるで彼を見返しているかのようだった。
――エリオン様は……今もここに――
セリアはそう呟き、窓外に見惚れる。
カエルは答えず、ただ静かに息を呑んだ。
いつの間にか、巨大な建物が目の前に迫っていた。
白壁に黒鉄の門、翼を持つ太陽の紋章――
塔々は空へ伸び、無数の中庭と回廊が絡み合うように広がっている。
ここは―― ヴァロリア王立学園〉。
誇りと格式を湛えた学び舎。
青と金の旗が風に揺れ、
その中心にはエリオンの紋章が輝いている。
リリィが車を減速させた。
――こちらが、お二人が過ごす学園でございます。
カエルは目を見張り、
セリアは言葉を失って窓へ顔を寄せた。
――お、大きい……!
制服の学生、私服の学生、
身分の差を感じさせぬ混ざり合い。
――この学園は、身分に関係なく受け入れております――
と、リリィ。
セリアは驚いたように振り向く。
――身分を問わず……?
――ええ。
表向きは、ですが――
偏見は、まだ根深く残っているのです。
だから――どうか皆を平等に扱ってください。
カエルもうなずく。
――わかった。
セリアも真っすぐに答える。
――努力します。
リリィは満足げに微笑んだ。
動力車は中庭を回り、
三階建てのベージュ色の建物の前で停まった。
門の上には――
翼に包まれた太陽の紋章。
――こちらが、セリア様の女子寮でございます。
リリィが確認する。
――お部屋の案内状はお持ちですか?
――はい、ここに――
セリアは封筒を取り出し、
少し緊張した面持ちで頷く。
カエルも車を降り、
数歩だけ彼女の後ろについた。
一瞬――
周囲の賑わいが消え、
ただ二人だけが残されたような静けさ。
カエルは頭をかきながら、
少し照れたように言う。
――セリア……
明日……授業が始まる前に、会わないか?
セリアは胸に抱えた鞄をぎゅっと握り、
振り返ると――
微かに笑った。
頬はほんのり赤い。
――はい……
教室棟の入口で……お待ちしています。
カエルの心臓が跳ねた。
――そ、そうか……
じゃあ、また明日。
セリアは小さく会釈し、
女子寮へと入っていった。
扉が閉まるまで、
カエルはその場を動けなかった。
リリィは懐かしむような微笑みを浮かべる。
――若いというのは……いいものですね。
そう思いながら二人は車へと戻る。
同じ頃。
もう一台の動力車が学園へ入ってきた。
黒塗りの車体に銀の装飾。
威圧感すら漂わせる静かな存在感。
ゆっくりとドアが開く。
現れたのは――
夜闇のような黒髪、
深海のような蒼い瞳を持つ少年。
ノア(ノア・アブラムス)。
胸元には青い宝石のペンダント。
近づくほど、その光は脈打つように輝いている。
コートを整えたその手――
左手の甲には、細く流れるような傷跡。
まるで古の文字のようにも見えた。
従者が恭しく頭を下げる。
――ノア様、お部屋の準備が整っております。
ノアは女子寮の方向へ視線を向け、
静かに尋ねる。
――……婚約者は?
――はい。
先ほど、ヴァレンハルト公子――カエル様と共に到着されたようです。
ノアの蒼い瞳が細くなる。
指先がペンダントへ触れた瞬間、
青い光がきらめいた。
――そうか。
ならば――
手袋をつけ、傷跡を隠す。
――行くとしよう。
ノアは女子寮へ向けて歩き出す。
その背を、従者が無言で追う。
風が吹き――
冷たく、どこか鋭い気配を運んでくる。
まるで――
何かが動き出そうとしているかのように。
やがて夜が、
王都を染め始めた。
――――――
(第6章 終)
こうして夜の帳が降りる中、王立学園は彼らの前に堂々と姿を現し、夢と摩擦が交差する舞台となった。
セリアが寮で新しい生活を始め、カエルが胸に湧き上がる思いに戸惑うその裏側で――
静かに姿を現すノア。
彼は政治的な縁と避けられぬ運命を結ぶ存在であった。
若き才能、遥か昔の奇跡、そして未だ語られぬ秘密――
ヴァロリアの鼓動は二人を包み込み、こう告げていた。
本当の物語は、まだ始まったばかりだ――と。




