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救済を欲す

「…………っ、」


 少女の目がゆっくりと開く。

 深い水底から徐々に浮かび上がっていくような感覚と共にリーベの意識が静かに覚醒する。


「目が、覚めたのですか……リーベさん」


 寝かせられているリーベの隣で同じように横たわる女性。

 マルガが心配そうに声をかける。


「あなたが……マルガさん」


「……意識があったのですか?」


「……ひどく、ぼんやりとしてる。でも、あの子の……ヴェルメの声が、聞こえてた」


 身を蝕む呪いに抗う為の魔力と意地がいよいよ底をつくという瞬間、自分を呼ぶ妹の声が消える意識をかろうじて繋ぎ止めてくれた。


(とはいえ……まさか目を覚ますどころか、口を動かせるほど持ち直せるなんてね)


 自分のことながら信じられない。

 リーベとしては姉妹の絆を理由にした方が気持ちが良かったが、さすがに無理がある。


 現在進行形で呪いに侵されて尚、ここまでの回復があるのは相応の"奇跡"がこの食料貯蔵庫に置いてあったからだろう。


 リーベは棚に置かれた小箱に目をやる。


「あぁ……彼女を救ってくださり感謝します、トマリ様。……リーベさん、どうかそのまま体を休めてください。ここにいれば、しばらくは安心です」


「……あの子達は、シャトゥンの所に行ったのね。……ぅ、っ」


 リーベはよろめく体を押さえ、ゆっくりと立ち上がろうとする。


「……いけません、リーベさん。どうか自分を抑えて。今あなたが後を追っても何もできません……」


 リーベの行動を察して制止する。

 マルガが案じた通り少女は立ち上がることもできず、その場で倒れ込んでしまった。


「……わかってます。今の私じゃ、そこの階段を上ってこの地下を出ることだって、できない……だから」


「ならば、どうか無理はーー」


 それでもリーベは這うように身体を動かす。

 しかし出口へ続く階段ではなく自分を諭そうとするマルガのもとへと。


「リーベさん? なにを……」


治癒よ……触れて(ハイルン ベリューレ)ーー」


 唱えたリーベの手が淡緑の光に包まれる。


「リーベさん……」


 魔法を象った両手をマルガの身体にかざし、癒しの光を当てる。


「……いけません。リーベさん……どうかおやめ下さい」


「自分が今、せめて出来ることを……やってるだけです……マルガさん、あなたも死んではダメ……っ あなたは、私が助ける……っ」


 身体の内側が焼けるように痛む。感覚が鈍くなり腕を持ち上げることもままならない。


 治癒魔法を使う少女の呼吸はどんどん荒くなり、その顔色はみるみる青さが増してゆく。


 トマリの加護に包まれたこの空間で多少持ち直したとはいえ、魔族の呪いに侵食されていることには変わらない。


 今までも自分の魔力を呪いに対する堰に変えて抵抗していたからこそ、かろうじて持っていたのだ。


 呪いによる汚染と、抵抗力に使って枯渇しかけた魔力。

 他人に分け与える余裕などあるはずもなかった。


「ぐっ……」


 それでも手を下げない彼女を制そうとマルガは声をかける。


「……どうかおやめください。それ以上続ければ、あなたが死んでしまう……それに何より、その行いに意味はありません……」


「どうして……意味がないなんて……っ」


 リーベは何度も崩れそうになる自分の意識と身体を必死に支えながら、マルガの治療を続けるーーが。


「っ、どうして……? どうして、治らないの……っ!」


 マルガの傷は一向に塞がらず、何の変化も現れることはなかった。


 焦りと憤りが弱りきったリーベの身体に重くのしかかる。


 どうして治らないのーー?

