4 子守り慣れした軍人なので「飴と鞭」というか「飴とパルクール」
「この時代初の絶叫アトラクション、パルクールによる崖を利用した斜め45度急斜面から自然の森の中を高速移動する人力コースター、安全装置なしでの宙返りとバック走行、最大角度90度からの垂直落下を目玉に、飽きさせない6回加速が息をつく間もなく絶叫の連続を呼ぶ…って感じね。絶対に嫌。乗らないわ、あんな死の暴走アトラクション」
「安全は安全よ。レルムがこどもを怪我させるわけがないもの」
「アンタ毒されはじめてない? 戻ってきな。許さないよ。アレ制御するのアンタの仕事だかんね」
「…えーと…ええ。そうね…」
虚ろな目をしたアンナと眉尻を下げるアウローラの視線の先では、泣き叫ぶ少女を担いだレルムが、その姿がぶれて見えるほどの速度で広い範囲をぐるぐる走り回っている。
『うわぁああリンー! 貴様ぁっカイゼリンを離せぇっ! 俺の大事な姉さまなんだぞぉーっ! 止まれぇ、ぶったおしてやる!!』
スペルモルが果敢にレルムを追って走り回っている。疲れから足をふらつかせ、それでも諦めず走るスペルモルの側を、ときおりレルムが素早く走り抜ける。
双子の姉の、矜持もへったくれもない泣き顔が一瞬みえたスペルモルは、真っ青の顔色をさらに悪くして、また足を必死に動かし遠ざかる悲鳴を追う。
アウローラがふと気づいて、胸をなでおろした。
「あ、でも。元に戻ってよかったわ。何かさっきまで様子がおかしくなっていたもの…驚いた」
アンナが目を剥いた。
「あの姿のことを元に戻ったって言った? 今? やめてよ…さっきの甘ったるい方が元の姿ですって言われたかった…残念すぎるよ、あの男…」
妙齢女性ふたりから言いたい放題言われているとも知らず、レルムは慎重に少女の限界を見極めていた。
「うーん、まぁ、こんなもんかな。『反省しました?』」
レルムは担いだ少女に話しかけながら、速度を徐々に緩めていった。
『…ひえっ…えぅ…っ! 信じないわ…このわたくしが、こんな辱めを受けるなんて…っ…絶対に許さないっ…えぅっ、覚えていなさい…こんなこと、ひぅっただじゃおかないんだから…っ』
『ああ、根性ありますね。いいですよ、続けましょう』
レルムは加速した。うっそうと茂った森の中に突っ込んでいき、鞘と柄が接着された式典用の装飾剣(刃がそもない)でもって、邪魔な枝草を凄まじい速度で刈り取りながら進む。
『…っ! ぎぃやぁぁぁぁぁ下ろして助けてスペルモルぅぅっ!』
『リンー! 今、今、助けるから…っ! 俺にだってやれるんだっ…今やらないでいつやるんだ…っ。…絶対に助けてみせる! 止まれよ、この狼藉ものー!』
祭壇でいきなり攻撃してきた少女の宣戦布告を聞くや、レルムは眉尻を下げつつ抱き上げていたアウローラとアンナを降ろした。
「ちょっといたずらが過ぎるので、お仕置きしてきますね。女の子相手は気が進まないなぁ…仕方ないか」
言うなり、レルムは一瞬で双子の背後に回りこんだ。双子の目には恐らくいきなり消えたようにしかみえないだろう。アウローラも消えたと思った。
「瞬間移動した。ヒーローがエスパーのパターンはちょっと新しいわ。…設定が濃すぎない?」
アンナの謎の感想に疑問を抱いたアウローラが、この際一から教えてもらおうと口を開いた、その時だった。
あられもない少女の絶叫があたりに響き渡り、その姿を消した。驚愕に目を見開いた少年が、隣の空間…今は何もない空間に両手を泳がせて、いるはずの姉を探っている。
そうして、突如はじまったのが、乗客は少女ひとりの人間ジェットコースターだった。
アウローラは前に一度だけ見たことがある。どうも、彼の地元では定番のお仕置き方法らしく、元の世界にいる幼い王太子が調子にのっちゃった時が初のお披露目だった。
王太子が木剣で遊びだし、手をすべらせ運悪くアウローラの編み込んだ髪の隙間に刺さり、驚いて転んだだけなのだが、レルムは6歳の少年が反省するまで決して許そうとしなかった。まぁ…今の光景を見る限り、あの時はかなり手加減していたんだな、という感想になる。
『もういやぁぁ…認めるぅ。認めるからぁ…ちゃんと負けを認めるから、早くおろしてぇ…っ!』
少女がとうとう弱音を吐いた。レルムは速度を徐々にゆるめ、担いでいた少女を縦抱きにした。身体を丸めて泣きじゃくる少女の背をぽんぽんとあやしつつ、『お疲れ様です』と一言。
レルムはアウローラのもとへゆっくりと歩を進める。
『…モル、スペルモル…どこぉ…抱っこしてぇ…怖いようモルゥ…』
『…リン、…カイゼリン…、俺は、ここだ…おい、離せ、よ…っ!』
走り疲れてふらふらになりながらも、スペルモルがレルムに近寄り凄んだ。
