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僕ら魔法使いが使う真言魔法は、生き物の体内に眠る魔力というエネルギーに働きかけて、イメージと術式で定めた現象を起こす魔法である。
まぁこんな風に言ってもよくわからないと思うが、正直、僕も何故どうしてそうなるのかは、上手く説明できない。
ただ、一般の人がどうして火打石を使えば火花が散って着火できるのか、それを説明できずとも経験則でそれを知って使っているように、魔法使いも己が使う魔法の全ては知らぬままに、それを使っていた。
まぁ、だから魔法使いなのだ。
その原理、真理を探求しつつも未だそこに辿り着けず、経験という名の石を積み上げながら何時かそれが天に届くと信じ、今はただ魔法を使うだけの者。
魔法使いの目的は、どうしてこの術式に対して魔力がこの反応を示すのか、一体魔力とは何なのか、その真理を掴む事だとされている。
或いは、……これは僧侶が聞くと、僕と仲の良いルドックだって、激怒するだろうけれど、その真理を掴んだ者達が、今は神々と呼ばれているんじゃないかと、推測もされていた。
真理を掴めば、魔力を用いる事であらゆる現象は、己の手の内となる筈だからと。
賢者の学院に二つの派閥があると言ったが、どちらも真理を掴む事が目的であるのに変わりはない。
単に手段が違うだけで、古代魔法王国期の魔法使いは、今の自分達よりも真理に近かった筈だからと、彼らの知識を求めるのが回帰派で、既存の魔法を改良したり、新しい魔法を作り出して術式に対する知識、経験を増やして真理に近付こうとするのが革新派なだけだ。
イクス師曰く、回帰派と革新派は、賢者の学院の両輪だという。
片方だけでは時に空回りして先に進めなくなってしまうが、両輪が揃って回ればその状況を打破して前へと進める。
予算を巡って争う事もあるけれど、どちらも欠かしてはならない存在なのだと。
もちろん真理を掴むのが魔法使いの目的だというのは、例えば医者の目的は人を救う事であるといったような、大きな括りの話である。
別に僕を含めて魔術師の殆どは、自分が真理を掴めるなんて思って研究をしている訳じゃない。
イクス師が古代魔法王国期の遺跡を探索するのは、単にその時代に憧れを抱き、失われたものを見つけ出す行為にロマンを感じるからだと言っていた。
僕が新しい魔法、照星を作り出そうとしてるのは、自分の好きな魔法の矢の可能性を、もっと大きく広げたいからって、そんな理由だ。
「あぁ、……ここはどうにかしてもっと簡略化しないと、術式が重た過ぎて現実的じゃないよなぁ」
僕はブツブツと呟きながら、羊皮紙の上に書いた文字列に二重線を引く。
新しい魔法を作る際の大きな問題の一つが、術式が無駄に長く大きく重たく、実用的にならない事。
古くから存在してる魔法は、術式も洗練されて、無駄がない。
仮に無駄があったとしたら、それは確度や安全性を高める為の、余裕と呼ぶべきものである。
今、僕が作ろうとしてる照星は、狙いを付けた相手に魔力のマーキングを施し、そちらに向けて真っ直ぐ、正確に次の魔法を放てるようになるという単純な魔法。
これと組み合わせれば、別に弓を学んだ訳でもない魔法使いでも、遠くの目標に魔法の矢を命中させられるようになるだろう。
尤もそれで終わりにする心算はなくて、ゆくゆくはそのマーキングが放った魔法を引き寄せるように改良を加えられたら、物陰に隠れてしまった相手にも、曲射で魔法を打ち込めるようになるとか、そんな事も考えていた。
うん、思い付き、やりたい事は沢山ある。
しかしだ。
こんな単純な魔法に、上級魔法と同じような、長々と詠唱をしなきゃならない重たい術式が必要だったら、誰も使おうとは思わない。
また術式が長く大きく重たいと、魔法の発動に必要な魔力も多くなる。
単に目的の効果を発するだけじゃ、魔法は完成したとは言えなかった。
いや、無駄だらけであっても、目的の効果を発する術式が組めるのは、それなりに凄い事なのだ。
革新派の魔法使いの中でも、そこに辿り着けている者は、あまり多くはないらしいし。
まぁ僕の場合は、作ろうとしてる魔法が簡単なものだからって事もあるけれど、それでもここまで形にするのに、既に一年以上は掛かってる。
冒険者をしながらだから研究の時間が限られていたというのはあるけれど、だが同時に、僕が仮にも目的の効果を発する術式を組めたのは、冒険者をしていたからでもあるだろう。
というのも、新しい魔法を作るには、才能や知識、根気や情熱は当然だけれど、他にも金が必要なのだ。
何故なら、その術式が目的の効果を発揮するかを確かめるには、実際に使ってみるより他にないから。
けれども先程述べた通り、無駄だらけの長く大きく重たい術式は、発動に必要な魔力も多い。
魔力が不足していれば術式が正しくとも魔法は発動せず、自分の魔力が足りずに魔法が発動しなかったのか、それとも術式に誤りがあったのかも、わからぬまま。
故に自分の術式が目的の効果を発揮するか確かめる為には、潤沢な魔力を用意する必要がある。
つまりは、金で魔力の塊である魔石を買って用意しなければならなかった。
賢者の学院も幾らかは研究の支援として魔石を支給してくれるけれど、それで足りる筈もない。
だけど僕は冒険者をしてるから、魔石の入手は比較的だが容易だ。
仲間達に買い取り価格との差額を支払って、倒した魔物の魔石をそのまま自分の物にするだけだった。
入手に他人を挟まない分、かなり割安で手に入る。
それでも、今までに使った魔石の総額を計算すると、ちょっと眩暈はするけれど。
僕の研究は、まだ金が掛からない方だろう。
これが魔力の他にも触媒等を必要とする魔法の研究だったら、必要な額は恐ろしいくらいに跳ね上がる。
武器防具、道具に魔法の付与をして金を稼ぐ魔法使いもいるけれど、それができるのは導師に近い実力を持つ上澄みの魔法使いのみだった。
そして術式が目的の効果を発揮しても、まだまだ金は必要だ。
僕も照星の魔法を実際に使って、無駄を感じ取って術式を削ったり改良し、また使ってを繰り返し、完成に近づけていかなければならない。
試行錯誤の試行をなるべく多く繰り返すには、やっぱり魔石は必要だろう。
一日に一度や二度試すくらいなら、もう自前の魔力でもいけるけれど、この先も道のりはまだまだ遠いのだから。