96 賢者と魔王の一問一答
そして、スペルモルとカイザルによる一問一答が開始した。
『本当にカイザル兄上か?』
『ああ。魔核だけはな』
『…ブッコロは?』
『さぁな。身体を残していなくなった』
『ソーマに憑依した理由はなんだ。何が狙いだ?』
『確かに依り代に憑いた状態だ。だが、オレはもう「憑依」を使えない。死んだからな、新たにハンドベルは渡せない。ただ、この通り死者は居る。居るから、鳴れば発動する。鳴らせるのはスペルモルだけだ。
大体おもしれー女にならともかく、知らん男に呼びだされてオレがのこのこ行くと思うか? つまり今の状態に特殊魔法は絡んでいない。オレが望んだわけじゃない。こうなるよう企んだわけでもない。ソーマの魔核は勝手にいなくなった。カラになった器にたまたま魔核が嵌った。まるで配置転換だな? 神が振った采配によって、装飾剣のガラス玉が入れ替わった』
『装飾剣…近衛騎馬隊のナマクラもどき。ガラス玉が所属で色が違うのは知っていた。王からの刺客は青を嵌めていたから…レルムが「未来から来た」と言いつつ装飾剣が青石だったから疑っていた。でも青の具合が違った。だから刺客ではないと判断したが』
(あ。あのときか)とレルムが気付いた。スペルモルがレルムの荷物を勝手に漁ったことがある。手斧と同じ木箱に装飾剣をしまっていた。宝玉の色を確かめていたのか。
『そうだな。そのとおり、当時の王直属は青。オレが王になったときに色変えをした。近衛儀仗隊を赤に。青は護衛隊に。青の具合が違うなら出向だ。普通に持てば他と変わらない青に見えるだろうが、特定の角度にするとうっすら紫みを帯びるよう穴の奥に金赤が塗ってある。システムが変わっていないなら、レルムは近衛に所属する護衛官ということだな』
アウローラが勢いよく隣を見た。凝視してくる妻に、レルムはニコッと笑いかけると、また前をみた。アウローラも忙しない思考をなだめつつ前をみる。
『装飾剣はひ弱な木剣に見せかけた鋼の棍棒だ。剣の本体はソーマだろ。脳もだ。ソーマの嗜虐心や肉欲に染まっていないと言い切れるか? 魔核ってのは、それだけで全ての欲望を制御できるのか? 俺は…兄上が分かってくれたんだと信じたい。が、ソーマは信じていない。まだ女衆に「安全だ」と断言できない。この程度の牢なんざアンタにとっては何の意味もないだろう』
カイザルの目の光が一瞬だけ揺らいだ。草間だけが(あ。今こいつ喜んだぞ)と気付いた。
「そうだな。いくらガラス魂が代わろうが罪人には変わりないからな。その警戒は正しい。そのとおり。オレの実力からすれば鉄格子は飾りにすぎない。
ただし無意味ではないぞ? 行動指針になるはずだ。オレの魔法は「水」と「風」に偏っている。牢は破れても派手で目立つ。破壊音も隠せない。脱走は即座にバレる。そのときは遠慮するな。問答無用でとどめをさせばいい。
ああ…もう直接やる必要はないぞ? レルムがいるからな。近衛騎士は王族を守るために居る。王族はハンドベルを鳴らすだけだ。後は良きに計らわれる。
なぁ? レディ・アウローラ? ベルの音が怖いようなら縋ってくれて構わないぞ? 冷えるまでの短い間だが慰めてやるよ」
突然に話しかけられたアウローラが、言葉の意味を察して青ざめた。レルムは妻を無言で抱き寄せ、カイザルに真顔を向ける。それを見たカイザルは満足そうに嗤った。
草間はデッッカイため息をついた。
「…はぁぁあ…んっとにさぁ…」
イラつきがこもった不穏な声に、アウローラの肩が揺れる。次の瞬間、草間は鉄格子を蹴りあげた。分かりやすくカイザルに抗議した。派手な音が鳴り、アウローラの肩がまたビクッと跳ねる。レルムがアウローラをひょいと持ち上げ、包むように抱き込む。ヨシヨシと頭を撫でられアウローラは眉尻を下げた。
(恐らく…私の過剰反応…なのよね? 殿方の世界では、この空気が普通なのかしら。だとすると、レルムもスペルモルも…もしかして今までかなり私たちに配慮して…我慢して生活していたんじゃ…)
内心でオロオロする考えすぎをよそに、男たちの会話は続く。草間が唸るような低音で吐き捨てた。
