奪取と奪還
「……なんだよ、こりゃ」
町の中へ足を踏み入れて早々にヴンダー達は自分の目を疑った。
入り口から少し進み、大通りに入るとそこには大量の魔物がいたのだ。
ヴンダー達を待ち受けていたというわけでなければ、シャトゥンが罠を仕掛けていたわけでもない。
魔物達は――"生活”をしていた。
"――――”
何かの物品が入った木箱を運び、整理している魔物。
地面の埃やゴミを箒でせっせと掃いている魔物。
敷物の上に商品を並べて露店を開いている魔物が何匹もいる。
その商品を興味深そうに眺め、手に取る魔物達も。
魔族の命令で人を襲うだけのモノ。
およそ知能を持たないはずの魔物が目の前で行うそれはまるで人の営みのようだった。
「どう……なってんだ」
その異様な光景を目にして言葉を失っていたアシュティンは、かろうじてそんな言葉を漏らす。
信じられないのはヴンダーも同じだった。
"魔物が人間の町で暮らしてるの……?"
魔物はヴンダー達の近くを次々と通り過ぎていく。
シャトゥンの命令があるからなのだろうが、魔物達は横目でヴンダー達を見るものの襲いかかってくることはない。
露店巡り、荷運び、掃除――各々が各々の都合で好きに動いているように見えた。
「並べてある品々は宮殿の中にあった美術品や町民から頂戴した繊維や服飾品だよ。本当は一から制作した物を置きたかったんだけど、さすがに人間が積み上げた技術まで魔物に模倣させるのは無理があってね」
呆気に取られている賓客を楽しみながら、シャトゥンは町の光景の感想を二人に尋ねた。
「どうだい? 君達から見てこの子達の様子は――まるで人間みたいかな?」
「……こいつはなんだ」
「不思議に思うのも無理はないね。魔物なんて使いたい時に最低限の数を出すだけだ。本来、こんな適当ににゴチャゴチャと散らばしておくものじゃない」
「だからこいつはなんだって聞いてんだ! シャトゥンーーお前、一体この国で何をしてる!?」
「したい事をしている。ああ、深読みはしなくていい。本当にただ、それだけだからね」
怪訝な態度の二人を見て、魔族の男は楽しそうに語る。
「ボクは人間に興味がある。他の同族のように、玩具として嬲り甲斐があると見てるからじゃない。ああ、食事としての価値はボクも感じているよ? けど、それだけじゃなくて……生物としての君達に強い関心があるーー好んでいると言ってもいいだろう」
ヴンダーはグルルと強く唸った。
そんなヴンダーの威嚇をシャトゥンは笑顔で受け流す。
「ヴンダー、だったよね? 別種の生物としての視点で人間を好ましく思っているという点ではボクと君は似ていると言えるんじゃないかな」
「――グルルルッ!」
ふざけるな、と抗議の声を上げる。
ーーウソだ。コイツらは人間を好きだなんて思っちゃいない。
ヴェルメとリーベの村でコイツらは何をした。
グリューン国で一年間、コイツらはたくさんの人達に何をした。
シュテルが暮らしていた村にコイツらは何をした。
ここまでの間で魔族が人をどう見て、何をしたかなんて十分に思い知った。
コイツらは敵だ。人を殺すことを喜ぶ奴らだ。
人に対して酷いことしかしない生き物だ。それを心から楽しむ怪物だ。
そんな奴らは許せない――認めたくない。
そしてこの国の人間もそう。
まだ多くが生きているとは言っていたが、こうして魔物の群れが町中を闊歩している以上は少なくともロクな扱いは受けていないだろう。
膨れた殺気を愉快げに受け止め、シャトゥンは話を続ける。
「君達が感じた印象の通り、これは人間の模倣だよ。人間の行う活動の一部をボクの命令で魔物達に再現させているのさ」
「何のためにだ」
「理由はさっき言ったよ? 人間が好きで、生物として興味があるからさ。漠然としてるだろうけど、実際その程度の動機で始めたことなんだよ。つまりは、なんとなくだね」
"……これがなんとなくで始めるような事だって?”
