91 恋も創作も研究も存分に。ただし解説は簡潔に。
全員の視線がヒュプシュに向く。ヒュプシュは口元をムニュムニュ動かして、ニコっと笑った。
「うーんと…うん、すごく楽! ねぇ、通じる? 現代語だよ? あたし喋れているかな?」
アンナの顔がパァッと輝いた。そのままヒュプシュを抱きしめ喜びの声をあげた。
「喋れてるよ! 魔法使ったの!? 喋りたかったんだ?! かわいーなヒュプシュ! 良かったね! 自由だよ! よく耐えた! えらい! もう好き放題に使いな! 自分のために! アンタはもう誰の駒でもない! あたしたちと一緒!」
頭頂部に頬ずりしながらアンナははしゃいだ。ヒュプシュはふにゃりと泣きそうな顔で微笑み、ぎゅうとアンナにしがみつく。そのまま二人は現代語で会話しはじめた。
喜びは声量に現れ、騒ぎでカイゼリンが目覚める。
『…なぁに…、眠い…』
目をこすりながら起き上がり、スペルモルが姿勢を直してスペースを作ればもぞもぞ動いて隣に座った。
「おはよ、カイゼリン! あたし自由になったよ! 魔法つかいたい放題なの! …あ、そうだ! ね、アンナ」
ニッコニコのヒュプシュは魔法を使った。全身をぼんやりパステルグリーンに光らせ、シルエットを挟んで男性体に変化する。ハイウエストのパニエつきワンピースは変わらないが、顔立ちがどことなく凛々しくなり、ヒュプシュは中性的な雰囲気の儚げ妖精と化した。
目を見張るアンナに向けて、無邪気な緑色の瞳が両方ぱちんと瞬きする。ちょっと照れ笑いをしたシュッツは、幸せそうにアンナにすり寄った。
「ウィンクしたかったのに。うまくいかないなぁ。アンナをデレデレにしてみたかったよー。アナンさまみたいにカッコよくなるつもりだったのにな!」
そんな健気な天使を見せられたなら、当然の現象が起こる。要はアンナの乙女心は打ち抜かれた。即座に男性体へ変わり、腕の中にいるシュッツに顎クイを決める。そして美声で囁く。
「君のカッコよさは僕が一番よく知っているよ。もうとっくにデレデレさ☆」
そしてアナンは完璧なウィンクをかました。
熟練の神技に魅せられたヒュプシュの乙女心は打ち抜かれた。見る間に顔を真っ赤に染めて、ガクゥと崩れ落ちた。全身をゆだね溶け切ったシュッツを華麗に受け止めたアナンは、幸せそうに高笑いした。
「あーっはっはっは! たのしーい! これからも一緒に遊んでくれるんだ!? 最高! ヒュプシュ大好き!」
シュッツは震える両手を持ち上げ、でっかい腕ハートを作った。「あたしもぉ…っ。前も今もずーっとすっごく楽しいよぉ…っ! アンナだいしゅきぃい…っ!」
とたん、スペルモルの肩が跳ねた。隣から何らかの感情の圧を感じたので。嫌な予感に襲われつつ、そっと隣を見たスペルモルは…うぐぐと呻いた後に、そっと目を閉じた。現実逃避と言うなかれ。姉の特殊な趣味に口出ししないための苦肉の策なのだ。弟だからこそ、感想を持ちたくないのだ。崇拝する姉の沽券に関わるため、機密事項であってほしい。
皆がほっこりと見守る中、アナンとシュッツはキャッキャといちゃつく。通常運転だ。
それを静かに見守っていたカイゼリンは、おもむろに立ち上がって無言で二階に上がっていった。その後ろ姿はまさしく天啓を受けた覆面画家。新作は凄いかもしれない。
迫力漏れ出す階段を眺め、全員が希代の名作誕生を予感した。
ゼリンニムス・ボスは創作活動に入ってしまった。
開放感からテンションが上がったままの倒錯夫婦も、同じく。
「男性体の服をデザインして、着せ替えごっこしようよ!」
「やるー!」
と、二階に行ってしまった。
解散の気配を感じたヴィルヘルミナもソワソワしだした。行き倒れ夫婦を介抱するべくルーティンを途中で離脱していたので。ルーティンを守ることは修道女の本分なので。
スペルモルが頷いてやると、ヴィルヘルミナはお馴染みのピンク色を発して喜んだ。いそいそとおいちゃんを掴んで、そっと頭に乗せる。慣れた仕草でおいちゃんは帽子姿勢をとった。
そのタイミングでスペルモルが声をかけた。
『待て。おいちゃんはいる。悪いがヴィルヘルミナ、置いてい…け…。…分かった。いい。連れていけ。もうしばらく貸してやる。なんとかするよ、仕方ねぇな…』
