ご注文はあの日の”におい”ですか?
ご注文はうさぎですか?の二次創作です。
解釈違いになってしまう可能性があるので苦手な方はブラウザバック推奨です。
コーヒーの匂いは好き。全てを包み込む匂い。コーヒーの黒は全てを包む漆黒。全てを隠す明かされることのない闇。
ただ一つ、その闇を明かるくするものがあるとするならば、それは……
「ココアさん、いい加減仕事してください」
木漏れ日の匂いに包まれたカフェ、ラビットハウス。
その窓辺で今日もパンの匂いを纏いながら、自称姉のココアさんはサボっていた。
「違うよーサボってたんじゃないよー、さっきまでやってた倉庫掃除の手伝いが終わったから休憩していいよーってタカヒロさんが・・・」
「でたらめ言わないでください。父が倉庫の掃除をやってるなんて聞いていません。そうやってすぐサボろうとするんですから・・・」
「嘘じゃないよ~ホントだよ~。ほらこれ、さっき掃除してたとき出てきたんだよ」
そう言ってココアさんは手に持っていたうさぎのおもちゃを見せてくる。
ホコリを被っていたのだろう、長年手入れされていない倉庫の湿った臭いが鼻腔に入り込む。
「な、何ですかその汚いおもちゃ。カフェが臭くなります。早く仕舞ってください」
「え~可愛いのに~~」
そういいながらも改めてそのホコリの臭いを感じたのか、ココアさんは渋々そのおもちゃを持って倉庫の方へ向かう。
それにしてもあんなおもちゃを持っていた記憶がない。
確かに昔からうさぎのおもちゃはよく買ってもらっていたし、遊んだ記憶もある。
でもあんな変な顔をしたおもちゃは覚えていない。
だとするとお母さんが持っていたものだろうか。
ーーーーお母さん。
お母さんの事はよく覚えている。まるで魔法のように手品が得意で、泣き虫だった私をいつも魔法で笑顔にしてくれた優しい魔法使い。
そういえば、お母さんが最後にしてくれた手品はなんだっただろうか……。
「う…」
またこの臭いだ。母のことを、とりわけ新しい記憶を思い出そうとするといつもこの臭いがする。恐らくは私が心の奥にしまった臭い。昔、ココアさん達と出会う前に感じてた臭い。
私は慌てて焙煎していたコーヒーの匂いで掻き消す。
全てを包み込んでくれる漆黒の匂い。
全てを隠してくれる、闇。
ここにいれば私は傷つかないし、それに…
「このにおい・・・エメラルドマウンテンだね!」
「いい加減覚えてくださいキリマンジャロです」
「え~絶対エメラルドマウンテンだよー!」
ショックを受けながらラベルを確認してさらに落ち込むココアさん。
「なんで私未だにコーヒーのにおい覚えられないんだろ・・・」
「ココアさんいつもコーヒー飲むときミルク入れるじゃないですか。何も入れずに飲めば少しは覚えられるかもしれませんよ」
「でもコーヒーって苦いしにおいも強いんだもん~!」
「ふふ、まだまだお子様です」
「む~~~」最近、ココアさんよりも大人びていることをアピールすると面白い反応をしてくれることに気づいた。
ココアさんと話していると不思議と落ち着く、そういえば皆さんと仲良くなれたのもココアさんが来てからだったことを思い出す。
「そうそう、チノちゃん。さっきうさぎさんのついでにこんな可愛いマグカップが出てきてね。これチノちゃんのやつ?使ってないんだったらもらってもいい?」
「マグカップ?そんなもの仕舞った覚えは・・・」
言いかけて、言葉が詰まる。見たことがない、知らない、それなのに、なぜか無性に目を逸らしたくなる。
「チノちゃん?どうしたの?」
ココアさんの声で我に返る。異変を悟られないように手元に置いていたコップを拭いて自分を落ち着かせながら返事をする。
「いいですよ、多分もう使っていないので」
「ホントに?ありがとーこのマグカップ一目見たときから可愛いなって思ってたんだ~ほら、ここにオシャレな模様があるでしょ?」
目を逸らしていたはずなのに、ロースターから漂う闇に包まれていたはずなのに。
その不快感を煽る模様は、私の視界に映りこんできた。
そしてそれが、意識を失う前の最後の景色。
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「いいチノ?これは戦争よ。お母さんとコナちゃんのお友達戦争♪」
「せんそー?お母さんコナちゃんとケンカしちゃうの?」
「私とコナちゃんは学生の頃からのお友達で、ライバルなの。昔から2人で立派なバリスタになるぞー!って約束しててね、いろんなことで競争したなー。店を構える時は2人で一緒の町がいいねーなんて話してたの。それでコナちゃんこの前すぐそこにお店開いたでしょ?だから久しぶりに競争しようって話になったの。来週から3週間!どっちの考えたオリジナルメニューの方が売れるかの勝負!」
「でもこのお店コナちゃんのお店より汚いよ?勝てるの?」