そんなぼやっとした理由で大量の魔物に人間の生活を真似させているというのか?
ヴンダー達にはとても理解ができなかった。
「ちょっとした実験のつもりだったのさ。ほんの一部でも模倣ができれば、凡百の魔物でも人間という種の在り方に近づけるんじゃないかってね。で、とりあえず人の生活から真似させてみようと思って試してみたのがこれってわけ」
「――――」
「数いる魔物の中でもボクはゴブリンとオークを好んで使用している。あの二種は魔物の中では比較的、知能があるし、ある程度なら複雑な命令も可能だからさ。その特性にほんの少し期待してたんだけど……結果としては残念の一言だね。まあ、所詮ただの魔物だし当然と言えば当然なんだけどさ」
「残念だと……?」
「そうさ。あの子達は自分のやっている事にどんな意味があるのか何一つ理解していない。ただ命令のままに動き回っているだけで、その行いを思考することもない。そんなの箱庭で人形遊びをしているのと変わらないだろう?」
”……なんなの、コイツは”
魔物に人間の模倣をさせる――そんな事をして何になる?
いや、コイツはなんとなくだと言った。そもそも意味なんてないのか?
……わからないけど、この男は手下の魔族達とはどこか違う。
人間という生き物に対して他とは異なるこだわりみたいなものがある……気がする。
思考を巡らすヴンダーの横でアシュティンが問いを続ける。
「……あの言葉を話してた魔物は? あれもオマエが教育した結果だってのか?」
「そう、アレも同じだ。来客への挨拶を実践したのは君達が初めてだけどね。……あの魔物も教えたことをなぞっているだけで、そこに自己はない。パッと見は珍しかっただろうけど、蓋を開ければ別に面白くもないものさ」
先程までの楽しげな様子から一転し、シャトゥンはつまらなそうに魔物達の"演劇"を眺めている。
「まあ、仕方がないか。なにせボク自身が人間のことをちゃんと理解していないんだ。ヒトの真似を命じたところで満足のいくものなんて見れるわけがない」
独り言のようにそう口にすると、こっちだよとシャトゥンは先を歩き出した。
**
――大通りを進むとかなり開けた場所にやって来た。
恐らく広場なのだろうが、先ほどまでとは様子が違っていた。
かなり荒れている。
他の場所は魔物が闊歩していることを除けば元の町並みのままと言えるほど綺麗な状態であったが、この場所だけ何故かあちこちが壊れていた。
地面がいくつも抉れ、あちこちに瓦礫が散らばっている。
舗装された個所も見受けられるが、飽きたのか諦めたのかどれも中途半端で放置されているように見える。
"どうしてこの場所だけこんなに――、!”
荒れた広場を見渡していると、ふと奥の方に見える光景が目についた。
ギ……! ギヒャ! ギッ……!
魔物達が集まっている。
他の場所と比べると、まばらな数の魔物の動きが一所に向かっているのがわかる。
魔物の背で見えないが、何やら盛り上がっているその場所からは人の悲鳴も聞こえてくる。
「………おい」
状況を察し、アシュティンの表情がより強張る。
「――さっき魔物のことを面白くないと評したけど、一つだけ気に入っている点もあるよ。それはあの子達も"面白がる”ことができるってことだ」
シャトゥンは魔物達の喧噪に目を向けながら話す。
「何も思考せず、命令のまま動くこととは違う。確かな自己意思を持って己が欲求を満たす。人間を食べるという本能に"解体ショー”という遊びを加えて興じているのがあの光景だ」
君達も見ていくかい? と魔族は見学を促す。
"……!!”