お人好しは負けた。「帽子を返して」は持ち主として当然の要求だったのだが、ヴィルヘルミナが絶望の表情を浮かべたために、怯んでしまった。
頭の上にいる帽子を大切に両手で支えたヴィルヘルミナは、あからさまにホッとした表情を浮かべて、スペルモルに礼をとった。両足で跪いて頭を下げるのは平民の最高礼だ。
片眉をあげたスペルモルはため息交じりに立ち上がる。レディへの返礼で修道女の感謝を受けいれて、穏やかに2階へ促した。
ヴィルヘルミナは嬉しそうな軽い足取りで2階へ去った。おいちゃんをかぶったまま。
その後ろ姿を見送ったスペルモルはソファに座りなおし、アウローラと対面する。
『まずは…お疲れ、アウローラ。さて、ここからは反省会だ。…解呪「は」成功した、と言ったな? 消滅の魔法は難しいか?』
アウローラは頷き、詳しく説明をはじめた。叔父によく似た冗長さで。
途中、頭を抱えたスペルモルに『要約しろ。時間が惜しいと言っただろ。お前しか使えない魔法の詳細を聞いてやる余裕が今はない』と断じられ、ハッと目を見開いて頷いた。確かに。
『ええと…習得は可能ですが時間がかかりそうです。たくさん練習がしたいところですが、あいにく呪物はあとひとつしかありません。なので、能力が足りないところを道具で補うつもりです。
ええと…呪いを一時的に受け止める容器を開発しようと考えました。いかがですか?』
スペルモルは唇に親指を押しあてたまま頷いた。
『…いいと思う。容器…呪いを一時保管する…そうなると魔道具だな。
そういや、おいちゃんがどうこう言っていたな。考えがあるとか…後で進捗を聞こう。
それはそうと、アウローラ。これは確認なんだが、お前は「消滅の魔法」を「お片付けのために使う」、と言っていたな。繊細な女衆に配慮して言葉を濁したんだろ? 今は俺しかいない。その「お片付け」とやらの中身が知りたい。
俺の予想では、ソーマの存在そのものを消滅させる気だと…あぁ、やはり違うのか。違和感はあったんだ、自然にサラッと口にしたからな。らしくないなと』
スペルモルがどことなくホッとした顔で笑った。アウローラは慌てて詳細を説明しようとして…いったん口を閉じた。「要約」という概念を得たアウローラは、雑多な脳内から必要な情報だけを抽出する作業にしばし没頭した。
悟ったスペルモルは黙って待った。スペルモルは怒りんぼだが短気ではない。必要とあれば冷静に待てる。その間に自分も考えていた。
(ツァウヴァーンの民の祖先は魔獣人類…なるほどな。他国の人間が脆すぎるのだと思っていたが、ツァウヴァーンの民が頑丈だったのか。
隣国からの奴隷は宝物庫に監禁されたくらいで死んだ…飲食を絶たれたとはいえ5日も保たなかったと聞いたな。
ツァウヴァーンの人間なら同じ状況でも10日くらいなら命に関わらない。療養はいるだろうが。
先祖返りのレルムなら「腹が減った」程度ですみそうだな。
魔法が魔獣人類がもつ固有の能力だとすると、特殊魔法とは…まさか種族特性?
竜、ペガサス、一角獣、妖精…絶滅したとされる生き物こそが魔獣人類か?
「浮遊」はペガサス。「強化」もペガサスだ。「復元」は妖精で、「魅了」は一角獣。「治癒」は…一角獣か? 聖角は病を癒すという記述があった。だから乱獲され絶滅したわけだしな。「完璧支配」は…虹髪だからな、神にでも属していそうだな。「憑依」「同化」「千里眼」「付与」…そのあたりは全て妖精の特徴だ。
アンナの独り言を真に受けるなら、魔力の色も種族特性である可能性がでてきたぞ。もしそうなら、覚醒する特殊魔法を推定できる。
…資料確認したいな。この仮説が立証できれば、女神の民の変異の方向性が予測できる。
アレインの言を信じるなら、あいつらはこれから魔獣へ進化する存在だ。無力なうちに使役しておかないと危なくて仕方ない)
つらつらと考えを巡らせつつ、対面のアウローラを眺める。
真剣な顔で脳内の整理をしている姿は、さすがに凛々しい淑女に見える。
スペルモルは姉の眼を思い出す。
(…カイゼリンの特殊魔法は今だにわからんが…俺の特殊魔法が「絶対封印」であることを思えば、同じ竜に属す能力なんだろうか…?
