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シャガルの町を出て十日程進めば、シュトラ王国の最北端である、ホルム砦に到着する。
北の山脈までは、つまり目的地である黒鉄の国までは更に北へと数日かかるが、ホルム砦はシュトラ王国が、これ以上北の地の領有は危険過ぎて不可能、或いは割に合わないと、諦めた区切りの場所だった。
なので、これまでは街道沿いの村で休む事ができたけれども、ここから先には人間の築いた村が一つもないので、ドワーフの地下道に入るまでの数日は、野営をして夜を過ごすより他にない。
要するにここからの数日間は、これまでよりも遥かに危険で、気の休まらない場所を進むのだ。
尤も、商人や馬車を守らなきゃならないって事を除けば、僕らだって冒険者をしている以上は、危険な場所での野営も当然ながら経験はあった。
村はなくとも道はあるから迷う心配がない分だけ、何もない野外よりはずっとマシにも思える。
野営をする際、一つの大きな選択となるのが、火を使うか否か。
これは別にどっちが正解とかじゃなくて、どちらも一長一短というか、正しくは火を使う事にはメリットとデメリットの両方がある。
火を使うメリットは、明るさで視界が確保でき、夜の寒さを温かさでしのげ、火を通した食べ物が得られ、火を恐れる生き物を遠ざけられる事だ。
ではデメリットは何かと言いうと、火を恐れない生き物に関しては、むしろ引き寄せてしまう危険があった。
こちらの視界が確保できる以上に、闇夜の火は遠くからも目立つ。
更に物が燃える際にはどうしても匂いが出てしまう。
食べ物に火を通す場合は猶更だが、そうでなくとも木々が燃える匂いだけでも、獣の類は敏感に反応するのだ。
そして場合によっては、その近寄ってくる何かが、火の傍には人がいると理解してきている場合もある。
例えば、それが賊の類だったら、野営の焚火は人のいる証だと確実に理解してるだろう。
そりゃあ賊も人ではあるから、当たり前の話だ。
また知能がそれなりに高い魔物も、以前に火の傍で人を襲った事があったなら、これは近くに人がいる目印だと理解してる場合があった。
この辺りにはもう賊はいないが、けれどもその代わりと言っては何だが、火を恐れない魔物は確実にいる。
その代表が、自身も火炎弾を吐くワイバーン。
強力な炎を攻撃に使う魔物が、野営で使う焚火ごときを怖がる筈もない。
ワイバーンを恐れる魔物だったら、焚火から火炎弾を連想し、恐れて遠ざけられるかもしれないけれど。
まぁ、長々と並べたが、この辺りで火を使うと、魔物が寄ってくる可能性は低くなかった。
だから本来は、この辺りでの野営は火を使わずに、息を顰めるようにして夜をやり過ごすのが正解である。
ここにいるのが冒険者だけなら、僕らは迷わずそうするだろう。
だが八台もの馬車を牽いてきた多くの馬や、更に十六人もの商人が一緒にいると、彼らを安心して休ませる為には、火はどうしても必要だ。
故にグルーズ達は馬車をぐるりと円形に配置し、その内側の焚火を作って、商人や馬を休ませる。
馬車を周りに配置するのは、少しでも焚火の光を遮って目立たないようにする為と、もしもの際には馬車を防壁として使えるようにか。
ある程度の破損なら、馬車は資材を使えば修理は可能だが、馬が襲われて死んでしまえば、馬車を動かせなくなってしまう。
商人も、黒鉄の国に向かう隊商に入ってるだけあって、荒事には慣れてるし、覚悟も決まってはいる様子だけれど、彼らが傷付けば僕らの報酬は減額される。
故にこの野営では、馬車が傷付く恐れがあっても、馬と商人を朝まで守る必要があった。
馬車の屋根を見張り台替わりに腰かけて、僕らは交代で外側を見張る。
見張りは一度に八人ずつの二交代で、僕らのパーティは前半の担当だ。