 小さい時から何度も使ってきた力だ。

 ひどいケガだって何回も治してきた。


 全身がすごく重くてだるいけど魔法はちゃんと発動してる。

 上手くいかないはずないのに……っ



「気に止む必要はありませんよ……あなたの力は"治癒"であって、"修理"ではない……それだけの話なのですから」


「どういう……ことですか」


 思わずそう問いかけるが、リーベの中でその答えは出かかっていた。


 女性の失った手足と抉れた腹部。全身を侵している魔物の毒。

 生きているのが不思議な――いや、とうに死んでいなければおかしいほどの傷。


 目線をこちらに向け、言葉を紡ぐ彼女の身体は――呼吸をしていなかった。


「……温かい。ありがとうございます、リーベさん……鼓動の失せたこの身体の内にも、その優しい光を感じることができました……」


 ……矛盾している。彼女は確かに声を発しているのに呼吸がないだなんて。


「マルガさん……あなたは――」


「あなたの魔法は生きている命を癒すことができる……けれど私はもう、とうにそう認識されるような状態にないのでしょう……」


 だから、あなたには何の落ち度もないと――マルガはとても穏やかな声でそう話す。


「どうして、こんな……」


 事実を認めきれない感情が口から漏れる。


「あの時。えと、…………そう。あの子を守ろうとして、私はこうなりました。それでも未だ意識がここに留まっているのはあの方の加護のおかげなのでしょうね……」


 マルガは大事な思い出を懐かしむように一枚の布が収められた小箱を見ている。


 ……加護のおかげ? これはおかげと言えるの?

 だって命が守られたわけじゃないのに。


「私のことはどうかお気になさらず……それよりも、まずはご自分のことを考えて。あなたの妹さんの為にも……」


「……」


 もう何も言えなかった。

 自身の無力さに苛まれる少女は、とうに尽きていた自身の命運を静かに認める女性を黙って見ることしかできなかった。



**



 シュテルとヴェルメはヴンダー達と合流する為、宮殿を目指していた。

 少年が先導し、二人はひしめく魔物を掻い潜りながら路地を進んでいく。


「……私たち勝手に入ったのに、さっきの家の人たち何も言わなかった」


「こっちを見ても無反応だったね。その前の住民は私達を見て、めっちゃ怯えてたけど」


 魔物は家の中にいる人間を襲えない。

 ありがたいことにシャトゥン自らが敷いたこのルールは非常に利用しがいがある。


 なにせ仮に魔物に見つかっても一度どこかの民家に入ってしまえば敵の警戒度をリセットできるのだ。

 シュテル達にとって使わない手はなかった。


 一点、家の住民に見られた際が少々気がかりではあったが……意外にもと言おうか予想通りと言おうか、憂慮するほどの反応(リアクション)はなかった。


 怯えて隅に逃げ、ぶつぶつと何か祈りごとを繰り返す女。

 ちらと彼女達を見るが、すぐに興味を失って椅子に座ったまま項垂れる男。


 あるいは、そもそも住む者を失った空っぽの家。


「……魔族さえいなきゃ」


 身を隠すのに使った空き家を抜けた後、デニスはポツリと呟く。

 その両手は小さく震え、ぎゅっと強く握りこまれている。


「……うん」


 今の独白にどれだけの意味が込められているかは、この世界に生きる者なら十分すぎるほど推し量れる。


 シュテルはただ一言、頷いた。

 その傷を肯定し、少年のぐらついた感情を支える。


「――ごめん。早く行こう」


 引き続き道中の民家を隠れ蓑にしながら、三人は慎重に進む。


「ところでデニス、今向かってる方向って私達が目指してる場所と全然違うみたいなんだけど?」


 シャトゥンのいる宮殿は町の真ん中に建っている。

 しかし目指すべきはずの宮殿とは反対ーー南方向に歩いていた。


 このまま行けば程なく住宅地を抜け、南門に着くだろう。


「あ、あの、デニス君っ 私たちまだこの国を出てくわけにいかなくてーー」


「はあ? わかってるって、そんなこと。案内するって言ったんだから少しは信用してくれよな」


 呆れたような顔でデニスが答える。

 自分達を逃がそうとしてくれているのではとヴェルメは心配になったのだろう。


「信用してるからついてきてるんだよ。ただ気になったから聞いてみただけ」


「いい道を知ってるって言ったろ? けどその為には壁まで行く必要があるんだ。もう少しだからついてきてくれ」



**



 デニスの案内のまま進むと三人は町をぐるりと囲う城壁の一角に辿り着いた。


 途中で進路を変えたことで南門からはわずかに遠ざかり、最終的には町の南東側へとやって来た。


 正面には視界いっぱいに広がるクリーム色の壁。

 見上げてみれば町のどの建造物よりもずっと高く大きくそびえ立つ城郭。

 その存在感に気圧され、思わずふらつきそうになる足を耐える。


「よし、ここまで来れば魔物の目はないーーいいぞ、こっちだ」


 先に移動したデニスが城壁の真下からシュテル達を呼ぶ。

 二人は周囲の安全を確認し、一気に駆け出した。


「ーーふぅ……」


 とりあえず敵の気配がないことで、壁に背を預けてヴェルメが一息つく。


「まさか見張りの一匹もいないなんてね……居住区や他の通りはあんなにうようよしてるのに」


「そもそもシャトゥンは見張りのつもりで魔物を置いてるわけじゃない。あの大量の魔物はあくまで"人間の生活の”代わりなんだよ。安っぽい真似事……不愉快な人形遊びさっ」