*
「――嫌だ!! 放せよ、ちくしょうっ!!」
一人の少年がゴブリンに押さえつけられている。
どうにか逃げ出そうともがく子どもを囲う魔物達が楽しそうに嗤う。
「いてっ! ……ひっ!」
粗末な木台に乱暴に置かれ、少年の頭上には巨大なナタを持ったオークが見下ろす。
今から行う事を期待するかのように周囲の魔物が囃し立てる。
「っ……!」
ゴブリンが少年の手足をピンと引っ張り、真っ直ぐに伸ばす。
そしてオークが狙いを定めて右腕の付け根にナタを押し当てた。
無駄にゆっくりとしたその動きは慎重というより、観客に見せる為のパフォーマンスのようでもある。
オークの緩慢な動作がズシリと重く、ヒヤリと冷たい感覚を腕に伝える毎に少年の恐怖と観客の狂喜が助長されていく。
「っ……嫌だ――嫌だっ!! やめろぉっ!!」
もはや暴れることも叶わない哀れな獲物に死が振り下ろされる――――
「ギッ……!?」
――寸前。
飛び込んだ白い斧槍と巨獣の爪がその光景を切り裂いた。
ギャラリーになっていた周囲の魔物達は二人の一撃で丸ごと吹き飛ぶ。
解体ショーの主催であったオークと数匹のゴブリンも驚愕する以上の猶予は許されず、怒りを込めた無慈悲によって肉片へと変えられた。
「っ――、え……?」
「あっはっは! 見事見事! さすが、実に豪快かつ鮮やかだ!」
横から楽しそうに手を叩きながらシャトゥンが近づいてくる。
一人と一匹は突然の事態に戸惑う少年を背にし、災魔と向き合う。
「ふざけやがって……何が浪費はしないだ。民が無駄に減るのは望まないとか抜かしてたのは、ただのそら言かッ」
「そら言とは心外だなぁ。ちゃんと本音さ。実際、魔物に与えてるのは死肉だけで生きた人間を襲うことは許可してないんだぜ? 少なくとも家から外に出なければそんな目には合わないんだけど……君も飽きないねぇ、少年」
「っ……」
「さあ、もうお行き。これに懲りたら無闇に外に出るのはやめておくんだね」
少年はアシュティンとヴンダーを一瞥すると、後ずさりながら細い路地の方へ走っていった。
家に戻ったのだろうか。少年の安否が気になるが……
「魔物への教育が行き届かないのもあるけど、あの子の外出も常習的だからねぇ。人間を襲うという魔物の本能を刺激してしまうのもやむなしといったところさ」
困ったものだとシャトゥンは呆れたように笑う。
「っ……」
"……常習的?"
あの子が外を出歩いているのがいつもの事だって言うのか? それをコイツは黙認している……あるいは関心を示していない?
「まあ、あの子はもう大丈夫さ。きっと自力で家に帰れるよ」
ヴンダーの疑問を他所にシャトゥンはそんなことより、と話を続ける。
「魔物がしてたさっきの行動、面白いと思わないかい? ボクはあんな事は教えていない。つまりあれは人間を食べるという本能に娯楽目的のアレンジを自身で取り入れたってことなんだ。一体あの子達はいつどこで、あんな残酷な行為を覚えたのだろう?」
「……知るかよ。単にオマエらを真似したってだけじゃねえのか」
「あるいはーー人間を真似したのかも」
「……なんだと?」
「ーーなんにしても興味深いことだよ。無駄と思いつつもあの子達に人間の真似事をさせてしまうのは、ついそういった思わぬ要素に期待してしまうからなのかもね」
"……どういう、こと?"
正直、コイツの言ってることもやってることも全然理解できない。
でもその動機だけは理解できた。人間に興味があるから――それはわかった。
今、わからないのは魔物のことだ。
さっきからコイツはなんで――魔物に対してこんなに他人事なんだろう?
……魔物というのは魔族が自身の力を媒介にして作り出す疑似生命なのだと以前、リーベが話していた。
他ならぬ魔族が生み出し、使役している存在だ。実際その様子は自分も目にしている。
なのに、どうしてこの男は魔物について知らない事があるかのように話すんだろう?