「アンタがはしゃいでいるのは分かった。弟と話せて嬉しいのも分かる。女子の平穏を心から望んでいるのも、そのためにレルムを挑発して甘さを捨てさせようとしたのも。嫌だが分からなくもない。レルムみたいなの大好きだもんな? ちょっかいかけたいよな? けどな。オレはマジメにやれっつったはずだ。レディにまで不可能な脅しかけるのは違うだろう。オレが来世だと忘れたのか? 知ってんだぞ、オレは。異世界追放以来めっきり縮んじまったアンタの男の不名誉をな。この場でその詳細をバラされてぇのか、ああ?」
カイザルは無言で立ち上がり、アウローラに謝った。優雅で完璧なソレだが、何故かお約束が成立せず、ずしんと重い雰囲気のままだった。
(? ?? 今だいすきって…?? いえ、ええと、今すべきことは)
慌ててアウローラが立ち上がり、美しい返礼で応えると、多少は空気がマシになる。なにやら勝手に癒されたらしい男たちの視線を集めるなかアウローラは顔をあげかけて…ふと動きが止まった。ゆっくり小首をかしげ、「…ちぢ…?」と呟きかけたため、レルムが素早く口をふさいだ。口づけで。口をふさがれたアウローラは、問答無用でまたレルムの膝の上に持ち運ばれる。横抱き状態で抱え込まれ、唇が離れたタイミングで言葉を発しようとするも、すぐさま口をふさがれる。
アウローラは「???」となるが、3、4回も繰り返されたなら、さすがに気付く。コレはつまり「触れてくれるな」って意味だな、と。なので、アウローラは黙った。それにより男たちは救われた。勢いで口走った後でその攻撃力に気付き、罪悪感でいたたまれなくなっていた草間が誰より救われた。
密かに虹髪の奇跡が男たちに救いをもたらしていたわけだが、スペルモルはというと、周囲の状況そっちのけで必死で考え込んでいた。親指を押し付けすぎて、唇が少し荒れてきている。一呼吸おいて、賢者による一問一答が再開した。
『アンタは憑依を使えない。分かった。ならソーマの特殊魔法はどうだ? レルムを所有されたら俺らは全員終わりだ。…どうなんだ?』
『もちろん使えない。どれだけ性質が似ていようが特殊魔法はあくまで当人の個性だからな。他人の個性は奪えない。ソーマの抜け殻はあれど、魔核はもういない。特殊魔法「所有」は失われた。今のオレはこうして魔法を便利に使えるが…戦う気はない。もう「おせっかい」もやめるつもりだ。ろくなことにならんと懲りた。これで安心だな?』
『…なら、今のあんたに出来ることは? 戦闘力と…ソーマの魔法。あとは…未来の知識?』
『お見事。そのとおり。後はオレが培った技術だな。特技はレース編みと組紐。あと染色。布だけじゃなく糸もキレイに染めてやるぞ。妊婦用の布地が必要になれば言え。染色剤を寄越せばいつでもオレが染めてやる』
スペルモルはそこで初めて表情を和らげた。呆れたような、気が抜けたような、泣きかけたような、なんとも言い難い顔をして、弱弱しい口調で告げた。
『…おせっかいはしないって言ったのは、ついさっきなのに。俺はまだこどもだ、早まるなよ…らしくねぇな。カイザル兄上』
カイザルは目を見張り、破顔した。
『ははっ。そうか! そうだな! 変われるつもりでいたが…これは我ながら手ごわそうだ。まぁ気長に受け流してくれ。ボケ老人の戯言と思えばいい。あながち間違いでもない。オレは享年86のジジイだ!』
そのまま豪快に笑うカイザルを眺めて、スペルモルも口元を緩めた。懐かしそうに目を細め、しかしすぐに表情をもどす。思いやりの賢者は、改心した魔王の高笑いが収まるのを辛抱強く待ったうえで答え合わせを要求した。双子から見えた景色を洗いざらい吐き出せば、カイザルは淡々と実情を語り、現実との齟齬をまとめていく。認識をすり合わせることで、スペルモルは裏で行われていた「保護」と権力闘争の実情を理解した。
『急に姿を消したから俺たちは死んだと思っていた。保護された兄姉たちはその後どうしていたんだ?』
何の気なしにスペルモルは尋ねた。カイザルは軽く頷いて…口火を切った。