 デニスは憎々しいとばかりに顔をしかめる。


 城壁の内側と住居の間には20メートルほどの空間が空いている。

 荷箱やタルが壁沿いに点在している以外には何もない。


 上から滑空した時点で気がついたが壁の内周に沿って作られたこの道だけ魔物が一匹もいなかった。


 元は人の移動や荷の運搬の為の通路として使われていたのだろうが、壁沿いのこの道だけ魔物がいないのはどういう意図なのだろう。


「これじゃ逃げ放題な気もするけど……」


 実際、無防備にも程がある開きっぱなしの城門。その上どこかの家に入れば安全というルールまであるのだ。


 その気にさえなれば簡単に実行できてしまえそうに思えるが……


「見張りなんていらないんだよ。――ほら」


 そう言うとデニスは襟を下げ首元を見せてきた。


「あっ……! それ――」


 ヴェルメが驚いて声を上げる。


 それは形の崩れた文字のようでもあり何かの記号のようにも見える。

 少年の首にはグリューン国の住民を縛っていたあの黒い痣と同じ物が刻まれていた。


「私たちには……アザはない?」


 ヴェルメが自分の首をさすりながら心配そうにシュテルの首を観察している。

 グリューン国で同じ呪いを体験しているのだから無理もないことか。


「手下が使う時と条件が違うのか仕様が異なってるのかーーなんにしても私達にこの呪いの影響はないみたい」


 その点はひとまず安心し、二人は改めてデニスの方へ向き直った。


「この呪いがどんなものか知ってるみたいだな。……ああ。門なんて閉めるまでもないんだ。俺達は……ずっと囚われの身だ」


「……愚問だったね。ごめん」


 逃げれるならとっくに逃げている。当たり前だ。

 それが不可能であり、いつ来るかもわからない死を待つだけの虜囚であるからこそ、この国の人々は絶望している。


 疑問に思うまでもないことだったとシュテルは反省した。


「本題に戻ろ。それで"いい道”っていうのは?」


「ここだよ。ちょっと待ってろ」


 そう言ってデニスが壁の前でしゃがみこんだ。


「? ここって、別に何も……」


 ヴェルメが言いかけたが壁の下部分に近くで見ないと気づかないくらいのわずかな窪みがあった。


 デニスがそこに手を当てて、ゆっくりと押し込む。


 するとガコ、と鈍い音がしてから壁がわずかに回り、クリーム色の行き止まりに空間が現れた。


「隠し扉……」


 人一人が通れるくらいの隙間ではあるが、それは壁の中に道があることを示していた。


「さあ、急げ。入ったらすぐに閉じるぞっ」


**


 ――三人は壁内の道を進む。


 中は思った以上にしっかりとした通路になっていた。

 三人が横並びでも余裕のある広さ。

 壁には等間隔に灯った照明器具がかけられており、明かりには困らない。


 逆に天井は低く作られていて、大人がギリギリ直立できる程度の高さしかない。


 まあ、あまり空洞部分を広げれば防御壁としての役割を成さなくなってしまうのだから当然かもしれないが。


「にしたって壁を通路にするなんて大胆とは思うけど……」


「別に空洞だからって脆いわけじゃないぞ? 魔物程度の攻撃じゃビクともしないし十分な強度はあるんだ。第一、敵が攻めてくるのはほとんど北門の方向からだったしな」


 ヴァイス国――魔王の居城であり魔の温床となった北の地。


 ゲルプは五国の中でも武力に秀でていたが、位置関係もあってか魔の襲撃に最も晒されていた国だ。

 外敵の侵略からどう守るか、さぞ日々の防備に余念がなかったことだろう。


「この通路が、宮殿まで続いてる、の……?」


 ヴェルメが前を歩くデニスに尋ねる。


「ああ、王宮まで続いてる隠し通路さ。本当は緊急の脱出用だけど、今なら侵入に使えるはずだ」


 魔物がいないことも確認してるから安心しろ、と付け足した。


「デニス、あなた……」


 ……ただ事ではなかった。

 少年が案内するこの道は王宮からの秘密の脱出経路だと言う。


 つまり王による王の為に作られたもの。

 王と身内、ごく一部の臣下のみで共有していたであろう機密情報。


 それを一介の町民の子供が知っているという事実。


 スイッチ一つで開く扉だ。

 偶然見つける可能性もゼロではないかもしれないが、考えにくいだろう。


 理由として一番思い浮かぶのは、最初から知識として扉の存在を知っていたから。


 とすれば彼は一介の町民ではなくーー


「……王族の子?」


