8
グレイウルフは人に対して好戦的な魔物だ。
普通の狼だったら一頭目が狩られた時点で散り散りに逃げ出すが、グレイウルフは真っ直ぐに僕を狙って駆けてきて、二頭目が魔法の矢で射殺されても怯まない。
これは別にグレイウルフの知能が普通の狼に比べて低いとかではなく、この状況ならば生き残るには相手を殺す事が最善手だと考えているのだろう。
実際、僕に対してはその戦い方は有効だった。
僕も幼い頃は部族で、こちらに来てからはステラの鍛錬に付き合って、多少は鍛えているけれど、それでも複数のグレイウルフを相手に近接戦闘で生き残れる程じゃない。
命を狙われる恐怖に手元が狂えば、幾ら真っ直ぐに飛ぶ魔法の矢でも外れる事はあるし、そうなるとグレイウルフの牙は僕の命に届きうる。
……けれども、それは僕が一人ならの話だ。
今の僕に、恐怖はない。
「魔法の矢」
キーワードと共に放った魔法の矢は、狙い違わず三頭目の眉間を貫き、その動きを止めた。
しかし同時に最後の一頭が大きく跳んで、僕に向かってその牙を剥き出す。
狙うは、僕の喉笛か。
もしかするとグレイウルフは、魔法の発動に言葉が必要だと理解しているのかもしれない。
僕の扱う魔法は、特に真言魔法と呼ばれる事もあって、魔法の矢のような初歩のものでも最低限のキーワードの発語が、より高度なものになってくると詠唱が必要だから、喉笛を噛み千切られれば、僕は魔法が使えなくなる。
いや、普通は喉笛を噛み千切られたら、魔法がどうこう以前に死ぬだろうけれども。
今回は僕らが先制攻撃を仕掛けたけれど、グレイウルフが人を先に見つけた場合は、隠れ潜んでの奇襲を仕掛けてくる事もあるというから、この魔物の知能ならば魔法を止める手立てを理解していても、決しておかしくはないのだ。
ただ、そのグレイウルフの牙も、僕には決して届かない。
ずん、と前に出たのは、ステラ。
そして彼女が剣を振るえば、開かれたグレイウルフの口はもう二度と閉じる事なく、それどころか体も口から尾までが真っ二つに割かれて、ばらりとわかれる。
あまりに見事な、ずんばらり。
間近で見ていて、本当に強いなぁと、パーティのメンバーながらに感心してしまう程だ。
イクス師の魔法の才能は受け継がなかったステラ。
でも彼女の剣の才は本物で、更には自分の身体能力を瞬間的に跳ね上げる気功という技に関しては、高い適正があるらしい。
それこそ父親であるイクス師の身分も併せて考えると、騎士になる事も可能な程に近接戦闘の才には恵まれているというか、実際にそういう誘いもあったと聞く。
だがそれでもステラが今の道を選んだのは、彼女には憧れの冒険者がいたからだという。
子供の頃の僕が流行り病に苦しんだ時、鈴鳴り草を一緒に探してくれた、親切な冒険者が。
鈴鳴り草の群生地はこのハーバレストだけれども、山に吹く風に乗り、その種がシャガルの町の近くの草原や森に運ばれて根付く事は稀にある。
しかし幾ら近くとも、町の外には危険もあった。
その冒険者は獣に襲われたステラを助けてくれて、更に事情を聞いて、一緒に鈴鳴り草を探してくれたらしい。
確実にあるとは限らない物にも関わらずだ。
もちろんその冒険者には、後で話を聞いたイクス師がお礼はしたんだろうけれど、ステラの素性を知らなければ、お礼が期待できるかなんてわからない。
その姿に憧れて、ステラは剣を学び始めてやがて冒険者の道を選び、……まぁ、彼女を放っておけなかった僕も、一緒に冒険者をやっている。
実力に不安はなかったんだけれど、ステラは、そう、些か人が好過ぎるきらいがあるから。
「怪我は、ありませんね」
念の為といった風のルドックの確認に、僕もステラも頷き応えた。
今の戦いの手応えから言えば、僕が三頭、ステラが一頭、それに加えてルドックが一頭を盾で受け止めてくれれば、五頭までなら乱戦に持ち込まれず、ほぼ無傷で狩れるだろう。
それ以上となると乱戦になって、多少の怪我を負うかもしれないから、僕らがリスクを負わずに狩れるグレイウルフの数は五頭までか。
やっぱり、魔法の矢の速射性は、もう少し何とかしたいところだ。
ライトニングやファイアーボールといった範囲を攻撃する魔法を使う手もあるが、普段とは違う魔法を戦いに組み込む場合、仲間達との連携にも影響を及ぼす。
戦術の打ち合わせ、擦り合わせは、繰り返していく必要があるだろう。
当然ながら僕が一番好きで、最も頼れる魔法は決まってるんだけれど、それだけでは、状況に合わせて多くの魔法を扱えなければ、魔法使いとしての成長はない。
「リュゼ」
不意にステラが、僕の名を呼び、ぐっと親指を立てて見せた。
あぁ、うん、難しい顔をしてしまっていただろうか。
彼女からの気遣いに、僕は笑みを浮かべて、同じように親指を立てて返す。
ステラの口数は少ないが、もう長い付き合いの僕は、彼女の考えは大体わかる。
今回、僕はいい仕事をした。
ステラも同じくいい仕事だった。
課題は色々とあるにしても、ひと先ずはそれでいい。
新しい事を考え、試すのは、町に帰ってから。
今の僕らは、仲間に恵まれている。
多くの魔法を戦術に取り入れたいと言えば、喜んで打ち合わせに付き合ってくれるだろう。
「グレイウルフかぁ。皮、どうする? 荷物になるし、魔石だけにしとくか?」
パーレの提案に、少し考えてから、皆が頷く。
ステラが真っ二つにした一頭を除いて、僕が仕留めた三頭、特に口の中を射抜いて殺した一頭は、毛皮の状態もいいけれど、もとよりグレイウルフの毛皮には価値が付かないし。
解体の手間や、毛皮が荷物になる事を考えたら、心臓から魔石を抉り出すだけで十分だ。
討伐依頼を請けていたら、前脚も切り取っていくんだけれど、今回は採取の依頼で来てるから、討伐報酬は得られない。
魔石をパーレが取り出す間に、グレイウルフが寝そべっていた岩場を調べると、多くの骨が見つかった。
やはりあのグレイウルフ達は、ここを巣にしていたんだろう。
……壊れた鎧の残骸もあるから、この骨の中には、人だったものも混ざってる。
でも、どうしようもないか。
バラバラになって混ざり合ってる骨の中から、人の物だけを探し出して弔うのは、今の僕らには不可能だ。
精々、僧侶であるルドックが弔いの祈りを捧げるくらいで精一杯。
ただそれでも、野外で死んだ冒険者としては、救いがある方かもしれない。
町の外で人知れず死んだ冒険者は、多くの場合はそのまま獣や魔物の腹に収まり、骨もそのまま土に還る。
場合によっては、自分が死んだ事さえ、誰も知らぬままに終わるのだ。
それに比べれば祈りの言葉の一つもある分、マシじゃないかと、僕は思う。
もちろん、僕はそんな終わり方はしないし、ステラにもそんな終わり方はさせない。
ルドックとパーレも、僕とパーティを組んでる以上は、同じくだ。
四頭のグレイウルフから魔石を取り出し終えた僕らは、再び鈴鳴り草、流行り病に利く薬草の群生地を目指して、歩き出す。