「んなっ!」
「そ、そんなこと言わないのチノ!おじいちゃんビックリしてコップ落としちゃったじゃない」
「ふふ、オヤジ。ロクに掃除しないからこんなことになるんだぞ」
「な、なにをー!タカヒロもちょっとは手伝わんかい!」
これは甘い記憶。お母さんとお父さんとおじいちゃんがみんな揃っていたころの甘い、甘い・・・苦くなる前の記憶。
お母さんは張り切って翌週からのコナちゃんとの競争に取り組んでいた。絶対にコナちゃんに負けないオリジナルコーヒーを出すんだって。
ある日、ふと真夜中に目を覚ました時も、お母さんは常夜灯を点けて机に向かっていた。
コーヒーの本を読んで、実際にそれを試してみて、あれでもないこれでもないって。
お父さんも手伝おうとしたけれど、お母さんはそのたびに「一人でやらないとフェアじゃない」って言って。仲が悪くなることは決してなかったけれど、お父さんは毎日心配そうに見守っていた。仕事も手につかずに、おじいちゃんに注意されていたことを覚えている。
それからはおじいちゃんもお母さんのケアをした。直接手伝うことはお母さんが嫌がったから、お父さんと一緒に晩御飯を作ってあげたり、家事を代わりにやってあげたり、などサポートしていたような形だったが。
そしてようやくお母さんの作っていたオリジナルメニューができた。
それを飲んだお父さんとおじいちゃんはとても褒めてて、おじいちゃんに至ってはラビットハウスの看板メニューにするんだってはしゃいでお父さんに呆れられていた。
そして迎えた勝負の初日。
コナちゃんの店は予想以上に盛り上がっていた。
勿論ラビットハウスも普段より大勢のお客さんでにぎわった。でもコナちゃんのお店はそれ以上だった。
「コナちゃんのお店すごいねー」
そういってお母さんの顔を見た瞬間、私は生まれて初めて「選択肢を誤った」ことを自覚した。
初めて優しい魔法使いの顔に翳りが見えた瞬間。
幼いころのその鮮烈な瞬きは長い長い永遠にも感じられた。
一人娘の困惑した視線を感じたのだろう。お母さんはすぐにいつもの優しい顔に戻って私に賛同する。
「そうだね、お母さんも負けていられないね」
その日から母は今まで以上に頑張った。ホールに立つ時間も減っていって、次第に家族が四人揃う時間も減っていった。
お父さんとおじいちゃんはどうにかしてお母さんを元気づけるためにお母さんの好きなウサギのヘンテコなおもちゃを買ったり、お母さんのためにスペシャルメニューを作ったり、とにかくお母さんを喜ばせようと頑張った。
でも今になって思う。あの行為は、かえってお母さんを追いつめていたんじゃないだろうか。私たちが何かをしてあげるたびに、次に見るお母さんの顔にはクマが濃くなっていたのをかすかに覚えている。
そんな奮闘の末、ようやくお母さんは最高のコーヒーを作れた。
私には解らなかったけれど、おじいちゃんとお父さんはとても褒めていた。これよりおいしいコーヒーは飲んだことないって。私もその点は同じだった。今までに飲んだことがない、今までお母さんが作ったどのコーヒーよりも苦く、暗い闇だった。
そのコーヒーを店に出す際、前々からお父さんとおじいちゃんが考えていたパンをつけてオリジナルセットとして出した。それ以降、ラビットハウスには以前よりも多くのお客さんが来てくれた。お父さんたちのオリジナルセットは大好評で、朝も昼もにぎやかさに包まれていた。
「母はコーヒーを完成させてからほどなく、倒れました。恐らくは体に無理をさせすぎていたんだと思います。実際母はその頃、妊娠していたんです。以前ココアさんに、使っていないウチの制服を見せたと思いますが、あれはいずれ生まれてくる私の妹に着せるためのものだったらしいです。もともとそんな状態でその上に無理をさせたものですから体力的にも限界だったんだと思います。それからしばらく母は安静にしていました」
「そうだったんだ…で、でも!お母さんはその勝負に勝ったんでしょ?」
「………いえ、負けました。実際コナさんのカフェはウチよりも大繁盛でした。
あのカップは、そのあとにコナさんが勝負の後に母にプレゼントしたものだったんです」
「それがなんで倉庫に…?」
「………ココアさん、今から私はとても嫌な子になります。恐らくココアさんが今まで見てきた私の中でとてもとても苦い、コーヒーよりも苦いものだと思います。それでもいいなら、聞いてください」
私が言い終わったあとも、ココアさんは私が寝込んでいるベッドから離れなかった。むしろ少し近づいたようにも見えた。それを確認してから私は話し始める。私がコーヒーの闇に隠していた黒い黒い記憶を。
「母が寝込んでいた時、コナさんは一度だけウチにお見舞いをしにきました。
