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君との恋を、ファム・ファタールの箱庭の中で  作者:
第一章 ファム・ファタールの箱庭
5/30

5 利害関係に慣れた貴族の辞書には「友達」の意味は載らない

 アウローラの説得は少しだけ効果を見せ始めた。土下座は変わらないが、恐る恐る頭をあげ、視線を揺らしながらも、アウローラと目を合わせてくれたのだ。

 アウローラは必死に微笑んだ。そして喋りたおす。

『わたし、あなた、仲良くしてください。何故ならあなたはとても親切。わたしはあなたを知っています。優しいです。笑顔が素敵です。一緒に笑います。わたしは危険ではありません。一緒に遊びましょう。一緒にお水を飲みましょう。一緒に何か食べ…』いや…まだ勇気がないわ、それに関してだけは」

 アウローラは、ただの齧りかけの野菜になってしまった謎の生き物を思いかえし、つい遠い目をしてしまった。ちょっとだけまた目が潤む。

 哀し気な雰囲気に気付いたヒュプシュが、戸惑いながら聞いた。『…もしかして、あたしと友達になりたいって言っている?』

『…友達? ごめんなさい、言葉がわかりません』

 アウローラは戸惑った。辞書に載っている単語だが、平民の使う言語として詳細不明の項目にあった単語だったからだ。

『危害を加える気がない、一緒に楽しく過ごしたい、それって友達ってことだよね? …『性的奉仕(なかよく)』してください、だけはちょっと意味がわかんないけど…多分、意味を間違って覚えている感じかな? お貴族さまに習ったなら、納得できるかも』

『! それです、危害をしません。一緒に楽しく過ごしたいです。私って友達です。ヒュプシュ嬢の!』

 アウローラの熱意が伝わったらしい。ヒュプシュがしっかりアウローラと見つめ合った。そして、ぎこちなく笑う。アウローラも微笑む。感じよく見えるよう、自分にできる最高の貴婦人の微笑みを保つ。

 ヒュプシュはふにゃりと表情をゆるめ、立ち上がった。

『…あなたのその作り笑顔、感情が読めなくてちょっと不気味だけど。一生懸命なのはわかるよ、あたしなんかに好かれたいんだね。…寂しい気持ちも、ちょっとわかる。

 ルカ姉さまは優しいけど、いつまでたっても壁を感じるもの…外でひどい目に遭ってきたんだろうし、人が苦手になるのも仕方ないってわかるけどさ。

 ねぇ、アウローラって呼んでいい?』

 アウローラも立ち上がり、うんうんと力強く頷く。

『ぜひ呼んでください。友達が嬉しいです、ヒュプシュ嬢』

 安堵からふにゃりと自然に笑ったアウローラに、ヒュプシュはふふっと笑った。

 ふたり向き合ってニコニコ笑いあう。

『あたしのこともただのヒュプシュって呼んで。ヒュプシュ、よ。嬢はいらない。あたしもあなたのこと好きよ、アウローラ』

『おれのほうがアウローラさまを愛しています!!!!』

 突然に身近で響いた男の声に、ふたりは本気で驚いて同時に肩を揺らした。ぎょっとして声の主を見ると、すぐそばにレルムが立っていた。


 でかい。やたら圧が凄い。いつの間にいた。そして急にどうした?!


 顔をひきつらせて後ずさるヒュプシュを背にかばい、アウローラはレルムに向き直った。レルムは仁王立ちしたまま腰に両手をあてると、天を仰ぎ、ふーっと長く息を吐きだした。

「こども相手に…情けない。反省が増えていく…『あなたのレルムです。ただいま戻りました。双子は2階の寝室で休んでいます』…その子も保護対象に入りますか?」

 顔を正面にもどし、アウローラの前に跪きながらレルムは聞いた。

「ありがとう、レルム。ええ、友達になったの。それはそうと、古語を使えるのね。知らなかったわ」

 レルムははにかんだ。

「王都じゃ使う機会ないですからね。おれの地元の方言です。地元では、ある程度育ったこどもは一つの村に集められて容赦なくしごかれ…教育を受けるのです。レディへの接し方も古語とともに叩き込ま…教わります。

 ちなみに、ですが…大事な局面(プロポーズ)では古語を使うのがシックという感性でして。そのために覚える言語といいますか…地元民の憧れといいますか…」

 レルムがまた甘ったるい空気を発し始めた。ほおが赤らみ、瞳がとろんと潤んで、アウローラを熱く見つめている。

「いつか言えたらとおれも古語(ことば)を磨いてきました。『あなたに全て捧げたい。どうか私の永遠の熱に、麗しい慈悲を与えたまえ。愛しいアウローラ…』さま…」


「あわわ」アウローラの口から変な声がでた。

自分でびっくりした。あわわ、って言った。なに、あわわって。


 アウローラは動揺している。レルムは熱いまなざしで返答を待っている。空気がむちゃくちゃ桃色だ!


