第4章 魔法の輝き
この第四章は、物語における大きな転換点を描いている。庭での小さな事故をきっかけに、カエルとナエリス、そしてセリアの心は少しずつ近づいていく。とくにセリアが胸に覚えた「説明できない痛み」は、彼女の心の芽生えを象徴していた。さらに、カエルの魔法の実演は、ただの力の誇示ではなく、仲間との絆を深めるきっかけとなった。炎、水、氷、そして雪――その光景は、登場人物たちの未来を暗示する輝きである。同時に、屋敷の中では大人たちが新しい時代の兆しを語り合い、物語の舞台が大きく広がっていくことを示す。読者は、この章を通して「日常と非日常の交差点」に立ち会うことになるだろう。
ナエリスは、まだカエルの腕の中に抱きとめられていた。胸の鼓動はこれまでにないほど速く、さきほどまで雪のように白かった顔は、いまや真っ赤に染まっている。彼女は慌てて身を離し、言葉にまでつまずきながら、小さくつぶやいた。
「ご、ごめんなさい……ごめんなさい……」
カエルはしばし彼女を見つめた。怯えた表情と、火照った頬――その対比が、あまりに無垢で愛らしく映った。
慌てて駆け寄ってきたリリィが、ひとつ深呼吸してからカエルに頭を下げる。
「カエル様、申し訳ございません。わたくしがもっとナエリス様に注意を払うべきでした。」
ほとんど同時に、セリアもまた小さく身を折り、羞恥で震える声を漏らす。
「ご、ごめんなさい……その……」
それまで厳しい面持ちだったカエルは、ふっと表情を緩めた。柔らかな笑みが顔を照らす。彼は小さく首を振ると、皆の意外をよそに、ナエリスと目線を合わせるように膝を折った。
そして、意地っ張りな子どもをなだめるように、そっと彼女の栗色の髪を撫でる。
「大丈夫。たいしたことじゃないよ。でも、これからはもう少し気をつけよう、ね?」
ナエリスはまだ恥ずかしさが勝って、唇を噛みしめたまま、視線を上げられずに小さく答える。
「……う、うん……」
その何気ない仕草が、セリアの胸に不思議な温もりを灯した。右手が思わず胸元へ――高鳴る鼓動を押さえ込むみたいに、そっと押さえる。
(な、なに……? この締めつけ……不快じゃない……じゃあ、これは……?)
その動きに気づいたカエルが、真っ直ぐにセリアを見る。
「セリア、具合は大丈夫?」
不意に名を呼ばれ、セリアはびくりと肩を跳ねさせた。ドレスをさらに強く胸元で握りしめる。
「だ、だいじょうぶ! ほんとうに……だいじょうぶです……!」
カエルは数秒だけ視線を留めたが、それ以上は踏み込まない。小さく微笑を漏らし、ゆっくりと立ち上がった。
重たくなりかけた空気を察し、リリィがきりっと姿勢を正す。
「皆さま、そろそろ客間へ戻りませんと。バロネス・リオラ様をお待たせしてしまいます。」
カエルと姉妹はうなずいた。一行は石畳の小道を、館へと引き返す。しばらくは誰も言葉を発さず、規則正しい足音だけが静けさを刻んだ。
その沈黙を破ったのは、やはりナエリスだった。抑えきれない好奇心が、子どもらしい煌めきとなって瞳に宿る。
「カエル様……お屋敷に入る前に……その、魔法を……見せていただけませんか? ご自身のご属性を……!」
セリアは妹の大胆さに目を見開き、頬を赤らめる。
「ナエリス! そんなお願いは失礼よ……!」
けれどカエルは、穏やかに微笑んで首を横に振った。
「大丈夫。」
そう言って、もう一度ナエリスの頭を撫でる。彼女はこそばゆそうに、けれど嬉しげに微笑んだ。
「それじゃ、少しだけね。」
ナエリスの瞳が、夜の星のようにきらりと輝く。
カエルは数歩前へ出ると、人差し指を空へ掲げ、深く息を吸い込む。マナが静かに集中していく。
指先に小さな光点が生まれ、弱々しく揺らめく炎となる。やがてそれは、小さな火球へと姿を変え、空中で軽やかに踊った。
「す、すごい……!」
ナエリスは思わず声を上げる。
さらに集中を強めると、火球は林檎ほどの大きさへ、そして西瓜ほどへ――みるみる膨らんでいく。カエルは手首を返し、優雅な所作でそれを高空へ放り投げた。
炎は高く昇り、空で金の閃光を散らし、まるで花火のように弾けた。
「わああっ!」
ナエリスは両手を打ち鳴らし、ぴょんと跳ねる。
セリアは言葉を失い、ただその光に見入っていた。燃える光が瞳に映り、時が止まってしまったかのようだ。
カエルは続けて両の掌を合わせ、もう一度マナを凝らす。今度は透き通る水の球が、掌のあいだで静かに回転し始めた。
「み、みずまで……?」
セリアが驚嘆の息を呑む。
カエルは口元だけで微笑み、そっと風を纏わせる。冷たい気流が水面を撫で、球は徐々に凍り、完璧な氷球へと変わった。
彼はそれをふたたび空へ放る――同時に、別の火球を生み、氷へと投げつけた。
炸裂音とともに、細かな氷片が天から舞い降りる。
「ゆ、雪! 本当に雪だ!」
ナエリスはくるくると回りながら、無邪気な笑い声を響かせる。
夕陽に照らされた氷片は金色に煌めき、現実離れした光景を描き出した。
「……きれい……」
セリアの唇から、自然と感嘆がこぼれる。
「ありがとう、セリア。」
不意の賛辞に、カエルは照れて頬をわずかに染める。