まずはお疲れ様、と。そしてその次に謝罪の言葉を。母が妊娠していたことを知らず、結果的に自分のせいで無理をさせてしまったことを。そのお詫びに今度コナさんのカフェで売る予定のマグカップの試作品を持ってきました。それがあのマグカップです。
コナさんがお見舞いに来ていた間、私はホールでコーヒーを焙煎していました。できるだけ濃いコーヒーの、あの匂いを嗅ぎたくて。
そして……コナさんが、帰った後、私は母の寝室に行きました。そこで、あのマグカップのことを聞いて、そして……」
「そして?」
「…………あのマグカップを、割ってやろうと。幼いころの自分は、そう思いました。
あれが、あの勝負が…母を、苦しめたんだ、と。あの頃の自分は、目の前のマグカップが、とても、とても……醜いものに、見えて、それで、気づいたときにはあのマグカップを…………っ!」
そう言って自分はまたあの臭いを感じた。心の底から吐き気のする、この世で最も不快な臭い。その臭いと同時に強烈な頭痛と吐き気に襲われた。
「チノちゃん、大丈夫!?」明らかな私の異変に気づいたココアさんが、ベッドに乗り出して私の身を自身に強く引き寄せる。
パンの匂いと優しい木漏れ日の匂い。それに包まれると不思議なことに頭痛と吐き気は徐々に治まっていった。
あの日、マグカップを割ろうとしたあの瞬間。私は同じ経験をした。
もっともあの時はパンの匂いではなくコーヒーのにおいと、優しい母親のにおいだったけれども。
『ありがとう、チノ。お母さんを心配してくれて。でもね、大丈夫だよ。お母さんにはチノがいるんだもの。つらいときでもチノが、闇に包まれていない甘い甘いミルクのようなチノがいるから、お母さんは、この幸福に包まれるのよ。
…もしチノが闇に包まれそうになっても、いつかこの幸福がチノを優しく包みなおしてくれるから。お母さんが魔法をかけてあげるからね…』
そういうと母は、私を抱いたまま、眠っていった。
母の声を聞いた最後の日、そして、最初の日。
あの不快な臭いを感じた、最初の日。
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「ねえチノちゃん。私思うんだけどね、何もコーヒーはブラックで飲まなくてもいいんじゃないかな?」
「?」
「コーヒーは苦いまま飲まなくてもいいんじゃないかって。苦かったりにおいが嫌いだったりしたらミルクを入れたり砂糖を入れたり。無理して飲まなくてもいいと思うの。
えっとね、つまり何が言いたいかっていうと…無理して一人で抱え込まなくてもいいんじゃないかって」
「それはつまり、母のことですか?」
「お母さんのことだけじゃなくて。いろんなこと。辛いことも悲しいことも自分の嫌いなところも、カプチーノやホットココアみたいに優しい味にしてあげれば、少しずつでも飲めるんじゃないかな?暗いもので包み込むんじゃんくて、優しいミルクで包み込んじゃえば、その苦さは抑えられるんじゃないかなあ」
「優しいミルクで、包み込む…」
母の最後の言葉が漂う。それと同時に、あの『におい』が私を包み込む。
その時私はあのにおいの正体を悟る。
母の最期に私が感じたあの臭い。
母が最後に残した私への優しさの匂い。
あの瞬間、私は自身の闇に、全てを隠せる漆黒に、母の優しさも自分の負の感情も、その全てを包み込んでしまった。
私が感じていたあの臭いは、母の死体の臭いだった。
コーヒーの黒は全てを包み込む闇。
しかし同じ闇でも、何を包み込んでいるかで味は変わる。
焦りやいらだち、憎しみをこめればその闇は苦く、臭いも不快なものになる。
入れてしまったものは取り出せない。1度でも闇を入れてしまえば、その味も臭いも取り消せない。
だけれども、その闇を少しでも明るくできるものがあれば、それはきっとミルクのように芳しく、甘い優しさだろう。
「......ココアさんは、この『苦くて飲めないエスプレッソ』に、ミルクを落としてくれますか?」
「あったりまえだよ!!だって私はチノちゃんのお姉さんだからね!」
そう言ってココアさんは抱きついてくる。
その時私が感じたにおいは、母の死体の優しい匂いだった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ここではいくつかの解説をしていきたいと思います。
今回は『におい』について書いてみました。
そこで、今作のチノちゃんの思う「不快なにおい」を『臭い』と、「安心する・好きなにおい」を『匂い』と表記し、「どちらでもないもの/どちらかわからないもの」を『におい』と表しています。
それ以外の考察や感想は読んでくださった方々に委ねたいと思っていますのであえて書きません。
最後に、まだまだ稚拙で己が世界観をうまく説明できていない部分も多々あると思いますが、ここまで読んでくださり本当にありがとうございます。
誰か一人にでも刺さればいいなぁ…と。