魔物の性質なんてコイツらは理解してて当然のはずじゃないのか。
「――ボクが魔物に対しての理解が浅いことが不可解かい?」
するとシャトゥンは急にヴンダーを見ながらそう訊いてきた。
内を見透かされたような急な問いにヴンダーの身体はゾクリとした感覚が走る。
"……気持ちが悪い”
まさか本当に心が見えているというわけではないと思うが、改めてシャトゥンという魔性が持つ得体の知れなさに触れた気がした。
「実は魔族が魔物を生み出せるというのは正しい表現じゃない。魔物を顕現させることが出来るのはある災魔の力でね。ボク達はその力を借りて勝手に使ってるだけなんだよ」
「なんだって――っ?」
「ボクの同胞にフォアリーゼという奴がいる。災魔フォアリーゼ――淑女とは違うけど本好きで物静かな女だ。もしいずれ会う機会があるようなら彼女に話を聞いてみるといい。災魔の中じゃ会話のしやすい奴だ」
「っ……」
「足を止めてしまってすまないね。さあ宮殿までもうすぐだ」
そう言ってシャトゥンは先を歩き出した。
……この災魔はまだ見ぬ他の同胞の情報を惜しむこともなく渡す。
機会――この男がそんなものをこちらに渡す気があるのか甚だ疑問ではあるが。
***
ヴェルメとシュテルは町を囲う外壁から魔法で滑空し、宮殿の屋根に降り立った。
すぐ下に小さな窓を見つけた二人は足を踏み外さないよう、慎重に中へと侵入する。
「ふう――私とヴェルメだけで正解だったね。アシュティンだったらこんな小さい窓、通れなかったとこだもん」
ローブについた汚れをポンポンと軽くはたきながら、シュテルは軽口を言う。
「ここは……」
ヴェルメは辺りを見回す。
横長の廊下でちょうど真ん中の位置にいるようだ。
左側に見える突き当りまでに扉が三つあり、どの扉にも立派な装飾がついている。
「物置部屋ってふうには見えないから多分、王族の寝室とかかもね」
二人は手前の部屋から順に確かめることにした。
シュテルが扉や床に手を当て罠の類がないか調べている。
「部屋の外からわかるんですか?」
「魔法使いは自分以外の魔力や魔族の呪いの力に敏感。物理的な罠の見分けはできなくても魔力を使った仕掛けなら集中すればちゃんと知覚できるもんだよ」
「すごい、シュテルさん――私はそんなふうにできないです。なんとなく感じるかも……くらいで」
「そんなことないでしょ。だってあの小屋でリーベにかけられた呪いがグリューン国で見たものと同じだってヴェルメ、看破してたじゃない。同じことだよ」
「あ、あれはたまたまで……」
「たまたまとかないって。……ヴェルメに必要なのは自信と成功体験だね。まあ、魔法の練習して経験重ねればどっちも自然と手に入るものだから心配ないよ」
卑下しすぎるのはよくないぞと、シュテルは言う。
姉と似たことを言うとヴェルメは思った。
練習をすれば。経験を重ねれば。
(でも……)
……自分は未だに魔法を扱えたことがない。
そもそも成長する為の下積みに必要なもの自体がまだ芽生えていないのだ。
リーベが他人の傷を癒しているのを見て、自分もやりたいと試してみたことがある。
だが結果は当然のように上手くいかなかった。
生まれつき得ていた紫紺の瞳。
数こそ多くないが異色の目を持つ者はこれまで例外なく魔法を扱う者として覚醒している。
自分は魔法使いとして生まれているはず。
しかし幾度試みようとも自分の中に根付いているはずの力が少女の声に応えることは一度もなかった。
(私も魔法が使えれば、ちゃんとみんなの助けに……)
昔であれば自分に才能がなくても、ただしょんぼりと落ちこむだけでよかったかもしれない。
しかし今はそんな自分が怖い。
力になることができない自分が。守られるだけの自分という存在が、傍にいてくれる人達にいずれ最悪な何かをもたらしてしまうのではないかと。
「っ……!」
頭をぶんぶんと振り、暗い方向へ流れかけた自分の感情の舵を慌てて切る。
そんな場合じゃない。
とにかく今はリーベを――大事な姉を早く助けなくては。
「――よし。それじゃあ開けるよ」
調べ終えたらしいシュテルが扉をそっと開く。
「……何もない、ですね」
シュテルの言う通り中は寝室だった。
目を見張るほどの豪奢な部屋も、誰も使う者がいないとどこか物悲しく見えてくる。
一つ二つと部屋を調べ、残りは一番奥の部屋のみ。
「ここにいればいいけど……」
「おねえちゃん……」
ヴェルメの中の不安が徐々に大きくなる。
不安に合わせ鼓動が早くなっていく。
もし……手遅れだったらーー
「ヴェルメ、とにかく見つけてから。一応危険がなさそうか調べるから扉を開けるのは待ってね」
逸る気持ちを抑えながらそわそわしているヴェルメを後ろに扉の先の危険を調べる。