だが色が違う。ハナから魔力色と関連づけると、仮説そのものが破綻しかねない。
落ち着いたら、まずは文献を漁ろう。遡って種本を特定してデータベース作ろう)
アウローラは考えをまとめ終わり、うんと頷いた。スペルモルと目をあわせ、口を開く。
「『私は、ソーマの根本の願望を消滅させるつもりです。
彼は「誰か傍にいて」と渇望し続けています。しかし…恐らく彼にとって「傍にいてほしい誰か」は彼の理想像です。本当は誰でも良いわけではない。彼の乳母や、草間さまでもなければ、攻略対象でもない。現実に存在できないほど「都合の良い人物」を、現実に求めているのです…当然、決してその望みは叶いません。
叶わない願いは、本来なら「夢」「憧れ」「未来への希望」「空想」という形で昇華されて、心の糧になるものなのですが…彼はそうならなかった。完璧な親友を持てず、「得られない」にのみ固執して苦しみ続けています。
だから、その願望そのものを消滅させてもらいたいのです。何故なら、水に溺れている状態では何も考えられないので。藁にも縋る状態なら、自分を見つめ直すこともままならない。よって、いったん根幹の苦しみを取り除くことで、その余裕をもってもらおうと考えました。彼に思考の整理整頓を促そうと…』
ええと…ごめんなさい、スペルモル。結局、長くなっちゃったわ…」
アウローラが悔しそうに眉尻を下げた。小さく「私は未熟…」と聴こえてきて、スペルモルは思わず笑ってしまった。
スペルモルが知る「消滅の魔法」といえば、虹髪の奇跡のひとつとして口伝される眉唾の魔法だ。
悪は存在ごと消滅する。悪と見做された側からすれば恐怖以外の何物でもない。
そんな恐ろしい魔法を、アウローラは罪人の更生のために使う気らしい。とんだ甘チャン。いっそ和む。さすがアウローラ、虐めたくなる。そんな場合じゃないから、やらないけど。スペルモルは瞬きをして気持ちを切り替えた。
『わかりやすかった。ありがとう。いいぞ、お前がそうしたいなら譲歩してやる。
なら、次は草間の件だ。完璧支配の条件が揃うんだろ? 未来に帰れるぞってあいつに報せてやろう』
スペルモルは、はた、と思い出した。
『そういや、忘れ物がどうこうと。眼鏡でも辞書でもないらしい。わからん。報せるついでに、その失せ物についても詳しく聞くか。具体的に何なのかが…。
…。アウローラ。レルムの奴、遅くないか? あいつなら、この距離を往復するのに、こうもかからないはずだろ』
アウローラも(そういえば)、と玄関ドアを見た。首をかしげる。
「『言われてみれば。返事をもらうだけにしては、何だか遅いですね…?』 解呪するかどうかなんて…そんなに答えにくい質問かしら…?」
スペルモルは立ち上がり、アウローラに言った。
『今から様子をみてくる。お前は残れ。ソーマに常時回復を与えてやるのは不本意だ。行き違いになるのも困るしな。
カイゼリンとおいちゃんに一声かけるか…』
スペルモルは2階を見上げ、呟いた。
『念のため、警戒しておいて損はない』
アウローラがハッと思いつき、お出かけ準備を始めたスペルモルに慌てて声をかけた。
『少しお待ちください、スペルモル。ええと、私、今からソーマの魔核を確認してみます。何かわかるかも知れません』
上着を羽織ったスペルモルがピタッと動きを止めた。歪めた唇の隙間から、絞り出すように呻きだす。
『…遠隔で、他人の魔核を把握できる…だと…? 何故、それを、早く、言わない…!
だったら手紙なんぞというまどろっこしい真似せずに常時監視すりゃ良かっただろうが…!』
少年のドスの利いた声に、アウローラの目がカッと光った。
(…声が低く安定してきている…! 声変わりが終わりそう!?)
