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カンカンと、夕暮れの村に鐘の音が鳴り響く。
それは緊急事態を告げる鐘の音で、それを聞いた村人達はすぐさま近くの家へと、そこが自分の家であるか他人の家であるかは関係なく、飛び込んで避難した。
ワイバーンが再び村に飛来したのは、その日の夕暮れ時。
恐らく馬を巣に持ち帰ったワイバーンは、それを平らげて一寝入りし、半日ほど眠ってから、再び小腹を満たしにこの村に来たのだろう。
やはりワイバーンは、この村を手軽な餌場と認識したのだ。
けれども、ワイバーンにとっては手軽な狩りの心算だったんだろうけれど、これから始まるのは防衛戦である。
僕らにとっての幸いは、ワイバーンとの戦いの舞台が、この村になるとわかっていた事。
そして半日とはいえ、襲撃に備える時間はあったから。
速やかに家の中に避難した村人は、ワイバーンから見ると餌が巣に逃げ込んだように見えるだろう。
そうなると次に取るであろう行動は予想が付く。
翼をはためかせて上空に留まりながら、ワイバーンは大きくその口を開いた。
ドラゴンが炎のブレスを吐くように、ワイバーンは口から火炎弾を吐く事ができる。
何でもワイバーンは、体内に良く燃える粘液を分泌、貯蓄しておく火炎袋と呼ばれる臓器を有していて、その粘液を口腔内に溜め、牙を鳴らして着火して、火炎弾を放つらしい。
つまりは、あまり気持ちはよくない例えだけれど、今のワイバーンの仕草は、人が痰を吐く前に取る仕草と同じようなものだ。
要するに、隙だらけって事である。
今回、僕らは総力を挙げてワイバーンを討ち取ると決めた。
だから物を損耗する事に関しては、もう一切の躊躇いがない。
僕は先日手に入れたばかりのチャージディアの魔石を握り潰して、溢れ出た魔力を使い、矢を放つ。
普段、自分の魔力だけで放つそれよりも、ずっとずっと太くて大きく、強い魔法の矢に、今回は炎の属性を付与して。
狙う場所はシビアだが、もちろん外す筈がない。
狙った相手はあんなにも隙だらけで、そしてこの魔法の矢に関しては、他のどんな魔法使いよりも、僕が、僕こそがスペシャリストだ。
僕の放った魔法の矢は、火炎弾を放とうとするワイバーンの口の中に飛び込んで、ドンッ!とそこで爆発を起こす。
魔法の矢に付与した炎の属性が、ワイバーンが口腔内に溜めつつあった粘液に反応したのだ。
油断していたワイバーン、想定外の衝撃に一瞬意識を失って、そのまま地へと落下する。
落ちるワイバーンを受け止めたのは、村のあちらこちらに設置された、鋭く尖った逆茂木だった。
今日、大急ぎで村人達が林の木を切って、それを尖らせて組んだ代物だ。
幾ら尖っていても所詮は木だから、ワイバーンの鱗を貫いたりはできないけれど、それでも巨体に押し潰されながら、鱗に比べればずっと脆弱な皮膜を大きく傷つける。
更に、
「くらえバーカ」
至極シンプルなパーレの罵倒と共にワイバーンの顔面に投げつけられたのは、口の開いた革袋。
そしてその中身は、これまた先日手に入れたばかりの、幻蛾の鱗粉だった。
身体が大きく、また自身が毒を扱うワイバーンは、人間とは比べ物にならないくらいに、状態異常への耐性を持っている。
しかし意識が朦朧とした状態で、群れ一つから採れた幻蛾の鱗粉、その半分以上を顔の近くで撒き散らされて吸い込んだなら、流石に完全に無効化はしきれまい。
そこに切り込むのが、布で口元を覆ったステラだ。
彼女の剣は隙を晒すワイバーンの、翼の被膜を大きく切り裂く。
意識を朦朧とさせ、鱗粉に酔ったワイバーンが目覚める前に、その飛行能力を削ぐ為に。
尤も幾ら口元を隠したところで、ワイバーンの間近で激しく動き回っていれば、幻蛾の鱗粉を吸い込む事は避けられない。
それでも僕らが敢えて幻蛾の鱗粉を使ったのは、
「神よ、我が友の身体より不浄なる穢れを祓い、正常なる働きを取り戻し下さい」
解毒の魔法を使える僧侶、ルドックの存在があったから。
幻蛾の鱗粉を吸い込んでも、その効果が発揮される前にルドックがそれを癒したら、ステラは何も気にする事なく存分に戦い続けられる。
ルドックの魔力も無限じゃないが、解毒の魔法に必要な魔力はそこまで多くないとの事だから、幻蛾やゴブリンの、小さな魔石でも賄えた。
やがてワイバーンは我に返るが、その頃にはもう皮膜はボロボロで、飛行能力は残っていない。
飛行能力さえ奪ってしまえば、ワイバーンの脅威は大きく減じる。
毒針の付いた尻尾を振り回すにしても、横殴りにしか使えなくなり、また地に脚を付けて身体を支える必要があるから、二本の脚はもう攻撃には使えないだろう。
自在に動いて攻撃をできるのは、長いその首のみだ。
火炎弾も、懐に飛び込んだ相手に使える攻撃ではなく、距離を取る為の翼がなければ、その恐ろしさは半減している。
だがそれでも、大きな身体で暴れるワイバーンは、僕らにとって脅威だった。
質量が圧倒的に違うから、ワイバーンの身じろぎに当たっただけで、ステラは大きく弾き飛ばされてしまう。
重い鎧を着こんで、気功で身体能力を強化してる彼女でさえそうなのだから、僕がワイバーンと接触したら、それこそぐちゃぐちゃになって弾け飛ぶ。
「神よ、我が友に癒しの奇跡を!」
「魔力よ、雷となりて敵を討て!」
ルドックの回復魔法がステラが負った傷を癒し、大蛙の魔石を握りつぶした僕のライトニングの魔法が、ワイバーンを貫く。
パーレの投げナイフがワイバーンの口に飛び込んで火炎弾による攻撃を邪魔して、ステラはワイバーンの猛攻を一身に受けながらも、それを躱して、反撃の刃で命を削る。
僕らがやってるのは、殺し合いだ。
痛み分けなんてものはない。
もしもワイバーンを逃がしたならば、討ち取る好機は二度とないだろう。
それがわかってるからこそ、消耗を厭わず総力を挙げて確実に殺しに掛かってるし、ワイバーンもそれを感じ取っているから、自分が不利でも背を向けて逃げ出そうとはしなかった。
背を向ければ、その瞬間に殺される可能性が高いと、ワイバーンもわかっているから。
削り合いの末、僕の絞り出した最後の魔力を使った魔法の矢がワイバーンの片目を貫いて、痛みに振ったその頭を、ステラの剣が顎下からずぶりと貫く。
切っ先は恐らくワイバーンの脳に達して、その息の根を止めた。