「あ……」
そこでピタリとシュテルの手が止まった。
「……大丈夫そうですか?」
「あ、うん……とりあえず危険はなさそう。ただ、かすかにだけど中から魔族の呪力を感じた。罠とかじゃなくて、これは……多分」
「――!」
その言葉でヴェルメも理解する。
「それじゃあ開けるよ。一応言っとくけど焦らないでね」
そう忠告してからシュテルは扉を慎重に開いた。
*
――中はやはり寝室のようだった。
作りはそう変わらないが先の二部屋より一回り広い。
一人で寝るには大きすぎる天蓋付きのベッドが自然と目についた。
そしてそこにはよく知る少女の姿が横たわっていた。
「おねえちゃんっ!」
姉の姿を目にし、焦るなという忠告が頭から吹き飛び駆け寄った。
ヴェルメは何度も呼びかけるがリーベには意識がなく、目を覚ます様子がない。
狼狽えるヴェルメの前に出てシュテルが様子を確かめる。
「シュテルさん、おねえちゃんは――っ?」
「……生きてはいる。でも……かなり良くない。呪いの浸食が進みすぎてて……呼吸してるだけでも驚きなくらい」
「そんな……っ」
か細い呼吸を少ない頻度で繰り返す。
小屋で倒れた時は腕に表れるのみだった赤黒い血管のような呪いは全身にまで広がっていた。
「急いでシャトゥンを倒すのはもちろんだけど、この子をここに置いておくのはダメ。とにかくリーベを連れ出そう」
「で、でもどこに?」
「……あの小屋での事を考えても、リーベのこの状況は元凶との距離で強弱があると思う。だからせめてこの国の外に出せば少しはマシになる……って期待したい」
気休めは言わず、ただ事実と可能性を口にする。
少なくともこの場に置いておけない。
そのことを理解し、ヴェルメもシュテルの言葉に頷いた。
「ごめん……アシュティン、ヴンダー。合流するの、ちょっと遅れそう」
あの二人だけでシャトゥンを倒せるなら一番いいが、きっと難しいだろう。
相手は災魔。しかもシャトゥンは長い間、魔王が放つ刺客の襲撃を幾度も凌ぎ、拮抗してきたゲルプ国を陥落した魔族だ。
シュテルとて災魔の恐ろしさを直に見たことはないが、戦いになれば任せきりにはできない。
急がなければ。
「さあ、いくよ」
リーベを星型に乗せて、上階の窓から脱出した。
***
案内のままに進み、ヴンダーとアシュティンはゲルプの宮殿へ辿り着いた。
門を潜る際、シャトゥンが恭しい動作でようこそと頭を下げ、改めて客人を歓迎した。
"ーー"
宮殿の中は綺麗なものだった。
アンデルが支配していたグリューン国の城は荒れ果ててしまっていたが、ここにはそんな様子がない。
隅々まで手入れされており、襲撃を受けて乗っ取られたなど嘘かのようだった。
「ゴブリンを使って定期的に掃除をさせているんだよ。こういう時には便利な子達だからさ。都度、指示をしないといけないのが面倒ではあるけどね」
訊いてもいないことだというのに自然と湧いた印象に対し、シャトゥンは答えた。
「どうだい? 立派なものだろう。ボクの持っている物の中でこの邸宅は中々気に入っている」
自慢して見せつけるように手を広げ、これは自分の物だと主張する。
「……お前の物じゃねえ」
「いいや? 間違いなくボクの物だよ。この国に攻め込み、ゲルプ王の首を取り、彼の持つ全てを奪略した。奪った物は奪った者が使わなければならない。闘争によって得たものなら尚更だ。これは確かなボクの功績であり、矜持であり、幸せを得る為の正当な報酬だ。――こればかりは譲れない」
軽薄な口調こそ変わらないが、その言葉からはこれまでと違う強い意志を感じた。
"コイツは……この生き物は――”
ヴンダーは改めて災魔という目の前の存在を凝視した。
どうあっても理解されることのない己の価値観。
相手が決して認めないからこそ、男は憚ることなく自身の幸福論を主張した。
静まり返った宮殿の中をシャトゥンは進んでいき、二人もその後ろをついていく。
大広間を通り、わずかな階段を上った先にはまたもや大きな空間が広がっていた。
王が謁見する場として使われていた部屋であり、奥には王権の失われたかつての玉座が置かれている。
玉座の前に立つと、シャトゥンはようやく足を止めた。
背を向けたまま二人にある話をする。
「そういえば、さっきは話しそびれてしまったんだけど――あの広場、他と比べてボロボロだっただろう?」
突然の話に二人は一瞬、戸惑う。
あの荒れた広場。国の中心に近い位置にあるはずのあの場所だけが切り捨てられてしまったかのようだった。
確かに少し気になってはいたが……
「あそこは大切な思い出でね。あそこで戦ったんだよ――勇者リヒトと、その仲間達とね」
"!”