『部下に顔や印象を弄れる特殊魔法持ちがいた。別人に仮装させた後は、オレの庇護下で好きにさせていた。ほとんどの弟は派手に動きたがったがら側近に据えた。静かに暮らしたいヤツはオレの直轄地に下げた。妹たちもほとんどが静かに暮らしたがった。保護が遅れたやつらは心身を壊していたから、古い修道院を建て直して療養させていた。無理のない範囲で仕事を与えて、能力を発揮したヤツには爵位ついでに権限も渡していたが…領地の水があったのかもな。才能もあったらしい。オレが王になったとたん、それぞれが直轄地で自由にやりだした。数年もたたんうちに、ほとんどが家族をもって、オレからの生活費を断ってきやがった。浮いた予算を修道院に残ったヤツらに上乗せてやろうとしたんだが、清貧と自制心がどうだの古臭い理屈をこねて断ってきた。どいつもこいつも頑固で呆れる。気晴らしになればと古ぼけた聖人像を修復してやったんだが…ははっ。思い出した。「喜ばせてやれ」と指示したら、派遣した職人らが聖人の肌を朱塗りにして、さらに一枚布に金箔を貼ったらしい。酒飲みの金満家、俗世にまみれた偽善者像の出来上がりだ。皮肉が効いててオレは笑ったんだが、修道院からの手紙はブチギレてて絶縁を言い渡された。まぁ気にせず寄付を続けたが、あいつら金箔をわざわざ剥がして換金したらしく、その金で王都に乗り込んできて妻たちにチクりやがった。おかげでオレはまたもタコ殴りだ。「頭の悪い金の使い方をするな、知識層を脅して遊ぶな」だと。宰相にもバレてお仕置きだと軍事費を削られた! ドカ貧だ、部下を食わせるのが精一杯。仕方なく王が直々に戦場へ出向いて出稼ぎ三昧だ。まぁ狂戦士どもをまとめて拐って戦に投入してやったがな! 夫を奪われた娘たちはガチギレだ! ははっ!』
レルムはぽかんとして高笑いするカイザルを凝視した。
(…? 急に饒舌になった…)
草間もあっけにとられた顔でカイザルを見る。スペルモルとアウローラはそっと目を合わせてまたカイザルを見やった。カイザルはひとりでウケながら話を続けた。
『そういえば…爵位を与えた弟妹らに子が産まれたと聞いたから祝いを贈ったんだ。オレは喜ばすつもりだった。が、怒らせた。「一介の地方領主に王が派手な寵愛を寄越すな。ない腹を探られて迷惑」だと。派手じゃなければいいのかと思って、翌年からはオレが染めた布を弟妹全てに送りつけてやったんだ。数年はそれにも文句をつけてきたが…今思えばオレがやめないからだろうな、あいつら腹に据えかねたらしい。廃れかけていた版画の技術を改良するなり、贈った布に上手にお絵描きして王都で売りさばくようになった。ついでに領地で採れる希少な無垢材に彫刻を施して「享楽王が絶賛、ご用達」だのと嘘を喧伝して稼ぎだした。後でオレにも贈りつけてきたから「御用達」で間違いないけどな? 朱塗りに金箔を貼ったよくわからん派手な平面彫刻だ。明らかに修道院の弟妹の入れ知恵だ。団結してやり返してきやがったんだ。王にだぞ? 怖い物知らずだよな! まったくどいつもこいつもカワイイやつらだ! はははっ!』
カイザルはひとりで大ウケしている。草間がベールの下で半眼になりながら呟いた。
「…まぁ、な。弟妹からのちょっかいが嬉しかったんだよな? でもソレ武勇伝にならねーからな? 身内に甘いの一般にはバレてねーから、歴史じゃのきなみ恐怖政治と抗う民衆の逸話って解釈になってんだよ。…笑ってんな…。なんだなんだ…こいつ急に居酒屋のノリになってね? …笑い上戸だっけ? 酒は…与えてねーよな?」
レルムは力強く頷く。「素面だ。まさかこれが素か? カイザル王のイメージが違いすぎるんだが? スペルモル?」
尋ねられたスペルモルも、何とも言い難い顔で首をふった。
『…ここまで陽気な兄上は見たことがない。ただ昔は…こうだったのかもしれない。だって千里眼では…。だから、これは恐らく…』
スペルモルはアウローラに目くばせをした。カイザルの笑い声が響く中、アウローラは虹眼を瞬かせながら告げた。
『はい。この言動が本来のお姿です。尊きお方の魔核が、ソーマの心身を侵略しています。君臨してますね、完全に。気のせいかソーマ本人より使いこなしているような…無理なく調和がとれていて…ええと、健康です。すこぶる。何故か。…死者が害意を克服できるということも、私は初めて知りました。あ、執着は濃いです。やはり歪んでいますが執着の方向性が過去の中の弟妹と…妻子にのみ向いているようなので、安全です。
今の尊きお方は、追憶を通して現実を認識していると思います。夢を見ている状態に近いというか…ええと。結果として、幸せな記憶に酔った状態になっているというか』
カイザルの笑い声が中途半端にやんだ。あ。話を聞かれてた。アウローラが両手の指先で口を押さえるも、カイザルはニヤニヤ笑ってアウローラにウィンクしてきた。紫色の色気に耐えつつアウローラは意図を読んだ。