 自然と漏れ出た確信のこもった問いにデニスは一瞬足を止めた。


 うつむき、唇を噛んでいる。

 その表情はまるで痛みを必死に堪えているかのようにも見えた。


「……王の子がこんな所にいるわけないだろ? あの方はゲルプ王と共に最後まで魔族に抗った。ここにいるのは助けられて、逃げただけの……臆病者の役立たずだ」


 そうデニスは否定し、止めていた足を再び動かす。


 確かに王の子息であるのなら、ゲルプの住民がその顔を知らないはずはない。

 いくら絶望で無気力に包まれていても無関心ではいられないだろう。


 マルガもあえてそれを隠しているという様子もなかった。


 デニスは嘘を言っていない。

 こんな悲痛な表情で語る言葉に偽りを混ぜれるはずもない。


「あそこ、てっきりあなたの家だと思ってたよ」


「これでも貴族の子だった。あの家は空いてたから使わせてもらっただけだ」


 ボロボロの麻布を着ているから思いもしなかったがーーなるほど、とシュテルは考える。


 小生意気というか、少し大人びた印象のあるこの少年がもし豪華な装飾の服を纏っていたら、よく似合っていたかもしれない。


「貴族……今じゃこんな肩書きなんて何の価値も……いや、この肩書きを持つ価値がオレになかっただけか。王はもちろん自分の家にすら貢献できない不出来な子供が……」


 腕を掴みながら自身の過去を苛む。

 強く握りこんだその腕からは血がにじんでいた。


「どうして自分がいるんだろうっていつも考えるんだ。この道を使って逃げるべきなのは王子達だったのに……あの方達は最後まで戦って……逃げて命を拾ったのは、何の力もないオレだけだ……っ」


 デニスは自らを責める言葉ばかりを口にするが詳しい経緯は語ろうとしない。


 しかし言われなくてもおおよそのことは想像ができる。


 自身のあるじの優しさと覚悟を甘受してしまったこと。

 そして自分がその立場になれなかったことを少年は悔いている。


「マルガねえちゃんのこともオレのせいなんだ……オレさえいなきゃ、きっとあんな事にはならずにすんだのに……」


 マルガもゲルプ兵の一人だった。

 敵の迎撃ないし住民の避難に当たっていた彼女は、宮殿から脱した彼が外にいるところを見つけたのだろう。


 デニスが貴族の子であることには気づいていなかったのかもしれないが、マルガは彼を逃がそうと魔物の手から守った。


 その結果があの姿であったことは想像に難くない。


「オレは……罪人だ。それも他人を身代わりにする……最低の」


「デニスくん……」


「……大きな力や立場には責任が伴うって言うけど、あなたがそれに囚われる必要はないと思う。あなたは子どもで、魔族に抵抗する力もなかった。あなたがどこの家の子だろうとそれを罪だと責めるのは自分への理不尽だよ」


「そう言ってくれるんだな……それでも、この国を思うなら生き残るべきだったのはあの方達だった。こんな無能なんかよりも……」


「……こんな世界だもん。大事な物を失くして自罰的になる気持ちは私にもわかるよ。だからどうしても自分を責めずにはいられないなら……ほどほどにしてとは言うけど、止めるつもりはない」


「シュテルさん……」


「ーーでもね、デニス。私達に自分を無価値だって刷り込もうとするのはやめて。そんなことしたって私達の中ではあなたの価値はもう出来上がってるんだから」


 そう。二人にとって少年の過去の失態など関係ない。


 彼は自分達を助けてくれた恩人であり、死に瀕した女性を助けたいと必死に望む人間であり、魔に虐げられてきた被害者の一人だ。


 そこに見下げる価値を抱く理由などないのだから。


「……ありがとう」


 小さく感謝を口にし、再び案内に集中する。


 ――しばらく無言のまま歩き続けているとデニスが立ち止まり、後ろの二人にも止まるよう声をかける。


「あったぞ――これだっ」


 そう言いながらデニスが指差す、壁にかけられたランタンを二人も注目する。

 照明としてとりつけられた物の中でこのランタンだけ明かりが灯っていない。


 デニスがランタンをどかし、後ろの石壁を押すとゴゴ……という重い音と共にわずかな振動が起こった。


 そして壁下の床が引っ込むように動き出し、階段が現れた。


「地下階段……?」


「降りたら地下にも通路がある。そこを抜ければ王宮ーー王の部屋に出られる」


(王の部屋……多分リーベが寝かされてたあの部屋だよね……まさかあそこに直接繋がってたなんて)