セリアの鼓動はさらに速くなる。もう、引き返せない――胸の奥で、そんな予感が芽生えていた。
ナエリスはなお、星のような目でカエルを仰ぐ。
「どうして、そんなふうにできるの?」
「学んだことの応用だよ。風の力で水から熱を奪えば、氷になる。」
「すごい……!」
ナエリスは小さく息を呑んで見入った。
セリアが一歩前に出て、静かな声で尋ねる。
「いつから……そんなことができるの、カエル?」
カエルは少しの間だけ考え、言葉を選ぶようにして答える。
「六歳のころから。両親が、僕の適性に気づいてすぐ家庭教師を雇ってくれたんだ。それからずっと、内に宿る元素を鍛えてきた。――僕みたいに三つの属性を持つ人間は、歴史上、例がないらしい。」
セリアは胸に手を当て、感嘆の吐息を漏らした。
「本当に……すごい。魔法を使える人自体が少ないのに……。」
「そうだね……たぶん、これが僕の宿命なんだと思う。でも、未来のことは誰にも分からない。」
――そのころ、屋敷の大広間では。
オーレン・ヴァレンハルトとリオラ・ダーニエルが、穏やかに言葉を交わしていた。
「噂は本当なのですね。ご子息が三つの属性を扱えると……王都でも毎年のように話題になります。」
オーレンは、どこか誇らしげに微笑む。
「ええ、私たちにとっても大きな驚きでした。カエルは賢く、誰に対しても礼を失いません。学び舎でも“戦略家の素質がある”と先生方に褒められて……ただ、そのぶん真面目で、あまり笑わなくなってしまいました。」
彼女の瞳に、一瞬だけ翳りが差した。
「カエルのあと、何度か子を授かろうとしましたが、叶いませんでした……それでも、私は幸せです。――夫が家に戻れば、いつもカエルのそばにいてくれますから。」
リオラは感心したように小さく息をついた。
「残念ではありますが……カエル様は本当に端正なお子さまですね。」
やがて話題は、屋敷の外で見かけた“新しい乗り物”へ。
「門のところで、不思議な車を見ました。あれは“魔動車”と呼ばれるものでしょう?」
オーレンは柔らかくうなずく。
「はい。我が領のエリンダル鉱から産出される石が、動力源になります。ただ、その石の力は長くはもたず、やがてただの石に戻ってしまいます。王都では照明への応用も研究されているとか。」
リオラは同意を示し、やがてグラスを置いて席を整える。
「では、私はこのあたりで失礼を。夕刻には婚礼がございますので、娘たちの支度をしませんと。」
「こちらこそ、わざわざお越しくださり光栄でした。」
そのとき、ナエリスがぱたぱたと駆け込んできた。
「お母さま! カエルが庭で雪を降らせたの! とってもきれいだったの!」
「ナエリス! 屋敷の中では走らないようにって、何度も言ったでしょう?」
後ろからセリアが追いつき、少し強めの声で諭す。
皆がやわらかく笑う中、オーレンの瞳が喜びに輝いた。
「本当にやってみせたのね、カエル……?」
「ええ。ほんの小さなお披露目です。」
カエルは照れたようにうなじを掻く。
「素晴らしいわ。」
――やがて、別れの時が近づく。
リオラが切り出した。
「来週から、私の娘が王都の学院に通うことになりまして。」
「まあ、奇遇ですね。わが子もリリィと学院へ向かうところです。ちょうど魔動車に空きがありますから、よろしければセリア様もご一緒に。馬車より快適で、早く着きますよ。」
リオラは驚き、そして嬉しそうに微笑む。
「光栄です。娘のためにも、ぜひお願いしたいわ。」
その会話を耳にしたセリアの頬が、ふっと熱を帯びた。俯いたその横顔は、どこか嬉しさを隠しきれていない。
一方のカエルは、自覚もないまま胸の奥に、やわらかな温かさが灯るのを感じていた。
(どうして……こんな気持ちになる?)
――時は流れ、数日後。
朝の陽光が、ヴァレンハルト邸の門を金色に染め上げる。執事に付き添われたセリアが、手荷物を抱えて姿を見せた。
いつも通り隙のない身なりのリリィが、穏やかな笑みで出迎える。
「お待ちしておりました、セリア様。」
ちょうどそのとき、カエルが大広間から現れた。整えられた制服、真面目な面差し。けれどセリアの姿を目にした瞬間、彼の瞳はやわらかくほころぶ。
「ようこそ、セリア。――準備はできてる?」
セリアは頬を染め、手荷物を胸の前で抱きしめるようにして答えた。
「……はい。よろしくお願いします。」
カエルの胸の内に、静かな温もりが広がっていく。
――こうして、彼らの新しい旅路が、いま動き出そうとしていた。
第四章を振り返ると、そこには「心の動き」と「世界の動き」が同時に描かれていることに気づかされる。ナエリスの純粋な好奇心、セリアの胸に芽生えた淡い想い、そしてカエルの中に宿る静かな決意――それらは雪片のように重なり、やがて大きな物語の結晶へと変わっていく。そして、大人たちの会話に見える新しい文明の息吹は、この世界がただの幻想にとどまらず、常に変化し続けていることを読者に示した。最後に描かれる出発の場面は、すべての要素が未来へとつながる予兆であり、次なる章への期待を大きく膨らませる。第四章は、まさに「輝き」と「始まり」を同時に刻んだ一幕だった。