レルムはスペルモルに優しく微笑みかけた。
「わかった。『両腕を使ってしっかり抱えてください』…よっと」
『!? なんのつもりだ、貴様!?』
同じ身長体格の姉を抱えたスペルモルごと、レルムはひょいと軽く横抱きにした。
『お仕置き終わりましたので、もう大丈夫ですよ。よく諦めず追いました。それでこそツァウヴァーンの男。さすがです。頑張りましたね。後は年上の私にお任せを』
『…!? …、…は、ぁ…!?』
スペルモルは混乱していた。得体のしれない男の理解しがたい言動に翻弄されて。強烈な恐怖と謎の褒めに困惑極まりながらも、なにより大事な片割れはすでに腕の中におり、すんすんと鼻をすすって泣きながらしがみついてくるのを感じれば、途方もない安堵が胸の中に満ちる。
「アウローラさま。こどもたちを休ませたいのですが、どこか場所を知りませんか?」
「…ええ。こっちよ」
レルムを館へ案内するため祭壇をおりるアウローラに、アンナが声をかけた。
「あんたたち、あの荷物いいの? あのまま放っておいて」
「お父さまには悪いけど…わかってもらえるわ。とりあえずこの子たちが優先。後で回収しにくるわ。アンナも一緒に使うわよね? 他の女の子たちも、説明すれば使いたくなるかも。みんなで使えばいいわよね。中身はわからないけど、多分、日用品が詰まっていると思う」
「え…借りていいの? やった、ありがと! あんた良い子よね、アウローラ。疲れない?」
「そんなことはないけど…元の世界ではわたくし、同年代の女の子たちと集まって寮生活していたようなものだから、物への執着があまりなくて」
「…はー。らしいわ。そのポヤポヤな感じ、共学では珍しいタイプだもん。女子高出身なら納得。
それにしても…こうなっちゃえば可愛くみえるわね、こいつら…」
アンナが、レルムの腕の中にいる双子を覗き込んで眉尻を下げた。
「これからは、少しくらい優しくしてあげようかな。あんな目に遭って、可哀そうだもんね」
「アウローラさま、俺の腰あたりの飾りポケットにアレが。良ければ」
レルムが言った。アウローラは「そうね」と頷いて、軍服のポケットを探り、板状の包み紙をふたつ取り出す。
「? なにそれ?」
「飴よ。レルムの手作り。『ご褒美をどうぞ。あなた、ふたり、頑張りました』」
アウローラは蝋引きの包み紙をはがし、双子のぽかんと空いた口の中に黄金の板飴をそれぞれ差し込んだ。
「あ、べっ甲飴だ。懐かしー…あれ、でも高いよね、砂糖。薬屋でしか売ってないし。何でわざわざ飴にして持ち歩いてんの? 甘党?」
レルムはアンナを見下ろしながら答えた。
「おれは甘い物はさほど。持ち歩くのは癖だな。大抵のこどもはコレが好きだし、ただの砂糖より焦がしたほうが見栄えもいい。喜んでほおばっている姿は見ていて気分がいい」
アンナは神妙な顔でレルムから目をそらした。
「…すっごく残念な男なのに、いい父親になりそうなあたり…なんか…。いや、やっぱ残念だわ。ファミリー系コメディあんま見てなかったし。ラブコメのほうが好きだなぁ。がんばりなよ」
レルムは首を傾げた。
「? ありがとう…?」
「あら。こっちを見ているわ」
ふとアウローラが呟いた。
三人(レルムは双子を抱えて)が歩いて館に近づいたとき、入口にふたりの人影が見えた。
ヒュプシュとヴィルヘルミナだった。
彼女たちはこちらをじっと見つめて動かない。不思議に思ったアウローラが声をかけようと少し小走りになって近寄ると、ヴィルヘルミナがすっと動いた。
これ以上ないほどの無表情で、とてつもない色気を発しつつ、しかし滑らかな横滑りですすすと扉の奥へ消えていく。
「?? あの…『ヒュプシュ嬢、アウローラです。ただいまかえりました』」
アウローラがその場に残ったヒュプシュへ声をかけると、ヒュプシュはドン引きの顔で後ずさり、その場にうずくまった。そしてアウローラに向けて愛らしいよそ行きの声を響かせた。
『…新しいご主人さま。尊きお方。どうぞこれまでのご無礼をお許しくださいませ』
「違う違う違う。違う。待ってどういうこと…あっ」
アウローラは気づいた。今の自分が他者からどうみえるか。
明らかに貴族ですと主張する上質な純白の軍服を着た体格のよい男と、言葉の通じない「凄まじい女」を連れて、とても仲良く喋りながら帰ってきた自称・平民。
そして、軍人が抱えているのは、おとなしく黙り込む双子。
飴の甘さに衝撃を受けて固まっているだけなのだが(双子の時代ではまだ砂糖が存在していなかったはず。初めて食べたのね)、何も知らなければ、アウローラが、全員を何らかの方法で支配して意気揚々と凱旋してきたように見えなくもない…?!