 ふいにアウローラの腕が掴まれて後ろにひかれた。

 ぶるぶる震えたヒュプシュがアウローラの前に進み出る。目が強くレルムを警戒し、それを隠すように俯いて、その場にうずくまった。

『…お、恐れながら…っ、愚かな身でありながら言葉を発する無礼をお許しください…この者は外国の人間ゆえに…尊きお方の夜伽の栄誉を預かるには値しません。…どうぞ、お許しを』


 跪いたまま、レルムはぱかっと口を開けた。驚愕の目でアウローラを見上げ、またすぐヒュプシュに視線をうつす。そして見るのも耐えがたいという風に強く目を閉じ、唇を噛みしめた。


 わかる、とアウローラも同じ顔をした。気持ち、わかる。つらすぎる。


 レルムは喉からしぼりだすようにうめき、ため息に変えてから、優しく語りかけた。

『はじめまして、お嬢さん。私はレルムと申します。産まれは貴族ですが、末端の端の端、下位貴族の三男坊。実家からはすでに籍を抜かれた身ゆえ、君を害す力を持ちません。

 愛するアウローラさまの護衛を長く務めています。この世界では身分を気にしなくて良いと聞いたため、つい舞い上がってしまい、君を驚かせました。

 おれは想いを伝えたいだけです。アウローラさまの意思に反して無体を強いることはありません。剣に誓います。だから優しいお嬢さん、安心してください。君の勇気に心から敬意を。これはご褒美ですよ。どうぞ』

 レルムの話を聞きながら少しずつ身体を起こしていったヒュプシュに、レルムは板飴を差し出した。

見上げるせいでぽかんと口が開いてしまう。困惑するヒュプシュに、レルムはにっこり笑いかけながら包み紙を剥がして口にいれてやる。

 びくっと肩を揺らしたものの、ヒュプシュはすぐに固まる。初めての砂糖の甘さに驚いたのだろう。

 座り込むヒュプシュの背をぽんぽんとあやして、レルムはヒュプシュを軽く持ち上げて立たせる。ヒュプシュは口の中の甘さに集中していて、されるがままだ。

 アウローラは目を見開いた。

「すごいわ、レルム。あなた…とても流暢に喋れるのね」

 レルムはちょっと得意げに笑った。

『ありがとうございます。いつか好きな子に最高のプロポーズがしたくて。子供のころから特に頑張った分野です。…かっこいいですか? ちょっとはいいなって思いません?』

 アウローラも笑って答えた。

『レルムは素敵です。とてもちょっとはいいなって思います。かっこいいです。プロポーズはいりません。喋ることが驚きます』

 眉尻を下げながら、レルムは大げさにしゃがみこみガクッとうなだれた。

「…アウローラさまは古語が苦手なんですね。しまったな、言葉を飾っても通じないんじゃ意味がない。現代語でまた文言を考え直しますね」

 落ち込んだそぶりのまま、上目遣いでアウローラを見あげてレルムがニッと笑った。かわいい。

「今、諦め悪いなぁって思いましたね? この世界にいる限りは無礼講です。口説きますよ、当然。チャンスを無駄にしないのがツァウヴァーンの男ですから」


 そうか、とアウローラは思い出した。今さら実感した。ここでは自分は王太子妃ではない。二度と戻れない以上、すでに王太子妃としての立場を失っている。自分はもう本当にただの自分(アウローラ)でしかない。


「!? アウローラさま…っ」

 レルムが目を見張って立ち上がる。うろたえたように軍服を探り、板飴を使い切ったことに気付いて、もどかしげに両手を意味なく動かす。そして、助けを求めるように視線をさまよわせてから、おもむろに『力を貸してください』とヒュプシュに声掛けし縦抱きにすると、アウローラに渡してきた。アウローラより小柄とはいえ、縦抱きするにはなかなかのサイズだ。両腕で抱きしめるような形にしかならない。

「…こ、こどもを抱くと落ち着きます…よね、そう言っていましたよね…?」

 アウローラは涙を流しながら、ちょっと笑った。

 不器用な護衛官が、万能の必殺技(手作りの板飴)を失ったときの精一杯の慰めがコレだと思うと、心の中がほんのり温かくなる。

 足元がガラガラ崩れ落ちたような絶望感が、少し和らいだ。何もない空っぽな自分(アウローラ)にも、レルムは寄り添って、生きる意味(やくわり)を与えてくれる気でいるらしい。