「兄貴が――」
思わず漏らしたアシュティンの一言にシャトゥン心底からの喜びを表す。
「ああ、やっぱり君は彼の血縁だったのか。よく似ていると最初に目にした時からずっと思っていたよ。異質な力を持つ黒い獣の君と、勇者リヒトの血を引く者。ボクの配下が悉く敗れたのも当然だったと言えるね」
シャトゥンは目を閉じながら懐かしむように語る。
「ボクは魔物を率いてゲルプ国へと攻め込んだ。迎撃する敵の軍勢を押し退けながらボクはあの広場へと入った。ゲルプ王のいる宮殿まで、あとわずか。けど、ここで現れたのが勇者とその仲間達だった。二度目の相対であり、ボクにとって最後の戦いとなったのがあの場所なんだよ」
あの戦いは素晴らしかったなぁ――と災魔は当時の記憶に思いを馳せている。
「彼らは本当に強かった。あの時、刻まれた敗北も今ではかけがえのない思い出だ。まあ結果的にボクはこうして生き長らえてしまったわけだけど」
「っ……」
アシュティンは歯噛みし、敵を睨んでいる。
彼の兄であるリヒト、そしてトマリは旅の道程の中で必死に戦い、多くの人を救ったという。
このゲルプ国もその一つだったはずだ。
それが嬲られ、蹂躙され。
国を守る王すらも失い、今や魔が気まぐれに踏み荒らすだけの荒れ庭と化してしまった。
彼らの作った栄誉が、救世を成そうと抗った軌跡が無駄だったと塗り潰されていくその有様は、青年の胸中に暗い影を落とす。
「そんなわけで修復してしまうのが逆にもったいなくてね。あの場所だけはそのままのカタチを残すことにしたんだ」
シャトゥンは背を向けたまま話を続ける。
「正直に言うとね。勇者達が死んだと知った時、ボクはとても寂しかった。あれほど鮮烈な敗北をボクにくれた彼らの死なんて信じたくなかったんだ」
アシュティンや他の人間ではなく魔性であるこの男がそれを口にする異様さ。
それでも今この男から漏れる言葉は確かに本音だった。
「そして彼らが倒れ、国王達が死ぬと全ての人間は絶望に落ちて次に立ち上がろうとする者は誰もいなかった。ささやかな反抗心はあっても、ほんのちょっと威圧されれば屈服してしまう有り様。勇者達の遺志を継ぎ、魔を打倒しようという新たな勇に溢れる者が現れることはなかった」
それは愉快でありながらも、なんて寂しいんだろう――と。
災魔は天を仰ぎながら、内に抱えた感情を小さく吐露した。
「でもね――――それもこの時までだ」
"!? ――アシュティンッ!!”
