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大草原に暮らす部族が、西方諸国の人々のように一つ所に定住しないのは、家畜に食わせる草が絶えないよう、新しい餌場を求めて移動する必要があるからだ。
だが、実のところ、それだけが理由という訳でもなかった。
家畜に餌を食わせる為だけならば、定住する方法はある。
実際、西方諸国の一部の地域では、多くの家畜を世話しながらも、一つ所で暮らしてる人々だっているのだから。
では何故、草原の部族は移動をしながら暮らすのか。
一つ所に留まった方が、住居も頑丈で快適な物を造れるし、力を、文化を、蓄える事だってできるのに。
その理由は、とある脅威から逃げる為だ。
これは、部族で一人前とされる男の殆どが、狩人であり、また戦士だとされる事にも関りがあるのだが、草原で暮らす人間は、常にケンタウロスを恐れて、一つ所に留まらずに生きていた。
何年かに一度くらいの頻度で、ケンタウロス達は草原に住む人間を狩りに来る。
当然ながら人間側も抵抗して、弓を手に取り、馬に乗って戦うが、……善戦したって話は幾つも耳にしたけれど、草原の人間がその戦いに勝利したという話は、残念ながら一度も聞いた事がない。
人が馬を心を合わせて思い通りに操る理想の状態を、人馬一体と言うそうだが、ケンタウロスは正にそれを体現した存在だった。
馬に乗って弓を手に、……つまりケンタウロスと同じ条件で戦う以上、生まれついての人馬一体である彼らに勝利は不可能だ。
故に人間の戦士の役目は、善戦して、少しでもケンタウロスに被害を与えて、部族の者達が逃げる時間を稼ぐ事。
僕の生まれた風切る翼の部族がケンタウロスに狙われたのは、確か僕が五歳の頃。
部族の戦士の半分がケンタウロスの足止めをする為に戦いを挑み、僕らは逃げ切る事ができたけれど、足止めに向かった戦士は誰一人として帰ってこなかったのだ。
その中の一人が、僕の血縁上の父親で、それ以降は僕と母の面倒は、部族の族長がみてくれていた。
足止めに、成功しない場合もある。
別の部族、地を這う牙の部族は、戦士達が足止めに失敗して、多くの女子供がケンタウロスに攫われたらしい。
半壊した地を這う牙の生き残りは、他の部族に合流したけれど、数を増やせばまた独立して、地を這う牙を復活させるのだろう。
そう、人間が部族単位に分かれて暮らし、一つ所に集まらないのも、ケンタウロスに襲われた際に、多くの犠牲者が出る事を防ぐ為だった。
集まって数を増やして抵抗しても勝てないと、草原の人間はそう考えてしまっているから。
攫われた人間が、どうなるのかは不明だ。
何故なら誰一人として生きて帰ってきた者がいないから、その結末が人間側には伝わらない。
ただケンタウロスが人間を襲うのは、奴らの信仰する宗教に関わりがあるという事だけは、わかってる。
だから部族では、攫われた人間は奴らの神に心臓を抉り出して捧げられ、肉体はケンタウロス達に貪り食われるのだと、そんな風に考えられていた。
西方諸国では、ケンタウロスは人の一種だとされるけれど、僕はそんな風に思っちゃいない。
ケンタウロスは人なんかじゃなく、性質の悪い化け物、魔物である。
僕が魔法を研究するのは、それが好きだからというのもあるけれど、恐らく心のどこかで、ケンタウロスを草原から駆逐してしまいたいって思っているからだろう。
弓の射程よりも遥かに遠くから射殺してしまえば、人馬一体も関係がない。
魔法の矢は、そしてそれを遠くからでも命中させられるようになる照星は、ケンタウロスを殺すのに最適の魔法なのだ。
「……我が矢は、常に狙い違わず敵を貫く。照星」
大きめの魔石を一つ使い潰して、僕は未完成の照星の魔法を行使する。
未完成と言っても、目的とする効果はちゃんと発動するところまでは既にできていた。
問題は、魔法の矢を必ず命中させるだけの効果しかないのに、魔石を潰しながらじゃないと使えないという必要な魔力の多さや、効果時間。
僕は照星の魔法をかけた的に向かって……、というよりも的をわざと外すように、何時もよりもずっと雑に魔法の矢を放つ。
けれども放った矢は、狙いを違えて、正しく魔法の効果通りに、的の中央に吸い寄せられてそれを貫く。
以前よりも少し術式を整理して、必要な魔力を軽くしたけれど、発動した効果は変わらなかった。
つまり、軽量化は成功だ。
もちろん、まだまだ使い物になるような魔法じゃないけれど、確実に一歩はそれに近付いたと思う。
更に僕は、効果時間を図る為に、十数えるごとに一回、魔法の矢を適当に放っていく。
すると四発目で、魔法の矢は的を外した。
要するに今の照星は、効果が三十数える程度にしか保たない。
百とは言わずとも、六十を数えられるくらいには、効果時間を伸ばしたいから、……そちらに関しても工夫が必要か。
ミルコが自分の魔法の術式を陣に描いて見せてくれたお陰で、僕も照星の魔法を少しだけ軽くする事ができた。
彼がそうしてくれたのは、イクス師から話を聞いたからだという。
イクス師は、僕がどうして照星という魔法を造ろうとしているかを、知っている。
僕が魔法が好きで、特に魔法の矢に魅了されているという事も、同時に、ケンタウロスを憎んでて、それを滅ぼしてしまいたいと考えているというのも。
どちらも。
師匠であるイクス師と同じ回帰派ではなく、僕が革新派に身を置くのは、……実のところ革新派の方が、軍との関係が近いからだ。
より攻撃的な魔法を求めて、軍は革新派の中でも攻撃魔法を研究する魔法使いには、特別に支援を行っている。
照星の魔法を完成させたからと言って、シュトラ王国の軍が大草原に攻め入ってケンタウロスを滅ぼしてくれたりはしないだろうけれど……、少しでもそれに近付く場所にいたいから、僕は革新派に身を置いていた。
イクス師はそんな僕を心配しつつも、しかし否定する事なく、黙って見守ってくれている。
いや、それどころか、何かにつけて、ミルコにそう働きかけてくれたように、後押しさえしてくれていた。
そんな恩師を心配させてる自分を、僕はとても不甲斐なく思う。
けれども今は、僕は前に進むしかない。
力を蓄えて一歩ずつでも前に進まなければ、世界は理不尽に満ちているから。