決意の咆哮
雪がさ迷っている森から、ほど近い場所に小さな村が一つある。
普段ならとうに寝静まっている真夜中だがほとんどの家屋に明かりが灯っており、村の中全体が何やらざわついている。
村の真ん中にある広場。
普段は荷を横断させる道や集会のために使われる場所の中心には大きな血だまり。
そして人間の物と思われる服の切れ端と小さな肉片が複数落ちている。
それを足元にして男が悠々と立っている。
男は自分の腕を指でトントンと叩きながら退屈そうにため息をつく。
「遅いな。……ゴブリンどもめ、小娘一人を連れ戻すことすら満足にできんのか」
男は自分の隣に立っているモノを見て言葉を続ける。
「とはいえ、人間の小娘の捕獲にコイツは使えん。脆い生物を壊さず運ぶ器用さなどないからな。だからこそゴブリンが適役だと思ったのだが……」
そう口にして男が見る先には3mはある巨大な人型の魔物が立っていた。
オークという名の怪物。
緑色の肌で、ゴブリンに近い見た目をしているが違うのはその圧倒的な体格差。
手には身の丈に合わせた巨大なナタが握られており、見る者を威圧する。
口もとには大量の血が付着しており、地面の惨状の理由を物語っていた。
村人達は全員、その広場を囲うようにして座らされている。
同じ村の住民が目の前で怪物に喰い殺されたのを目の当たりにし、恐怖の表情を隠すこともできず、ただじっと震えている。
男は感情のこもっていない声で語りかける。
「まったく余計な手間を取らせてくれる。魔法を扱える人間がこんな小さな村にいたとは……オマエの邪魔があったせいで小娘を取り逃がしてしまった」
広場を囲う村人達とは別に男と怪物の目の前には一人の少女がいた。
ゴブリンに両手足を縄で拘束され、身動きが取れないでいる少女は無言で男を睨みつけている。
「可哀想に……村人は皆、怯えている。どう思う、女? オマエがあの小娘を逃がしたりしなければ村人が犠牲になることはなかったかもしれんのに」
「……適当なことを言わないで。恐怖で絶望させた人達を殺すことを愉悦にするのがあなた達、魔族の本質でしょう。こっちが何をしたって、あなたは私達を生かさないくせに」
「ずいぶん偏った見方をされているものだ。……まあ、間違ってはいない。実際、オマエ達の怯えた様は愉快だからな」
少女の言葉に答えを返す男は人間ではなかった。
魔族と呼ばれたソレは人の姿とあまりに酷似しており、頭部から伸びた2本のツノがなければ見分けがつかないほどだろう。
突然、魔物を引き連れて村を襲ってきた魔族の男。
戦う術を持たない村人は魔物達の暴威に抗えなかった。
唯一、魔法を扱える少女も多勢に無勢であり、そもそも敵を倒すことに使う魔法をロクに知らない。
かろうじて少女に出来たのは目くらましをしている間に自分の妹を森に逃がすことだけだった。
(ヴェルメ……お願いだから、逃げきって……っ)
抵抗する術を失い、死を待つだけの無力な身となった少女は、大切な妹が無事であることをひたすらに祈っていた。
***
「はぁ……っ」
森の中。
幼い少女はゴブリン達の死体がある場所から少し離れた木の下で休んでいた。
ここまで逃げてきた過程で体のあちこちにできた打ち身や切り傷からくる痛みと、なにより精神的な疲労が彼女の足を止めてしまっていた。
座りこんだ少女に近づいてくる犬が一匹。
あの後、雪は歩き出した少女から離れず後をついてきていた。
自分の身の安全を確保しなければならない雪だったが、今はそれ以上にこの少女を一人にすることができなかった。
「……心配してくれて、ありがとう」
少女は優しく微笑みかけながら雪の頭をそっと撫でる。
紫色の瞳と紺色の長い髪。その髪を左右に分けて黒いリボンで結んでいる。
8歳か9歳といったところだろうか。
あどけなさを映すその表情は雪に舞菜のことを思い出させる。
そして先ほどゴブリンの群れを倒した直後もそうだったが、雪の感情をどこか見透かしているような雰囲気がある。
不思議な印象を受ける少女だった。
「私……ヴェルメっていうの。あなたは、なんていうの……?」
「………ワウっ」
“雪だよ”と名乗ってみたが少女に伝わっている様子はない。
先ほどまでの雰囲気からもしかして心を読めるのではないかと雪は考えていたが、どうやらそういうわけでもないようだ。