「ッ!!」
瞬間、左右に並べられた石柱の影が二人に向かって伸び、物体を裂く刃となって襲ってきた。
アシュティンはなんとか槍で防ぎ、ヴンダーも尾を使ってソレを弾き飛ばす。
「シャトゥン……ッ!!」
開戦の狼煙。
二人は戦闘態勢となり、今度こそ討つべく真っ直ぐに敵を見据える。
「勇者達がいなくなり、希望を失って怯えるばかりの人間に変わって以来、ボクの中の空虚さはちっとも埋まらなかった。この一年間、辛い日々だったよ。どうしてボクは……一体何の為に死に損なったんだろうってね」
シャトゥンの影がさざ波のように動いている。
すると影の中から剣が幾本も飛び出した。
影の一部が変化して出来たかのような黒い剣の形をした凶器は、シャトゥンを囲うとピタリと空中で停止している。
主人の号令を待つ兵士のように。その切っ先をヴンダー達に向けながら。
「来るぞ、ヴンダーッ!」
"……!!”
「だからこそボクは歓喜する――君達との邂逅を! 立ち上がってくれた勇ある者を礼賛する! 奪いたいと思える物には必ず価値がある。ボクにとって君達はこれ以上ないほど奪ってしまいたい者達だ!」
"……勝手なことを言うな! リーベを! オマエがこれまで人から奪ってきたもの全部、今ここで奪い返してやる!!”
「そう。そして君達にとってもボクは奪いたい相手だ。奪取こそが生物の本懐――それを成し遂げ、己の手に得た時こそ生物の幸福度は最高潮に達するのさ!」
「奪取じゃない――俺達がこれからお前にするのは”奪還”だ。罪のない人達を踏みにじってきた報いを受けてもらうぜ、シャトゥンッ!!」
愉悦に満ちた表情で魔性の影は笑う。
無数の黒い刃が空中を踊るように飛び交い、二つの獲物に狙いを定める。
「さあ、お互いの幸福を目指して――奪い合おうッ!」
双方の意志を乗せた殺意が衝突した――――
***
「はぁっ、はぁ……っ」
「大丈夫、ヴェルメ?」
「は、はい……でも、どうしよう」
「……まいったな。魔物の数が多すぎて身動きが取れない」
リーベを連れて宮殿から脱出したヴェルメとシュテルは人家の間の狭い路地に身を隠していた。
シャトゥンが遠ざけているからなのだろうが宮殿の周辺には誰もいなかったが少し進んだ大通りには騒がしいほど魔物がひしめいて、とても近づけたものではなかった。
そこで狭い路地を通って逃げようとした。
しかし大通りほどでないとはいえ魔物はあちこちを歩いており、動けない人間を一人抱えた状態では見つからないよう動くのは非常に難儀だった。
「大体、何あれ。なんでゴブリンがホウキ持って地面を掃いてんの? キモすぎて意味わかんないんだけど」
銀髪の魔法使いは焦りの心境を誤魔化そうと軽口をたたく。
多少の魔物なら問題にもならないが、あの数に囲まれてしまえばさすがに成す術がない。
守るべきものが二つもある状態では尚更だった。
ペンダントの力があれば最悪ヴェルメは大丈夫かもしれないが、この状況では安心できる材料には程遠い。
(どこでもいいから町の外壁までたどり着ければ、入った時みたいに昇って脱出できるんだけど……)
シュテルは置かれた木箱に隠れながら辺りを窺う。
……そもそもここから動くことがすでに難しい。
見える範囲だけでも8匹はいる。
相手をするだけなら余裕だけど、その後のリスクが大きすぎる。
(こんな狭い場所をオークが歩かないでよ、バカ。……ああ、もう。このままじゃまずいのにっ)
焦燥に駆られ始めたその時、近くから声が聞こえてきた。
「おいっ」
「――ヴェルメ。今、呼んだ?」
「えっ わ、私じゃないです」
確かにヴェルメの声ではなかった。
しかし間違いなくすぐ近くから聞こえたのだが――
「おいっ ここっ こっちだってば――」
声の在り処はシュテル達が背にしていた人家の壁からだった。
よく見ると壁の一部が剥がれており、中から少年と思しき顔がわずかに覗いている。
「この家に入れっ 魔物に見つかっても捕まらなければ大丈夫だっ 急げ――っ」
