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「……ゴブリンの大繁殖か。それは、賢者の学院にも協力要請が来そうだね」
シャガルに帰った翌日、賢者の学院に顔を出した僕はイクス師に招かれて、部屋で茶と菓子をご馳走になりながら、近頃あった出来事を話してる。
もちろん、デモンパウダーの件に関しては勝手に大っぴらにはできないし、他にも守秘義務がある依頼に関しては、口にはしないけれども。
ゴブリンの大繁殖に関しては口止めは受けていないし、むしろ冒険者組合としても、イクス師には事態を把握しておいて欲しいだろうから。
イクス師はカップの茶に口を付けてから、大きく一つ溜息を吐く。
シャガルの賢者の学院では頂点に立つ魔法使いであっても、ゴブリンの大繁殖は溜息の零れる事態だった。
「もちろん要請が来れば、我々も協力は惜しまない。……けれども魔法使いの中には、魔法を使えてもそれを戦いに活かす術を知らぬ者も多いんだ。君のように、ワイバーンすら屠る魔法使いがいる一方でね」
その言葉には苦悩と、でも同時にどこか誇らしげな様子が感じられて、僕は少し照れてしまう。
何故ならイクス師が誇ってくれているのは、僕という弟子の活躍だから。
ただ、確かに戦いを知らぬ魔法使いの多さは、問題かもしれない。
例えばイクス師は、僕よりもずっと強大な魔法使いだけれど、戦いを生業にしてる訳じゃないから、戦えば条件次第では僕が勝つだろう。
具体的には、今、この瞬間に戦いが始まれば、僕は迷わずにテーブルを蹴り倒し、イクス師に魔法を使う暇を与えず、ナイフで刺す。
……いや、僕に恩師をナイフで刺せるかどうかはさておいて、そのように戦えば恐らく勝てはするのだ。
なので魔法を扱える事と、戦える事は、必ずしも一致はしない。
魔法は武器、或いは道具に過ぎず、それを活かせるかは使い手次第である。
別にそれは、戦いの場においてだけじゃなく、何時いかなる場面でもそうなのだけれど、魔法使いはついついそれを忘れがちになってしまう。
どうしても魔法は、特別な力であるが故に。
「君がもう少し賢者の学園で実績を上げてくれていたら、戦い方の講義をして貰うのも悪くはなかったが、今はまだ時期が尚早だね。……いや、でも冒険者としての名声は十分だから、依頼で君を招いて、冒険者として講義して貰うのはありかもしれないな」
賢者の学院には導師を目指す魔法使いも多くいて、その中には僕よりも実績のある魔法使いが幾人もいるから、今の僕が大勢を相手に戦い方の講義を行えば、その幾人かの反感を買うだろう。
だが冒険者として招かれれば、シャガルの町では、僕は名前の知られた冒険者の一人だった。
賢者の学院の魔法使いを相手に戦い方を語るには十分だし、冒険者としての活動は賢者の学院に対しての貢献、実績とはならないから、その幾人かの反感も買いにくい。
もちろん貢献、実績とならない代わりに、冒険者としての活動には報酬が支払われる。
「問題は今から始めたとして、ゴブリンの大繁殖に対して間に合うかどうかだけれど、やらないよりはマシだろうね。冒険者組合に対しての依頼は出しておくから、可能なら請けて、都合のいい日程を報せて欲しい」
イクス師の言葉に、僕は頷く。
確かに、本格的に戦い方の指導をしようと思うと、ゴブリンの大繁殖への対応には到底間に合いそうもないが、心構えを説くだけでも幾分は違うだろう。
一番拙いのは、目の当たりにした戦いに焦って、混戦状態の前衛を巻き込んで魔法を使ってしまう事だ。
僕の場合は魔法の矢なら狙った相手を外さない自信があるし、パーティの仲間もそれを理解して射線を開けてくれる。
しかし普通の魔法使いは混戦状態で魔法を使えば、仲間にあててしまう可能性があるし、即席で組む事になった前衛がどのように動くかも把握は難しい。
だからゴブリンに対して魔法を使うなら、前衛が接敵する前に使う必要があった。
これは少人数のパーティでも、大人数の隊、団、軍の規模でも同じだ。
前衛がゴブリンと接敵してしまえば、後はもう、次の戦いに備えて魔力を温存しておくか、プロテクションの魔法等で仲間を支援するかの二択が無難だろう。
並のゴブリンが相手なら、プロテクションの魔法で防御力が増すだけで、傷を負う可能性が大幅に下がる。
この事を知ってるだけでも、いざ戦いを前にして、おたおたと慌てたり、前衛を巻き込む形で魔法を使うというミスはしにくくなる筈。
「ただ、そうだね。教えるばかりじゃなくて、君自身の成長も必要だ。第四階梯の魔法を、早めにもう幾つか習得してしまいなさい。君の実力なら、第五階梯、上級魔法の習得許可は既に出していいと思っていたんだ」
でも続いたその言葉には、僕はちょっと驚いてしまう。
なんというか、そう、僕はもうそんなところまで来ていたのかと、意外に思ってしまって。
上級魔法。
何故、第五階梯以降がそんな風に呼ばれるのかというと、難易度が高いのはもちろんなのだが、非常に強力な効果を持つ魔法が増えるからだ。
例えば、精霊抑圧。
この魔法は自然を司る精霊という存在を押さえ付け、場合によっては消失させる効果がある。
具体的に何ができるのかといえば、まずは精霊魔法を打ち消せる他、精霊が司る自然物、土や水や火や風等も、消してしまえる力があった。
これは本当にとんでもない事で、以前に話した、神とは術式の真理を掴んだ者ではないかとの推察は、この魔法の存在がその所以だという。
自然に干渉し、その存在をなくしてしまえる魔法は、まさに真理の一端を垣間見せていると言っても決して過言ではないから。
ちなみにこの魔法があるから、エルフは真言魔法と、その使い手である魔法使いを嫌うのだけれど、……まぁ、エルフとはこの魔法がなくても分かり合えないだろうから、誤差である。
他にも術者の体を空に浮かべて移動させる飛行や、ミルコ・ロステも得意とする道具に魔法を込める呪文付与、全ての魔法に対する対抗手段である対抗呪文等の強力な魔法が、第五階梯には揃ってた。
もちろん、どうしてこんな魔法が上級魔法に類するのかって、妙なものもあるから、第五階梯の魔法とはいえ、全てが強力という訳でもないんだけれども。
その辺りは術式の洗練具合も関係するから、仕方のない話である。
しかし強力な魔法もあるからこそ、第五階梯以降の、上級魔法の術式を学ぶには、賢者の学院では導師からの許可が必要だ。
それを正しく扱える実力と、心が備わっていなければ、上級魔法の術式に触れ、学ぶ許可は下りない。
「第五階梯の魔法がゴブリンを相手に必要になるとは思わないけれど、こんな時だからこそ、歩みを止めずに前へと進みなさい。君なら上級魔法であっても正しく学び、扱えると、私は信じているよ」
そう言って、イクス師が手渡してくれた一冊の本は、第五階梯の魔法を習得する為の術式が記された、この賢者の学院でも一部の魔法使いしか手にできない魔導書だった。
どうやら、今日、僕を招いてくれた本当の要件は、これを渡す事だったらしい。
この人は、何時も僕の成長を願い、そして後押ししてくれる。
僕はイクス師に頭を下げながらそれを受け取って、どうにか胸の中から、絞り出すように礼の言葉を述べた。
感情が抑えきれなくて、その声は多分、とても震えていただろうけれど。