(あ。続けていいぞって意味ね)
ふと隣から凝視する気配を感じたので視線をやると、ハラハラと縋りつく目をしたレルムと目が合った。あまりにもかわいい。愛しいがすぎる。ので、アウローラは夫に向き直り、目を見つめながら唇に添えた指先を離してみた。投げキスもどきだ。アンナのようにカッコ良くはいかなかったが、夫には効いたようで、レルムはその場に崩れ落ちた。猫のゴメン寝の姿で小さく唸り始める夫を見下ろし、アウローラは(よし。略奪は阻止)と胸を撫で下ろした。
(同担は歓迎だけど、ガチ恋ならば話は別)
いたいけな可愛いの権化が、強烈な紫色に目が眩む可能性を思うだけで悪女の血が騒ぐ。色気で明らかに負けているからといって、アウローラは夫を譲る気はない。
そもそもアウローラは「神域投影」を解呪した際、呪いを逃がしてしまったので、目の前の男の正体に見当がついていた。スペルモルもそうだ。だから警戒していたわけだが、草間の発言により警戒心は敵愾心に変わっていた。アウローラはぽんこつだ。見たまま知ったままを素直に受け入れ、的外れな推理力を誇る悪役令嬢である。彼女はカイザルを恋敵であると見做していたのだ。恋の邪魔をするのは悪役令嬢の本分。アウローラは燃えていた。
(いくらレルムが好みだからって誘惑なんてさせない。略奪が出来ると思ったら大間違い。レルムは渡さない。逃さない。カイザル王…お前の相手はこの私よ…!)
メラメラと虹眼の奥に(的外れな)覇気をたたえ、ぽんこつアウローラは強敵に向き直った。
『実は、ここに来る前に「神域投影」を解呪しました。呪われていたので。解呪はできましたが、私は呪いそのものを逃がしてしまいました。その後「千里眼」が暴走しまして…尊きお方の過去と当時の心情を垣間見ました。スペルモルとともに』
『…へぇ? 続けろ』
アウローラは己の特殊魔法を説明した。虹髪の姿で、ある程度が予想できていたのか、カイザルは淡々と理解したようだった。その上で「画面」に興味を示した。
「虹髪だけが持つという「全知の書」か。それこそ眉唾だと思っていたが目の当たりにできるとはな? ん? いや、オレは気にしないが? 好きに見て好きに話せばいい。とうに死者だ。隠すつもりもないし口出しする気もない。ほら、画面を開いてみろ。見たいんだろ? こっち来いよ。好きにして良いぞ?」
カイザルはニヤリと笑って襟を緩めた。そのまま指をさし入れて喉を見せつける。紫色の空気がぶわっと広がり、アウローラに直撃した。鉄格子ごしの凄まじい色香に、しかしアウローラはすんと真顔になった。虹眼に宿る覇気は消えない。
(その手にはのらない。レルムの前で画面を使わせて私を痴女に仕立て上げる気なのね? 幻滅させて自分が隣におさまろうと? 甘いわ。児戯ね。その手の手練手管は離宮で経験済みよ。さんざん痛い目みてきたの、今さらひっかかるものですか…!)
一方、男の色気に中てられた草間とレルムは、ふたりして目を逸らして動揺していた。見ていられない。いたたまれない。どんな意味でいたたまれないかというと、「ひとり本屋で考え事しながら棚を流し見していたら、気付かずその手の棚の前で立ち止まっていて「じっくり品定めしている人」になっている自分に気付いた」時のような。「雑踏にいる時にメールがきて、即レスするために、焦ってよく見ずに踏み込み、長々と居た隅っこが、いわゆる垂れ幕ゾーン専門店の軒先でした」的な。
それを女子とこどもの前でやらかした感覚だ。一気に血が落ち、動悸、焦燥感、叫んで逃げ出したいが声もでないし動けない。存在を消して他人事を演じるしか術はない。
カイザルの空気感は表に出しちゃイケナイ歓楽街の雰囲気。生々しい危険な魅力。上級者向けで退廃的な存在感。草間としてはちらっと憧れなくもないけど彼の将来の夢は健全な獣医なので「動物病院の経営は表の顔、実は…」になりかねない空気感はアウト。レルム的にもアウト。摘発する側の軍人なので歓楽街の色気に良いイメージはない。ていうか育ちの良い妻に関わらせたくない。でも確かアウローラ、前に悪漢風の仮装にメロメロになってなかった!? え、コレ大丈夫?! よろめかれたら、おれ立場ないんだけど!?????