思わぬ事に二人は顔を見合わせる。
この国の生きている住人。
言葉の意味はよくわからなかったが、こちらに訴えかけるその様子からは信用できそうな説得力があった。
シュテルの合図で飛び出し、その家へと逃げこんだ。
**
「――ほ……本当に追ってこない……」
飛び出した際に案の定、魔物に見つかってしまった。
しかし騒ぎになったのはほんの一瞬で、家の中に入った途端に魔物達は大人しくなり、何事もないかのようにこちらに関心を示さなくなった。
「シャトゥンの命令みたいでさ。家の中に入ってる人間には手出ししないみたいなんだ。だから、もう大丈夫」
「あ、あなたは……?」
声の主はやはり少年だった。ヴェルメよりは少し上だろうか。
少し生意気な印象を受ける少年は呆れたように口にした。
「そりゃこっちのセリフだろ。お前らこそなんなんだよ? ゲルプの住民じゃないよな? ガキが二人だけで外に出て何やってたんだよ。あぶないじゃねえか」
「え、あ、あの。シュテルさんは子どもじゃ……」
「……助けてもらったし、それどころじゃないからボコボコにするのは勘弁したげる。私が寛大な大人だったことに感謝しときなよ、くそったれ」
「な、なんだよこいつ、怖いな……まあいいや」
怒れる魔法使いをどうどうとヴェルメがなだめていると、少年は床板の一部をひょいと持ち上げた。
「地下……?」
「お前らも来いよ。とりあえず家の中にいれば大丈夫だけど地下のほうが安心だ。……診てやんなきゃいけない人もいるから」
「え……?」
そう言って地下に降りていった少年に一先ず二人もついていくことにした。
*
「中は……食料貯蔵庫か」
広い空間とは言えない場所に置かれた棚には野菜や果物が保存されている。
何故ここに案内したのかと考えながらシュテルが気になったことは二つ。
一つはこの貯蔵庫の中が清浄に満ちていることだった。
魔族に占領されたこの国全体がいまや魔性に汚染された悪環境に変わってしまっているというのに、この空間内だけが異様とも言えるほどに澄んでいた。
そしてもう一つは――藁の上に横たわっている全身に包帯を巻かれた女性の姿。
「マルガねえちゃん。……替えの包帯、持ってきたよ」
死体と間違えてしまいそうなほど動かなかった女性は少年の声に反応し、辛そうに頭だけをこちらに向かって動かした。
「……あら? デニス……その方達、は……?」
マルガと呼ばれた女性。
巻かれた包帯から覗かせた片目だけが、かろうじてこちらの姿を捉えていた。
***
「――ボクは人間が好きだ。勇者達に敗れて以来、ボクは寝ても覚めても人間のことばかり考えている。人間の内から溢れるような力の源は何か? 魔族と人間の差異とは何であるのかってね」
静まり返った空間でシャトゥンは独白するように話をする。
「不思議だと思わないかい? どうして人間は魔族を恐れて、魔族は人間を見下すんだろう? 角の有無を除けばボク達はこんなにそっくりな見た目をしているのにね」
シャトゥンは下に目線をやり、床に倒れ伏した黒い怪物に語る。
"……、……”
ヴンダーが倒れている。体を幾度も切り裂かれ、血に塗れながら。
「っ……、ぐ……ッ」
アシュティンも同様、石柱にもたれかかるようにして崩れている。
傷一つなく、息一つ切らさず、影の災魔だけが立っている。
「同胞は人間を下に見ている。でも今のボクはこう思うことがある。実は人間が出来損なって生まれたのが魔族という生物なんじゃないかって。……フフ。別に何の根拠もない、ただの思いつきだけどね」
"……ダメだ……コイツは……ダメ……だ”
「ボクは人間と魔の価値を見直したいと思っている。魔は本当に人間を下に見るに能うのかどうかを」
"…………コイ、ツは……”
「君はどう思う、ヴンダー? トマリと同じく例外を抱えた、異能の力を持った存在。君にとって人間とはどんな価値を持った存在であるのか。……是非、教えてほしいな」
"――――強すぎる……!!”