 その手段が口説くという形だったのは…意外すぎて最初はわからなかったが。真面目な彼らしいともいえる。


 腕のなかのヒュプシュの温かさにも癒されながら、アウローラは言った。

『レルム。ありがとう。一緒にいてください。嬉しいです。…今から荷物をとりにいきます。私は望みます。一緒にいきましょう。いいことですか?』

 レルムは安堵を顔に示して、頷いた。




 飴をガリガリ噛んで早々に飲み込んでしまったらしいヒュプシュが、興奮したようにレルムにお礼を言った。

 それから、あれは何、高価なものじゃないか、自分に与えてよかったのか、アウローラが泣いているのは私が食べてしまったからではないのか、と矢継ぎ早に質問を繰り出す。そのひとつひとつに問題ないと答えながら、アウローラたち3人は、祭壇へ荷物をとりに行った。

 そこでも、見たことが無いであろう大量の品々に驚いたヒュプシュの質問が止まらない。

 アウローラが頑張って答えていたが、やはり横板に雨だれではらちがあかず、レルムが代わって説明を担った。

 そして、荷物を館に運ぶつもりだと知ったヒュプシュは、『任せて』と頷くなり、両手をかざして魔法を使った。大量の荷物が一瞬で消える。

 レルムが絶句して何もなくなった空間を指さす。頼もしそうな軍人のあっけにとられた顔が面白かったのか、ヒュプシュがケラケラ声をあげて笑った。

「彼女、すごい魔法使いなの。なんでもできるって言っていたわ」

 アウローラが言うと、レルムがなるほどとばかりに深く頷いたものの、そのまま首を傾げて動きを止めた。

「…?」

明らかに理解できていない雰囲気に、ヒュプシュがまた笑い転げてアウローラの腕に抱き着いた。

『レルムさんって面白いね、アウローラ! 優しいし丁寧だし、身体が大きいから、すっごい年上かと思っていたけど、もしかして若いの?』

『レルムは19歳です。わたしも19歳です』

『そうなんだ! あたしは17歳だよ。同年代ってことで、このまま楽にしていていい?』

『もちろんうれしいです。友達をしています』

 そう答えたアウローラは、ヒュプシュの頭にこてんと頬を乗せてぐりぐりと動かした。ヒュプシュが楽しそうに笑う。

 じゃれあう女子ふたりを呆然と眺め、しばらく硬直していたレルムが、おもむろにその場に土下座した。

『…!? レルムさん!?』

「!? なにをしているの、あなたまで!?」

 レルムは頭を下げたままうめいた。

『…すまない。幼いこどもだと思い込んで…レディだったとは…ごめんなさい…』

 ヒュプシュはきょとん、と目をまたたかせた。

アウローラは意味に気付いて、「あー…」と納得する。

『…ヒュプシュを抱きあげました。背中をなだめました。彼は破廉恥でした。反省しています。許してがほしいです』

「…ぐっ…」レルムが傷を負ったかのようにうめいた。実際、心に傷を負った。好きな子からの破廉恥よばわりは致命傷だった。このままコロッと死ねないかな、とレルムはちょっと本気で期待した。いやまだプロポーズもできていないのに死ねないが。死ぬもんか。


 ヒュプシュは理解不能といった風に顔をしかめる。

『…まったく気にしてないけど…それはお貴族さまのルールか何か…? 確かにね、無遠慮に身体に触られたらそりゃ嫌だけど。レルムさんは全然いやらしくなかったし、そんなつもりがなかったのはわかるから大丈夫だよ。

 それより、帰ろうよ。荷物、みんなにも見せるんだよね?』


満身創痍のレルムくん(19)熟考していたプロポーズのセリフを披露できたと思いきや、好きな女の子には通じてないし、違う女の子にセクハラしてたし、フォローしてもらえたものの意図なく追撃されてHPが残1の状態。一張羅の軍服を着てるからイケメンムーブかましてた。ときめいてもらえるはずだったのに、おれときたら…。


大昔の平民ヒュプシュ(17)セクハラ受けるほうのプロだった。レルムが反省している意味がわからない。ちゃんと紳士だよね、このひと。


いたたまれないアウローラ(19)いたたまれない。早く帰って空気感を変えねば。



※女性の成人デビュタントは約16歳。

男性の成人は18歳の世界です。

レルム的にアンナは年齢的にレディだと察しているが、言動がああなので、ギリギリこども判定。男友だちと喋るような感覚になるらしくレルムはつい素を出しやすくなるようです。

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