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次にエーレン村にゴブリンが攻めて来たのは、前の襲撃から十四日後の事だった。
ゴブリンの数は、ざっとした数え方にはなるけれど、およそ八百で、前の襲撃と比べても八倍にも膨れ上がってる。
これはもう、部隊じゃなくて軍勢と呼んでも差支えのない規模である。
恐らく、前回の襲撃の失敗から、これならば確実に村を滅ぼして全てを奪えるって数をぶつけて来たのだろう。
何しろ、この十四日間はエーレン村だけじゃなくて、レーフォム伯爵領の他の村にも、ゴブリンの襲撃はなかったから。
ゴブリン側はかなり本気で軍を編成して、このエーレン村にぶつけてきていた。
確かに、エーレン村に派遣されたパリファントの冒険者と、僕らのパーティが協力しても、対処できる数は二百から三百が限度だ。
多くの数を相手するには、火球の魔法で薙ぎ払うのが一番だが、ゴブリンの数が二百を超えたら、前回の襲撃で倒したゴブリンの魔石を使わざる得なくなる。
そしてその全てを使っても、三百が処理能力の限度だろう。
流石に、戦いながらでは倒したゴブリンから魔石を回収する事はできないし。
だから八百もの数に対処する力は、エーレン村には存在しなかった。
……尤も、それは先日までの話だが。
十四日という時間は、ゴブリンが軍勢を編成するに必要な時間だったのだろう。
多数のゴブリンが棍棒や木の棒の先を尖らせた槍、木の板の盾、投石用の石を持ち、更にそれを使いこなせる程度の訓練を受けて、原始的ではあってもきちんと軍として動くというのは、驚異的で脅威的な事である。
ゴブリンの町には、軍の編成を行えるだけの、高い知能を持った上位種が生まれているのだ。
しかしそんな上位種のゴブリンでも、軍を成す以上はどうしても編成には時間が必要だった。
適当に群れを成して襲ってくるだけなら、移動に必要なそれ以外は、時間は全くかからない。
けれども軍を編成するならば、武器や防具、それから食料の手配、全体行動を行う為の教練、必要な事前準備は大きく増える。
ましてや、幾ら上位種の知能が高くても、その他大勢のゴブリンが、それに引っ張り上げられる訳じゃないから。
ゴブリンの教練は、並の人間以上に手間暇が掛かるだろう。
連中には、これまでに積み上げたノウハウ、マニュアルのような物もない筈だし。
前回の襲撃から、今回の襲撃までには少し長めの猶予があって、人間側はその間に準備を整える事ができた。
具体的に言えば、僕からの連絡を受けたイクス師が、飛行の魔法でエーレン村に駆け付けたのだ。
賢者の学院の重鎮であるイクス師がそのように動けば、冒険者組合や神殿、領主だって、のんびりと構えてはいられない。
故にこれまではジッと待ちの姿勢を崩さなかったレーフォム伯爵も大慌てで兵士を動かして、今、エーレン村には飛行の魔法を使える導師級の魔法使いが三人と、三百人の兵士が派遣されている。
それでも数はゴブリンの方が随分と多いが、装備の質、何よりも導師級の魔法使いの存在を考えると、負ける恐れは少しもなかった。
むしろ、これから始まるのは一方的な蹂躙である。
「炎の嵐!」
「酸の雲!」
「氷の壁!」
次々に上位魔法が放たれる様は、まるで世界の終わりを思わせる程に凄惨だった。
炎の嵐が広範囲を焼き尽くし、酸の雲に触れたゴブリンが喉が裂けんばかりの絶叫をあげる。
しかしゴブリン達が逃げられぬように、その背後を突如として出現した氷の壁が塞ぐ。
導師級って言い方はしたけれど、その三人の導師はシャガルでも上位の魔法使いなのだ。
ちなみに間違いのない最上位なのが、氷の壁でゴブリン達の退路を断った僕の師匠、イクス師だった。
初手で退路を断ちに行くあたり、ゴブリンを一匹も逃さない、徹底的に駆除するという、強い意志を感じる。
どうしてイクス師がこんなにもゴブリンの排除に熱心なのかと言えば、弟子である僕や、娘であるステラが危険な目にあっているというのもあるだろうけれど、ゴブリンの町となっている遺跡に、古代魔法王国期の遺跡も存在しているという僕の推測が、恐らく正解だっていう事が大きい。
要するに、イクス師は早くゴブリンを排除して、古代魔法王国期の遺跡を調べたくて仕方ないから、その行動が過激なのだ。
恐らく僕とステラは、ある程度の危機は自分達で何とかできるって、信頼してくれているから、過剰に心配はしてないんだろう。
尤もステラは、イクス師がまるで少年のように張り切る姿を見て、少し呆れた様子だったが。
まぁ彼女にとっては自分の父親にあたる人だから、ややはしゃぎ気味な姿を目の当たりにすると、複雑な気持ちになるのは仕方ない。
ただ、そうしてイクス師が素早く動いてくれたからこそ、エーレン村が助かったのも事実だった。
さて、退路を断たれたゴブリンは前に進むしかなく、だがその前には鉄の鎧に身を固めた三百人の兵士が待ち受ける。
槍を構えて隊列を組んだ兵士は、木製の武器を持ってる程度のゴブリンを寄せ付けはしない。
ゴブリン側でこの状況を打破できるのは上位種のみだ。
だからこそ僕は、人間側の勝利を確実にする為に、ゴブリンの軍勢の中から上位種を探し出しては、魔法の矢で射殺していく。
導師の方々程の広範囲の魔法は、僕にはまだ操れないが、この上位種のみをピンポイントで殺していくのは、僕にしかできない事だった。
この戦いの勝利は、もう少しも揺るがない。
もちろん人間とゴブリンの戦いがこれで終わる訳じゃないんだけれど、その勝利に大きく一歩近付いた。
援軍は、まだまだこれからも集まってくるだろう。
賢者の学院からは、導師以外の魔法使いが、神殿からも神聖魔法の使い手が、またシャガルや北部地域の領主からは、大勢の兵の援軍が、そう遠からずやって来る筈。
戦いは、次の局面に移行した。
今まではゴブリンの襲撃を人間が防いでいたけれど、次はゴブリンの軍勢と、人間の軍勢がぶつかり合う。
これに人間側が勝利をすれば、後は残ったゴブリンの駆除だ。
その全てが完了したら、今はゴブリンの町にされてしまっている遺跡の探索というお楽しみも待っている。
イクス師程ではないけれど、僕だって未知の遺跡の探索は大いに楽しみだった。




