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宙に浮かばなければ、それからわずかに姿が透けていて、その向こう側が伺えなければ、彼が霊であると認識する事は難しかった。
それくらいにそのレイス、ミルコ・ロステは生前の姿を保ってる。
話し方から察するに、理性の方も同じく、生前と比べて殆ど損なわれていない様子。
……それにしても、同輩か。
ミルコにとっては同じ魔法使いってくらいの意味だったのかもしれないが、実力が上で、また圧倒的に年上の彼にそう言われるのは、なんとも座りが悪くなる。
「ミルコ・ロステ師に同輩と言われる程の者ではありませんが、確かに私は賢者の学院に籍を置いています。我が師はロジータ・イクス導師。ロステ師とは同門の繋がりがあると、師より伺っております」
ただ、向こうから話をしようと言ってくれたのは、非常にありがたい事だった。
僕は精一杯に言葉を選んで、口調にも気を付けながら、ミルコに自分と彼の繋がりを伝える。
少しでも、こちらに対して親しみを持ってくれれば、その未練を聞き出して、戦う事なく事件を解決できるかもしれないから。
僕ら四人で戦えば、恐らく負けはしないだろう。
一度目の前に立ってしまえば、僧侶のルドックは霊に対して圧倒的に強い。
幾ら相手が格上であっても、相性の差で勝ち切れる。
しかしその場合、僕らも無傷という訳にはいかなかった。
冒険者なんて仕事をしていても、いや、冒険者なんて仕事をしているからこそ、避けられる怪我はなるべく避けたい。
「師はやめよ。所詮儂は、導師になれなかった男よ。しかしそうか、イクス導師の……。話は聞いた事があるな。草原から連れ帰ったという自慢の秘蔵っ子か」
僕の言葉を聞いたミルコの雰囲気は、格段に柔らかいものに変わった。
彼との繋がりは、……僕の師であるイクス師の、更に師の、もう一つ重ねて師にあたる魔法使いに、ミルコも学んだという、かなり遠く薄いもの。
けれどもそんな薄い繋がりであっても、彼が親しみを持つには十分だったらしい。
……それにしても、僕の事を知っているのか。
いや、秘蔵っ子って表現が、僕を正しく表しているかどうかは、ちょっと自信が持てないけれど。
「では失礼ながら、ロステ殿と呼ばせていただきます。今日は冒険者として依頼を請け、この屋敷に起きる異変を解決しにまいりました。ロステ殿は、一体どうしてそのように迷われ、レイスとなられてしまったのでしょうか?」
今が機だと見計らい、僕は要件を告げて、どうしてレイスと化したのかと、ミルコに問いかける。
彼の態度は和らいだが、それでも戦わずに済むかどうかは、まだわからない。
僕らは屋敷の異変を解決しろとここに送り込まれた冒険者だから、ミルコの抱えた未練を祓えなければ、強引な手段を取らざる得ないのだ。
既にこれだけ話してて、相手に話も通じるとわかって、その上で力に訴えるのは、実に気が進まないが、それが僕らの仕事だった。
「……ふん、リスケラの奴か。この屋敷は弟が、ミケルが儂の為に手に入れてくれたものよ。幾らリスケラがミケルの子でも、何の権利もない筈じゃが?」
するとミルコは少し気分を害したようで、口を尖らせてそんな事を言う。
えっと、今出た名前は、リスケラはロステ家の今の当主で、ミケルが前当主のものである。
つまりこの屋敷は弟が自分にくれたものだから、その弟の子であっても、屋敷の所有権はない筈だと、そんな風に言ってた。
うーん、ちょっとこれは、僕じゃ無理だな。
ちらりとルドックを窺えば、彼は一つ頷いて、一歩前に出る。
「失礼、話に入らせていただきます。私は僧侶のルドック。ミルコさんのお言葉に関しては残念ですが、シュトラ王国では死者に財産の所有を認める法はなく、ミルコさんが亡くなった時点で、屋敷の権利は親類であるリスケラ・ロステに受け継がれてしまっています」