 ……リーベを連れ出す時に気づいていれば楽に逃げられていただろうけど、私達に気づけるような仕掛けなら隠してる意味がないか。


 それに結果的には立ち往生したことでリーベを救う時間が作れたとも言える。


「ーーわかった。ここからは私とヴェルメで行くから、あなたは戻っていいよ。ここまでありがとう、デニス。マルガさんにもお礼を言っておいて」


「ほ、本当にありがとう、デニスくん。後はマルガさんのそばに……いてあげて」


 それぞれ感謝を伝え、デニスに帰るよう促す。


「…………」


 それに対し、デニスはうつむき沈黙している。


「……デニス?」


 どうしたのだろうか。

 先程までの自責の表情とも少し違い、何か話すことを躊躇しているように見えた。


「…………オ、オレ」


「……どうしたの?」


 時間がない。

 ヴンダーとアシュティンを助けに急がなければならない。


 頭ではわかっている。

 しかし小さく震えながら、なんとか言葉を絞り出そうとしている少年をそのまま置いていくことが出来なかった。


「ーー言うことがあるなら言って、デニス。私達があなたの話を聞けるのは多分、ここが最後だから」


「……っ」


 シュテルの後押しが効いたのか。

 下を向いたまま、デニスは静かに話し始めた。


「…………名前」


「名前?」


「オレの、名前…………デニスじゃないんだ」


「ーーえ?」


 思いがけない告白に反射的に聞き返してしまう。


「それ、どういうこと?」


「あの人はもう……名前がわからないんだ。いや……正確には区別がついてない、だな。……オレだけじゃない。周りの友人や、自分の家族の名前すらも……」


「ーーマルガさんのことだよね」


 確かに。思えばデニスという名前は本人から聞いたものではない。

 マルガがそう呼んだのを耳にしただけだ。


 デニスはマルガの状態を語る。


「最初はまだよかった。名前を間違えてもすぐに自分で気づいたし、名前を違えててもその人をその人だとちゃんと認識はできてたから」


「……」


「けど……ここしばらくはもうそれも曖昧になってきてる。オレの名前も今はデニスだけど、二日前はレイリーだった。オレのことはマルガねえちゃんの中では多分もう……自分が魔物から助けた子どもだって記憶もないと思う」



『恥ずかしながら……私もそこのデニスに命を救われて、こうして生き長らえているのです』



 ……あの言葉は謙遜から出たものではなかった。


 デニスが必死に何度も説明をしたから"そう"理解しているだけで、本当は自分が重傷を負った理由も自覚がなかったのか。


「それは……いつから?」


「ひどくなったのは最近だけど、名前の区別がつかなくなる症状は怪我をしてから数日で起きてた」


「なら彼女の家族は? マルテって名前の弟がいるって言ってた。両親はマルコにマルノーって」


「……マルコとマルノーはおねえちゃんの友達の名前だよ。魔族の襲撃に巻き込まれて死んじゃったみたいだけど……自分と名前が似てるのもあって仲が良かったって、ああなる前に話してた。親は……アデリナとクラウスって名前だったかな」


「……本当に区別がつかないんだね」


「でもマルテのことは合ってる。……前に、家を見に行ったこともあるから間違いないよ」


 トマリやシャトゥンの話をしていたことからも、何もかもわからなくなっているわけではないのだろう。


 心象に深く残る存在や、見聞きしたばかりのものは正しく認識できるということか。


「ーー待って。マルガさんの家に行ったの?」


「前に、本人にそれとなく場所を聞いてたから。……マルガねえちゃんのこと、伝えてやりたかった。できれば会わせてやりたいって思って……」


 マルガは彼の身を案じてシュテルに口止めをしたが、もう以前から彼は動いてしまっていたらしい。


 しかしこの様子ではその結果をマルガに伝えてはいない。

 それはつまりーー


「でも……ダメだった。おねえちゃんの家族は、みんな死んだ。親は二人とも魔物に喰われて、マルテは……宮殿に連れて行かれた。……何もできなかったっ 目の前で、見てたのにっ……!」