闇に紛れて寄ってくる魔物を見逃さないよう、二人ずつのペアにわかれて四方を見張る。
尤も僕のところだけは、夜は飛べないシュイを僕が膝の上に抱えているから、二人と一匹になるけれど。
「ねぇ、リュゼ、ドワーフの国って、どんなところかな?」
僕のペアはステラ。
まぁ、これは普段の、僕らのパーティだけで野営をする時も割とそうだ。
草原で育ち、多少の斥候の心得がある僕は、見張りはそれなりに得意である。
盗賊であるパーレには敵わないけれど、僕らのパーティじゃ二番目だった。
しかし僕は近接戦闘能力には欠ける為、……いや、一応はナイフを使っての格闘戦なら、少しはできなくもないんだけれど、魔物と戦える程じゃないから、戦士であるステラと一緒に見張る事が多い。
僕もルドックも、二人ともが魔力を大きく消耗していた場合は、パーレとステラがペアになって見張りをして、先に寝た僕らは魔力を回復させてから後半の見張りをするってパターンもあるけれど、それは本当に稀である。
「地下にあるって言うからなぁ。朝とか夜は関係ないよね。でも鍛冶が盛んっていうから、賑やかそうな気はするなぁ。常に火の明かりが絶えなくて、暑くて物に溢れてるんじゃないかな?」
僕は本当に、いい加減で適当な予想を口にした。
ちなみに絶対にあたっていない自信はある。
何故なら、僕は全く異なる環境で暮らす人の生活は、想像とは全く異なるって、身を以て知っているから。
草原で暮らしてた時の僕、遊牧民が想像した定住する民の生活と、実際に目の当たりにして、その中に混じって経験した西方諸国の人々の暮らしは、まるで別物だったし。
地下で生きない僕達が、地下に生きるドワーフの暮らしを想像したところで、禄に掠りもしないだろう事は、そんなのは当たり前だ。
ステラだって、この話が何かの参考になると思ってる訳でもないだろう。
ただ、気を紛らわせる為の、ふと口から零れた、思い付きの話題。
「鍛冶って、外に炉の熱が逃げない場所でするってラグズさんは言ってたから、むしろ薄暗い場所かも。洞窟みたいに、ヒカリゴケがいっぱい生えてたり」
ステラは小さく首を傾げながら、そう言葉を返す。
ラグズというのはパーレの飲み仲間で、ステラの鎧を強化してくれたドワーフだ。
本当に、他愛のない話。
だがその時、ピクリと僕の膝の上で、シュイが身じろぎをした。
あぁ、大丈夫、僕もついさっき、それに気付いた。
僕がシュイを膝から下ろして立ち上がると、同じくステラも立ち上がって剣を抜く。
彼女の場合は、僕とシュイの動きに反応して、敵が接近してるのだと理解したんだろうけれど、その動きは迷いなく、素早い。
「新月虎だ」
僕は小さくその名を呟き、魔法を放つ動作に入る。
それは、闇夜に紛れる事を得意とする、真っ黒な体毛の虎の魔物の名前だ。
大きく力が強く爪牙が鋭い上に動きも素早くて、更に狡猾かつ好戦的。
名前の通りに新月に襲ってきてたら、見つけるのは難しかったかもしれないが、今日の月なら、僕の目はその姿を見逃さない。
間違いなく、焚火の傍には人がいると理解して、一人か二人を食らう心算で忍び寄ってきてるのだろう。
幸いなのは、新月虎は群れではなく、単独で行動する魔物って事だった。
もちろんそれは基本的にそうであるってだけで、子育て中なんかは幼体を引き連れてるし、近くに番がいる場合もあるけれど、今回はその例外側じゃなくて単独だ。
これ以上は言葉に出さずとも、ステラは僕の意図を察して準備動作に入ってる。
僕らに自分の存在がバレたと新月虎が察した瞬間、闇夜を切り裂き飛来した魔法の矢は真っ黒なその体毛に突き刺さり、ついで魔法の矢という目印を得たステラの、馬車の上から跳躍して行われた大上段の一撃が、ざくりと新月虎の身体を切り裂き、抵抗の余地なく敵を仕留めた。