「あなた、どこから来たの? この森に住んでたの? でも、あなたみたいな子が森にいたなんて誰からも聞いたことない――、あっ!?」
ヴェルメと名乗った少女は雪に質問を投げながら自分の首もとに目をやると、突然ハッとし、あわてたように辺りを見回している。
「な、ない……! どうしよう……ペンダントがっ!」
“ペンダント? そういえば……”
あの時、ヴェルメがゴブリンに蹴り飛ばされた時に何かが彼女から飛んでいったのを見た気がした。
もしかしたらアレがそうかもしれない。
ヴェルメは泣きそうな顔をしながら暗い地面を手探りで探している。
雪はそんなヴェルメの体を足で軽くポンと叩く。
「え……っ?」
雪は“ついてきて”と小さく一吠えし、歩き出した。
――やって来たのはゴブリンの群れと戦った場所。
あまり戻ってきたい場所ではなかったが、目的の物がここにあるはずなのだからしかたない。
雪は少女の匂いと自分の鼻を頼りに辺りを探す。
すると、そう時間をかけず草陰にそれらしき物が落ちているのを見つけた。
「あ! これ――っ」
ヴェルメが駆け寄る。彼女が探していたペンダントで間違いないようだ。
金属の輪っかに丸いガラス玉がはめこまれている。
そのガラス玉には夜の星空のような絵柄がデザインされており、蓄光材料でも使われているのだろうか。夜闇の中でも青くキレイに光っている。
ヴェルメはペンダントを拾うとホッとしたように両手で握りしめる。
「探してくれてありがとう。……見つかって、よかった」
ペンダントをしっかり首につけなおしながらヴェルメは雪に礼を言う。
「……これね、大事な物なの。私を……私とおねえちゃんを助けてくれた人がくれた……すごく大事な物……」
そこまで口にするとヴェルメは急にしゃがみこみ、静かに泣きだした。
「おねえちゃん……っ やっぱり、ダメだよ……っ みんなを……おねえちゃんを置いてけない……よぉ……っ」
雪はすすり泣くヴェルメを慰めるように自分の体をすり寄せる。
なぜ泣いているのか雪には理由がわからないが、とにかく今は彼女が悲しむことを雪は止めたかった。
ヴェルメは涙に濡れた顔で雪を見る。
そして雪の顔をそっと撫でた後、優しく雪を抱きしめた。
「あなたは……優しいね。あなたに会えてよかった……」
そう口にしてからヴェルメは立ち上がり、一人で歩き出す。
それを見て雪もついていこうとするが、ヴェルメはダメ! と首を横に振りながら手で制する。
「この先はダメ。私の村……魔族が襲ってる。さっきのゴブリンより、ずっと強くて怖いモノが……来たら、あなたも殺されちゃう」
同行することを強く拒む幼い少女の目に雪は足を止めてしまう。
「もっとあなたのこと知りたかったけど……おねえちゃん達を助けないと」
ヴェルメは走り出し、雪から遠ざかっていく。
「助けてくれて、本当にありがとうっ! どうか元気で、いてね……!」
そう言い残してヴェルメは草木の奥に消えていった。
……なんてことだろう。あの子は死のうとしてる。
ただ家に帰ると口にしてくれたのなら、こっちも安心して見送ることができたのに。
襲われてる? 助けに行かなくちゃ――だって?
「ウゥゥ……ッ」
すぐにでもヴェルメを追いかけて引き止めたい雪だったが、先ほどの彼女の言葉を思い返し二の足を踏んでしまっていた。
“魔族”というのが何かはわからないがヴェルメは来たら雪も殺されると言った。
姿を変えゴブリンの群れを一瞬で蹴散らした雪をヴェルメは見ていた。
それを踏まえた上であの言葉を口にしたのなら、魔族というのはそれほど恐ろしい相手ということかもしれない。
そもそも何故、雪はあの姿になったのか。
どうやってそこから元に戻れたのか、何一つわからない状態なのだ。
追いかけたとしても何も出来ず、今度こそ本当に死ぬかもしれない。
……それでも
“テツロウ……”
あの子を見捨てたくないという思いと哲郎のパワフルな強さの二つを、弱腰になっている自分の体に乗せる。
するとあれだけ前に進むことを躊躇していた足が不思議なほど、すんなりと動いた。
“行くんだ――”
この瞬間、雪は自分に強く誓った。
自分の何を失ったとしてもこの気持ちだけは失くさない、と。
**
「はぁ、はぁっ……!」
ヴェルメは森の中を走った。目指すのは自分の村。
あちこち傷ついた身体が痛みを訴えるが必死に我慢をする。
(まだ……まだ間に合って! お願いだから……っ!)
