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僕らがワイバーンを討伐してから、一ヵ月が過ぎる。
その間は特に、これといって変わった出来事もなかった。
というのも、流石に大仕事の後だからってのもあって、ワイバーンの鱗を使ったステラの鎧の強化が終わるまでは、冒険者としての勘が鈍らない程度に軽い依頼は請けるにしても、訓練や魔法の研究等、町での活動を優先しようと決めたから。
ワイバーンを倒した僕らを指名して依頼したいって話はあったらしいけれど、それはもう最初から冒険者組合の方で、装備の更新を理由に断って貰った。
実際、ステラの鎧は強化のために鍛冶屋に預けっぱなしだし、ワイバーンの毒針を使ったパーレ用の突剣も制作して貰ってる最中だ。
簡単な依頼なら、ステラが予備の革鎧を着込んで請けられるけれど、ワイバーンを討伐した僕らをって指名してくる依頼が、簡単である筈もない。
一旦話だけでも、なんて風には言われるけれど、僕らの性格上、聞けばどうにか請けられないかって考えてしまうから、最初から話も聞かないくらいが丁度いいだろう。
さて、しかし今日はそうした簡単な依頼でも、魔法の研究でもなくて、僕は同じ革新派である、ミューリの部屋で茶を飲んでいた。
彼女は、そう、幻蛾の鱗粉の残りを売ってやった、幻影の魔法を研究してる魔法使いだ。
ミューリは元々は画家を志していたそうだが、魔法使いとしての才能を見出され、また彼女自身も魔法に新たな可能性を見出して、賢者の学院に入ったという。
年齢は僕より四つ上の二十歳。
その若さで魔法の研究を本格的に進め、成果を出せる魔法使いは滅多にいないから、ミューリは賢者の学院内では若き才媛なんて風にも呼ばれてる。
尤も、それを僕が言うと、君だけには言われたくないって彼女は怒るんだけれども。
今日のお茶会の名目は、お互いの魔法の研究に対する意見交換だった。
とはいえ本当にこれは名目だけで、実態は自分の研究はここまで進んだぞって自慢である。
魔法の研究の話は、前提となる知識がない者に話しても、どう凄くて、どんな苦労をしたのかは、何一つとして共感して貰えないだろう。
しかし魔法の前提知識がある、他の魔法使いにうっかりと研究内容を話すと、それを自分の物とされてしまう恐れがあるから、正式に賢者の学院に研究成果を提出するまでは、迂闊な事は口にできない。
ただ僕もミューリも、自分の惚れ込んだ魔法を見つけてしまったマニア、フリーク、フェチなので、できれば誰かに話を聞いて欲しいって、習性がある。
話を聞いて貰えると、自分の研究に対するモチベーションが上がったり、話してる間に頭の中が整理されて、改善点を思い付いたりもするし。
僕の場合はイクス師が、派閥が違うにも拘らず話を聞いてアドバイスをくれたりするんだけれど、ミューリは賢者の学院で学んではいても、導師の内弟子にまではなってない為、そうして心を許して話せる相手がいない。
唯一の例外は、自分とは全く別の魔法に惚れ込み、それ以外を研究する気が全くない、ミューリの研究成果を自分の物にする意味がない、僕だった。
故に僕らは時折こうして意見交換という名のお茶会を開き、自分の魔法の研究を相手に語る。
時には相手の欲する素材が手に入ったからと取引をしたり、思い付いた案をアドバイスとして口にしたりはするけれど、基本的には聞くだけ、話すだけの、気楽で緩い関係だ。
「譲って貰った幻蛾の鱗粉を使った実験の申請が先日漸く通ってね。罪人を水に溶かした幻蛾の鱗粉で酩酊させてから、幻影で作った形ばかりのゴーレムに殴らせたんだ。するとどうなったと思う?」
にこにこと上機嫌で、ミューリは僕に問う。
恐らく彼女の望んだとおりの結果が出たのだろうとは思うが、それが何なのかはわからず、僕は首を横に振る。
いや、それにしてもあの幻蛾の鱗粉、人体実験に使われたのか……。
攻撃魔法に関する研究をしてる僕が言えた義理じゃないけれど、ミューリも大概、業の深い魔法使いだ。
「それがね、実体のない幻影に殴られたにも関わらず、大きく吹き飛んで気を失ったんだよ。驚いて転ぶなんてのとは、明らかに違うくらいに、ドーンってね」
彼女にとって、僕が正解を言い当てるかどうかは然程に重要じゃないらしく、機嫌よく話は続く。
あぁ、でもそれは、確かに面白い結果だ。
幻影が迫って、驚いて転ぶというならわかるけれど、吹き飛ぶ力は一体どこから出て来たんだろう。
考えられるとしたら、その罪人が自分で後ろに吹き飛んだって事になるんだけれど、一体何の為に?
「恐らく幻蛾の鱗粉で夢現になった罪人は、幻影に殴られた感触を実際に味わったんだろうね。ほら、夢でも感覚のある夢って、あるだろう?」
ミューリの言葉に、僕は頷く。
僕は今でもたまに故郷の夢を見るけれど、その夢の中では、何時も草原に吹くあの風を感じるから。
彼女が言ってる事は、なんとなくだが理解できる。
人には、自分が本物だと思い込んだものを、真実にする機能があるのかもしれない。
夢の中で体に受ける風は、僕にとっては間違いなく本物だった。
「だから幻蛾の鱗粉の効果をうまく再現できれば、人は幻影を実体のあるものとして捉えられるようになるかもしれない。例えば幻で生み出した理想の異性と交わったり、幻の水底を泳いだり」
……なるほど。
理想の異性に幻の水底か。
なんというか、ミューリらしいなぁと思う。
彼女は、魔法使いであると同時に、芸術家だ。
僕が冒険者をしながら研究費を稼ぐように、ミューリは芸術家として、魔法を使用して制作した絵画や彫刻を貴族や豪商に売る事で、研究費を稼いでる。
口さがない者は、彼女が貴族や豪商の愛人として支援を受けてるなんて風にも噂するが、それはミューリの金回りの良さに対する妬みが生んだ、歪んだ物の見方に過ぎない。
彼女の作品のファンは王都にも、或いは国外にもいるそうで、それは作品を出す度に増え続けていると聞く。
「うぅん、理想の異性はともかく、幻の水底は泳ぐんじゃなくて、息をする事を忘れて死ぬんじゃない?」
まぁそれでも僕にとってミューリは、賢者の学院の同輩で、少し変わり者の友人だ。
彼女の研究の進み具合がいいと、少しばかり妬ましくはなるけれど、それが自分の研究を進めるモチベーションにもなる。
恐らく、ミューリにとっての僕も、同じようなものだと思う。
「あぁ、そうかもしれないね! それはそれで興味深いけれど、参ったな。私は別に攻撃魔法を作りたい訳じゃないんだが……」
ふと、思い付きを口にした僕に、彼女はハッとした顔になって、ブツブツと何かを考え始めた。
ミューリはその水底を、一体誰に見せたいんだろうか。
魔法使いにして芸術家でもある彼女の頭の中は水底よりも深いから、僕にはとてもじゃないが底は見えない。
恐らくミューリにとって幻影の魔法は、広く深く複雑な彼女の頭の中身を、外に映し出す表現の方法なのだ。
もしミューリが理想とする幻影の魔法が完成したなら、その時は、一番とは言わず何番目でも構わないから、彼女の頭の中にある世界を、見せて貰えたらいいなと思う。
尤も、自分が求める魔法を完成させるのは、僕の方が先になってみせるけれども。