スペルモルの変化につい喜んだアウローラだが、聡いスペルモルにそれは即バレた。アウローラはド派手にお叱りを喰らった。
『…後ろめたいのです…そもそもこの「画面」だって、本人の合意を得ていないまま使ってしまっていて…だって魔核なんですよ? そんな気軽に覗き見していいものでは…』
スペルモルは眼鏡の奥で両眼をギラつかせている。照明の反射光でレンズを白く光らせつつ、言い訳女を睨みつけている。怖い。青筋たてた怒りの雰囲気をまとうスペルモルは、愛らしさを演出するかのようにゆっくりと小首を傾げてみせた。桃色の唇が動き出す。
『おい痴女…平和ボケしてんなぁ痴女。今更だろーが痴女。痴女なんだから痴女らしく開き直って痴女ライフを堪能しろよ痴女』
「…ひぃぅう…っ」
アウローラの喉から久々に変な声が出た。虹眼は滂沱した。ヒュプシュほどではないが、どばぁと涙があふれる。
それでもアウローラは根性の痴…ではなく淑女でありたいので、頑張った。声を震わせながら訴えた。
『…れ、レルムが守ってくれています! 緊急事態の時はちゃんと、けど身柄が確保されているなら危険は低く…あ、でも、今はもう逃亡を企てているので、常時監視が妥当だと思います。スペルモル、いかがですか?』
スペルモルは口元だけで微笑んだ。優しい口調で一言。
『とっととやれ』
「…はいぃ…」
青筋たてたスペルモルに睨まれながら、アウローラはしょぼしょぼとソーマの「画面」を開いた。淑女の根性で見据える。幼少時のようにすんすんと鼻をすすりつつ、魔核の状態を確認する。
『師匠は「助からない」と言っていました。「毒がまわるまでは元気」だとも。』
やっていることは痴女だとしても、せめて淑女らしい気品を表現せねば…と、アウローラは姿勢を正す。
姿勢の美しいアウローラの隣に、スペルモルがどかっと座った。身を寄せつつ片腕は背後に回り、片手がごく自然にアウローラの頭を固定した。濡れたほおをベロリと舐める。
「!? ちょ…っ」
『早くやれ』
「…、ぅう…はい…」
仰天するアウローラを、スペルモルは淡々と一刀両断した。
アウローラは勢いでこられると弱い。それを知るスペルモルは悪用した。思うさまべろんべろんする。
彼に下心はない。あくまで温かい白湯をすする感覚。アウローラはウォーターサーバー。そこに白湯があったから休憩しているだけ。
つまりレルムの前であっても彼は堂々とやるだろう。激怒の夫からこっぴどく叱られるなどと予想だにしていない。
アウローラはショックからベソベソ泣き出した。
(また涙を味見された。現在進行形で味見されまくっている。なにこれ。意味わかんない。泣き止みたいのに驚愕が過ぎてムリ。泣き止めない)
至近距離から眺めるスペルモルは、その様子を「おかわり」と判断した。双子はくれるものはありがたくもらう精神だ。
べろんべろん美味しく頂かれ続けるアウローラは、ハイライトの消えた虚ろな目で報告した。
『…状態を見る限り、変形は著しいですが…画面の内容には、…あ』
異変に気付き、アウローラは目を見張る。涙が止まる。
スペルモルは身を離し、ソファにふんぞり返った。じっとアウローラを観察しつつ待つ。
アウローラはおろおろと空中で両手の平を上向けて「ちょうだい」のポーズをしはじめた。次元のかけらを口に含んだ双子の前に差し出した時のように。手のひらを左右に揺らし、うろたえている。
「わ…わわ…、え…? え、でもこれどうしたら…、あ。ちょ…あああぁ…」
アウローラが眉尻を下げて木の床を見つめた。途方に暮れた声で独り言ちる。
「今ちゃんと凪で受け止められたのに…こぼれちゃったわ…これって、大丈夫…?」
静かに観察していたスペルモルが口を開いた。
『…大丈夫かどうかはそのうち分かるだろ。とっとと報告。何があった?』
アウローラはうーん…と小首を傾げつつ頷き、今起きたことを説明した。
『ええと…溶けました…? 画面が…ソーマの魔核が。師匠の言っていた「助からない」が起きたんだと思います。
考えたら、遠隔でした。私が見たのは幻影です。現象は、本体がいる館で起きているはずです。
レルムが戻らないのは、…館で、魔核が溶けるような何かが起きたから…?』
ふたりは目を合わせて同時に立ち上がった。
ソーマ(42)にじかみはてにはいる