ヴェルメは年相応の幼い少女だ。
魔族を追い払う力など持っていなければ、状況を打開する策が浮かんでいるわけでもない。
だが魔族の狙いが自分だということはヴェルメも気づいていた。
(私が戻れば……きっとみんなは傷つけられないで、すむ……!)
それが浅はかということは少し考えればヴェルメにも理解できただろう。
だとしても大切な姉を。優しい村の人達を見捨てて、自分一人が逃げるということは、少女にはどうあっても出来なかった。
(おねえちゃん……っ!)
やがて森を抜け、ヴェルメはすぐそこに見える自分の村へ止まることなく走った。
**
村では変わらず広場の真ん中で魔族の男が退屈そうに目を閉じていた。
「やれやれ。本当に遅いな……こんな仕事が出来ないとは。ゴブリンをアテにするのも考え物か」
そうひとり言を呟く魔族の足もとにはヴェルメの姉である少女が、縄で拘束され、地面に転がされている。
ゴブリンがヴェルメを追跡してからそれなりに時間は経っている。
にも関わらず未だ連れ戻されてないのなら、きっと逃げきったはずだ。
そう考え少女はわずかに安堵する。
突然、魔族の男の傍に立っていたオークが低く唸り声をあげる。
「さて、どうしたものか……さきほど食事を与えたばかりだがどうもまだ腹が満たされていないらしい。まさか小娘如きに逃げられたとは思わんが……ゴブリンどもが戻るまでもう少しかかりそうだ。もう2、3人くれてやってもいいか」
男がそう呟くとオークのナタを持つ手に力がこめられる。
「やめて!! 逃がしたのは私よ! 私を殺しなさい!私を――!」
「そうするにしても今はやめておこう。あの小娘の姉だったな? もし小娘に逃げられていた場合、オマエの悲鳴があれば向こうから近寄るかもしれん。他の村人と違い、オマエには食糧以外の価値がある」
男は感情のない声で淡々と語る。
「……どうして妹を……あんな小さい子が一人逃げたところで何の問題があるって言うの? あの子が、なんで……っ」
「正確にはあの小娘の持ち物に用がある。――首飾りをつけていただろう?」
「……首飾り? どうして、あれを」
「我々が探している物と同じ物の可能性がある。それを確かめる前に逃げられてしまったがな」
(あの子がいつも大切に身につけているあの首飾り……あれを狙ってる? 何のために――)
その理由を考えようとするが直後に届いた聞き馴染んだ声によって少女の思考は止められた。
「おねえちゃん――っ!」
村の入り口からヴェルメが大きな声で姉を呼ぶ。
そのまま広場にいる姉のもとへ真っ直ぐ駆け寄ってきた。
「ヴ、ヴェルメ! バカ……どうして戻ってきたの!?」
「だって無理だもん! できないよ! おねえちゃんを見捨てて逃げるなんて……!」
ヴェルメは涙目で姉に抗議する。
「っ……!」
少女は自分の考えの甘さを悔やんだ。
妹が自分達を置いて一人逃げることを良しとできない性格なのはわかっていた。
それでも、そうしてくれることを願うしかできなかった。
「ふむ……」
魔族の男はヴェルメの姿を認め、一歩前へ近づいてきた。
ヴェルメも姉の前に立ち、魔族の男に話しかける。
「ま、魔族さん……私、戻ってきました。私が目的なら今、そちらに行きます。だからっ 村のみんなにこれ以上ひどいことをしないでくださいっ」
「っ、ダメ! ヴェルメ!! 待って!」
ヴェルメの姉は縄を解こうともがいている。
そんな様子は意にも介さず魔族の男はヴェルメを注視する。
「……妙だな。全く不可解だ」
魔族の男が呟く。
ヴェルメは怖さで崩れないよう小さな体を必死で奮い立たせている。
「オマエがどういうつもりで戻って来たのかは今、オマエ自身が語った故にもうどうでもいい。だがその上でも尚、オマエに一つ確認することがある」
そう言うと男はヴェルメに向かって更に一歩近づく。
「小娘。オマエを追跡したゴブリン共はどうした? 奴らが一匹も戻らず、オマエだけがここに戻ったのは何故だ? この奇妙な経緯をオマエは一体どう説明する?」
その言葉にヴェルメの体は意思に反してビクリと震えた。
「そ……、それは……」
ヴェルメの鼓動が早まっていく。
この魔族は常に抑揚のない冷たい話し方をする。
だがヴェルメに投げた問いの中には“偽れば殺す”という意思が強く含まれていた。
「ゴ、ゴブリンは……死にました。か、怪物に……みんな殺されました」
「……怪物だと?」