それからのアウローラは必死だった。古語は得意ではない。本格的に使い始めたのは昨日からだ。それでも脳内の知識をありったけ掘り起こし、うずくまって頭を決してあげようとしないヒュプシュにすがりつきながら説得し続けた。半泣きで。
『ヒュプシュ嬢、アウローラです。国民のアウローラです。怖くありません。皆さまは優しいです。どうか元に戻ってください。身体を壊します。お部屋でともになかよく休みましょう』
『ひ…必要とあらば…しかし女性を相手にした夜伽など何も知らず……愚かな身をお許しください。どうぞ好きに可愛がって』「待って待って何を言い出すの『違います。一緒にお水を飲みます。一緒に座ります。楽しくお話をします。夜伽はしません』…あああ、焦ると古語わかんなくなっちゃう…会話が…会話が難しい…っ!」
「へー…あんた外国語を喋れるの。すごーい」
で、何て言っているの? 何かめちゃくちゃ怯えられてない? と無邪気に首を傾げるアンナの隣でレルムは無言だ。アンナはちらっとレルムを見上げて、釘を刺した。
「言っておくけど、担いで走るの無しだよ。あんたの大事な女の子がよくわかんないけど頑張っているみたいだから、おとなしく見守りなね。下手に口出して親密度だだ下げようもんならアウローラちゃん攻略不可能になるよ」
「攻略不可能とは?」
「嫌われてフラれるってこと」
レルムは悲壮な顔でアンナを見下ろした。アンナは呆れた顔でそれを眺め、あごで先に進むよう指示を出す。
「飴ほおばって固まっちゃったカワイイお子様たちを部屋に連れて行こう。確か2階の一番ド派手で広い部屋だわ。アウローラと離れるのは嫌だろうけど、早く両手を空けたくない? 後はあたし見ておくから、連れてってくれたらとっとと戻っていいよ」
レルムは従った。わかりやすいメリットを提示しての指示は、軍の上司である隊長の命令の仕方と似ていて、とても自然に受け入れられた。
2階の主寝室、その中心に置かれた巨大な天幕つきのベッドに双子を乗せるや否や、レルムはすっと空気に溶け込むように気配を薄め、いつの間にか去っている。
アンナは開きっぱなしの扉を見て、天井を見上げ、双子に視線を戻す。
双子はそっくりな真剣な顔で並んでいた。口の中の甘さに集中しているようで、こちらを気にしていない。
アンナはため息をひとつ、それから部屋を見回して水差しを見つけると陶器のコップふたつに水を入れて、双子のそれぞれの手に持たせてやった。
「…甘いの食べると水が欲しくならない? のみなよ、すっきりするよ。
多分、あんたたちもあたしと同じで、訳ありでここに放り込まれたんでしょ、どうせ。
いいよ、楽しみなふたりに免じて仲良くしてあげる。…今まで悪かったわね。八つ当たりして」
両手でそれぞれの頭を撫でてやり、アンナはふと笑った。気が抜けたような、素を思わせる柔らかい笑みだった。
ファム・ファタール⑤
カイゼリン(10)スペルモルの双子の姉。魔法とっても得意。育った環境が弱肉強食。実力でなんとかしてきたので絶対の強者の自負があった。のに、レルムの物理によるお仕置きでわからされちゃった…。初の敗北で、大事な弟に不安を与えてしまったことを反省。そのうち絶対やり返してやる…!(負けフラグ)
人生狂わされちゃった男①と②
スペルモル(10)カイゼリンの双子の弟。どS目覚めたわりに、身内の泣き顔は地雷。こんなところまで一緒に来てくれたお姉ちゃんは俺が絶対に守り抜くつもりだった。
レルム(19)双子を同郷の子だと思い込んでいる。こんなとこで会うとは奇遇。元気でよろしい。