 シャトゥンに選ばれた人間が宮殿に招かれる。

 最も喰う相手が魔物か魔族かというだけで行き着く先に違いはないが。


「…………そう」


 ……報われない。

 せめて、ただ間に合わなかっただけならまだ諦めるだけですんだかもしれないのに。


 よりにもよって惨劇の最中に居合わせ、それを見ていることしかできなかった。


 そんな地獄を繰り返し味わった少年が絶望し、無力感に苛まれるのも無理からぬことだったろう。


「もう……ダメなのかな。マルガねえちゃん……もう、助からないのかな。助かってほしいのに……今のあの人は……もう」


 今日まで傍にいたのだ。

 このままマルガがどうなっていくかは前から察していただろう。

 トマリの加護も今の彼女を救ってくれるようなものではない。


 それを信じたくなくて。

 認めたくなくて考えないようにしていた事実を、二人に問うことで形にしようとしている。

 

「あ……諦めないでっ きっと大丈ーー」


「ごめん。私達にはーーわからない」


 なんとか励まそうとしたヴェルメを遮り、シュテルがハッキリと答える。


「……そうだよな。ごめん……」


「彼女の身体がどうなってるか、どうなるのかーー私の中ではもう答えが出てる。でもそれはあなたが望む答えじゃないし……私の結論が絶対正しいって言えるわけじゃないからーー」


 だから"わからない"とーー銀髪の魔法使いは答えた。


「なら……なら、せめてさ。約束してくれないか……? 絶対にシャトゥンを倒すって。この国を魔の手から解放させるってーーっ」


 あの家でも口にした頼みを少年はもう一度繰り返す。


 ……さっきは期待しないでと、はねつけてしまったが。


 たとえ上辺だけのものだとしても、今くらいは望む言葉を渡してあげるべきだろう。


「わかった、頑張るよ。でも……んー……」


「なに?」


「……"絶対"ってやっぱり難しいなぁ。それに私達、まだ子供だよ? 子供にあんま無茶言わないでよね」


 とぼけたようにそんな返事を返した。


「自分で言うなよっ はぁ……勇者様だったら"任せとけ"ってカッコよく笑いながら言ってくれたのにな」


「……勇者一行のこと、好きなんだ」


「もちろんさ! 勇者様達はみんな本当に強くてカッコよくて、優しくて……っ 勇者達が役目を果たさなかったからだ、とか。勇者達のせいでこんな事になったって言う奴らもいるけど……オレはそんなこと絶対に思わない!」


 あれほど自己嫌悪に陥っていた少年は勇者の話に触れた途端、声に力がこもり生き生きとし始めた。


 ……よかった。ちょっとだけホッとした。


 この子が元気を出してくれたのもそうだけどーー何より、あの人達のことを信じている声を聞けたことが。


 この国に来る道中でアシュティンから聞いた。

 グリューン国で彼やリヒト様がどんなに憎まれていたのか。


 勇者達がこの世界を地獄に変えた、と。

 つまりそれが今の世間の感情なんだろう。


 実際、あの森に籠っていた時は私もずいぶん揺れていた。

 あの人達が余計なことをしなければ私の村は無事だったんじゃないかって。


 ……今にすれば頭を打ちつけたくなるくらいの愚考だと思うけど。


「……そっか、ありがとう。――じゃあ私の弱気なセリフを聞いて、ますます勇者様達がカッコよく思えたでしょ? その気持ちを大事にしてね。あなたみたいな子が一人でもいてくれれば、あの人達は夜空の星みたいに輝いたままの英雄でいられるから」


 例え今の結果に繋がってしまったのだとしても。

 あの人達は間違いなく多くの人の為に立ち上がり、身を削り落とし、戦ってくれたのだから。


 少なくともただの咎人のまま刻まれてほしくない。


「それじゃ行ってくるから、無事を祈っててね。ーー行こ、ヴェルメ」


「は、はいっ」


 二人は階段を降り、王宮へと足を急がせた。




***





「ーーハハハッ アハハハハハッ!」


 黒い影が笑う。


"クソーークソ! クソクソッ! なんでだーー"


 黒い影が笑う。

 幾度も切り刻まれた己を痛快とばかりに笑っている。


 ヴンダーは困惑と恐怖を抱きながら爪を振るい続ける。


"コイツはーーどうすればコイツは死ぬんだ!?"

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