息も絶え絶えなレルムが、恐る恐るアウローラの様子を横目でうかがった。視線を戻して、今度は首ごと2度目した。予想外に真顔だったからだ。ワルイオトコが好きなはずの妻は、全然動じていなかった。むしろ好戦的な覇気をまとっている。
(何で???)
レルムが首をひねり考えこみはじめるなか、アウローラはカイザルに完璧な淑女の微笑みを向けた。
「お戯れを。必要もないのに診察などいたしません。今は互いにすべきことがあるようですわ。どうぞ、スペルモルとの時間をお楽しみください。わたくしは…こちらを」
アウローラはコートのボタンに手をかけ、ゆっくり合わせを開いた。下に着ていたのはAラインのロングドレス。たっぷりとしたスカートのドレープに片手を差し込み、重なりあった布の隙間を指で掻き分け、肌着の隠しポケットからおもむろに辞書をとりだした。
「呪物の解呪。お恥ずかしいことに、まだ慣れておりませんの。だから練習しようと思いますわ。問題児の、調教は、重要、ですから…」
次はお前だ、必ず調教してやる、とアウローラはカイザルをけん制した。恋敵を意識しすぎて少々闇に堕ちた笑顔になっていた。普段のお姫様は見当たらない。なにせアウローラは悪役令嬢。豹変はお手の物、だって夫を奪われる危機なのだから…!
幸いにも、その時のレルムは妻の顔を見ていなかった。スカートに気を取られていたのだ。レルムはとっさに身を盾にすることで、男たちの視界を遮っていた。何をって妻のスカートを。脇の開きから肌着にさわれるなんぞ夫以外は知らなくてよろしい機密事項に他ならない。
(アウローラのおバカ! それ人前でやっちゃダメっておれ言ったじゃん…!)
レルムの涙ぐましい努力むなしく、椅子の配置的に、草間だけは辞書を取り出す瞬間が見えてしまっていた。正確に見えずとも構造は察してしまう。健康男子(21)の脳にカッと稲妻が走った。
(…マジかよあれじゃ女子の浴衣と同じじゃん?! しかもスカートでなのかよ、淑女ヤベェな…おっと)
何らかを想像しかけたことはすぐバレたようで、草間はレルムから光が消えた目で見られた。草間は謝罪を込めて両手を肩の横で並べて目を閉じた。何も気付かなかったっすだから何も考えてねーです、はい。
健康な若人らのやりとりを知らぬ無自覚痴女は、淑女の微笑みでスペルモルに声をかけた。
『スペルモル、あなたの推理を伝えてさしあげるのはいかがですか?』
あなたの、のあたりでアウローラはレルムに抱え込まれ、伝えて、のあたりで顔中に口づけを食らっていた。少々勢いの強いウチュウチュにはレルムのやるせない怒りがこもっている。邪悪な作り笑いの淑女を抱えた涙目の大男。草間は無言で目をそらし、カイザルはニヤニヤと片眉をあげて楽しむ。スペルモルは一瞥もしていない。仕切り直しは、各々の内心で行われた。
アウローラのロングドレス(秋冬用)…スカートの両脇の一部に開きがある。が、絶対に外から下着は見えることはない。複数枚の布をずらし重ねて縫い合わせたスカートにより完全に隠れている。肌着に隠しポケットがあることはツァウヴァーン女子の常識。そこから物を取り出してもシッカリした層になっているのでチラ見えしない。が、通常、男性はその存在すら知らない。レルムは異世界に来て偶然に知った。けしからん(イイネ!)でも人前で使ったらメッ。
アウローラ(19)的外れな嫉妬でカラ回り醜態をさらす。そして、めげない。これぞ悪役令嬢。レルムは私のです。がるる。
レルム(19)妻の無防備さにちょっとイラっ。後で分からせます。ガルルルル…
草間(21)男兄弟しかいないのに、男性用浴衣にはない「身八つ口」の存在を知る男。
カイザル(見た目42)退廃的お色気ダンディ(自覚アリ)。アウローラの誤解を察しており「おもしれー女」認定。レルムを誘惑する気などさらさらないが、「いちいち張り合ってきておもしれー」ので、「悪役令嬢に敵意を抱かれるヒロイン」を楽しむそうです。つまり夫婦へのちょっかいをやめる気はない。死者なので、未来に繋がる感情(夢や恋心や性欲も)は絶対に湧かないのだが、ぽんこつは忘れている。