シュトラ王国の出身じゃなく、魔法使いという特殊な立場にある僕は、世俗って言い方をするとあれだけれど、法律にはちょっと疎い。
僧侶のルドックも特殊な立場ではあるんだけれど、神殿を手伝う彼は人の相談を受ける事も多いから、そちらの知識も豊富だった。
もちろん、僕だってゴーストやレイスが屋敷の所有者を名乗っても認められない事くらいはわかるけれど、それをちゃんと言葉にして否定をできないから、こうした時はやはりルドックが頼りになる。
「まぁ、そうじゃな。儂が直接話を付けるからリスケラを連れてこいといっても、小心者のあやつは儂の前にはこんじゃろうしの……」
ルドックの言葉にも、ミルコは怒り出したりはせずに、一つ溜息をはいて、それを受け入れた。
本当に、驚くくらいに理性的だ。
彼は既にレイスだけれど、下手をすれば生きた人間よりも、よっぽど話が通じる。
冒険者なんてやってると、言葉は通じても話の通じない人間にも、いやって程に出会うから、余計にそう思ってしまう。
「ではぬしらには手間をかける事になるが、リスケラにこう伝えてくれ。生前に儂が作った品を幾つか譲ってやるから、この屋敷はもう暫く放っておいてくれと。どうせ、あいつの事だから、王都での商売が上手くいかんで、儂の遺品が欲しくなったんじゃろ」
そしてミルコから出てきた提案、恐らく彼にとっての妥協案は、非常に穏当なものだった。
僕らは、ミルコ・ロステとリスケラ・ロステが、叔父、甥の関係である事以外、どんな仲だったのかは知らない。
彼の物言いは、甥に対しては少しばかり辛辣だけれど、それでもどこかに甘さ、恐らくは親類に対する愛情を感じる。
一度引き返して、冒険者組合を通じて提案してみる価値は十分にあるだろう。
……しかし、それにしても、『もう暫く』か。
つまりミルコは、自分の未練は自分でどうにかする心算らしい。
その後ならば、甥にこの屋敷を譲ってもいいと、そんな風に言っていた。
となると気になるのは、こんなにも冷静な彼が、一体どんな未練を持ってるのかって事である。
「これは依頼を請けた冒険者ではなく、僧侶としてお聞きしたいのですが、……迷いを抱えた霊が地上に留まるのは、決していい事ではありません。それでもここに留まりたい理由は、一体何なのでしょうか?」
僕と同じ事を、どうやらルドックも気にしたらしく、あぁ、いや、或いは僧侶としては、やはり一刻も早く迷える霊を祓いたいのか、彼はそんな風に、ミルコに問う。
すると、ミルコは何故だかチラリと僕の方を見て、少しばかり気まずげに、もしくは恥ずかし気に、
「儂は、弟の商売に協力して、ロステ家を大きくした。その事に後悔はないんじゃが……、同時にどうしても思ってしまうんじゃ。もしも儂が、儂の道を歩む事に専念すれば、魔法使いとしての憧れであった導師にはなれたんだろうかと。いや、要するに、儂は、生きてる間は手が届かなかった導師に、今もなりたいと思っておるんじゃ」
彼の未練を口にした。
……なるほど。
ミルコは、自分がただ一人の魔法使いとして生きたなら、恐らく手が届いたであろうという導師という立場、称号に、未練を持っていたのか。
実際、彼の兄弟子は導師になって、更にその弟子のイクス師だって、導師になってる。
だったら自分も或いはと、考えずにはいられなかったのだろう。
「もちろんわかっとる。導師と認められるには、魔法使いとしての実力以外に、賢者の学院での功績が必要だと。これまでは幾ら生前に取り寄せた古文書を読み解いても、どうにもならなんだ。……しかし、今ここには、賢者の学院と儂を繋げる若者が一人、おるじゃろう?」
そう言って、ミルコは僕を見て、実に嬉しそうな笑みを浮かべた。
あぁ、僕に対して、彼の態度が柔らかかった理由はこれか。
いや、それが実現するかどうかはわからないけれど……、なんとも興味深い、面白い話になってきた。