男はわずかに驚いたような反応を見せる。
村人達は皆、呆然としている。ヴェルメの姉も。
幼い少女の口から出た突飛な話にどう反応していいのかわからないでいた。
「くだらん。……と言いたいところだが、ただの虚言と見てもそれはそれで妙だな。――何かを隠しているか、小娘?」
「っ……」
「……まあ、いい。一応この件はシャトゥン様に報告しておくか。今は目的の物を回収しなければな」
そう言うと男はヴェルメの首もとを指差し、命令する。
「小娘。オマエの持っているペンダントを渡せ」
「え――?」
ヴェルメにとって思ってもない言葉だったため一瞬、困惑する。
「ヴェルメ! あいつはあなたじゃなくてそのペンダントが狙いなの! それをあいつに渡して、あなたは早く逃げてっ!」
そう叫ぶ姉の言葉にヴェルメは躊躇う。
「だ、だめ……これは、大事な……物で」
「知らんな。ゴブリン、奪い取れ」
男が命じるとゴブリンが飛び出し、ヴェルメに掴みかかった。
そして首にかけられたペンダントを奪い取ろうと手を伸ばす。
「ダメ……ッ やめて――っ!!」
「ギィッ!?」
その瞬間、ペンダントが強く光りゴブリンは吹き飛ばされた。
そのまま家の壁に激突したゴブリンは体がボロボロと崩れ、跡形もなく消滅した。
「……え?」
ヴェルメも他の誰も何が起きたのか理解できていなかった。
(魔法の障壁? これは小娘の力ではない。……あのペンダントか)
魔族の男はヴェルメを観察する。
(ペンダント……あの小娘の意思に反応したのか? それともペンダント自体が魔性を拒んでいる?)
答えが前者であるなら、まずは持ち主から手放させなければならない。
「ペンダントの入手は魔王様、直々のご命令らしい故ただの品でないとは思っていたが……厄介だな、これは。だが、目的の物と見てよさそうだ」
「魔王……が? なんのために――」
ヴェルメの姉が疑問を口にしかけるが、そんなものを聞く耳などなく男は自身の要求を口にする。
「改めて言う。小娘、そのペンダントを手放して地面に放れ。そうすればここでの殺戮は止め、ここから去ってやろう」
「っ……本当、ですか……?」
「二度目を口にする前にオマエの姉の片腕を切り落とすぞ。オマエの脳に私の言葉は届いている。再確認の必要などない。承諾か否か、選べ」
選択の余地などない。姉を、村の人を助けたいヴェルメにとって、ペンダントを渡せば立ち去る、という提案をそのまま信じるしかなかった。
だが男にはヴェルメの一縷の望みを叶えてやる気など毛頭ない。
魔族にとって人間という生物は“気が向いた時に食べれる餌”であり、“好きな時に好きな理由で壊していい玩具”でもある。
絶望する人間の表情を己の手で作り見届けることは、魔族という種族全てに共通する最高のエンターテイメントでもあった。
男は考える。
地面に置かれたペンダントはまずゴブリンに取らせよう。
それでもさっきの魔法障壁が発動するのなら魔の者で運ぶのは難しい。
その場合は村人を一人だけ生かし、そいつに持たせる。
未だ怯えきって震えてる連中の中から適当に選べばいいだろう。
残りは皆、殺す。あの姉妹はいらない。
魔法の資質を持っている人間など生かしておいても面倒なだけだ。
「っ……」
ヴェルメは震える手で首にかけたペンダントを外した。
そして男の指示通りそれを手放すため、地面に――
――――置けなかった。
突然、目の前に黒い大きなモノが落ちてきたからだ。
その風圧でヴェルメは軽く吹っ飛び、すぐ後ろに転がっていた姉の体をクッションにして倒れこんだ。
ぎゅぅっ、とあまり人間が出すことのない声が姉から出ていたようだが、
そんなことに気づいているヒマはなかった。
(まっ黒くて、おおきな――――)
広場に降ってきたソレは低く唸り声をあげている。
ただ真っ直ぐに“敵”を見ている。危険なモノが何かはもうわかっていた。
「――――ッ!!」
巨大な黒い怪物は吠えたける。
怒りと決意をこめた咆哮は夜の大地と空に激しく轟く。
何もわからない世界で孤独になってしまった。
寂しくて、怖くて、すごく悲しい。
でも持ってこれたものもある。
あなたが見せてくれた強さはここにある。
あなたから得ることができた心はここにある。
あなたを思うとこんな自分にも力が湧いてくる。
絶対に帰る。
時間はかかるかもしれないけど、絶対に帰るから。
“だからテツロウ――どうか勇気を分けて”